第七話 SHΛ⧉PΞ⧉DΞ⧉S1⧉RΞ (6)
私が年単位の放浪という名の遭難をしていても、精神的にも肉体的にも無事だったのは間違いなく異形のアノマリーであるリムのおかげです。
最大六個の目、花のように開く口に触手のような舌。全身を覆う体毛は闇より濃い黒で、手足には指の代わりに鋭い爪、尻尾は尾羽のようなモノが六本。体の大きさは時と場合によって変動し、頭部の突起は後ろに倒れたウサギ耳のようですが、硬質な角のような感触で、間からは精神を落ち着かせるどこか懐かしい香りが放たれている素敵生物。
自由に姿を消したり、半透明になって物質の影響を受け無くなったり、なんでも有りな彼はアノマリーとしての格も高いようで、生物型に分類されるアノマリーは自ら離れて行く傾向にあります。彼が頑なにウサギと竜のキメラである素敵な少女を守ろうとするのかは、まったくの謎。
本当の名はメモリウム。沢山の景色が様々な大きさの水槽の中に閉じこめられた、記憶のアクアリウムのようなパッチで出合いました。以降、奇妙な絆が結ばれて、私と共にあります。
今やリムは私の癒しであり愛を注ぐ対象で、確かな絆を感じている大切な存在ですが、アノマリー現象に対しては私の危機に対しての予防的行動しかしてくれないのです。
つまりどういう事かというと、死ぬかもしれないぎりぎりまでは何もしません。
「ほらカイリス! もっと足を動かして走ってください!」
「無茶を言うんじゃない! さすがにキメラ三人を担ぎながらは無理だ!」
巨人の劇場と名付けた、白い煙状の巨人が演劇を楽しむための巨大空間。半円型の空間の正面にステージが存在していて、無数の座席が緩いカーブを描きながら並んでいます。列毎に段差があり、巨人からすれば小規模な劇場。通路は傾斜になっていて、定期的に白い巨人が全く同じ場所を行きかっているかのように姿を急に現すのです。足だけですが。
「みぎみぎみぎ! もう少し右に寄ってください!」
巨人行き交う斜面を駆け降りている私達ですが、気絶するお荷物が三つもあるので、大変難儀している次第。お話の余裕なんて一切なしです。
私の指示に先行するカイリスが方向修正。直後、突然現れた巨大な足がすぐ左側を踏みつけて来ました。斜面部分は巨人二人が行き来できるような広さで、中央部分はほぼ安全という訳でもなく、周りを見回しながら歩幅を予想している感じです。
「一旦右、座席に入ろう、限界だ!」
了承を待たず、カイリスは進路を変更し、右手側の座席の列の下へ駆けこんでいきます。
既に一番手前の席には巨人が腰掛けている席。段差を飛び降りて巨人が座る席の真下に飛び込んで、行きました。
私も彼に続いて段差をジャンプ。カッコよく受け身なんてできませんが、膝を一杯に曲げ切る前に前にお腹から滑り込むようにして、ダメージを減らしました。
「ぐぇえぇ……」
頭から模様が私たちサイズの絨毯に滑り込み、膝をすらないように持ち上げていた足と手をぱたりと落とします。結構な距離をそこそこの速度で走るカイリスに合わせていたので、息も上がっており、肉体的な疲労にとろけてしまいそう。
「…い、イコナ、やはり彼らは捨てて行こう」
竜の心臓と肺を持つカイリスですが、成人男性、しかも筋肉質なタイプを三人背中に担いでる状態で走るのはさすがにきついようで、床に座り込んだ彼は汗まみれでした。既に革鎧も脱ぎ捨てており、上半身は襟付きの白シャツ一枚。汗で濡れて透けて、鱗がタトゥーのように浮いている肌と筋肉が妙な色気を出してました。少し前の会話を思い出して、苦虫を潰したような顔をしそうになりますね。
意識を切り替えて、残酷な提案に返事をいたします。
「大変なのはわかりますが、却下です。なぜなら、イコナさんの寝覚めが悪くなるからです」
ロープできつく結ばれて雑に運ばれる三人。彼らの計画は最悪極まるもので、相応の罰を求めたいところではありますが、こんな環境に放置すれば、あっという間に無残な姿にされてしまいます。
私の傍に移動してきてくれたリムが、休むならどうぞとばかりに寝そべって、柔らかくふわふわ毛並みのお腹を晒してくれます。私の横になって休みたい潜在的意識を汲んだのでしょう。生物ですらない彼は、もちろん息など切らしておりません。
目は四つ開いた状態。油断は禁物くらいの警戒度です。視線は私に向いていますが、水平方向、座席の列の奥の方を見ると、危険が存在してます。
そこにいるのは女型の道化のようで、これまで見たのよりも細身で道化の仮面を被っています。特筆すべきは姿勢。うつぶせになって、背中をこう、逆向きに丸めまして、足が肩より前に来たら、その状態で手を使って立つというか四つ足になって、動き回る。虫みたいに。
それが座席の下を埋め尽くしてこちらをじっと見ているのです。リムのおかげで近寄ってこないようです。
「せめて目を覚ましてくれれば、段差を降りながら安全に行けるのだが…」
「…カイリスが下にいて、一人ずつ縛りなおしたのを私が雑に落っことすのはどうです?」
雑とは、蹴飛ばしてという意味です。半分冗談のつもりだったのですが、彼は真面目な顔で頷きました。
「ふむ、悪くない」
普通なら正気を疑う判断だと思うのです。建物の二階か三階から気絶してる人を蹴飛ばして落として、下でキャッチするなんて、どうかしてますよね。でも半分冗談という事は、残りの半分は本気で考えた事なので、彼ができるならやりましょう。
カイリスは既に行動に移してました。立ち上がり縛りなおそうとしますが、問題の束の一部が身じろぎをします。
「……目覚めたかね」
急に態度が冷たくなったカイリス。蔑むような目をしていました。
「……まて、俺はもう、敵意はない」
最初に目を覚ましたのは牛の角とカメレオンの尾を持つオルヴァ。私の簡易版アーティファクトの被験者。
「計画も、どうでもいい……だが、とりあえず、起こしてくれ」
三人まとめて縛っているので、動くに動けないのです。カイリスはまるで全権は私にあるとばかりにこちらへ視線を送るので、私はお任せしますと、お答えしておきました。リムが一切興味を持っていないので、敵意が無いのは本当でしょう。
手際よく拘束を解除し、未だ眠ってる二人を両手を厳重に拘束していきます。オルヴァさんは既に後ろで手錠をされた上で縛っていたのですが、しばらく床で呻いた後、自力で体を起こしました。
そして真っ先に気付く遠くの軟体を見せつけてる道化の群れ。顔が引きつってました。
「見捨てなかったイコナさんの優しさに感謝すると良いですよ?」
「あぁ……生きてることに安堵してる。本当に」
私も起き上がり、カイリスから預かっていた手錠のカギを使って、オルヴァを解放してあげます。
「いいのか?」
「先行してるキャラバン組とアマリが心配です。のんびりしてる猶予は無いんですよ。生き延びたかったらご自分で動いて、ついでにどちらか担いでください……ん…あれ、上手く開きませんね…」
しばらく弄ってると、無事に鍵が回って解除。すぐに両手を開放してあげました。
「これで良し。もし私の行動と判断に感動したのなら、元老院からイコナさんが便利に使える雑用係に鞍替えしてくれてもいいですよ?」
「……はは、考えておこう」
冗談めいた発言なのに、真面目な声でそんなお返事をもらってしまいました。もしや意外な強さに委縮してますね? 目も合わせてくれません。圧倒的な知識量、判断力、圧倒的強さを持つ生物を従えるカリスマ性を感じてくれましたかね。
「オルヴァ。わかってると思うが先を急ぐ必要がある。ギーネを担いでついてきたまえ」
「了解です」
立場をわきまえたようで、オルヴァは兵士のようにはっきりとした返事で行動に移し、立ち上がったところでふらつきました。近くにいた私はとっさに支えてあげる事が出来ました。
「すまない」
「いえ、よければ後でどのくらい衝撃があったか教えてください。今後の参考にしますので!」
気絶する直前を思い出したようで、小さく身震いをされたのが体に触れていたおかげでわかりました。あれで簡易版なので、しっかり調整すれば銘品ができますね。打撃系武器との相性はもちろん、鎧どころか服に塗るのもよさそうです。アマリ用の手甲とか作ったらものすごい事になりそうですね!
そんな妄想をしているうちに、カイリスがジルニアを、オルヴァがギーネを担ぎ、座席の下を抜けて移動していきます。席には巨人が座っていましたが大人しくしていたので、足の間から降下する事に。二人は荷物を淵に転がして、かなりの高さを平気で飛び降りてしまいました。完全に訓練された者の動きです。
「それじゃいきますよー」
上に残った私はジルニアを蹴飛ばして転がし、崖下へ。カイリスがちゃんとキャッチしてくれます。
「じゃあ次は………お?」
ウサギ猫のギーネが少しだけ呻き、薄く目を開けます。そしてすぐに私に瞳が向き、文字通り牙を剝きました。
「このガキが! 何をしやが」
「えい」
「うぎゃあああああああぁぁぁ」
手足を拘束された状態で寝起きで高所から落下。そんな体験滅多にできませんね。貴重な経験を積ませてあげたイコナさんに感謝すると良いです。
結果は確認せず、リムのお腹にロープを通して結んで、崖を降下。私を追うリムが壁伝いで歩いてくれるので、捕まってるだけで次の段に降りられます。リムには普段からお世話になってるので、道具みたいな使い方はあんまりしたくないんですけどね。
「う、うぉおお!? オルヴァ逃げてくれぇ! あのガキ化け物連れて降りてくる!」
「落ち付けギーネ、少し黙ってろ。骨も折れてるんだから暴れるな」
「ぐぁぁ…確かに痛え……チクショウ……なんで俺だけ……」
無事に到着。ロープはすぐに使うので、結んだまま我慢してもらいます。すぐに移動を再開。
「なぜだろうね、危険な怪物のはずなのに、キミがそうやって便利に使っているのを見ると、妙な感じがする」
「道具みたいな言い方はしないでください。リムは私の大切な存在です。しかし……そうか、着飾って無害アピールはいい手ですね」
洋服とか着せてみたりは、すごくいいかもしれないです。ただ、サイズ変更の特技がどう反映されるのかが重要ですね。大鞄も小さいときはどこかに置いてきてるみたいですし、そもそも姿を隠している時はどこにいるのやら。
「思ったのだが、荷物二人を括りつけるのはどうかね?」
「嫌です。私のリムに触れることが出来るのは私が認めた人だけです。あぁ、限定的に敵も触れますね? ギーネさんおめでとうございます! あなたはリムから積極的に触れられた第三者一号です!」
「あぁ!? 俺は、それどころじゃ、頼むオルヴァ! もっと振動を少なく運んでくれ!」
「急いでるんだ。我慢しろ」
軽くではありますが走っているので、腕の骨が折れてしまっているギーネにはさぞ辛いでしょうね。折れてるのに手は拘束されてるし、簡単な固定しかしてないし。枝なんてないので、折れた剣で固定してます。
『あー…斥候より報告するぞ? 限界ギリギリまで見てきたが、進行方向で妙な状況が発生している。だが焦る必要はない。オニイチャンに報告すると、アマリ達は安全な状況にある。だからパニックになるなよ?』
「…ありがとう」
カイリスが心情を滲ませたお礼を言いますが、ガンターには届いていません。彼は今、遠くにいるのです。本体だけ置いて。
次の段の境界である崖に到着しますが、この席の列はほとんど白い巨人が座っているようでした。しかしどれも動きません。
先ほどと同じように、崖上に置いて行ったジルニアを蹴飛ばして落とし、痛みに呻いていたギーネも続けようとすれば、また睨まれるわけです。
「てめぇ絶対に覚えておけよ…! 施設に戻ったら磔にして薬をグッ!」
不意打ち気味に肋骨のすぐ下をブーツの先で小突いてあげました。ここ、思いっきり殴られると呼吸困難とかも起こるそうですね? 私は見下ろしながら彼に優しく微笑んであげます。
「あなた達が村に戻って居場所があるかどうかは、正直なところ不明です。カイリスもどうでもいいと思っているそうで、私も迷っているところなのです。他のみんなと合流した時に、私がどう説明するかであなたの未来は全部決まるんですけど……意味、わかりますか?」
微妙な敵意にリムが私の肩越しにギーネに視線を向けました。目は薄く、脅威になるかどうかまるで未来を覗くようです。
「……げ、元老院は俺たちの味方する。アマリの命はこっちが握ってるんだ、そんな脅し意味がない……はは、残念だったな!」
すごいです! ここまで典型的な小悪党は初めて! 手のひらでころころ転がしたいタイプです。
イコナさんに明確な悪意を向けて、何をしてもあんまり罪悪感がわかないかもしれない人。貴重ですよ。絶望的な状況に陥れて、私の言いなりが唯一の出口にしてあげたい。嫌々ながらも私の指示に従うしかない人生を歩むのです。
もしそうなったら大切にしてあげますよ? 大切に大切に、色んな実験に付き合って、反応を確かめて、より良い物を作りましょう。
「な、なんだよその顔……」
「んふふ…いえ、あなたの未来はきっと素敵になりますよ? 長い付き合いになったら、面白いです、ね!」
蹴飛ばして、悲鳴。貴重な人はちゃんとオルヴァがキャッチしてくれました。ほんと、いい声です。
「さ、いきますよ」
段を降りて、次の崖へまっすぐ向かえば、変化が聞こえてきます。
ずっと聞こえ続けている歌の中に混じる、火薬の破裂音。独特な残響。それが散発的に聞こえます。
「銃声?」
座席の下を抜け、巨人の間を抜けた先は広い通路になってました。かなり前の方に来ていたようです。ステージが目の前にある…ように見えます。大きすぎて距離感が掴めません。
行きかう巨人の足はなく、そこから後ろを振り返ってみれば、巨人の劇場の席は全部埋まってました。誰もがじっと、ステージの方をみて微動だにしません。肝心なステージは空っぽで、歌声だけが流れてます。
銃声らしき音が聞こえたのはステージの左側。この広い通路を真っすぐ行った先。既に状況が見えていました。
「これはまた、妙な状況ですね」
巨大な両開きのドアを背景に、大量に集まっているのは遠目に見えた、軟体を披露する女型の道化アノマリー。しかしそれらは扉側で隊列を組んでいる者たちによって完全に進行を阻まれています。
旧時代のもっと古い時代の紳士服や、女性の仕事着、給仕服や兵士など、様々な格好をした透明人間が、剣や単発式の長銃を手に、道化型と戦っていたのです。状況は圧倒的に多彩な服をまとっている方が優勢で、道化側はほぼ壊走状態でした。
私達が近づくと、残った道化型はリムの存在に気付いたのか慌てて逃げて行きます。もう一段下の段に飛び降りて行ったり、とにかく近寄りたくないと離れて行くのです。
別勢力と思われるアノマリー集団は、敵がいなくなるとその場でゆらゆらと、立ちすくんだままになってしまいます。逃げもしない。リムにも反応なし。なんだか、幻影が立っているような、存在感が希薄なアノマリーでした。
そのまま進んで、動かないアノマリーの群れを抜ければ、ようやく見知った顔が扉の前で待っているのでした。
「兄さま! ……えっと」
駆け寄ってきた彼女が立ち止まった理由は言うまでも無く、担がれてる二人です。
「あー……アマリ、これはだね」
自分の計画が上手く行った際には彼らはいないわけで、はぐれたと言えばそれで済むのです。拘束した状態で連れてきた際の言い訳は考えてなかったのでしょう。真実を語る訳にもいきませんし。
しかし、この壊れた世界の中核型アノマリークラスターの深層領域においては、非常に便利な一言があり、私はそれを使わせていただくことにしました。他の平和な世界では絶対に使えない言葉です。
「精神汚染で襲ってきたので殴って気絶させました!」
完璧な嘘でしたが、アマリの後ろで待っていたニブレットさんもリュミンも、疑いの目を向けてきます。リュミンは敵対の可能性を示唆しておいたのですが、ニブレットさんにまで疑われるなんて! もしや情報共有されてる? 別に構いませんが。
とりあえず、アマリだけでも信じて欲しいです。でも彼女、ちょっと険しい表情をしてました。
「姉さま、後で色々教えてって言ったよね? 絶対これ、ややこしい状況になってるよね? 兄さまもいい加減全部教えて! どうせ助かるならちゃんと知って助けてもらいたい!」
「……アマリ、お前には酷な話にも」
「どうでもいいよそんな事! 今までは薬の事があったから仕方ないって思ってたけど、もう姉さまが助けてくれるんだもん! 隠してること全部教えて!」
尻尾を立てて距離を詰めてきたアマリに、カイリスは気圧されて、私に助けを求めるような視線を送ってきました。そこに空気の読めないウサギ猫が割り込みます。
「あぁ? 助かる訳ねぇだろこの失敗作が……お前にできるのは次のガ」
「ふん!」
どぼっ、と肉に何かがめり込む音を立てたのはオルヴァ。ギーネを担いでいた彼は空中でギーネを手放して膝蹴りをお腹にぶち込み黙らせてくれました。ちょっと評価点を上げておきましょうね。彼は彼で、私の下で働いてくれないかな。
「…ご覧の通り、この場でお話するには重すぎる話なのですよ。まずはこの場所を抜け出しましょう。いずれにせよ、エーテル結晶は高純度状態で回収しないと話になりません」
「うー…わかった。でも村に戻ったらすぐ教えてよ?」
不満で尻尾を揺らすアマリですが、とりあえず我慢をしてもらいましょう。カイリスにも、ちゃんと方法を教えないといけませんし。
ニブレットさんとリュミンとも合流し、捜索隊は無事、とは言えないですが、全員集合です。
『おい、例のドレスの女はどうした?』
ガンターもすぐ近くにいると主張してくれました。まぁ、彼はたぶんはぐれても本体が無事ならなんとでもなるのですが。
「あの子なら、ドアの隙間から先に行っちゃったよ。あの子が通る時に一瞬だけ開いたんだ」
リュミンがドアと指さすも、それは巨人用の巨大な両開きの扉。どう頑張っても開く気がしません。開けるんじゃなく、穴をあけた方が早い気がしますね。
「…まさか、あのドレスアノマリーがドアを開ける唯一の条件じゃないですよね? それだったら積みなんですけど」
「ほっほ…我々も考えましたが、彼女が去ってから席が埋まりはじめましてな。あれらも協力してくれるようになりまして、何かが進行しているのでしょう」
あれら、とはマスケット銃や剣を持ったままゆらゆらと揺れる、衣装の違う透明人間型のアノマリー。
服装から見れば、ドレスアノマリーの味方なのでしょうけど。
『ずっと気になってたんだが……イコナ、チケット見せてくれ』
「ん? あぁ、確かにそんなのありましたね。忘れてましたよ」
サーカス入場で使用したチケット。血がついてたりできちゃなかったのでポーチに入れてそのままです。
取り出してみてみれば、変化がありました。
文字が読めないのは相変わらず。ですが、切れ込みを入れられて血が滲んでいたそれは、金と赤の豪華な一枚に変化しており、こんな文字が書かれていました。
『劇団ノクス・最終公演』
続く文字列はおそらく座席番号。しかし、文字化けして読めなくなってます。
皆も自分のチケットを確認すると、やはり同様に変化しているようでした。
「…こういう時は直感ですよね」
巨大なドアから離れて、立ちすくんでる紳士服の透明人間に、チケットを突きつけてみます。無反応。
「案内、お願いします」
短くお願いすれば、反応がありました。背筋が伸びて、手に持っていたままの剣を鞘に納めました。
『…ようこそお客様。我ら劇団ノクスの最後の晴れ舞台へ。お席へご案内いたします。チケットを拝見』
差し出された手にチケットを渡せば、彼はそれを確認し、すぐに返却。それから恭しく腰を折るのです。
『あぁ特別なお客様。お待ちしておりました。サーカスはお楽しみ頂けましたか? すぐにお席へご案内致します。どうか最後までお楽しみください』
最初は柔らかく、だけどすぐに強くなった風が吹き抜けて行き、その強さに目を閉じれば、私は一瞬のうちに席の一つに座らされていました。
ステージが真正面に見える、特等席。周りにいるのは巨人なんかではなく、私と同じ大きさの白い人影。横並びの席は空いていたと思ったら、すぐにリュミンが現れ、アマリ、カイリスと次々とやってきます。
「わ、なにこれ!」
それぞれ驚いていたのは一瞬。ここまで突発的な異常に見舞われたため、警戒もありましたが、明らかに違う穏やかな雰囲気にすぐに落ち着いてしまいます。
「どうやら、演劇を見せたいみたいですね」
「そうみたいだねぇ。なんだか、そういうつもりで来た感じがするよ。精神干渉ってやつかなぁ?」
リュミンはそう言って、座席に深々と座りなおしました。完全にリラックスしてます。
白い影の姿が徐々に鮮明になっていきます。人間。遠い昔にいた、人間たちの姿です。
ざわめきが鮮明になります。誰もが演目の始まりに期待して、始まるのを楽しみにしていました。だけど、会話の内容は入ってこない。
足音が近づいてきて、振り返れば道化服に身を包んだ男性がいました。彼は大きなトレーに何やら良い香りのするモノを乗っけてます。
「ようこそお客様。こちらは特別な皆様へのサービスです」
彼が手渡してくれたのは、紙のトレーに山盛りの白い、小さな綿花のような食べ物。それに、紙のカップに入った冷たい飲み物です。それを我々全員に渡してくれました。気絶してるジルニアと、いつの間にか猿ぐつわされてるギーネには、さすがにありませんでしたが。
クラスター内でアノマリーから出された食べ物。怪しさ全開です。
「あの、聞いてもいいですか?」
道化の方が去る前に呼び止めれば、彼は立ち止まってくれました。
「劇団とサーカスはどんな関係ですか?」
聞かなくても別にいい情報なのかもしれません。でも、彼はどこか嬉しそうに言います。
「劇団ノクスは今日が最後ですが、それは我々ノクタナルと一緒になるからなんです。ですが劇団が無くなる訳ではありません。いずれはサーカスとオペラ、オーケストラが一体となった、新たな次元の演劇を提供いたします。外では、我々が不仲で先日の事故も、劇団員の仕業などと騒がれているようですが………どうかご安心ください。我々の関係はとても良好ですよ。これは、それを証明するための公演です」
彼の説明が終わったタイミングで、ブザーが鳴り響きます。
「それでは楽しんで」
人間の彼は優しく微笑んで去っていきます。証明が暗くなり、期待が会場を包むのを感じました。
とても残念なことに、それから始まった演劇の内容は一切覚えていません。
それは強力な精神汚染。会場の雰囲気と感情が流れ込んできて、ただひたすらに劇を楽しむ事しかできず、一瞬も見逃せず、劇が進むにつれて、終わりが近づく切なさに支配されていきました。
いくつもの楽器が織り成す洗練された生の音楽。拡声器も使わずに劇場全体に響く役者の歌声。歌の最中、小道具を上手に使って躍動感のある動きに感動したのは覚えています。その際に抱いた感想は、さすがだと、まるで見てきたような物でした。
会場の盛り上がりも異常です。特に、どこかで見た事のあるドレスを着た主演女性が現れた時は割れんばかりの喝さいが起きたのです。だけど歌い始めれば静かになり、誰もがその一瞬を胸に刻み込むように黙って聞いていたのです。私もその一人だったのに、なぜあの声や歌を覚えていないのでしょうね。
やがて劇は終わりを迎えました。短くも長い物語を歌を交えて語ったその劇は、誰もが惜しみない拍手を送り、役者が並んでお辞儀をすれば割れんばかりの拍手が起こりました。その拍手の最中、入り口からたくさんの道化が現れて、彼らもステージの前に立ち一礼。最も恰幅の良い、中央にいた道化だけはステージに上がり、主演の女性と握手をし、抱擁をします。その姿がひどく、切なく感じました。
「……本当はこんな未来になるはずだったのだ」
すぐ隣に立っていたのは、主演女性と同じドレスを着た透明人間。彼女は袖を、ステージ上の恰幅の良い道化師に向けます。
「あの男、ノクタナルサーカスの座長は私の夫……になるはずだった男だ。この公演が終わったら、街の教会で盛大に式を挙げて、広場で披露宴をしてな。ゆくゆくはサーカスと劇が一体となった新しい娯楽を始めるつもりだったのだ。だが……あの日、私は誰かにさらわれて…」
悔しさや、悲しみの無い声。この拍手の中、そんな事などどうでもいいとばかりに穏やかな声。
「私は檻の中に閉じこめられ、どうにか出ようと暴れておったら、ランプが落ちてしまいそれが原因でサーカスは炎上。私は焼け死ぬし、街は丸ごと燃えてしまった。実につまらぬ事よ。悔しかったが、犯人など、どうでもよかった。私には、これこそが未練だったのだろうなぁ」
ため息。彼女は愛しそうに景色を抱くように、両手を上げます。
「あぁ……私が望んだ景色だ。私が描いた瞬間だ。先はまだまだあったが、炎の中で私が願った一瞬だ……これを見て誰が疑うものか。我々はただ、共に歩んできただけではないか。一体、どこで狂ったのだろうなぁ……ノクタナルの劇作家が倒れた時か………記者の下らぬ嫉妬か。もはやどうでもよいか」
道化と役者は、いつの間にか互いに抱き合って、この最後の瞬間を祝っていました。敵対していたなど、微塵も思えません。
「……これは本当にあった過去ですか?」
「さてな。私から言わせれば、そなたの方こそ到底同じ道の果てにいるとは思えん。だが、私には紛れもなく私の生きた時間があった。一人の男を愛した時間があった。それは確かだ」
幸せな余韻を吐き出すように、彼女は深く息を吐いて、私の手を見えない手でつかみました。頭の部分を見れば、不思議と笑っているのがわかるのです。
見えないですが、温かい手。彼女は両手で私の手を包んで言います。
「名も知らぬウサギの人。下らぬ過去の残響に付き合わせて悪かったな」
「……うちの同類さんが助けろと言うもので」
「はは……それだけでは無いだろうよ」
終わらぬ喝采の中、彼女は笑いました。視界の端、赤いカーテンが見え、強制的に視界を覆っていきます。どこを見ても付いてくるカーテンはアノマリー現象でした。大人しく、目を閉じる事にします。
「そなたの未来が、幸福に満ちていることを祈っておるよ」
幕が下り、意識が急速に薄れて行きます。彼女が最後に残した祈り、それは遠い昔に、ニアラがくしゃくしゃの顔で最後に残した祈りでもありました。
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穏やかな風に運ばれてきた若い枝葉の香りで目を覚まします。
心地よい目覚め。たっぷり泣いて、たっぷり寝て、それから目覚めたような気持ちよさのある目覚めです。
まぶたをちらつく太陽の光にうっすらと目を開ければ、私は素敵な木漏れ日の下で眠っていたのでした。いい天気です。このまま二度寝も考えちゃいますね。
こもれびのした………木漏れ日の下!?
「遭難生活は嫌だぁ!」
眠気をぶっ飛ばして跳ね起きてすぐに立ち上がります。辺りを見回し、抱くは絶望です!
「木! 森! 枝の隙間には青空! 微妙な瓦礫廃墟! うわああああ! リバインドに巻き込まれたああああ!」
頭を抱え膝から崩れ落ちてしまいました。一体何が起きたのか、私にはさっぱりです。錯乱しちゃいました。
「なんで!? 私頑張ったじゃないですか! なんか意味わからないうちに謎のアノマリー助けて、村の秘密握って捻りつぶす準備が出来そうだったのに!」
土をかぶった石畳を殴りつけようと腕を振り上げたところ、手に触れたのは布。見れば、謎のアノマリーが着ていたドレスが綺麗なまま地面に落ちてました。手繰り寄せれば、すぐに妙な事に気付きます。
「あ? ……なんか重い」
ドレスにしては重みがあり、何かお腹に入ってます。取り出してみれば、それはとんでもない物でした。急落していた気分は再上昇。
「お、おぉ? これはエーテル結晶塊! とんでもない純度です!」
一抱えの大きさの卵型の結晶。色は濃い黄色をしていて、結晶の周囲を揺らぐ煙が泳いでます。しかも触ってるだけで手が熱くなってくる。これはつまり、不純物がまったく含まれてない、本当にエーテルが結晶化しているだけの物質なのです。興奮度は限界を突破し、尻尾の毛が根元から膨らんでいくのを感じました。
「通常は石英などの結晶を作る鉱石を核に成長し、表層が鉱石膜で覆われるのですがこの結晶にはそれがありません! まさに純粋培養された結晶! しかも触れるだけでマナが溢れるのを感じるという事はエーテルとしても質が高いという事! なんですかこれ!? アンカーにするのもったいなさ過ぎる! とりあえずリム! 鞄! 大鞄ください! なにか袋! 力があふれる!」
リムはすぐ近くに既にいて、騒がしいなとばかりに目を細めて寝そべってました。目は二つだけ、すごく細い。
彼の首にネックレスとなってる鞄から布袋を取り出し、超純粋エーテル結晶体と呼ぶべき貴重品を収納。触れると私の波長に合わさってマナになってしまうので、素手で触れない。袋の中に入れて中を覗くと、口元がにやけてしまいます。
「へ、へへ……ニアラが見たら大興奮して鼻血出しすぎで倒れるレベルの代物ですよ? これがあれば、うひ、私の力ならなんでもできる……」
『…気持ち悪い笑いが止まらないようで悪いが、状況を確認したらどうだ?』
「ガンター! 見てください! 加工すると一生遊んで暮らせるレベルの結晶です!」
『わかったわかった。頼むから落ち着け。周りもろくに見てないだろ』
頼まれたら仕方ないので、落ち着くとします。冷静担当のイコナさん出勤。ほら、楽しい担当さんどいてください。放ったままのドレスもちゃんと回収しましょうね。記念品です。
錯乱しながらも見ましたが、辺りはどうしようもないくらい、森です。
青空の下の広大な森林地帯。木々の背は低い若い森ですね。足元は石畳で、周囲には建物だった事を示す、石の壁の跡があります。みんな崩れてしまっていて、建物の形状を保っているのはほとんど無いですね。
突然の環境の変化。パッチを跨いでしまったとしか思えません。まさにリバインド直後のような感じですが、違和感があります。
「んー?」
私が寝ていたすぐ近くには大木が一本。その根元を見ると、何か金属の残骸と、やけに状態のいいゴミ。
建物の崩壊具合はかなり時間が経過しているような状態ですが、落ちてるゴミみたいのはどうも、最近のモノに見えます。パッチの特性ですかね。パッチ環境と関りの深い物質は形状が残りやすい傾向がありますが。
落ちてるゴミ、一つ拾ってみます。それは横長の、チケットに見えました。
『ノクタナル・ノクス・ダブル公演特別チケット』
「ふむ…? これは……つまり、そういう事ですか」
チケット片手に辺りを少し見てみます。
大木の周りをぐるりと半周。大木の影に隠れていた建造物はまだ面影がありました。大きな建物。後ろには鐘のある塔。ドアは無くなってますが、人の気配もあります。
よかった。見知らぬパッチに飛ばされた訳ではないようです。
ガンターも察したようで黙ってました。後ろを見れば、リムの姿は消えています。本当に空気が読める子です。
古い教会跡。天井も残ってないその場所で、朝食の準備をしている人達は顔見知りでした。入り口の陰に隠れてちょっと様子を伺ってみます。
そわそわと、一番手前で教会跡を行き来するのは、白い角と尻尾が木漏れ日の差す廃教会の中で美しく輝かせている少女、アマリ。緑の多い廃墟で白い竜のキメラは、なんだか神々しさもありました。
「落ち着きなって。イコナもそのうちすぐ出てくるよ」
そんな彼女を眺めながら床に寝転がってるのは、犬ヤギのリュミン。なだめる言葉に、アマリは尻尾を立てて言い返します。
「もう丸一日経ってるよ? 絶対姉さま迷子になってるよ! わたしも探しに行く!」
「気持ちはよくわかりますぞ。しかしこの状況で二重遭難は勘弁したいですな。軽く調べた所、やはり地形は同じようですし、イコナさんならそのうちこの場所へ戻るでしょう。各所の目印もそのままですし」
焚火にかけた鍋をかき回す毛玉姿のニブレットさんの後ろには、未だ拘束されたままのギーネとジルニアの姿があります。彼らの後ろにはオルヴァが腕を組んで立って見張りをしていました。
「何をしているのだね」
「わ」
正面に注意するばかりで背後の気配に気付きませんでした。呆れるような視線を遠慮なく投げてきていたのは、乾燥した枝を脇に抱え、反対には木箱を担いだカイリスでした。
「なんだか皆より戻るのが遅かったようなので、イコナさんの素敵な話をしていないかと様子を伺ってました」
「状況を把握しているなら、さっさと顔を見せたまえ。キミがいないと今後の話が出来ないのだから」
「心配したのなら素直に心配したと伝えてくれて良いのですよ?」
「危険の方から逃げて行くキミの何を心配しろと? 私にはもうキミが慌てふためく姿が想像できない」
正論ではあるのですが、彼、一応私と結ばれる計画を立ててましたよね? もう少し優しくしたり、機会があれば好感度を稼ごうと思わないのですかね。おかしいです。イコナさんは魅力的な少女のはずなのに。まさか化け物扱いされてる…?
仕方ないので、教会の中へ進もうとしますが、カイリスに肩を掴まれ、引き留められます。いつの間にか彼は薪も木箱も足元に降ろしてました。
「丁度いいから、先に話をしよう。少しいいかね」
「……別に構いませんが」
カイリスは教会から離れるように歩いていきます。教会から出て、向かって左側。建物の残骸から察するに、大テントがあったと思われる方角です。
建物の敷地跡としか残っていない壁に瓦礫の山。探索のし甲斐がないパッチになってしまっていました。雰囲気はまぁ、いいですけどね。
「まずは状況を先に話しておこう。あの演劇を見た後、我々は順番にあの大木の下に飛ばされたらしい。気を失っていたところ、すぐにニブレットの息子らが見つけてくれた。時間的には、我々が出発して一日ほどだったらしい」
「留守番していた彼らは混乱してたんじゃないですか? あれだけ陰鬱な景色が、こんな事になって」
大テントがあった場所に近付くと、木々はまばらになって青空が頭上に姿を見せます。ほんのり、水の匂いがしました。
「彼ら曰く、テントが巨大な火柱に包まれたと思ったら、辺りが煙に包まれて一瞬のうちにこうなったらしい。だがすぐに地形が以前の環境と似ている事に気付いたそうだ」
「それは、さすがですね」
ニブレットさんと息子さんたちが担当しているスカウトと呼ばれるモノは、地形の把握に特化した役割らしいです。教会で待機していたのなら、かなりヒントもあるでしょうけど。
土と混じった石畳は覚えがあります。時折落ちている瓦礫も、屋根だとわかりました。瓦礫にはなっていても、屋根や石畳自体は劣化していない、不思議な状態です。まさにパッチの環境が書き換わったような感じですね。
カイリスに連れてこられたのは、広大な湖でした。おそらく、かつて大テントがあった場所。そこは丸ごとクレーターになっていて、そこに水が溜まったような状態でした。
「中核型アノマリークラスターで結晶を回収しても、何も起きない事は報告されてましたけど……まさかクラスターが消滅するどころか、パッチ全体が影響をうけるとは。考察に値する現象ですかね」
石畳が沈み込んでる湖の水質は良質で、深くまで見通せる透明度が極めて高い状態です。廃墟の街並みはクレーターの中心、底無しの大穴に向かって湾曲していて吸い込まれていて、なんだか水に入ろうという気を失せさせる不気味さがありました。
湖畔、という単語自体は情緒がありますが、ここはちょっと、水辺に近づきたくないです。透明度が高すぎる。水面を境界にして、水面下はまるで冥界のような不気味さがありました。
「お話って、例のあなたの計画の話じゃないですよね? ここが求婚に値する場所だと思うなら、あなたのセンスを疑ってしまう所です」
「いや、その話は忘れてくれないかな……キミには一目置かせてもらうが、恋愛的な感情は正直、この先も持てるとは思えない」
「それはそれで大変失礼ですね!」
優しい風が水面に波を作って連れてきて、穏やかな音色を奏でます。
振り返った彼はどこか寂し気で、不安を隠さずに問います。
「アマリをどうやって助ける」
会った時からずっと感じていた、仮面を被って演じているような口調。その一切が無くなっていました。
波の音が一つ、二つしてから、私は言葉を選びながら答えました。
「私の竜の部分は、おそらくあなた達よりも希少な存在です。私の知識の出所である自称学者曰く、伝説級の竜であり、その力は運命を捻じ曲げるほど強力な呪いを他者にかける事ができます」
「呪い? そんなものでアマリは助かるのか?」
疑いはありますが、それに縋るのが伝わってきます。切羽詰まった表情は、少しも彼には似合いませんね。
「条件があります。彼女を生かすための条件。それを守らない限り、彼女の命は保証できません。そしてその条件は、決して楽なものではない。それ故の呪いです」
「…それを、使うのか?」
彼の視線が向いたのは、私が持つ袋の中身。おそらく、キメラならすぐに気付く事ができる独特の気配。本能的に体に良さそうと思えるモノ。
「正直、予想以上の高純度かつ高密度の結晶が回収できたので、アンカーに使うのがもったいないんですよ。エーテルはマナの源。つまりキメラに欠かせない存在であり、マナの源であるという事は、魔法の源でもあるわけです。これを使えば、私の魔法は増強されてどんな願いでも一つだけ叶える事が出来るでしょうね。ただし、くだらない内容は暴発を招くので、純度に応じた願いが必要です」
問題は、これを全部使ってしまうとアンカーに回す分が無くなります。ほんのちょっと削って、それをアンカーに回すことも理論上は可能ですが、不純物が少なすぎるこの結晶は、おそらくどんな工具を使っても砕くことはできないでしょう。エーテル結晶の硬度は核となった鉱石の硬さに準じますが、そもそも核が存在するのかどうかも怪しいです。
エーテル加工した工具があれば出来るでしょうけど……あの村にあるはずもない。そもそも工具に加工するエーテル結晶をどこから調達すればよいのやら。
「アマリに、彼女のためにそれを使ってはくれないか?」
静かな声音は、自分で何を言っているのかちゃんと理解している事を証明していました。重ねる言葉が、さらに彼の覚悟を物語るのです。
「村を、キャラバンを敵に回してもいい。あなたの立場が危ぶまれるなら、私が全力で匿う。見つからなかったことにして、どうか、あの子の願いを叶えてはくれないか」
「嫌です」
絶望に突き落とす言葉。血の気が引いていくのが見て取れる。真っ白になった頭の中に染み込むように、私は牙を覗かせる笑みを浮かべて言ってやるのです。
「彼女の願いは雑多が過ぎます。根の部分には死にたくない、生きたいという願いはあれど、多くに夢を見すぎている。故に、彼女に呪いをかけるのは不適切です」
願いを叶えるのは私の竜としての力。大きな願いに私の力が届くようにするのが、エーテル結晶の役目。そのために、望む結果に焦点を合わせるのが、呪術師の仕事。
「呪いの原則として、本人の望みの代償は本人が受けるのです。多くの場合、望みの結果と代償は釣り合い、無かったことになる。無論、儀式や術者の技量で代償を軽減させることができますが、生を望む今回の場合、死を望むほどの代価が必要になるでしょう」
不安定な体が安定しても、事故や事件に巻き込まれて命を落とす。あるいは死を願うほどの苦痛を伴う。故に死の運命からは逃れられない。私がどれだけ儀式を行っても、手順を増やしても、エーテル結晶の余剰な力を回しても、悲惨な死から穏やかな死になるだけ。結論的には延命にしかならない。
それでは意味がない。助けた事にならない。だからもう一歩、踏み込むのです。
「病を治すには、過去の事例からも本人以上に治癒を望む第三者が適任です。その者がどれだけ本気か、心の底から願っているかが重要です。そして、今回の件は、とても喜ばしい事に都合がいい人がいます」
「…………私の、願いか」
真っ白になった頭に浮かぶ、唯一の答え。
「たった一つだけ願いが叶います。あなたの願いは聞くまでもないほどに純粋です。きっとどんな条件でも受け入れますよね。だからアマリは助かります。あなたは、そういう生き方をしてきたんですよね?」
「………あぁ、そうだよ。あの子の未来が、私の全てだった。それはこれからも、変わらない。だが、私達のためにあなたは」
素晴らしい言葉に、くるりと回って笑顔になってしまいます。敬意を感じる呼び方も素晴らしい。
「恩人となる私の立場を気遣うあなたに花丸をあげましょう! しかし考えてもみてください。エーテル結晶って別にこの世に一つじゃないですよ? 次のパッチでまた見つければいい。アンカー作りなんて後回しでいいじゃないですか」
ご機嫌になってしまったので、くるくると踊っちゃいます。ついて回る尻尾はまるでリボンのようです。
「それは、確かにそうだが」
問題と言えば、アマリの生を望むという事は、アマリの死を望むほどの苦しみをカイリスが負うという事。痛みではなく、葛藤としての苦痛です。今回回収した結晶が、どの程度それを和らげられるかは、実際に準備をしてみないとわかりません。
「ま、偉大にして聡明なるイコナさんはその辺りもちゃんと考えてます。既に状況は我が手のひらの上にあり、運命ですら転がされております。ここからはイコナさんの計画に乗っかるだけで万事うまくいきますから、心配しないでください。あなたは、ただ私に出会えた幸運を喜べばよいのです」
立ち止まって空を眺めてみると、雲に紛れてうっすらと見えるものがありました。細い、とても細い白の柱。雲に見えなくなってただけで、そこにあったんですね。一本だけですが、なるほど、幸運が続いてるわけです。
仮説は確証に変わり、ますますご機嫌に。私は楽しくなってまだ辛気臭い顔をしている彼に笑ってやるのです。
「さぁ、運命を足蹴にして素敵な未来を掴みましょう」
世界は壊れて頭が痛くなることが多いですが、お気楽主義の私はかなり自由に、楽しく生きてます。そしてそれはこれからも続いていく。
これはそのための第一歩なのです。
End_Shape of Desire / 望みの形




