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P4TCHW0ЯK_W0R⧉D  作者: 哉守柚栞
第一章
PR
18/29

第七話 SHΛ⧉PΞ⧉DΞ⧉S1⧉RΞ (3)


 些細な変化が命取り。

 初心者ワーカー向けの講習で辟易とするほど繰り返される言葉。コロニーの隣接パッチにおいても、アノマリーの些細な変化や、何か要素が足されたなんて、そんな違いから自分がいる場所の危険度を割り出すことができます。イコナさんはその辺りは麻痺してしまって浅い層の細かすぎる変化には気付けなくなってしまいました。

 それでも、深部に分類されるパッチで、露骨に異常性が現れるアノマリークラスター内であればさすがに気付けるわけでして。

 いや、まぁ、さすがにこれは気付きますね。この状況で立ち止まらないワーカーは愚者の極みとさせていただきます。

「あー…イコナ。これは進むのかい?」

 カイリスが嫌そうに指さすのは、我々が『捩れ回廊』と呼ぶことにした長い通路をかなり進んだ、末端です。

 通路は続いています。異常性を増して。

「…螺旋……渦巻? 渦潮、はちょっと違いますか? いずれにせよ、進むしかないわけですが…」

 目の前に続いているのは、引き続き同じ幅の通路。ただし、捩れる事は無くなって緩いカーブを描きつつ下り坂になっていました。右の壁には折り畳み式の座席が一列、延々と続いており、等間隔で横道に入る事ができそうです。

 特筆すべきは左側。なんとこちら、壁がございません。

 通路は渦巻型に続いており、ぐるりと壁一枚分の高さで一周することを延々と繰り返しています。およそ十段ちょっとの高さの渦巻回廊。空中には無数の鉄の檻が大小さまざまな大きさで浮かんでおり、何か、よくわからない生き物が収納されたまま虚空を漂っていました。

「ふむ、わたくしめには回廊というより、座席の印象から舞台のようにも見えますな。螺旋舞台などどうでしょう?」

「名前はどうでもいい。問題はどこを進むかじゃないのか?」

 悔しくも、オルヴァさんの指摘がごもっとも。座席の間の通路は無数に存在し、そのすべてがどここかに繋がっていてもおかしくありません。

「普通に考えると、目的の結晶は最深部にあるものなので最下段だと思います。ただまぁ、真面目に進むととんでもない距離なわけでして」

 階層は十段。見渡すような広さですので、ここまで進んで来た以上の距離となります。

 淵によって覗き込んでみますが、上手に着地しないと怪我する高さです。手前の壁際に置いてある畳まれた座席が何気に邪魔ですね。

「皆さんは、飛び降りれます…?」

 アマリは確認するまでもなく、カイリスも大丈夫でしょう。他の面々も高さを確認して、各々行けるとの事。

「わたくしめは少々、厳しい部分がありますなぁ……これでも歳でして」

 ニブレットさんは大きなカピバラだかリスの姿となってますので、足が短い。着地の衝撃を受けきれるとは思えませんね。

「申し訳ないですが、私とニブレットさんはロープを使わせてもらってゆっくり降りましょう。安全を取りたい方もぜひ」

 ロープを床に固定されてる座席にでも縛って降りて解いてを繰り返せば、歩いて下層を目指すよりずっと早く済みます。方針が決まればすぐに行動を始めますが、カイリスがロープを取り出した時に異常が起こりました。

「わ、なに?」

 アマリが驚き、各々が得物に手をかけて周囲を警戒します。

 異常の予兆は喧騒でした。無数の人々のざわめき。ざわざわがやがや、そんな声とも音とも言えないモノが、螺旋舞台の静寂を追いやったのです。

「あー…なんか嫌な予感しますね?」

 私の呟きが火をつけたように、捩れ回廊に一番近い席が、パタンと畳まれていた座席部分が倒れて座れる状態になりました。

 そこにぼんやりと現れる、白い、人の形をした煙状の影。それが席に座ると、ドミノ倒しのように次々と同じ現象が続いていきます。

 どんどん座席が白い影で埋まっていく。

「イコナ、後ろ見て」

 リュミンの静かで真剣な物言い。後ろ、我々が通ってきた捩れ回廊を見れば、選択肢の一つが潰された瞬間を目にします。

 真っ黒な闇が奥から迫り、捩れ回廊を順番に消し去っているのです。

「とにかく下へ行きます! えっと」

「アマリはイコナを抱えてくれ。ニブレット卿は私が」

「わかった!」

 カイリスの指示の直後、視界が揺れ、一瞬でアマリに抱きかかえられちゃいます。お姫様抱っことか言うやつ。ニブレットさんはカイリスが丁寧に背負っていました。

「姉さま、一番下だよね?」

「おそらく。でも心の準備があぁ!」

 状況を整理する間もなく、アマリは飛び降りました。身体の内側がふわっとする感覚。ちょっと収まったと思ったら着地。重力ってやつに押しつぶされるような感覚に身を強張らせてしまいます。

「姉さま尻尾危ないかも。手で持ってて!」

「はひ!」

 自慢の尻尾をアマリの胴体に巻き付けて、彼女の首に腕を回してしがみ付きます。さっきのをあと十回? 結構きついです!

 二段目もアマリは勢いよく飛び降りて、イコナさんが内心叫んでいる間に着地。両足をぐんと曲げて衝撃を吸収、すぐに立ちあがって次の段へ飛び降ります。

「ひぅ」

 落下、着地、落下、着地。お腹の中の感覚がもよんもよんと不快さを感じてしまいます。かなり苦手なやつでした。というか、後続付いてきてますか?

「わ、ちょ、アマリ避けて!」

「へ? わ、っと!」

 頭上の異変に気付いて叫べば、アマリはすぐに対応して身体を動かしてました。

 次の段への飛び降りを中止し急制動。直後、我々が飛び込む予定だった場所めがけて鉄製の檻が降ってきました。

 壁の上部、段差の角を破砕した大きな檻は、扉が開いておりまるで食らいついてくる獣のようです。

 見上げれば既に私達は空中に漂っていた檻の下に来ていて、空中を不規則に漂っていたそれらが次々と動きを止めていきます。

 檻の扉が一つ、かしゃん、と空きます。それに倣うように、回廊には次々と金属質な音が響いていくのでした。

「ぜ、全員最下層の通路目指してください!」

 叫んだ直後、全ての音を飲み込む軽快な音楽が流れ始めます。それと同時に、檻の雨が降るのです!

 アマリは私を抱えたまま駆け出し、私はただ必死にしがみ付いて振り落とされないようにするしかできません。雨というよりは喰らいつく獣の如く、狙いをつけてくる檻を軽快に避け、一瞬の隙を見て段差を飛び降ります。飛び降りと急制動と急加速、なんだかこう、そういうアトラクションですかねぇ?

 後ろを見れば、カイリスがニブレットさんを背負った状態で一段遅れでついてきてます。リュミンと村人三人は綺麗に受け身を取りながら少し遅れながらもちゃんと追従。檻の獣はどうやら、先頭である私達を狙って食らいついてきているようでした。

 そこからも何度か浮遊感を味わい、最後の一息とばかりに急加速。くらくらすると感じるよりも先に靴底をすり減らすような急制動をかけて、ようやくアマリは止まりました。

「ぷは、姉さま無事?」

「お、おかげさまで…」

 かなり激しい動きだったはずなのに、息一つ乱さない。恐ろしい子です。

 新たな通路の中で、そっと降ろしてくれますが、ちょっと身体が震えてました。檻が怖かったんじゃなく、自分じゃ絶対にできない動きに体の感覚がおかしくなっているのです。

「ニブレット卿、無事ですか?」

 アマリと同じようにずしゃあ、なんて音を立てて制動をかけながら現れるカイリス。背中にしがみついていたニブレットさんは、ぐったりしてます。

「ほっほ……なんとも、得難い体験ですなぁ…」

「わかります」

 丁寧に降ろされますが、ニブレットさんも壁にもたれてしまいます。

 心配なのは後続の四人。ドラコニアンほど身体能力が高くない彼らです。万が一掴まってしまったらどうなるかわかりません。

 しかし、イコナさんの優しさを無駄にするような、楽しそうな笑い声が聞こえてきました。

「あは、あはははは!」

 ごがん! と、鉄の檻をハンマーで殴ったのか金属音が響き、続いて大量の金属がぶつかり合う音が聞こえてきます。

「うぉー! あぶねええ!」

 頭から滑り込んできたのは牛カメレオンことオルヴァさんと、猫ウサギことギーネさん。飛び込みながらも受け身を取ってすぐに立ち上がったのは、妖精耳のイケメン系鳥足のジルニアさんでした。

「ごーる」

 ツルハシハンマーを片手に楽し気に、やや余裕をもって通路に入ってきたリュミン。

「あは、すごかったねぇ」

 かくん、と首を傾げるリュミンはなんだか狂気的に見えます。どうしちゃったんですかね、ほんと。

 あ、いや、まさか。

「あの、ニブレットさん。リュミンなんですけど、なんかおかしくないですか?」

「そうですなぁ…しかしリュミンは荒事の際は少しその、ハイにはよくなりますぞ?」

 散々先導して慎重な姿を見せてきたのに、まさかの狂戦士タイプ。ワーカーがチームを組む際に、自身の装備から役割を型にはめて分類する事がありますが、狂戦士はトラブルメーカーって思われがちです。多少の負傷はいとわず、絶大な一撃を与える事に特化してますね。おや、心当たりがある?

 しかし、懸念はあります。私はあらかじめ用意しておいた、小細工付きの札と小瓶を取り出してリュミンを呼びつけました。

「何か問題かな? イコナ」

 溜まっていた何かを吐き出したようなぽわぽわした笑顔。そんなリュミンに小瓶を持たせます。

「…? なにかな」

「ちょっとそのまま。えい」

 リュミンの顔に札を叩きつけます。竜血のインクで複雑な記号と模様、それに私のマナを先払いした特別な呪符。マナの燃えカスが出ないので、魔法判定されない代物です。

 魔法の使用は、パッチ内においてアノマリーの活性化の原因となりますが、この呪符はその原因を特定して取り除いていますのでどこで使っても安心の一品です。

 乾いていたインクがじわりと滲み、白い紙が一気にどろどろに汚れます。淡く黒い粒子を吐き出していたインクはすぐにただのインクになってしまい、リュミンの顔に押し付けていた私の手の中でただのごみと化しました。

 手を離せば、インクで汚れた犬ヤギの顔。ちょっと不服そうにしてます。

「疑問はわかりますが、手元をご覧ください」

 リュミンが握っていた小瓶。ただの空の瓶だったはずのそれには、黒っぽい濃い紫の液体が半分ほど溜まっていました。リュミンが口を開く前に小瓶を回収。指でつまんだ状態で、一応解説してあげます。

「これはさっきまで、あなたの体内に蓄積していた環境マナ……エーテルの中でも毒素の強い性質を持つ、変異エーテルです」

「エーテルって、マナ理論だっけ? なんか、テンション下がってきたけど…」

「簡単に言うと、深層パッチにおける精神汚染の原因です。マナ理論において、エーテルは空気中に含まれるもので、自然と身体に取り込まれ、個人に馴染むことでマナになり色々体調に関係してくるんですけど、深層パッチではこのエーテルそのものがアノマリー化、つまり変異していて、濃度の濃い場所に行くと毒素として個人のマナを汚染、精神異常を来す、と考えられてます。効能はパッチによって違うんですけど」

 魔法云々の仕組みが、アノマリー化してしまい、その結果異常となって身体に現れるという事。アノマリー化したキノコを食べているようなものですかね。本来毒じゃないけど、毒になってます。

 興味を示したのはニブレットさん。アマリとカイリスも興味ありそうですが、村人三人は、とりあえず話を聞いてる感じでした。

「つまり、先ほどの紙でその変異エーテルとやらを除去したのですかな? もしその話が本当ならば、その札は相当な貴重品ですぞ? なんせ、深層パッチにおける脅威の一つを無視できるのですからな」

 さすが、価値がわかってらっしゃる。私は胸を張って我が力を自慢してやるのです。

「ふっふーん! お目が高いですね! まさにこの呪符と瓶こそ、私の工房の消耗品分野の売れ筋商品…の簡易版です。工房立ち上げの際は、ぜひお買い求めください」

 ついでに宣伝。あと手持ちには傷を一時的に塞ぐ札もあるのですが、まだ隠しておきましょう。所持制限等の説明も面倒ですし。これはまだ呪物であって、私の本業の錬成物ではない。

「というわけで、精神的になにか不安定になってたり、やけに高揚感を感じるようでしたら早めに言ってください。突入からかなり時間が経ってますから、いつ変調がおきてもおかしくないので」

 ポーチから綺麗な布を取り出し、リュミンに渡してあげます。使い捨てなので、そのまま譲渡です。

「目的地まではあとどのくらいかわかるかい? 同じ道を引き返せないとなると、できるだけ余裕が欲しいだろう?」

 あまり考えたくない事をカイリスが指摘してくれますが、まさにその通り。先ほどの檻の獣と呼ぶべきアノマリー地帯を逆走などできそうもないし、そもそも入ってきた捩れ回廊が塞がれてました。

 当初の計画では、一度キャンプに引き返すことも視野に入れていました。幸い、木箱などから物資が回収できるので、手持ちの食料が尽きてもなんとかなると思うのですが。

「はっきりとは、判りませんが……かなり近くなってます。こう、尻尾の先がちりちりする感じがあるので」

 鳥肌、みたいな感じですね。

「覚悟がよければ、先に進みたいですね」

「そうだねぇ。でも、覚悟してる暇なんてあるかなぁ?」

 まだインクが残ってるリュミンが、私の後ろを指さします。嫌な予感に、尻尾の先がちりちりするのです。

「おい嘘だろ」

 使い古された言葉をオルヴァさんが呟きますが、振り返ればその気持ちがよく判ります。

 真っすぐの薄暗い通路。その一番奥が何やら、カラフルに変化してきているのです。

 それはどうやら色とりどりの風船。狭い通路の壁、天井、置いてある箱、全部が次々と風船になって、上方向に飛び立って行きます。風船、サーカス、嫌な感じですね。

「いいですか? 周りが風船になってしまったら、急いで近くの風船の紐を捕まえてください。下がどうなってるかわかりませんが、たぶん、ゆっくり降下できるはずです」

 浮かぶ風船に掴まって空を飛ぶなんて、馬鹿げている。でも、何もしないよりはましです。

 私は通路の奥へ行き、皆さんから少し距離を置いておきます。風船の一つ一つは大きさもバラバラ。でも紐の長さはかなり長く設定されてるようです。

 もう残り半分まで風船になって通路は解けてしまってました。みんな等間隔を意識して、どの辺りの風船を捕まえるか相談もしてました。

『おいイコナ。浮力が高すぎて上に向かっちまったらどうするんだ?』

 ガンターが楽しそうに、他人事みたいに言いました。

「目指すのは下です。上に行くようでしたら、風船を離して下へ行きますよ!」

 風が正面から流れてきます。それが徐々に強くなり、眩い光と共に通路が風船に変わっていく。

 タイミングわからないです。直感を信じて、前に駆けだす。

「ぬああああ!」

 思いっきり壁に向かってジャンプして、両手を一杯に広げました。手のひらに無数の紐の感触があり、出来るだけ握るように心がけ、胸元に飛び込んできた風船を抱きしめるように腕を閉じます。狂気的な空間にそぐわない、カラフルな視界。

 重力に従い、身体が下に引っ張られる。両腕が強制的に上に持ち上げられ、ぐんとした衝撃に身体が振られました。

 強い光は一瞬だけ。風景は一瞬にして切り替わり、騒音と喝采が響き渡ります。


『会場の皆様ご覧ンしたさい! これこそ風船パラシュート! 無謀なドウかに、惜しみない拍手を!』


 ノイズ交じりのアナウンス。しかし遠慮の無い声援は虚空から響き渡ってました。まるで私の判断の正しさを喝采するかのようです!

「高揚感を感じます、が! 正直そんな余裕ないです!」

 両手で握った風船を手首に頑張って巻き付けて、不安定な揺れ方をしながら緩やかに降下。

 放り込まれた空間は、まさに巨大テント二つをかがみ合わせにくっつけたような超空間でした。

 広大な空間には大量の風船が飛び交い、ナイフや、いくつかの小道具が浮かんでます。いや、ナイフはまずいです!

「うぉー! こんなのどうやって空中制御すればいいんですか!」

 言った傍から至近距離を大ぶりのナイフが通り過ぎて行きました。ぱん、という音に血の気が引きます。

「ひぃ!」

 左手の浮力が露骨になくなり、若干落下速度が速まります!

 このまま徐々に風船を割られて、最終的に自由落下してしまうのでしょうか。私にはリムがいるから、そうなる前になにか行動を起こしてくれるはずですが、そういえば空中だとあの子どうなるんでしょうね? 対応範囲外? そもそもここ落ちたらどうなるかわからないです!

『イコナ落ち着け。下をよく見ろ』

「し、した?」

 細やかな浮遊物のさらに先。どうやら下に行けば行くほど、浮いている小道具が大きなものになっているようです。

 かなり下の方には巨大な箱。アノマリー記号が二つ並んだ、横長の巨大な箱が見えました。距離感はいまいちわかりません。

「あれが目的地ですか? そもそも方向転換ができない!」

『一回その辺に立てばいいだろ。この手のアノマリーはお得意だろうが』

「あ、そうか」

 そうこう言っているうちに、足元に大きな肖像画が近寄ってきます。踏みぬきやしないかと思いましたが、アノマリー現象特有の頑丈さで受け止めてくれました。意外とふんわり降りられたので、大助かりです。

「はぁー…こっわ」

 恐怖を言語化して吐き出して、他の皆さんはどうかと思えば、各々適当な破片や木箱なんかに降り立ちながら、順番に降下してます。風船を捕まえられず自由落下してしまった人はいないようですが……両手に風船の束を持って降りてくるニブレットさんはその姿が異様なほど似合うし、リュミンはなんか楽しそうですし、ドラコニアンの二人は綺麗な白い尻尾が映えるようで、違和感もさほどありません。村の三人は、以外にもオルヴァさんが楽しそうに降下してました。恐怖とかが振り切れてしまったのか、精神汚染なのか判断に迷いますね。

「姉さま、一番下の大きな箱集合でいいの?」

 アマリがゆっくり降下しながら聞いてくれます。

「そこしかないでしょう。降りながら全員に通達お願いします」

「わかったー」

 私のいる絵画には降りず、かなりゆっくり降りていくアマリ。私も覚悟を決めて降下を始めます。

 ナイフや木片、尖ったモノには気を付けて、足場を伝うイメージで進路を決めて、慎重に降りて行きます。すぐにアマリを追い越して、テーブルの裏面に着地。足がすくんでしまう前に、次へ。

 ぶちまけられたカードの中を突っ切って、木箱の山は回避して、シーソーに着地したら傾いたので、慌てて飛び降りて。

 そんな風に次々降りて行きます。今の所一番乗りというか、風船の数が少ないのが私ですね。

『長距離を降り続けると勢いが付くから気を付けろよ? 適度に勢いを落とすのが大事だ。空中でもう一個くらい風船捕まえたらどうだ?』

「そんな離れ業はさすがにできません!」

 両手に巻いた細い糸にぶら下がってる姿なのに、すれ違う風船に手を伸ばすなど不可能です。

「…それより、なんかモノがだんだん大きくなってませんか?」

『そうだな…今の時点で二割り増しか?』

 降り立った木箱は、明らかにでかくなってます。着地しやすくて良いですが。

 上を見上げてみますが、皆さんまだまだ上の方にいました。待つのも選択肢ですが、ずっとバンザイの姿勢なので、腕が痛い。着地中は降ろせない事はないですが、身体を支えるぐらいの浮力があるので、結構頑張らないと下に下げられないのです。

「手がしびれちゃう前に下までいきますか…」

 だいぶ慣れてしまったようで、飛び降りるのには抵抗がありませんでした。

 木箱、斜めになった風景画、檻…あ、檻はやばい。選択を誤りました。

 幸い、鉄製の檻は既に閉まっていて動きません。サイズも通常サイズで、足場としていい位置でした。

「さて次は…う?」

 いきなり、誰かがイコナさんのおみ足を掴みました。掴んだのは、檻の囚人。

 鮮やかなドレスの、透明人間です。

 敵意が無いのはわかります。リムが反応しない。でも、なんでしょうね。このアノマリー、どこかで見たような。

「……あ、教会の推し活対象者ですね!」

 キャンプ地となっている教会の石像。そこにあるドレスの模様と形状が、たぶん同じです。そこまで詳しく見ていないし、あちらは色が無いのではっきり言えません。

「崇拝対象が囚われてる。実に興味深い状況ですが、施錠された檻を開けられるような状況じゃないんですよね」

『いや、鍵掛かってないみたいだぞ』

「は?」

 ガンターの指摘通り、檻の扉は鍵が掛かってません。その証拠に、ドレスの透明人間、普通に自分で開けて這い出て来よります。よっこいしょ、みたいな。

 私の立つ面にやってきた彼女は、袖を私の命綱である大切な風船の束に向け、次に己を指します。

 くれ、と?

 アノマリーは時折意味不明な行動をします。これが罠で、イコナさんの落下速度をあげるための行為だとしたら、なんて考えてしまいますが。やかましい声が脳内に響くのです。

『中核型アノマリークラスターではルールに従うことが大切だぞ!』

 脳裏に蘇る、いつかの記憶。白く削れた景色の中で、自慢気に彼女が語ります。

『エーテルの結晶化の条件はもう読んだろう? 中核型アノマリークラスターはまさに、エーテルを結晶化させる培養槽と言える。だが純度を保ったまま回収するためには、培養槽を壊すんじゃなく、手順に従って取り出す事が重要だ!』

 あれはそう、私が工房を持つ少し前。コロニー管理局がエーテル結晶の製錬方法の確立に多額の報酬を設定した直後の話です。

 ニアラは、安全にエーテルを結晶化させるのではなく、高純度の結晶体を回収するための仮説をまるで事実のように語ってみせたのです。

『世界観が定められてるパッチなんか特にわかりやすい。ルールに従い、物語を解決すればいい。突発的な異常があったら立ち止まれ? そして、物語が始まるのを待つんだ。ただし、決定的な介入のタイミングだけは外しちゃダメだ。それだけで高純度のエーテル結晶が手に入る。ま、実際に手に入ったら管理局なんかに渡すより、私は個人的な研究に使いたいけどな! 使い道はかなり多いぞ! アンカーの強化論の実証とかお前のマナを同期させて…』


 楽しそうな笑みに引かれて思い出に浸ってしまう前に、頭を振って現実に意識を戻します。

 決定的な介入のタイミング。これがそうなのでは?

 どうせアノマリー。囚われてるなら道化共が敵対する可能性もありますが…既に檻に襲われ、理不尽に風船パラシュートなるものをやらされてます。チケットの効果がどこまでかわからないし、どうでもいいですね。

「…ほら、必要な数紐を取ってください」

 紐を握ったまま右手を降ろせば、彼女は両手を合わせるような仕草の後、四つだけ紐を取ります。手を締め付けるようにしていた紐を緩めて、残りの風船を逃がさないように慎重に譲渡。すると、彼女の体はふわりと浮かび、そのまま上へ登り始めてしまいます。

 ざり、という音は、ポーチの中に携帯している古いラジオから。

『そなたに永劫の感謝を』

 聞いたことのある声。その声が、蓄音機で流れたレコードの女性の声だったことに気付いたのは、彼女の姿が見えなくなるほど遠くに行ってからでした。

『…見直したぞイコナ。アノマリーにも命がある奴がいるってわかってくれたか』

「あれがガンターと同系列だと思いません。あなたの方がよほど複雑な命として成り立ってますよ」

 素直にほめてあげれば、黙ってしまいます。あれもこの環境が生み出す残響だと思いますが、なんだかいい事をした気分です。

「さ、いきますか」

 紐を巻きなおして強く握り、ひょいと飛び降ります。

「あぁ! 予想より降下が早くなってる!」

 風船四つ分の浮力は伊達ではなく、善行の余韻もなくなる速度での降下。

「やばいです! リム助けてぇ!」

 私の最後の砦を呼んでしまう速度でした。

 しかし幸い、かなりの距離を落ちたにも関わらず、落下先は柔らかいトランポリン。変に足先から落ちると足を捻りそうだったので、背中から落ちるようにして見れば、衝撃を和らげて、再度空中に投げ飛ばされます。

「ひいい!」

 虚空に投げ出され、風船に引っ張られて不安定な姿勢で降下。すぐ近くの斜めになった板は傾斜がほぼ垂直で駆け降りるようになってしまい、すぐに空中へ。

「ナイフが!」

 風船ぱぁん。落下速増加。迂闊な自分に呆れちゃいますね?

 そこからはもう、必死です。大きな絵画や木箱に駆けこむような速度と勢いで降り立ち、制動が効かずにすぐに飛び出し、時には垂直に立っている壁のような何かを蹴飛ばして方向修正。落下速度はもはや致命的、しかし無駄に技術はあがって、なんか風船の引っ張り具合で重心を変えて方向修正ができるまでに達してました。

 巨大な黒い箱。目的地が目の前になり、すっかり忘れてた歓声が再度耳に入ってきます。

『さぁ風船パラシュート、最初の到達者でス! 圧倒的速度は既に高エ点が約タバされてますが、的当ては何テンしゅれるでしょうか?』

 微妙に声がおかしい司会。何を言ってるんだと思いましたが、箱の真ん中。何やら目立つ色で大きな多重円が書いてありました。

 あそこに降り立てと?

 一応、位置を調整しつつ、箱の上面を通り抜けて行きます。着地地点の近くには数体の道化アノマリー。まずい、と思いきや、両手を振って何やら友好的です。ライトを持ってこっちだとばかりに誘導までされてしまう。

 出来るだけ真ん中を目指しますが、一つずれての円付近に行ってしまいます。かなりの勢いでの落下なので着地に備えようとしたら、道化の四体がなんと協力して受け止めてくれました。

「ありがとうございます?」

 困惑しつつお礼を言えば、丁寧に降ろしてくれて、足元にバツ印を入れます。そして手振りだけで、風船を離していいよ、と教えてくるのです。

 もう手が限界だったので、素直に手放せば、これまで命を支えた風船はあっさり上へ飛んでいきます。道化共は手袋をした手でぱふぱふと拍手をし、目の前の一体は何やらハイタッチのポーズ。一応合わせてみれば、しびれた手にしっかりとした感触が返ってくるのでした。

 ヒトっぽい仕草に、テント侵入前の惨劇に罪悪感を感じてしまいました。

『最ハツの到達モノ! 気になる結果はボードをごランしたさい!』

 わぁああと、歓声が上がりますが、どうでもよいです。道化達が動かなくなってしまったので、とりあえず的から避けて中央付近で待つことにしました。

 跡が付いてしまった手を揉みながら待っていると、道化が再び動き出し、見上げれば片腕で風船にぶら下がる、犬ヤギさん。

 リュミンはそこそこの高さで自ら風船を離すと、蹄となっている足先から矢のように降りてきます。受け止めるべく落下点を予測していた道化共は、いやぁあ、とでも言うように慌てて逃げ、リュミンの強襲を回避しました。

 落下点は真ん中の赤。百点ですね。

「ありゃ? やっぱりもう敵じゃないのかな?」

 背負っていたツルハシハンマーに手をかけていますが、床に座り込んでいる私を見て警戒を解いてくれました。

「大丈夫そうですよ。敵じゃないですが、一応チケット持ってる客にこんな事させるのは頭がアレしてますよね!」

「おいらは楽しかったけどねぇ」

 次にやってきたのはアマリ。ちゃんと両手で風船を握っていた彼女は、後続がいる事をわかってか、最後まで手を離さず大人しく道化に受け止められました。

「はー楽しかった。でも四十点だぁ」

 間髪入れずにゆっくり降りてくるのはニブレットさんと、彼の胴にロープを結んで先導するカイリス。よくわかりませんが、カイリスはニブレットさんを敬称で呼んでいるので、一目置いてる感じがしますね。

「おつかれさまです、ニブレット卿」

「ほっほ。それはこちらのセリフだよ、カイリス君。なかなか快適な旅でしたな」

 三人分の風船が手放され、カラフルな風船の群れが空というか、虚空へ吸い込まれていきます。なかなか悪くない光景です。

 残るは村人三人。彼らもさほど待たず姿が見えました。

 オルヴァさん、ギーネさん、ジルニアさんの順で降りてきた三人は、難なく着地。三人とも的の外に降りてしまいました。遠くで聞こえる無数のがっかりな声。だめじゃないですか、と軽口を叩きたくなりますが、普通に疲れているので後にしましょう。

「さて、ここからどこへ行けばいいやら。行き先は間違ってなかったと思うんですが」

 辺りを見回しても、出入り口らしきものは無いです。黒い大きな箱。ただそれだけですね。

「とりあえず一休みいたしませんかな。昼食としても丁度良いでしょう。戦利品もありますし」

 捩れ回廊で拾った上質な物資。粉とかばっかりですが、そのまま食べれそうなものもいくつか回収してます。クラッカーとか。

「そうですね。このまま動きがなければそれで」

 カイリスがその場に座り込んでいた三人に声をかけに行きます。やかましい声と音楽のせいで会話は聞き取れませんが、三人にも疲労が滲んでいるようにみえます。かなり表情が険しくなってました。

 精神汚染を除去する札は、残り三枚。使ってしまっても良いですね。

 しかし、私が腰を上げるより先に、動きがありました。

『ゾクきまして、奇跡の人体キリ断ショー!』

「ん?」

 言語が独特に変化してしまって、不穏な言葉に気付くのが遅れました。

 人体切断ショーとか、言ってたような?

 アノマリーの動きは素早かったです。突如として辺りは真っ暗になり、カイリス達の奥だけに光が差し込んでます。蓋が閉められたのです。光の部分には、窓が開いてました。

「兄さま!」

 アマリが叫びますが、彼らの影がこちらを向いた刹那、巨大な何かが私たちの間を分断しました。

 物が落ちた時の轟音が響き、箱全体が動いている感じだけがありました。そして、分断してた仕切りが取り払われる。

「……やられました」

 私達は一瞬で移動してました。足元の絨毯は金の刺繍が施された豪華なものになっており、天井には豪華なシャンデリアがぶら下がっていて、延々と続いている廊下は明るいです。完全に別の場所に来てしまったようです。壁面も、綺麗な壁紙が張ってありますね。

 廊下が無限に奥まで続いている点を覗けば、お屋敷とか、そういう印象です。

「に、兄さまたちは?」

「落ち着いてください。分断されただけですよ」

 何の意図があったのかはわかりませんが、キャラバン組と私とアマリ、元老院側で完全に分かれてしまいました。

「環境が大きく変化してますが、エーテル結晶の気配は濃くなってますので、引き続きアノマリークラスターの内部ですね。ただ」

「合流ができるかどうかは、不安な所ですな」

「そんな!」

 今までは一本道のような物でしたが、見た所、この場所は環境が大きく変わってます。サーカス風だったのがこれはまるで、劇場ってやつです。道がわかりやすいといいのですが。

「エーテル結晶を除去した際に、全員が外に放り出される事を祈りましょう。まずは、探索。彼らは精鋭なのです。大丈夫ですよ」

「……うん」

 元気がなくなってしまったアマリを慰めようにも、今は彼らを信じるしかありません。

 無事であることを、祈っておきましょう。この壊れた世界で一体何に祈れば、とは思いますが幸運の化身である空の柱にお願いしてみます。

 そういえば、あの三人は敵の可能性があるんでしたっけ? 素直に心配できないですね。いっそイコナさんの事好きだと言ってくれればよいものを。心変わりしていることを期待します。



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