第七話 SHΛ⧉PΞ⧉DΞ⧉S1⧉RΞ (2)
セトルメントに人造アンカーを設置するに当たり、急遽編成された探索班。目的地となるのは、独特な世界観が存在するパッチ、深層に分類される領域の特異点である、中核型アノマリークラスターです。
多くの危険が予測され、本来であればじっくり時間をかけて事前準備や前哨基地を設けて行うレベルの調査ですが、リバインドの猶予やセトルメントの特性から、対応力に優れた即戦力を各陣営から派遣。調査前日にちょっとした親睦会を深層パッチのど真ん中とも言える位置の臨時キャンプで行う、コロニー管理局もドン引きレベルの行為で、その実力と適応力を知らしめたのでした。
調査初日の移動や精神干渉による重度の疲労感は、もはや伝説として語られてもおかしくない素敵少女イコナ様の細やかな気配りによって回避されたと言っても過言ではありませんが、パッチ生活において類を見ない経験を有する彼女であっても、全てを予測することはできず、調査当日となって初めての問題にぶち当たった次第であります。
まったく誰が予測できるでしょうか? 中核型アノマリークラスターの入り口が一個しかないなんて!
「うおぉっ! 左! 左から火炎瓶来てる! ジルあいつ落とせぇ!」
「わかってるから黙って目の前のを処理しろ、オルヴァ、上から来てるから叩き落とせ」
「くそ! いくらなんでも、おおすぎ、だッ!」
オルヴァさんが縦に振り下ろした剣が、雨雲につながった空中ブランコから飛び降りてきた道化師型アノマリーを真っ二つにします。左にいた一輪車に乗りつつ火炎瓶をジャグリングしていたやつは短弓から放たれた矢に頭部を撃ち抜かれて倒れ、落とした火炎瓶によって炎上。正面から襲ってきていた両手にナイフを持った道化三体は、ギーネさんがすれ違いざまに両手に持った大ぶりのナイフで次々と切り伏せて行きます。
「ギーネ下がれ、前線を維持してまずは数を減らす」
「わかってる、くそ、体が重い…浴びた油だけじゃないな……持久力が落ちるってほんとだな…」
襲撃はまだ終わりません。頭上には雲につながる奇妙な空中ブランコを伝って巨大テントから道化が運ばれてくるし、右側の路地からやってきた玉乗り道化師が乗っかってるのは鉄球だし、素手で火の輪を持って火だるまが走ってきてるし。混沌極まる。倒れた道化をみてきゃーなんてリアクションをしている個体もいます。
場所は目的地中核型アノマリークラスターである、巨大テント。その正面入り口前の広場となっています。空は相変わらずの作り物めいた曇り空ですが、我々の行動を感じ取ったのか、出発前に雨だけは止んでいました。
巨大な広場にはいくつかのカラフルなテントが並び、屋台のような構造物や空っぽの檻、汚れた看板なんかが立っていて、道化による余興や的当て、玉入れが用意されていて普通に遊べそうな雰囲気はあります。
白く薄い、ただうごめくだけの人影のような煙が揺らめく中、彼らに大道芸を披露していたのは大量の道化師型アノマリー。軽快な音楽と共に実に楽しそうな雰囲気を演出していた彼らですが、突然の来訪者達によって大半が広場のあちこちにぶちまけられてる次第でございます。
真っ二つになって転がるモノ、切り裂かれて木箱にもたれるモノ、透明な頭部を矢で射貫かれて墜落したモノ。がたがたと震えて失禁している個体もいました。
「んー、完全に侵略者の視点です。私達が悪いみたいで困りますね?」
「いやはやまったく。アノマリーが不可解であるのは常ですが、道化という性質でこうなっているのですかな? でないと罪悪感に苛まれますなぁ」
前線で暴れ散らす村のお三方と距離を置きながら、のんびりついていく、深層経験者の私とニブレットさん。彼は手に持っていた機械式改造強弩で失禁していた個体の頭を撃ち抜きます。そいつの手にはナイフが握られてました。憎悪に駆られてましたかね? 油断できません。
『率直な疑問を一ついいか? 俺様は人格を持ったアノマリーとして認めてもらっているわけだが……今の奴に同情するべきか? 教えてくれ』
「これは命に関する哲学ですね! 実に興味深い内容ですが、残念ながらこれら道化型アノマリーはいわばサーカスの残響が形を成しているに過ぎません。故に襲ってくるものに容赦は必要なし! ほらアマリ! その風船持ってるやつぶっ飛ばしてもいいですよ!」
「えぇ!? 襲ってくるのが優先でしょ!?」
前線を開いている村の精鋭三人と、私とニブレットさんとの間で警戒をしていたアマリ。右手側にはテントの間で風船の束を持って突っ立っている道化が一体いますが、襲ってきません。
襲ってきませんでしたが、その胸から突然細い剣が飛び出し、手に持っていた赤い風船が一斉に空に飛び立ちます。剣はすぐに引き抜かれ、風船を配っていたアノマリーは膝から崩れて石畳に倒れました。
「兄さまひどい! 容赦なさすぎ!」
「脅威を排除しているだけなのになぜか妹に非難されるのだが……イコナ、どうなってるんだい?」
犯人は奇襲対策に両側に並ぶテントの間を掃討していたカイリスでした。細身の剣はアノマリーの体液で真っ黒になってしまってましたが、彼が剣を振るとそれだけで銀色の刀身が姿を見せます。油膜が残らない銘のある一品なのですかね?
「こちらの安全は確保した。背後も大丈夫だろう。あとはリュミンの方だが…」
噂をすればなんとやら。見慣れた金色のふわふわ尻尾を振り回しながら左側から合流したリュミンは、両手になにやら丸い球を持って笑顔でした。悪戯っぽい笑顔。かわいいです。
玉は厚紙で出来てて、なんか、紐が繋がってます。縄っぽいですが、絶対に縄じゃない。だって、一個火がついてますもんね?
「三人とも、少し下がってー」
ぱちぱちと火花を散らし燃える縄が繋がった球を、リュミンは振りかぶります。蹄の足を高く上げた姿勢を、振り返った三人が見た時の表情は、驚愕と困惑。しかしすぐに察したようです。
「なん、ちょ、まてぇ!」
短弓使いのジルニアさんと機動性の高い猫ウサギのギーネさんは真顔でかなりいい姿勢で私たちの方へ走り出しましたが、オルヴァさんは道化と切り結んでいたため反応が遅れてました。
「わはーっ」
楽しそうな声で火のついた玉を投擲。細身でも力はすさまじく、まっすぐに飛んでいき、今しがた目の前の道化を切り飛ばしたオルヴァさんの横を飛んでいきました。笛でもついてるのか、ひゅるるるると、ちょっと気の抜ける音をたてながら。
「うぉぉッ!」
真っ黒になった大きな剣を担いで駆けだすオルヴァさん。その背後では道化の一体が球を胴体で受けて後続を巻き込んで倒れるところでした。起き上がったそいつは、両手で玉を持ち上げて道化師の特徴的な帽子を揺らして首を傾げるのです。
何が起こるかなんとなく予想できた私は、自慢のウサギ耳を両手でぺたんこにして押えます。その直後の事。
リュミンが投げた球が炸裂。お腹の中まで響く轟音と鮮やかな光を放ち、辺りに大量の色のついた火花をまき散らしたのでした。
音の衝撃か爆風か、オルヴァさんがリュミンのすぐ隣に頭から滑り込んできますが、リュミンはもう次弾に点火し、投げ込む姿勢です。
「たーまやー」
謎の掛け声とともに二発目。既に一発目の爆発で吹き飛ばされ、炎上し、空中ブランコで道化を輸送していた個体も墜落しているというのに、追い打ちは見事にテント前の群れの中に突っ込んで炸裂。美しい光の中に吹っ飛ばされた道化が混ざってしまいます。
炎の塊や火花をまき散らし、空に繋がっていたブランコもするすると雲に飲み込まれていきます。轟音の後の静寂を炎が色どる中、リュミンが腰に手を当てて誇らしげに言うのです。
「よし」
リュミンらしくない、大胆な行動。昨日までまじめに先導していたのに、私に感化されちゃいましたかね。良い傾向です。
テント入り口広場。掃討完了。通りは無数の道化の残骸。巨大テント前は残骸が黒煙を吐きながら燃える様相は、なんというか、それだけを見ると完全に、侵略跡。
「よ、よしじゃないわ貴様ぁ!」
跳ね起きて胸倉をつかもうとするオルヴァさんでしたが、リュミンは一歩引いてそれを避けます。
「あんなの真面目に相手にしてたら終わんないよぉ? 隠れる必要がないなら大胆にいかないと。あとばっちいから触らないでほしいなぁ…」
オルヴァさんは剣も身体もかなり汚れてます。可燃性の何か。あまり触らないでほしい感じですね。
カメレオンの尻尾の色が黒くなってる彼に対し、ギーネさんもジルニアさんも腕を組んで感心するように頷きました。
「今のは見事な一撃だと認めるしかないな。さすがだった」
「あぁ。逃げ遅れたオルヴァが悪い」
「な、お前たち…ッ!」
昨夜の催し物が効を成し、かなり打ち解けている様子。この分なら精神汚染も心配ありません。
「はわぁ…今のすごいね。音もだけど、綺麗だった」
「同意しますぞ。花火など、このご時世で見れるコロニーが一体いくつある事やら。発射装置があればそのセットだけで一財産ですな。余裕があれば別途回収班を向かわせたいところです」
火薬に混ぜ物をして火花に色がつくようにした爆発物、花火。本来は空に打ち上げて炸裂させるものですね。個人で楽しむような小規模なモノならともかく、打ち上げ用は貴重です。
「…増援はもうないようだね。今のうちに中に入った方がいいと思うのだが」
カイリスの提案にみんなの視線は私に向きました。今更、私の提案と指示に異論はないのです。
「すぐに突入はしますが、少し待ってください。すぐに済みますので」
辺りを見回し、定期的に姿を見せる白い人影が、最も集まっている場所を見つけます。そこは的当てゲームとして、大きく開かれたテントの中で、的役の道化に玉をぶつけて遊ぶ出し物。
玉の代わりに矢をど真ん中に当てられ、壁に縫い付けられてぐったりしてる道化がなんとも言えませんが、私はそれを無視して、影が群がってるカウンターの内側に入り込みます。
客からは見えない裏側には、汚れたボールが入った籠や、ゲーム用のチケット入れがあります。そして景品も。
『景品って普通はぬいぐるみとかだろ。なんだこのコインは』
「パンフレットによると、トークンって言うらしいですよ。えっと、一人五枚でしたっけ」
木箱に乱雑に入っていたのは、薄汚れた銀色のコイン。一枚が大きく、素材は不明。描かれた模様はサーカステントと、歌う女性です。
木箱を丸ごと抱えて戻り、集合して体制を整えた皆さんと合流。
「お待たせしました。オルヴァさん大丈夫ですか?」
地面に座り込んでいた彼ですが、声をかけるとすぐに立ち上がります。
「問題ない。ただ少し、油臭くてな……」
「これからあの火の海の間を行くんですけど、火だるまだけは気を付けてくださいね?」
大テントの入り口は正面の、黒煙立ち上るその場所だけです。これだけ燃えてると大テントに引火してもおかしくなさそうですが、アノマリーの塊のはずなので、たぶん大丈夫。なんせ、キャンプ地から直接テント側面からの突入を計画していたのに、テントは何をやっても傷つかなかったのです。炎くらい大丈夫でしょう。
「姉さま、それって今朝言ってた、探索が楽になるかもしれないやつ?」
「そうですよ。私の予想が正しければ、かなり楽になります。とりあえずこちらへ」
箱を抱えたまま先導。掃討は終わってても取り決め通りの陣形を保ってくれる、非常に優秀な集団です。
私が先導する際は、アマリが並んで護衛。その後ろに前衛のオルヴァさん、ギーネさん、ジルニアさん。ニブレットさんの両脇を固める形で、リュミンとカイリス。
各自警戒はしてますが、先日のような張りつめた緊張感はなく、余裕を感じます。慣れてきた証拠ですね。直接的な脅威が対応できるモノとわかったからかもしれませんけど。
切られたり射抜かれたりで石畳を汚しながら転がる道化をよけつつ、火の海となっている一帯へ。大テントが目の前に迫り、見上げる程の口は目の前なのですが、私のとって見慣れた闇、何も見えない黒の膜によって、内部を見る事ができません。
黒い油の燃える熱気もすごいですが、匂いが独特で鼻を押えたくなります。私がニアラに出合う前、低所得層の居住区で嗅いだ、タイヤが燃える匂い。今朝の夢はこれを示唆していた? 夢を見てなくても、この匂いでフラッシュバックしちゃいますよ。
「うぅ、臭い…姉さま平気?」
「私より、リュミンの方が心配ですよ…」
火に気を付けつつ振り返れば、両手で鼻を押える犬ヤギのキメラ。涙目でした。さっきまでの楽しそうなリュミンはどこに行ってしまったのか。
もたもたしていればリュミンは吐きかねないし、オルヴァさんに物理的に火が付きそうなので、少し速足で火炎地帯を抜けます。
ここまでくると本当に大テントの目の前ですが……私は脇にそれて、四角い箱の形をした構造物に寄ります。皆さんが暴れている間に見つけていたもの。
「あ、手を出さないでください」
すぐ後ろで弓を引き絞る音がしたので止めさせます。薄暗い箱は正面が開いた屋台になっており、カウンターの向こうには道化が一体立っていたのです。
屋台の上部には看板が掲げられていますが、文字が全てノイズになってしまっていて読めません。今も文字列が変わってしまっていました。ですが、直感とパンフレットを信じれば、これは受付なのです。
「アマリ、ちょっと持っててください」
隣の彼女に木箱を渡し、トークンを五枚ずつ、カウンターに並べます。合計四十枚。
「大人八枚でお願いします」
アノマリーが反応するはずの記号を唱えれば、カウンター越しの道化が動き出し、白い手袋で五枚ずつ積まれたトークンを慣れた仕草で数え始めました。
続いて私達を順番に指さし、最後にもう一度私を……腰の部分を指さし、反対の手で指を一本立てて首を傾げます。
「あ、すみません。九枚でしたね」
木箱から追加で五枚取って並べると、道化は見えない首で頷いて見せ、並んだトークンを雑に回収。死角に設置されていた機械を大げさな仕草で操作して、最後にがっちゃんと音を立ててレバーを引きました。
『ノクタナル・マーチング・カンパニーが贈る素敵なサーカスへようこそ! ゲームは楽しかったかな? ここからもどうぞごゆっくりお楽しみください!』
箱の側面から声が聞こえ、道化がチケットの束を数え、丁寧に渡してくれます。受け取った後は、また呆然と動かなくなってしまいました。
『九人分のチケットという事は、俺様は一つの命として数えられたと見ていいって事だな』
「はいはい、よかったですね」
アノマリーの生命について考えていると非常にややこしい事態になりますので、適当にあしらいつつもらったチケットを扇状に広げます。
「これはまた奇怪な。よろしければ後学のために何が起きているか教えていただけますかな?」
ニブレットさんの問いには、チケットを配りながらお答えしました。
「深層に分類されるパッチには、今回のように環境を構築する主要な要素があります。一部のアノマリーはそのルールに従うことで行動が変化するんですよ。それで、昨日手に入れたパンフレットを解読してみたら、入場料以外にも、ゲームで遊んでトークンを集めればチケットと交換できるとあったので可能性として考慮してました。遊びの部分は、まぁ、ご覧の有様ですので」
パンフレットの文字の大部分はパッチ特有の文字化けを起こしており、解読は睡眠前の読み物として悪くありませんでした。トークン、五枚、としか読めなかったですけどね。
この通りでの戦闘も避けられるかも? と期待したのですが、こちらを見つけるなり襲ってきましたので、凄惨な現場が生み出された次第です。
「ではこれがあれば、アレと戦う必要がなくなるのだな?」
全身油っぽいオルヴァさんにチケットを渡し、あとは私とガンターの分で二枚手元に残ります。彼の分は……とりあえず私が持っておきますか。
「無差別に襲ってくることはたぶん、無くなると思います。これ自体がなにかの鍵なのかもしれません。ただ、中の環境はもしかしたらすごい事になってると思います。ここからはアノマリー生物ではなく、周囲の環境への注意が重要かと」
「…具体的には?」
短い問いはジルニアさんのもの。緊張感が広がりつつありますが、何もかもお答えできると思ったら大間違い。未来予測はできますが、予知ができる訳じゃない。でなきゃ、彼らが一瞬でも敵対的な意識を向けた理由で悩んでませんよ。
「予測できるのは、空間の捩れとか、断裂とか、物体が浮かんでたりです。ある程度の深度のパッチではよくある現象なんですけど、それ以外に意味の分からない事が続くと思います。とにかく、危険物を見かけたら声掛けをお願いします」
まずは踏み込んでみなければ始まらない。怖気づくような人はいませんが、内心、かなり不安があります。大道芸って危なっかしい事をしてお金をもらう印象があります。サーカスってそれの大きい版じゃないですか。きっと、肝が冷える思いをさせられます。
「それでは行きましょう。皆さん、チケットは無くさないように」
雲に届く大きさの巨大テント。真っ黒な入り口はまるで怪物が獲物を誘っているかのようです。
そこに飲み込まれていく我々はただの餌か異物か。それとも劇毒なりえるのか。
おいしく頂かれることだけは、絶対に無いでしょう。
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光の一切を飲み込む黒。私は度々それを闇より深い黒と呼びます。
リムの体毛色だったり、パッチ内の狭い隙間の中だったり。意外と目にする機会は多いのですが、視界の全部が飲み込まれるのは、初めてでした。
細かい粒子のような黒が視界の全部を覆い、音すら消してしまう。身体を動かしている感覚はしっかり残っていて、硬質な床を靴底で叩く感触を頼りに前に進みます。
右手が誰かに触れ、すぐに掴まれました。金属と革の小手。アマリです。大丈夫と握り返すと力が弱まり、変に互いに引っ張り合う事もなく、足並み揃えて前に進めました。
黒の膜はそこまで厚みがあったわけじゃないと思います。だけど、ほんの十数歩の間に、何分も経過したような錯覚がありました。
「ぷ、ふふぁ!」
水面から顔を出したようなそんな声はすぐ隣から。視界が開け、闇に慣れようとした目が飛び込んでくるはずの光景を拒んで痛みました。しかし、私が何より気になったのは、鳴り響いてる音楽。
「うるさ!」
先の花火に匹敵する音量で響く賑やかすぎる音楽にくらくらします。数歩進んで、思わず座り込んでしまいました。びりびりと音圧で耳の毛が震えてます。思わず尻尾を真っすぐ上に立てる騒音。
「うわ、姉さま大丈夫!?」
「大丈夫ですよ、ただ音が…」
どんどんがんがん、楽しく賑やかな演奏は歪みもなくまともですが、音量が完全におかしいです。フード被ってマシになるとか、そういうレベルじゃない。とりあえず、チケットを持った両手で耳を押さえて、涙目ながらも状況把握に努めました。
私が座り込んだ床は赤い絨毯。正面は……一言や二言で形容できるような代物ではなく、音量も相まってげんなりしちゃいました。なるほど、この大空間に響かせるにはこれだけの音量が必要です。
巨大な赤いテントの内部。それは変わりません。天面が恐ろしく高いくせにろくな柱が無いですが、許容範囲でしょう。
目の前にはロープで仕切られた入場口があり、クマを模した着ぐるみが一体、両手を何か受け取るように出したままの姿で、わずかに揺れ動いています。広い入場口の両側には壁があり、壁面は絵画の飾られた石造りで、見上げる高さで急に色彩が失われていき、グラデーション状に透明になって背景であるテントの赤い幕に切り替わっています。
奇妙な壁で仕切られた空間。通路の奥はゆるく捩れており、散乱した箱が空中を漂い、サーカスの小道具が地面にも空中にも散乱している混沌とした廊下が続いているようです。
天井はテント以外に無い…のですが、廊下が捩れてるせいか、ある程度の距離で鏡でも置いてあるような、錯視を目の前にしたような混乱を感じます。
意識が視覚に引っ張られて、奥へと落ちていくような感覚。瞬き一つで元に戻りますが、夢の中で崖から落ちたような嫌な感じです。
「なんか、上? 奥とか見るとくらくらする…」
「あれは本当に見ない方がいいですよ。脳が処理できない視覚情報をアノマリーが隠してるのかもしれません。一段か二段深い領域にいる、見るだけでやばい系のアノマリーと同じです」
意識を集中して、視覚は近く、音楽は聞き流すように努めます。フードは、被りません。これだけ音が大きいと意味がないし、いっそ音に慣れた方が早そうなので。
立ち上がって後ろを見れば、各々混乱してますが全員境界を抜けられたようで、こちらに集まってきてました。
「とりあえずまずは目の前の廊下の方まで進みましょう! 視覚で違和感を感じるものは極力見ないようにしてください! 発狂してしまいます!」
チケットを掲げて声を張れば、皆さん頷いて応えてくれます。大音量の音楽の正体は、入ってすぐ後ろにあった音響装置。ここから離れれば、音に関してはまともになるでしょう。
入場口は縄で仕切られていて、クマの着ぐるみが立つその場所だけが開けられています。着ぐるみはわずかに揺れ動いていて、いかにも中に誰かいますと主張しているのでした。
俯いててちょっと暗い印象ですが、まぁ、簡略化された姿はまだかわいいと言えます…?
「うわ」
でも近付いて気付きます。ぬいぐるみの毛並み、タール状の何かでべたべたでした。目に該当する部分は虚ろで何もなく、口元はなんか邪悪に歪んでます。子供が泣き出す姿。火を放ちたくなる衝動に駆られちゃいます。
「お、おとな二枚でーす…」
イコナさんの高級な服も、さすがに変質した重油で触られたら大変な被害なので、ちょっと遠くから差し出してみました。
動かない。微動だにしません。よく見ると、クマの右手には何か握られており、空いてるのは左手だけ。恐る恐る左の手にチケットを乗せてみると、ようやく動きました。
「ⱲΞ⧉⧉LƆ⧉M∑ 」
何か、言語と音の間のような言葉が口から発せられると、それはアノマリー文字となって視覚的に口からこぼれて落ちていきました。
二枚のチケットを受け取ったクマは右手の装置で挟むと一度握り、ちゃきん、と小気味よい音を立ててからチケットを返却してくれます。
ちょっと黒く汚れたチケットには、切れ込みが入ってました。たったそれだけですが、断面がなんか、赤くなって……血が滲んでました。ひぇ。
「さすがのイコナさんも引いちゃいます……チケットがナマモノなのか、あれで切られたからこうなってるのか……これだから中核型クラスター領域は…見かけても入りたくないんですよ…」
クマは通ってとばかりに先を手で促すので、さっさと中に入ってしまいます。通った先で通路に入る前に、皆が揃うまで待機。
皆順番にチケットを渡して何事もなく入場しますが、クマの姿やチケットに滲む血とか、たぶん似たような感想を抱いていると思います。私はまだ、深層のクラスターの理不尽さに対して諦めがあるのである種の耐性がある状態で受け止めてるのかもしれませんが。
音楽は相変わらずやかましいですが、皆が揃ったタイミングで曲調が切り替わり、少し大人しい曲になりました。少なくとも重低音は控えめで、まともに会話できそうです。お腹に意識して声を張れば大丈夫。
「では皆さん。ここからが本格的に調査に入ります。基本は打ち合わせ通りですが、ギーネさん。この通路を改めて見て、予定通り先頭は出来ますか?」
ゆるい捩れのある通路。石の床に赤い絨毯が引かれた通路は、六人ほどが横並びできる幅はあれど、
脇に木箱やサーカスの小道具が乱雑に置かれていて、視覚が多いです。おまけに、パッチでよくある重力を無視して箱やナイフが無造作に漂っている状況。
「俺にはムリだ。リュミンは」
「おいらも、正直自信ないかなぁ……ほら、おいらアレ食らってるし」
アレ、と自分の小さな角の間を触れて見せます。何でしたっけ、と皆と一緒に首を傾げますが、私はすぐに思い出しました。私とリュミンの出会いのきっかけ。悲しい事件……いえ、幸運ウサギと空の柱二本分の力で起こした奇跡によって生み出された、超危険アノマリー現象。
「アマリとカイリスはとっさの反応ってどうですか? こう、物陰から何か飛んできたりしたら」
「んー…速さ次第だけど、集中すれば掴めるかも? 兄さまもできるよね?」
「掴むのは難しいが………矢くらいの速度なら叩き落とすくらいならできるだろうね」
私も目は竜のモノなので、一応動体視力は良い方です。身体がついてこないので宝の持ち腐れってやつですけどね。あと集中すると頭が痛くなる。
その点、二人は身体能力も高いし、適任ですね。アマリを矢面に立たせたくない気持ちはありますし、カイリスも嫌そうな顔してますが、仕方ないです。
「陣形を少し変えて、前衛は私とドラコニアン二人。後衛はニブレットさんを中心に四人でカバーお願いします。それとガンター。今回はあなたにも協力してもらいたいのですが」
『今回も、だろ? いつか俺様に欲しいものができた時、まとめて請求するから覚悟しとけよ』
「あなたに何を与えれば報酬になるのかは疑問ですが、お願いしますね」
これで進行方向の死角もなんとかなりますね。
こうして陣形を組みなおして、探索を再開。左側にアマリ、右手にカイリスがいる状態で、実に頼もしいです。
緩い捩れのある通路は、どこまでも続いているようですが、時折十字路があるみたいです。上方向は捩れた先でも同じ天幕を映し出していて、奇妙な事に、通路に踏み入れた瞬間から周りの景色の方が勝手に捩れて感じるのです。
「すごい、不思議なところだね……」
村の異常が可愛く思える光景。いっそ楽しんでくれたほうが、精神汚染への免疫になってくれます。
「深く考えると頭が痛くなるから、ありのままの光景を受け入れてください」
足取りは慎重に。だけど大胆に進んでいきます。
回転する木箱を上に向かって押しよけて、通路の半分を塞ぐように置かれた木箱も、丁寧に避けて行きます。
縞模様の輪っかや、シーソー。何に使うのかよくわからない小道具が視界の端に映りますが、よけても問題なさそうなナイフが数歩先に迫ると、浮かんだまま露骨に刃先を我々に向けて来るのです。
「…これは確かに厄介だ。幸い、空中に固定されているわけではないようだ」
浮かんだナイフをカイリスが自分の剣で上に弾けば、ナイフは刃先でこちらを睨んだまま、広大な上の空間へ飲まれていきました。
『今、ざっと見れる範囲の物陰を見てるが、怪しいのは何もないな。だがその先の十字路は少し面白い事になってる。気を付けろよ』
はっきりと状況を伝えないのは彼の悪い癖ですが、文句を言ったところでガンターはそこそこ先に進んでいるようなので聞こえません。
剣を構えたままのカイリスと、油断なく周囲を見回すアマリを連れて進んでいると、ガンターの言っていた十字路が見えてきました。通路の捩れは、もはや気になるレベルではありません。
「面白いって、いったいな」
「っと」
「にが…?」
すぐ隣でアマリが短い声を発したと思ったら、アマリは左手でナイフを握っていました。
「あぶなー…このナイフいきなり飛んできたよ? みんな気を付けて、飛んでくるのもあるみたい」
「うわ…油断できないねぇ」
アマリは捕まえたナイフを近くの木箱に深々と突き立てます。根元まで。
「見た目は同じですなぁ……あぁ、妙案が浮かびましたぞ。こういった板を盾にして進むのはいかがでしょう。思えば、我々には盾持ちはいませんでしたなぁ」
旧時代の断片的な情報からすれば、相当量生産されているはずの銃器の類を我々も使用していてもおかしくはないのですが、残念ながら発見されても劣化していたり銃弾の規格が合わなかったりと使用が難しく、キメラ種は安価な剣や槍、弓などを好んで使います。中には盾や分厚い鎧で身を固めてアノマリーの脅威を物理的に遮断するワーカーもいて、今まさに求められる人材でした。
なければ代わりを用意すればいい。ニブレットさんの案は採用され、その辺の木箱の蓋や、シーソーに使われていた板なんかを各自持って、盾とすることにしました。
実際、これが効果的で、十字路に差し掛かるまでに飛んできたナイフが、私の持つ板に刺さり、完全に防いでくれます。速度も大したことないので、軽く板を向けるのがポイントですね。ナイフとして切れ味も大したことないようです。
さて、十字路の面白いもの。面白くなかったです。そもそもこれは。
「……ガンター。これは十字路と言いません。谷です」
『そうか? 少なくとも道が交差してるだろ』
「道? この縄が?」
十字路、とガンターが称したものは、誰がどう見ても底無しの穴でした。
十字の形に床が消え失せていて、対岸に向けて太めの縄が張られてます。それが一応、十字に交差はしていました。
「えっと、綱渡りって事ですか? えぇ…」
下は底なし。後衛の皆さんも、状況を見て、不満を顔に出していました。飛び越えられる距離じゃないです。
「イコナ、これもパッチのルールってやつかい? つまり、ちゃんと綱渡りをしないと問題が生じるのかな?」
カイリスの問いに、首を傾げちゃいます。彼が何をしたいのかがわかりません。
「そういうのじゃないと思います。ただのパッチの世界観が、通路に意地悪な形で反映されただけかと」
「では飛び越えてもいいし、道を作ってもいいわけだね」
彼は自身の荷物を降ろすと、中からロープと、金属性の杭を取り出します。ワーカーの基本装備ですね。崖なんか降りる時に使います。私も……大鞄には入れてます。ロープの先端を彼はきつく結ぶと、自分が持っていた木箱の蓋を元々貼ってあったロープの近くに置いて、幅を図りました。
適度な幅で、金属杭を立てます。でも絨毯の下は石の床。そう簡単に固定ができるはずもない。ハンマーの類が…リュミンが持ってましたか。しかしアノマリーの影響を受けた床は。
「ふん!」
ガンっ! と杭を打つ音。一発で杭は深々と刺さりました。使ったのは剣の柄。とんでもない力で打ち込まれてましたが、壊れてませんか?
「よし、これであとは私が向こう側に渡ってロープを張り、適当な板を乗せれば橋になるだろう。あぁ、とりあえず正面を調査する方針でよかったかい?」
「…進路は大丈夫です。おねがいしまーす」
このアノマリークラスターを構成する何かに意思があるとしたら、力業すぎる方法に口をあんぐり空けてそうですね。私の経験上、こういう時って床材も空間の影響を受けて通常よりも硬くなったり、干渉できなかったりするんですけど。
「リュミンもハンマー使えばこのぐらいできます?」
「いや…どうかなぁ。こういう所の壊せないイメージだけど、偏見なのかもね」
やはりドラコニアンは規格外のようです。
カイリスはまるで普通の道みたいに綱渡りを一切ぶれもせずに渡り切っちゃうし、向こう岸でも普通に杭を打ち込んで、ロープをピンと張ってくれます。
計画通り、みんなでその辺の箱を開けて二本の縄に乗っけて行き、即席の橋は完成します。一応、大きい箱を選んだのと、橋板が固定されていないので二重にしてあります。早々踏み抜きはしないと思います。
カイリスの用意したロープはまだ長さに余裕があり、即席の橋の近くで姉弟が両岸でロープを張るように持つことで、手すりまで作られちゃいます。サイドロープってやつですね。自慢の尻尾のおかげでバランス感覚には自信がありますが、あると無しでは安心感が違いました。
渡る際は微妙に揺れるのでかなり不安でしたが、全員が無事にこの十字路を渡る事ができました。
問題が解決したならいいんですけど、なんか、リュミンもですがやる事が大胆になってきてませんかね。良い結果を出せてるので構わないんですけど、アマリに影響が出てないか心配になっちゃいます。彼女は経験のために今回同行しているんですからね?
その後しばらくは、特筆すべき状況は特にありませんでした。
飛んでくるナイフは再度拾った即席の盾に阻まれ、似たような道が延々と続きます。
途中、木箱が多めの場所で休憩を挟み、少し元気になった私は、ニブレットさんと一緒に木箱を開けてまわり、中身を確認しました。
先ほどまでは中は空だったり、空の袋だけが詰まってたり、内容がわからないチラシや紙屑だったのですが、休憩地点の箱には物資がありました。
「これは…トウモロコシの種ですな。生育には使えませんが、温めるとポップコーンという食品に加工できるものです。バターと合うので持ち帰りますかな?」
「それはすばらしいですね! こっちはなんか粉……塩ですね! もしやこの一帯の箱、食べ物の材料では? 皆さん! お宝探しの時間ですよ!」
昼食には少し早い時間。それ故食欲が湧いてくる頃なので、イコナさんの突然の行動に、それぞれ付き合ってくれました。村の三人も普段は村のワーカーとして働いているのです。通常では絶対に来ない領域の物資に興味があるようでした。
「こっちも粉だが、甘い匂いがするな」
「うわぁ、ニブレット見てみなよ。これバニラエッセンスだ。小瓶一本でも結構するよね?」
「姉さまみてみて! 加工したフルーツ! 中身わかんないけど!」
「これはレーズン? 密封状態もいいですね。お持ち帰りです!」
「こいつは何だ? 食えそうだが」
「オルヴァ、お前こんなところで拾ったの食えるのか?」
「その形状では持ち帰れん。一つ開けて食ってみろ」
なんだか楽しそうで、かなり乗り気でした。
意外と良いチームなのでは? イコナさんへの敵意、なくなっちゃったかなー?
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