第七話 SHΛ⧉PΞ⧉DΞ⧉S1⧉RΞ (1)
聞き取れない喧騒。それに見覚えのある光景に記憶の蓋が開いたのだと、すぐに気付きます。
平たいワゴンに無造作に放り込まれた缶詰の山。錆やへこみの多いラベル無しの低等級缶詰。旧時代の家畜用のも混ざっています。
厳選した一つを手に持っているものの、上半身が白ノイズで見えなくなっている店主の背後にある金属板には、ひどい顔をした昔の自分がいました。
サイズの合ってない迷彩柄の上着。パッチで拾ったマフラーを巻いていて、汚れて灰褐色になってしまっている髪は腰まで届く長さ。ウサギの耳は前に倒れたまま起こす気もなく、尻尾は自分の右足に巻き付けて踏まれないようにしている。
世界中が敵に見えていたひどい頃の自分。もはや、何を考えていたのか覚えていません。
だけど、この記憶がいつだったかは覚えてる。それに大事な事も。冬の夜。冷気が入り込む地下市場です。
「お前がイコナだな」
鮮明な声。なんだか偉そうで、自信に満ちた耳障りに聞こえた声です。
「誰」
ぶっきらぼうに答えて、缶詰の山に視線を向けました。
「ついこの間、お前……いや、お前たちから血を買った者だ」
「……あぁ、あの怪しい依頼の」
摩耗しきった懐かしい記憶。白く削り取られた景色の中、視界の隅に割り込んできた彼女は笑います。
「お前の血はすごくいい。レア中のレア、旧時代の価値観で言えばSSSレアってやつだ。こんなゴミみたいな缶詰食ってる場合じゃないぞ? もっと自分を誇れ!」
てい、と彼女は私の手を叩き、持っていた缶詰を叩き落とします。苛立ちすら感じず、過去の私はため息をつくのです。
「このゴミみたいな缶詰が私の命を繋いでいるのです。キメラの血をどうしているのか知りませんが、私の血が追加でほしいなら、相応の金を積んでください。いくらでも売りますよ」
「もう血はいらん。データベースに取り込んだからな。だからここにいる。喜べよ? 過去数百年の累積データによれば、お前の血はほぼ純粋な竜なんだからな!」
徐々に姿が鮮明になっていきます。私とおなじくらいの身長。汚れと縫い跡だらけの白衣を着ていて、ぼさぼさの太い尻尾は朝焼けを思わせる鮮烈な緋色。その上で跳ねるのは、腰のところで束ねた長い髪で、尻尾が二つあるみたいです。
「それもただの竜じゃないぞ? 他者の願望を叶える力のある伝説級の竜だ。その力を鍛えて鍛えて鍛えまくれば、毎日高品質保証書付き小麦の焼きたてパンも夢じゃない。それどころか、運命論を足蹴にできる力が手に入るぞ? 過去の同種族が証明済みだ!」
「……まほうなんて、馬鹿みたいな話しないでください。私はウサギと……なんか尻尾の長い生き物のキメラですよ」
マフラーで口元を隠して、山に紛れた缶詰を拾おうとしました。彼女はその手を掴んで止め、掠れた記憶の中でも思い出せる確かな温かさ。
「魔法は存在するぞ? むしろこの壊れた世界の根幹ですらある。この場でマナ理論について話してやってもいいが、話しているうちに凍死しかねないな? という訳でうちに来い! そんなゴミ缶なんて二度と食えなくなるぐらいうまい物食わせて、悪臭を上書きするバスボムと一緒に風呂にも叩き込んで、家賃の割に狭くて汚いボロ小屋が情けなる高級ベッドを貸してやるから」
「は? いや、何を言って……そもそも誰なんですか」
両手でぐいぐい引っ張るも、大した力もない彼女は、私を少しも引っ張れませんでした。
「私の研究室にきてまずは話し相手になれ。そして雇われろ! 明日もわからない底辺ワーカーなんだから別にいいだろ? 個人的に手伝って欲しいことが山ほどあるし、多少脳みそが優秀なら助手にしてやってもいい。でも魔法の訓練は欠かすな?」
「いや、まだ何も返事してないし、かなり失礼な事言ってますよ」
「血を買い取るなんて怪しい依頼を受けるくらい困窮してるくせに! 私に血を売ったのが運の尽き、いや、幸運の始まりだったな! この幸運ウサギめ! 観念しろ!」
一歩、引っ張られて前に出れば止められなくなります。ぐいぐい引っ張って、人込みにぶつかって避けさせながら彼女は楽しそうに言うのです。お宝を手に入れたとばかりに。
「それに絶対に後悔させないから安心しろ! そしてこの瞬間を脳裏に焼き付けておけ! いつか私に心の底から感謝するんだからな! そのやつれた顔が別人に見えるくらいいい顔で泣きながら、お前はお前の魔法で私の願いを叶えるんだ!」
「だからあなたは」
地下市場の階段をのぼりはじめ、彼女は雪の降る夜を背景に素敵に笑ってます。
「私はニアラだ! 緋色の狐と神狼フェンリルのキメラ! そしてお前の人生を最高にしてやる、大恩人になる!」
悔しくも、忘れられない一瞬。大切な瞬間のために引き出しにしまっておいたのに、なんでこんな時に思い出すのか。
「………ただの狐と狼のくせに」
懐かしさの余韻は、つんと喉の奥に残ったまま。深く呼吸をして、濡れた地面の匂いを肺に通せば、意識は現実へ戻っていきます。
高い天井。遠い雨音。端に寄せた長椅子で仮眠をとっていたはずが、ばっちり眠ってしまっていました。体が痛いです…。
夜明け前…ですかね。分厚い雲の上で太陽が動かない環境。床や椅子、それぞれで横になってる皆さんはまだ眠ってます。見張り番であるリュミンも、熟睡じゃないですか。なんか見た事ありますね。
「ニアラの夢かぁ……アンカー関連でちょいちょいあいつの事思い出してたせいで、引っ張られてしまいましたかね……」
伸びをすれば、ぱきぽき体中から音が鳴って、体がほぐれてついでに眠気も遠ざかる。
運命論も足蹴にできる魔法の力。特別な竜の力。さすが私、と自分を素直にほめられないのは、ほんのり過去の自分が残ってるからでしょうかね。今の私にそんな力はありません。少なくとも今は。
なんだか無性にリムに会いたいです。皆さん寝てるからってこの場で呼ぶのはちょっと、大混乱になりかねないですね。幸い、秘密をたしなむのに都合の良いお部屋があるので、そこで少し元気になりますか。
静かに立ち上がり、足音を抑えて聖堂の奥へ。
大の字になって子供らに腕枕をするニブレットさん。嘘つきゲームをやりながら力尽きたように眠る、オルヴァさん、ギーネさん、ジルニアさん。焚火の近くで壁にもたれて膝を立てて眠るカイリスと………アマリが居ません。
一度立ち止まり、入り口を見てみますが、閂はされたまま。外に出ていないなら、教会内にいるわけで、お手洗いの可能性もあります。
聖堂左のドアを開けると、何やら小さな音を我がウサギ耳は拾って小さく動きます。
リュミンとの密談で使った小部屋。一応ノックしてみます。
『は、入ってます!』
ドア越しのくぐもった声は、アマリのものでした。
「アマリ、一応言っておきますが、お手洗いは突き当りですよ?」
『姉さま? あー、えっと、ちょっとその、身体拭いてて』
彼女の発言になるほど、そういう使い方をするのに都合がいい部屋ですね! と思った私は、いつも身ぎれいにしたい乙女心を失った悲しき旅人。竜の代謝があるとはいえ、見習うべき行為でした。あれ、もしや私乙女ではない…? 今朝の夢の中の私は乙女ではなかった頃ですが。
「失礼しました。でもさっき、何か割れたような音しませんでした?」
『何も割ってないよ? 気のせいじゃないかなー?』
とぼけているのかどうか、良くわかりません。私が寝ぼけている可能性もあるし、夢見を考えると、若干精神汚染の影響で幻聴が出てもおかしくないかもです。実際、ニアラのやかましい声が頭の中でわんわん鳴ってます。これがあるから、彼女の夢だの記憶だのは極力避けたいのです。記憶の中でも元気でやかましい、懐かしさを憎らしさが上書きする記憶です。
変に周りに気をつかったせいで、案外私も疲れているのかも。やはりリム吸いが必要です!
「私もその部屋ちょっと使いたいので、済んだら教えてください。聖堂の方行ってますね」
『はーい』
これで背中拭いてあげる、みたいなお話が始まったら困ってしまう所で、内心ほっとしながら聖堂に戻ります。
崇められてるドレスの女性像の下に座って、眠気が取り切れない頭でそういえばコーヒー見つけたんだよなぁ、でも大鞄に隠したやつなんだよなぁ、なんて考えてると、焚火跡で壁に寄りかかって硬直していたカイリスが目を覚ましました。
丸い眼鏡が似合う金髪の好青年。辺りを見回した彼が私を見るなり言った言葉は、予想通り。
「アマリは?」
「おはようが先では?」
よくもまぁ、今回の探索に同行させたなと思うレベルの過保護。このまま黙っていると取り乱した挙句、小部屋に突入してドラコニアンパンチが炸裂する可能性があるので、その前にちゃんと教えてあげます。
「向こうの小部屋で身体をきれいにしてます。お願いですから錯乱して突っ込んで行かないでくださいね?」
「………そう、か」
なんだか生気を感じないのは、寝起きだからですかね。低血圧ってやつでしょうか。ものすごくだるそうで、頭がふらふらしてます。目つきが滅茶苦茶悪い。
「姉さま、おまたせー…」
戻ってきたアマリは声を抑えて皆を起こさないように気配りができて偉い。
「では私もきれいになってきますので、いくらイコナさんが素敵な少女だからって覗かないでくださいね?」
「…私がそんな事をする紳士にみえるかい?」
「錯乱して部屋に突撃するくらいの人だとは思ってます」
言い返せないようで、カイリスは口を閉じちゃいました。目の前を通っていくアマリもなんとも言えない表情をしてました。否定してあげてほしい。
一応、身体を拭くという名目なので自分の手持ち鞄を持ち、小部屋の方へ。意外と大きな音がしますので、静かにゆっくり閉めようとしたところで、兄妹の会話が聞こえちゃいます。
「……兄さま、アンプルちょうだい…」
とても抑えた小さな声。ウサギのキメラじゃないと聞こえないような声量です。内緒話なら、イコナさんのウサギ耳の性能を侮っていたという事です。
「あぁ、渡しておいた分は?」
「驚いて、割っちゃった…」
ふむ?
音が鳴らないように静かに閉めて、小部屋の中へ。
ポーチ越しにガンターを小突いてみます。
『俺様は便利な諜報員や見張りじゃねぇぞ? 悪いが、今起きたばっかりだ』
「あなたの気配りにはいつも助かってます。ですがほら、また新たな謎ですよ」
『はぁ? 勘弁してくれ。探偵の真似事なんざ疲れるだけなんだ。本来俺様はただの傍観者だぞ?』
そう言いつつも協力してくれるのがガンターです。これからも積極的に協力をお願いしたいところ。
机の上を軽く撫で、次に床をよく見てみると、小さな破片を見つけます。拾い損ねたと思われる、爪の先ほどのガラスの欠片。机の上に置いてみますが、さすがに元の形状はわからないです。
「あんぷるって何ですっけ」
『は? アンプルか? それはあれだ。ガラスの……なんか、薬が入ってるやつだ』
「薬……」
割ってしまったのは薬の瓶。なんの薬なんでしょうか。ガラス保存の医薬品という事は、かなり貴重品だと思うのです。カイリスも持っているような話をしてましたが。
予備があるなら…現段階での問題の優先度は低そうです。優先すべきはエーテル結晶と、例の三人が襲ってくるのかどうかという所。
「はい、頭が回りません。リムが必要です。リムー、来てください。もふもふしましょう」
じわりと部屋の天井ぎりぎりの大きさで現れるリム。四つの目は細く開かれ、お腹に吸い込まれていく私を仕方ないなぁとばかりに眺めていました。この無抵抗さがすばらしい。夢の中のぐいぐい来るやかましい狐狼とは違いますね。
「あー生き返るー……やはりあなたが最高の存在。いつか絶対、人前で連れまわしてみせますからね」
『…なぁ、もう少し寝てていいか?』
どうせ寝るくせに。今は大切な時間なのでガンターの事は放っておきます。
冷たさと柔らかさの絶妙さがすばらしい、私にとっての日常的な朝。しかしいつもより存分にもふついて、一日分の英気を養っておきました。
アマリの薬の話は、ひとまず頭の隅に置いておきます。本人たちが大丈夫そうなら、後ほど聞けば良いのです。
その後はそれぞれ勝手に起きだして、淡々と準備が進められ、昨夜の残りのスープで朝食。簡単な打ち合わせと調整を行って、特に問題もなく、調査が始まったのでした。




