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P4TCHW0ЯK_W0R⧉D  作者: 哉守柚栞
第一章
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13/29

第六話 BΞ⧉ΞΛ⧉H⧉THΞ⧉SΛ⧉⧉FΛC⧉ (3)


 風もなく動きもしない低い空はいくら雨を吐き出しても厚みすら変わらない。永遠に雨が降っているのに、水はどこへ行くのだろう………ま、どうせその辺の穴が空に繋がってて、また雲を構成する雨粒になるのです。まさに永久機関。馬鹿げた空想も、この壊れた世界ならあり得そうなのが実に楽しいと思います。

 手持ちの時計が壊れて久しいイコナさんは己の腹時計が正確に時間を図る術になるのですが、ほんのり小腹が空いてきて、慣れ親しんだ感覚だとパッチ生活ではぼちぼち手ごろな廃墟でも見つけて野営の準備を検討する時間です。

 しかしどうにも他の皆さんはそんな余裕などなく、一刻も早く目的地に着きたいと真剣な横顔に書かれておりました。それもそのはず。我々が現在進んでいる大通りは、ここに来てようやく、深層と呼ばれるその様相を見せてきて、ワーカーが忌避する理由を見せつけ始めているのですから。

「うぅ……ごめんなさい師匠、ちょっと、気持ち悪いかも…」

 手を膝について、顔を地面に向けるアマリ。先行していたリュミンも立ち止まり振り返りますが、やはり顔色はよくありません。

「…ごめん、おいらもちょっときついかも。目立つ場所だけど、少しここで休もうか」

 奇妙なパレードが通過したと思われる大通り。建物の壁面に寄って、小休止です。

 皆口数少なく、疲労が見て取れます。肉体的というより、精神的にですね。屈強な体つきの村人の三人も今は大きな荷物を降ろして、座り込み、深い呼吸で肺に根付く不快感を取り除こうとしているようでした。彼らに関しては色んな意味で先が思いやられます。

「アマリ、平気か?」

「ん、大丈夫。ありがと兄さま」

 水筒を受け渡しするドラコニアンの兄弟愛は微笑ましい。カイリスは比較的顔色が良さそうです。無理してるのが一番怖いんですけどね。反応や注意力が落ちている状態で奇襲されるのが最悪のパターんです。

「イコナさんはさすが、と言うと嫌味になってしまいますかな?」

 特に平気そうにしているのは、リスの尻尾と謎の生物カビバラだかカピバラのニブレットさん。

「これは完全に慣れですからねぇ。ニブレットさんは平気なんですね」

「そうですなぁ。皆には悪いですが、なんというか、深層に来たという実感と共にトレジャーハンターをしていた頃を思い出すようで、妙に活力というかわくわくが止まりませんな」

「わかります! 私もなんだかパッチに来てから妙にテンションが上がってきてるんですよ! この辺りに来てから目も冴える感じがしまして、絶対に何か空気に混ざってますよね!」

「だとすれば中毒性のある何かなので危険ですなぁ。防毒マスクの準備をしなければ」

 あっはっは、なんて談笑を、冷ややかな目で見られながらしてました。

 実際の所、周囲の様子はかなり変質しています。

 並んでいる建物はまったく同じ形状の建物が延々と続き、しかしその四隅は歪んでいながら建物は健全に立ち続けています。また、煙突からは黒い煙が吐き出され、鉄格子の向こうには点々とランプの灯りが見えるのです。

 壁には大量の同じ張り紙。しかも張り紙の文字は一部が常に切り替わり続けていて視覚的に集中力が乱れます。おまけに聞こえるのは雨音に混じって建物から漏れるラジオだかテレビの音声。

『ノクタナル・マーチング・カンパニーが僕らの街を支クバするよ! みなヨウ、いまニチも楽しくサーカスをケンに行こう!』

 ザリザリザリと砂を掻く音が響いた後は、一斉に通りのドアが開き、綺麗に重なった音を響かせます。開いたドアから吐き出されるのは、灰色の煙のような不確かさが人の形をした何かです。

 大人や、大人と手を繋いだ子供。腰の丸まった老人。ラジオの声に一斉に呼び出されたように、灰色の人影は同じ方向へ進んでは、すぐに煙のように解けて消えてしまうのです。

 これらは既に何度も目にした光景。そこそこ短い頻度で起こるので、嫌でも慣れてしまいますね。

 空に吸い込まれていく風船の頻度も増えてきてます。確実に中核型アノマリークラスターに近づいていますが、幸先はやはり不安です。

 心労。精神的な疲労。疲れた顔の皆さんを見ているとこっちまで疲れます。

 ニブレットさんに声をかけられるリュミンでさえ、表情に余裕が無い。事態は深刻ですね。

 過度な警戒で消耗しているのはもちろんですが、深層と分類されるパッチが持つ特殊な効果、精神汚染とも呼ばれる異常現象の影響です。なんか嫌な感じがするという曖昧な感覚から始まり、精神的な消耗、幻聴や幻覚、意識の混濁と、深刻化していきます。

 解消のコツはリラックスする事。あるいは、楽しいという感情を持つことで露骨に症状が軽くなります。つまり、イコナさんは深層における精神汚染に影響されません。無敵です。マナ理論的にも汚染の原因を知っていますからね。

 しかし、他のみなさまはそうもいかない。

「仕方がありません。ここはイコナさんのとっておきを使う時ですね」

 手持ち鞄を降ろして少ない荷物を漁り、昨日のうちに大鞄から出しておいたイコナさんの大事な大事な物資を取り出します。

 銀色のパックに空気の隙間もないぐらいにぴっちり保管された、超貴重品。板状でそこそこ硬いのですが、ちゃんと食料。雨の中、それを掲げてイコナさんはご機嫌に見せびらかしてやります。

「みなさまご注目ください! 時刻はおやつ時と我が腹の獣は訴えておりますので、イコナさんは疲労困憊のみなさまに恩を売るべく、超激レア物資をおやつとして提供いたします! 感謝感激にうちのめされた際は、格別な対応を期待します! ひとまずは私の事をイコナ様とお呼びください!」

 ガンターだったら何言ってるんだこいつ、頭がついにおかしくなったか、くらい言いそうで集まる視線はまさにその類。しかし恥などありません。なぜなら、この銀袋の中身をガンターは知っており、彼が軽口を叩かない程の物資であると、彼も認めざるを得ないからです。

『ついに頭がおかしくなったか。疲れているところ悪いが、こいつなりに道化を演じて元気づけようとしてるんだ。大目に見てくれ』

 こいつ、中身を忘れてやがります。私は腰の後ろの万能ナイフを抜き取り、刃先をじっと見つめて呟きます。

「ガンターの感覚的に切り傷ってどうなるんですかね」

『物騒な好奇心やめてくれ。打撃は打撃で伝わってるし、切り傷は切られた瞬間を普通に感じるからな」

「裂傷にはならないですが、あの切ってしまった熱いって感覚を味わうという事ですね。何度も」

『絶対に傷付かない身体が今だけは恨めしい! 俺様が何したって言うんだ!』

 ポーチのアノマリーが叫び散らかしていますが、気を取り直して掲げていたパッケージ胸元で開封。切り口が無いからナイフが必要だったのです。

 ふわりと広がるのは、独特の甘い香り。特に鼻の良いリュミンは雨の中でもすぐに反応しました。

「イコナ、それは何?」

「これは旧時代を支配せし人間が我々に残した贈り物。まぁ、いわゆる高保存のチョコバーで、なんと大容量の十本入りです。かろりーとかいう、謎の指標を気にしていた旧時代の人間の皆さまが見たら卒倒する代物らしいですね」

 一人一本、細長い茶色をした食べ応えのある四角い棒を配っていきます。リュミン、ニブレットさん、アマリとカイリス、そして村の三人にも。

 座り込んでいた牛の角に尻尾の色が変わるカメレオンの青年であられるオルヴァさんは、一瞬懐疑的な視線を向けてきますが、私は笑顔で銀袋を向けました。

「毒なんてありませんよ。精神疲労の特効薬みたいなものですから。こんな所で倒れられたら、役目に支障がでるんじゃないですか?」

 ちょっと棘のある言い方をしてみたのですが、反応は見れません。顔の動かし方知らないのではないですかね。

「……すまない、ありがとう」

 表情は硬いまま、それでも手を伸ばして一本取ります。他の二人も続き、一応感謝の言葉をそれぞれもらいました。

 最初に匂いを嗅ぐ人もいれば、すぐに噛り付く人もいます。アマリなんかは疑わず口に入れて、硬さに驚いていましたが、顎の力だけでへし折りました。ばきん、なんて食品にあるまじき音がします。

 そして暗かった表情が明るくなるのです。

 ごりごり音を立てて租借し、飲み込んだ彼女は緩んだ笑顔。

「これすごい! 甘いけどなんかこう、元気になる甘さ!」

 周りの感想も待たず、彼女はすぐに二口目へ。暗い環境でのそんな振舞いに、他の皆も口にし始めます。

 驚く人、困惑する人、反応はそれぞれですが、少なくとも疲労を忘れてくれています。深層の精神汚染は脳の糖分を消耗している感覚がありますので、甘い物はとても効果があるのです。

 私も自分の分を取り出して、一口。竜由来の自慢の牙を立てて、圧壊した部分から口の中に入れ、ごりごりと租借。とても濃いチョコレート味の栄養ブロック。味は良いのですが、触感を無視した保存最優先の代物。咀嚼に苦労しますが、癖になる硬さ。皆さん、意外と普通に食べてる…? ニブレットさんなんて全然余裕そう。小刻みに口を動かしてるのは完全にリスでした。

「すばらしい、こんなに保存状態の良い甘味は久しぶりですな。リュミンはどうかな。初めてではないかね?」

「うん。それにおいらはこの噛み応えが気に入ったかも」

 犬、というと何となく骨とかかじってるイメージですが、リュミンの本能的な部分で気に入ったようです。

 その硬度故に口数は少ないですが、誰もが格段に顔色がよくなってました。私自身、お菓子に分類できる甘さにご機嫌になっちゃいます。尻尾の先端がふりふりしちゃいますね。

 それに、この食品に染み込んでいる力を知っているので、余計に元気になれます。

「甘いものは脳に染みますねぇ。正直もったいなくていつ開けるか悩んでましたが、口実ができて良かったです」

「そんなに貴重なものだったのかい? 確かに、食べた事ない味ではあるのだけど」

 カイリスの問いに、いかに大げさに伝えて感謝してもらおうか言葉に悩んだのですが、結局は普通にお伝えします。

「放浪生活中に旧時代末期、リバインドやパッチで崩壊する直前の街並みを反映したパッチに遭遇したんです。致命的なアノマリーが少ないながらも、端から壊れていく世界に見切りをつけ、誰もがいなくなってしまったような妙に寂しいパッチでした。そこの避難所のような場所に積まれた木箱から見つけたんです。つまり、レアなパッチで見つけたレアな食べ物ですね! ありがたく食べるとよいです!」

 口では軽く、しかし真相はもう一段貴重な、現代の歴史学者が羨むエピソードがあります。

 木箱の山には張り紙が一枚。リバインドに巻き込まれてもなお歪まず、温かい確かな熱を持っていた手紙にこんな事が書かれていました。

『壊れ行く愛しき世界から、いずれ壊れた世界を担う新しい子らへ。決して戻れぬ旅に出る私達に代わり、僅かにでも穏やかに暮らせるよう願いを込めて。このささやかな贈り物が助けになりますように』

 箱には保存性を優先した食べ物がぎっしり詰まっていました。今の時代では望めないお菓子や、医療品も。もちろんありがたく頂きましたが、なんとそれが罠だったのです。

 物資を手にした瞬間、箱の一つの蓋がはじけ飛び、大量の封筒が避難所を飛び回り始めたのです。それらはかつての住人のメッセージで、厄介なことに全部アノマリー化しており、読めよ読めよとしつこくついて回り、手元に飛んでくる写真の場所へ行かないとバシバシと顔にぶつかってくるのです。アノマリーによる強制的な観光。実際、目的地のすべてはとても趣深く良い場所で、すばらしい体験だったのですけどね。一方で不思議な事に、あの時に読んだ手紙の内容はほとんど覚えてません。

 覚えているのは、場所をめぐる度に心が軽くなる、涙を流した後のような解放感。

 胸を締め付けられるような切なさに満ち、幻覚や幻聴が頻発した事を考えると、精神汚染がかなり進んでいたのかもしれませんね。訪れたモノの心を過去に捉えんとする厄介なパッチ。全てが悪意とは思えませんし、思いたくない自分がいるので、一応分類するなら良い思い出です。孤独の絶望に打ちのめされていた頃だったので、叶う事ならあの場所に暮らしてしまいたかった、なんて考えるくらいには救われました。

 このチョコレートバーはあの時の物資の最後の残り。食べて元気になれるのは、ある種の魔法、純粋な願いが形になっているのだと、その方がイコナさんは好みなので、そう思うことにします。

 そういえばあれはガンターに出会う前の事でしたか。でも袋についてとこの話は彼にしているはずです。私の感動が伝わってなかったか。やはり彼は所詮アノマリー。

「はーおいしかったー。姉さまありがとう! なんだか元気出てきた!」

 誰よりも早く食べ終わったアマリは、先ほどまで顔を真っ青にしていたのがウソのように元気。他の皆さんも次々と食べ終わっていき、顔色がよくなっています。

「甘い物とは不思議だな。妙に頭が軽くなったような気もする」

 カイリスも感心する納得の効果。今なら私の妄想のような提案も検討してくれるかも。

「ずっと思ってたんですけど、どうせ隣接パッチの環境を固定するなら、チョコとか甘い物が大量に取れるパッチで固定しませんか? この環境は論外として、セトルメントにおける類まれなる状況をもっと楽しみつつ有効に使うべきです。材料さえ確保できれば人造アンカーは手に入るのですから、楽観的に捉えて、いっそ状況を楽しむべき段階のはずですよ」

「それは私の一存ではできないが……確かに魅力的ではあるかな」

 語尾を小さくして、カイリスさんまじめに考えてしまいます。アマリなんて目を輝かせて脇腹をつついてました。そうしようよ、って。明るい話題はやはり心を軽くします。

 ニブレットさんも頬袋を膨らませて言います。

「確かに言われてみればその通り。何も次のリバインドでいきなり村が崩壊するわけでもないのですからな。理想の環境で固定し、村が潤えばその分我々も徳をするというもの。我々の技術はアンカーさえあれば、どのような環境でも関係ありませんからな。その点、お三方はいい案がありますかな?」

 ニブレットさんが気を利かせるように黙っている三人に話を振りますが、完全に不意打ちだった彼らは口に含んでいた分を慌てて租借し始めます。

 最初に口を開いたのはギーネさん。垂れウサギ耳の山猫です。

「恥ずかしながら、私どもは村の裏方ですから。そのような楽観的な話はあまり…」

「遠慮などいりませぬぞ? リバインドの度に外が変わってきたからこそ、あの環境はよかったという経験があるはずですからな」

 距離を詰めようとするニブレットさんに、一線を引こうとする三人。彼らは互いに顔を見合わせ、観念したように答えます。まるで、この程度なら問題ないと確認しあったような仕草でした。

「村の膜が映すような見渡す限りの草原。牛や、できる事なら羊も放ち、自由にさせてやりたいものです」

 以外にもお優しい発言に、内心びっくりです。イコナさんの敵のくせに!

「ありゃ、羊なんていたっけ?」

 リュミンの問いにはカイリスが応えてくれました。

「私が子供の頃にね。病気が流行って、全部潰してしまったと聞いた。ギーネは羊の世話を手伝っていたのだよ」

「こいつは…失礼、彼はまだその事を引きずっては、外回りで羊を探す癖がある。アノマリーの羊に近寄って襲われた事があったな」

「黙れオルヴァ」

 二人の遠慮のないやり取りは周りの景色さえよければ微笑ましい物です。黙って聞いているジルニアさんもいい味を出しており、気の知れた幼馴染って感じです。周りの景色と私に対する悪意さえなければ、もっと純粋に観察してあげられるのに。

 そもそもなんで敵意を向けられてるのか。あれか、アマリの事が本当は好きで仕方がなく、彼女の溢れんばかりの好意がいきなり現れた知的美少女に向けられているからか。私が素敵な少女であるばかりにこんなことに。しかしこれが運命。決定的な何かがわかるまでは、ご自由に泳いでいただきましょう。やり取り一つ一つに、気取られないような線引きをしている事が浮き彫りになって実に面白いですからね。いっそ一人に焦点を合わせて距離を詰めて葛藤を招き、裏切らせてみようか。

 オルヴァさんなんかは、筋肉で物事を考えていそうなタイプでよさそうですけどね。ギーネさんは話には乗るけど裏切らないタイプで、ジルニアさんは完全に参謀っぽいので、そもそも話に乗らなそう。正直苦手ですね。考えが硬そうで。

 そういうわけで、実行するかはどうかは別に、計画を立てる材料収集としてさりげなく探りを入れるのが、参謀的思考ができる知的少女。つまり私の事です。まずは信頼できる相手から情報を集めましょうか。

 ゴリゴリとチョコバーを租借しつつアマリに近寄って、小声で問いました。

「アマリ、お手洗いとか大丈夫ですか…?」

 周りはみんな男性……一名よくわかんないの居ますが、出発してからそこそこ時間がたってますので、体内に存在する貯水装置が危険信号を発してもおかしくないのです。

 生物的に対象となる臓器の大きさは女性型の方が小さくなるため、さりげない気遣いは必要。

「あ、えと、正直…」

 植物のある種類のパッチであれば乙女であろうと最悪茂みでという旅人スタイルが採用されてしまう所ですが、緑の少ない石ばかりの環境。野性的選択は避けたいですよね。

「リュミン! ちょっとお手洗い行ってきます! 護衛にはアマリを連れていきますね」

「わかったけど、おいらも行こうか? っていうか、お手洗いなんてある…?」

「あるじゃないですか。そこら中に」

 ごり、とチョコバーをかじって私が差したのは、皆さんが休んでいるすぐ後ろ。複製されたように延々と続いている建物の一つです。

『ノクタナル・マーチング・カンパニーが僕らの街を支クバするよ! みなヨウ、いまニチも楽しくサーカスをケンに行こう!』

 ドアが一斉にカチャ。白い煙のような人影が出てきて、勝手にドアが閉まります。その様子を見送って、立ち上がったアマリが私の両肩を掴んで涙目でした。

「むりむりむり! 姉さま、この中でするのは無理だよう!」

 せっかく私が恥を捨てたというのに、これでは台無しですよアマリ。そんなに嫌なんですかね。

「安心してください。構造的に小規模な集合住宅なので、適当な部屋に絶対にお手洗いがあるはずです」

「そうじゃなくて怖いの! アノマリーじゃなくても襲ってこなくても絶対何かいるってば!」

 まさに子供がお化けに怯える様相。最近私も味わいましたので気持ちはすごくわかりますけど、あの場所に比べたら百倍ましですよね。だって、あそこは絶対に何かいましたもん。

「イコナさんのうさ耳アノマリーレーダーには害をなすような反応はありません。霊的なアレを感じる尻尾のレーダーも反応なしなのでいきますよー。サイズの大きな足の多い虫の類は、我慢してください」

「それはそれで嫌! 想像させないでよ!」

 そこでようやく自分の分のチョコバーを全部口に入れ、アマリの手を引いて建物の中へ。白いドアは施錠されておらず、あっさり中に入れます。

 薄暗い室内。天井からぶら下がったシェード付きの電球は切れかけてて点滅しており、真正面には上階への階段。左右のドアは上品なブラウンの木製ドアです。でもドアノブがちょっと錆びてますね。しかし埃っぽさというのはありません。留守ではありますが、誰かが継続的に住んでいるような感じです。

「姉さま…イコナ姉さま絶対おかしいよ……すごいけど、絶対何かおかしいよぅ…」

「んー、私はようやく調子が戻ってきたというか、今ぐらいの感じが本来のイコナさんなんですよねぇ」

「ガンター、嘘だよね? 村にいる時の姉さまがいつもの姉さまだよね? 今の姉さまが嫌ってわけじゃないけど…」

『………悪いが、俺様もこっちのイコナの方が慣れた感じだ。この半端な狂気がそのうち癖になるぞ?』

「狂気とは失礼な! お気楽主義で細かい事を気にしない人が異常環境に放り込まれるとその差異が浮き彫りになって異常者に見えるだけです! 人はそれを古来より、肝が据わっていると言うのです!」

 一応、すぐ外に皆がいる左のドアを選んで思いっきり開けます。アマリが短くひぃ、なんて言うので、口元がにやけちゃいます。好きな子に意地悪したなるやつ。きゅーとあぐれっしぶって言うらしいですよ。そういう言語が存在するという事は、私の衝動はある程度認められた行動であるという事です。

 ドアを抜けた先は、一人用のリビング。黄色い古びた絨毯が斜めに敷かれて、革張りのソファーの正面に四角い厚みのある箱が壁を背においてあります。壁面には額縁が大小さまざま、黄色に白の模様が入った壁を埋め尽くさんばかりに飾ってありました。いずれも古めかしい衣装を着た人々の肖像画で、逆さまになったり傾けて飾ってあるものもあります。

 暖炉には火が入っており、少し冷えていた体に柔らかい熱を感じます。皆さんのようにちゃんとした雨具を装備していないので、思ったより体が冷えているのかもしれません。

 竜の代謝のおかげで、寒かろうと熱かろうと体温はある程度なら一定に保てるので大した問題ではないのですけどね。

「んー…キッチンは奥ですかね。このタイプだと共用ですか? バスルームぐらいはあると思うんですが」

『パッチ内で常識を求めてもしょうがないが、その奥まったところにあるぞ。驚け、トイレ風呂別だ。ちょっと薄暗いがな』

 暖炉のある壁際のすぐ隣。かなり薄暗いですが、短い廊下があり、確かにドアがありました。そのうちの一つが茶色に褪せたドライフラワーが飾ってあり、トイレですって主張してます。廊下の電灯が点滅しているのが実にいい雰囲気ですね。

「ねぇさまぁ……強がってごめんなさいぃ…普通に怖いからついてきてぇ…」

 パッチに付いてきてしまった事を後悔させてしまいました。涙目の彼女は庇護欲が掻き立てられますが、握った手が潰されかねないので意地悪はほどほどにしましょう。彼女はドラコニアン。壁をぶちぬく力をお持ちです。

「マナ理論によればお化けだの幽霊なんかは存在しません。あれらはエーテルに影響を与える魂の残響にすぎないある種の記憶のレコードですね。それにさっと入ってさっと済ませればよいのですよ」

「よくわかんないけど今お化けがいるって肯定しなかった!?」

 手を引いて室内へ。刹那、肖像画の目が一斉にこちらに向きます。

「はぁ…絵画が動く……なんてありふれたアノマリー! 個性を磨いて出直してください! 立体的になって手を伸ばすぐらいの事をしないとイコナさんは黄色い声をあげませんよ!」

「………」

 アマリは何も言いませんが、軽く手を引いてあげると歩き出し、私の背中に顔を押し付けて歩き始めました。

「あれはアノマリーあれはアノマリーあれはアノマリー」

 幽霊はダメでアノマリーが平気な理由も謎です。物によってはアノマリーの方が不可解で不気味な見た目をするんですが……襲撃してくるアノマリーは物理的に破壊できるものが多いのでそっちのほうがマシですかね。と、考えているうちに何事もなく目的地に到着。ドアを開ければ、非常に状態が良かったです。壊れてない、汚れてすらいない、紙も完備。電気もついてる。水も流れるんじゃないですかね。実にすばらしい。大きな虫の類も無し。深層パッチは建物が健全な場合もあるので、関連する設備も生きているのがいい所ですね。

「あの、姉さま。何か話しててもらってもいい…?」

「えー? ではそうですね、幽霊が存在しない理由を裏付けるマナとエーテルの話でも」

「うん…なんでもいい…」

 彼女は中へ入り、しかし鍵が掛かる感じはしませんでした。私は約束通り、つまらないお話をして自分の存在を主張し続けます。

「希少キメラ種つまり魔法を扱える幻獣のまざったキメラ種を対象に魔法を扱う燃料等を古くから魔力やマナと呼んでいて魔法に関するあれこれをまとめたお話がマナ理論といいます。マナには大きく分けて二種類あって、個人が生み出して体内にため込むマナと空気中に含まれる誰のものでもないマナに分かれ、後者をエーテルと呼んでおり」

 脳から口に垂れ流すだけの行為をしながら、いつまでもドアの前にいては気まずかろうとリビングの肖像画を見て回ります。視線がこちらに向いていますが、意思が宿っていないので私は全然気になりません。リムの視線の方が明確に意思があるように思えます。何の意思があるのかはちょっと、わからないですが、イコナさん愛してる、的な視線ですかね。リムは心配の方が強いか。

 色んな人の微笑を湛えた絵画。背景は全部同じで、赤い大きなカーテンと、木目の床。来ている服はドレスに燕尾服、古い時代のよい服装ばかり。端にあるサインを見るに、全部同じ人が書いていますね。専属の絵師が書いたのか、この部屋の持ち主が絵師なのか。あぁ、パッチでは意味のない思考ですね。

「――つまりマナは心臓近くで生み出され血流と共に運ばれていると考えられていて、魔法を使用すると貧血に似た倦怠感を覚えるのはマナがキメラ種、特に幻獣種の不条理な性質を補うつなぎの役目を果たしているからと考えられてます。実際魔法を無理やり使うと昏倒するのは生命維持のための安全装置で、無視して使用して死亡した例が存在します。またこの事からキメラを生み出す研究にはマナを自由に操作する方法が確立していたとも考えられてて、旧時代末期は魔法化学文明が急速に発達したのではという説が歴史学者の間の定説になりつつ………」

 暖炉の上。やけに鮮明な絵があると思えば、それは色褪せた写真でした。

 恰幅の良いピエロと豪華なドレスを着た女性が親し気に映ってます。よく見るとこの女性は、壁に飾られた絵画にも描かれており、他の人よりも多くあります。

 道化師。中核のテントはサーカスだと思うのですが、ようやくその要素が見れました。

 室内に見えるのは道化などいない、古めかしい上品な人達の絵。なんだかこのパッチは、二種類の要素がはっきりと別れているような気がします。

「あ」

 手元の写真をぱく、と咥えたのは、部屋のど真ん中に姿を見せていた、通常サイズのリム。彼は一口サイズのそれを飲み込んでしまい。深い闇色の体に淡い光を滲ませ、消化の旨を伝えてきます。

「…美味しかったですか?」

 四つの目は細く、気持ちよさそうにしているようにも見えます。おなかのふわふわの闇に釣られそうになりますが、響いた水の音を聞いて、リムはまた姿を隠してしまいます。

「姉さまぁ…お話途中で途切れてた! 魔法化学文明って何! そもそも人間ってどうなったの!」

 怒りの矛先が何やら知識に寄っていましたが、気が紛れていたようでよかったです。

「その手のお話は仮説の域を出ないイコナさんとニアラの主観が混じったお話なので、甘い物がたくさんある時にしましょう。それより、アマリはあの三人について何か知ってることありますか?」

 私が聞きたかったのは、この部分。自然に皆から離れた上で、忌憚のない意見を聞く為です。

「あの三人? あー、えっと、よくわかんないんだよね……いつも外回りを泊りでしてくれてるんだ。村でワーカーの仕事してる人って、地返しの時以外ほとんど外にいるみたいなの。だからなんとなく、みんな怖いイメージ………でも偏見なのかも。村のために一番危険な仕事してるんだもん。なのに他のみんなが気楽にしてるの見たら、険しい顔しちゃうのも仕方ないよ」

 思い出すのは今朝の事。村の象徴作りをお祭りのように楽しんでいる村の人達。詳細を知らせていないとはいえ、裏でこうして危険な場所に赴いてるのです。思う所はきっとあるでしょう。

 まぁ、見送りのような事はしないように頼んだのは私ですけどね。

「アマリもそんなに親しくないって感じですかね?」

「うん。正直苦手……距離を置かれてる気もするんだよね……外回りと村の仕事って、住み分けされてて壁があるんだよね。どっちも大切なのに。だから、わたしはどっちも手伝って、壁をなくせたらなって思ってたんだけど……そもそも外回りの人が今何人いるのか、わかんないし…」

 申し訳なさそうな顔をするアマリ。優しいドラコニアン。心配になるほどのお人よしです。コロニーに行くとしたら、やっていけるか心配。一人二人に嫌われたところで、私なんて何にも思いませんけどね。

「この仕事が終われば、そんな壁必要なくなりますね? 外回りは外部のワーカーに委託して、彼らのような屈強な人たちには村の警備をしてもらいましょう。そしてあなたは、私と共にまずはコロニー暮らしを始めます」

「え、あれ、それ決定なの?」

「あなたは色んな経験を積むべきであり、あの狭い村に囚われるべきではない。この壊れた世界で誰かのためにがんばる事はまさしく美徳ですが、感謝の言葉に酔って自分を蔑ろにするのはお気楽主義のイコナさんを姉と慕う以上見逃せない行為です。少しは堕落を覚えるのです」

 屈託のない笑顔ってやつを、向けてあげました。これは私の本音です。

 自分のために生きる方法を知っていれば、ひどく裏切られても、立ち直れますからね。

 しかし、結局私の知りたいことは全然わかりませんでしたね。

 あの三人については、アマリに好意を寄せている可能性は少なそうです。いや、もしかしたら恋とかそういうのでは無く、崇拝的な……そう、推し活! 彼ら三人の推しがアマリという可能性があります! それならば距離を置くのも納得。話すのも畏れ多いという事です。

 自身が崇拝する対象に馴れ馴れしいよそ者に対する敵意。私に向けられるのはソレですね。彼らの気持ちはよく理解できます。私だってリムにべたべた触れる人がいたら嫌だと思うし、空の柱の根元には実は人が住んでいて、落書きしまくってますなんて知ったら発狂しちゃいます。あれはもっとこう、リムに次ぐ神秘的なアノマリーなのです。

 古来より推しを冒涜する者は何をされても文句を言えないと聞きます。派閥の規模によっては聖戦も止む無し。私は知らぬうちに彼らの逆鱗に触れてしまったという事か。距離を詰めてきたのはアマリの方なのですけど。

 リムが反応するような過激な事をして来たら縛り上げた上で、アマリのすばらしさをぜひ語ってもらう事にしましょう。そして私は目の前でアマリと仲良くし、血涙を流してもらい、悟りを開かせてやるのです。イコナさんもまたすばらしいと。その上で彼女をコロニーに連れていく宣言をして、彼らは追いかけるようにコロニーへ。私をイコナ様と呼び、専属ワーカー兼下っ端雑用係になるのです。おぉ、すばらしき計画。完璧と言わざるを得ない。実現させるために運命を操るにはどうするのが最適かな。

「姉さま、楽しそうなのはなんで? そろそろ外でない? ここ視線が怖いよぅ…」

「あ、先出ててください。私も済ませるもの済ませてきます」

「わたし一人でここにいるの無理だよ!? あ、そっか、外! 外行ってるね!」

 アマリは飛び出すように外へ。絵画の視線が再度私に向き、なんだか異常者でも見るような視線に思えてしまいます。これらに意思なんて無いはずなんですけど。

 この後は各自お手洗いを済まし、甘味効果もあって無事に歩みを再開。なんとか夜までには目的地に着く事ができそうでした。


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