魔術師の交渉
外は夕焼けから少し日が落ちて、暗くなってきていた。
中庭の白い噴水を挟んで向こう側にマトさんは立っている。
倒れているアリスさんを気にかけながら、その様子を伺っていた。
その場には依然として緊張感が漂っていた。
「交渉しましょう。望みは何かしら?」
「望みって…」
「なんでもいいわ。富も名誉も名声も。なんだってあげる。そこから交渉を…」
「いや、ちょっと待ってください。まずなんで俺を襲ってきたんですか?」
念のため、途中まで詠唱が進んでいた水球をそばに浮かせ、聞く。
マトさんの表情は分からない。
日はほぼ落ちきり、辺りはすっかり暗くなっている。
中庭の道の両端に少し置いてある暗い魔法灯が、足元を静かに照らしていた。
「そんなことあんたには関係ないわ……と言いたいけど、気になるでしょうし、変に探られるのも怖いからね」
そう言って、マトさんは話し始めた。
「あたしは魔法でアリスの勇者と冒険した時の記憶を消し続けているの」
「だからアリスに勇者の話をされちゃ困るのよ。それをきっかけに記憶を取り戻さないとも限らない…」
「記憶を大きく変えるような魔法は禁術のはず。なぜそこまでして…」
禁術は、使うことを取り締まられているような魔法…カルツは自分に言うということの意味を測りかねていた。
その問いにマトさんは一瞬悩むそぶりを見せる。
だがすぐに答えた。
「一番は戦場に赴かせないこと」
「戦場なんて、行ったことはないって…」
弟子入りの話をした時に、アリスさん自身が言っていたはずだ。
「その記憶を思い出せないようにしたの。あたしの魔法でね」
マトさんが俯く。
「どうしても…頼まれたらアリスは本当にどこにでも行ってしまう。でも戦場に行くたびにアリスの傷はどんどん増えていく。…だから、記憶を消すぐらいしなくちゃアリスを守れないのよ」
語気は落ち着いているが、言葉にできないような迫力を感じる。
その様子を見ながら、ふとカルツは自分の目的を思い出していた。回復士の技術を学ぶことという表向きの理由とは違う、もう一つの理由…
「でも、俺には……俺にもここで引き下がる訳にはいかない理由があるんです」
「そうだろうと思ったわ。…あたしだって全力をかけてアリスの情報が外に出ないようにしてきた。その上であんたは来たわけだからね」
そう言ってマトさんは自らの髪に手を当てる。
マトさんの黄色か茶色に近かった髪の色が、目の色が、だんだんと赤い色へ変わっていく。
英雄たちを讃えるための凱旋で、誰もが目にしたことがある炎の魔術師の家系の赤。
「だから、あたしが、勇者の魔術師フィンフラム・マトナがあんたの問題の力になるわ」
「えっ!?」
驚いたのは、正体が分かった驚きもあるが、まさか勇者パーティの一員だとは思っていなかったからだ。
フィンフラム。炎が得意な家系で、結界についての知識も豊富…だが、その強さ故にほとんどが生まれた時から王族に召し抱えられていて、王都から出てくることはない。
唯一の例外、かつての勇者パーティの魔術師を除いて。
そんなこともあり、対峙している時も自然と正体から除外していた。
「アリスのことはだいぶ調べているのに、私のことは知らなかったのね」
驚いた俺を見て、マトさん…マトナさんは少し笑みを浮かべ言った。
「あたしの力を使う代わりに、アリスには勇者のことを話さないでちょうだい。どう?不足はないでしょう?」
最終的に、俺はマトナさんからの交渉を受け入れることにしたのであった。
結局この時マトさんが正体を明かし、禁術のことを伝えてまで俺を引き入れた理由は、最後まで分かることはなかった。だが、この時から俺は目的に大きく近づいていくことになる。




