【第87話】絶望の暴風 ―― 第一針の打ち込み
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
ズガァァァァァァァンッ!!!!
漆黒の虚無の縁に、ルカの放った第二の鉄杭(第一針に続く結び目)が、空間の断面を力ずくで引き寄せながら叩き込まれた。 赤黒く崩壊しかけていた世界の亀裂が、巨針のノイズ回路から流れ込むルカの血と魔力によって、ジジジッ……と強引に縫い合わされ、固定される。
「……ハァッ……、ハァッ……! ふ、た針、め……ッ」
ルカは、岩盤に突き立てた『鉄屑の巨針』の柄にしがみつき、口からドバッとどす黒い血を吐き出した。 吐き出した血は、地面に落ちることはない。
霊峰の山頂の縁に立った彼女たちを襲っているのは、もはや上向きのマイナスGなどではなかった。
目の前の巨大な『黒い太陽』の中心へ向かって、すべてを水平に引きずり込もうとする、暴風のような強烈な『横向きの引力』。 ルカの吐いた血も、剥がれた岩の欠片も、強烈な磁石に吸い寄せられる砂鉄のように、横殴りの軌道を描いて暗黒の底へと吸い込まれていく。
第一針、そして第二針。 不完全な鉄の針と、泥臭い蒸気の力による「空間の縫合」は、間違いなく機能していた。
だが、裂けた世界を縫い合わせるという行為には、巨大なゴムを限界まで引き伸ばして繋ぐような、恐ろしい『反発力』が伴う。 もしその反発力を正面からまともに受け止めれば、いかに鋼鉄の外骨格を纏っていようと、中身のルカの肉体はミンチになって弾け飛んでしまう。
だからこそ、ルカは「耐える」のではなく、「逃がす」ことに全神経を集中させていた。 そしてそれを可能にするのは、彼女に課せられた最大の枷である『〇・五秒の遅延』を逆手に取った、狂気的なまでの先読みの技術であった。
(……来るわ。空間の反発……!)
ルカの職人としての研ぎ澄まされた直感と計算式が、空間が弾けようとするベクトルとタイミングをコンマ単位で正確に読み取る。 針が空間の縁に打ち込まれ、数千万トンの反発力が巨針を伝ってルカの右腕へ逆流してくる――その『〇・五秒前』。
巨針が空間を固定するよりわずかに早く、ルカはすでに、左手の指を弾くように動かしていた。
カチャッ。 それは、外骨格の歯車の『クラッチ(動力伝達)』を一気に切断し、蒸気を逆噴射させるためのトリガー。
完全なる〇・五秒の遅延。 そのラグの間に針が空間を貫き、直後、数千万トンの反発力がルカの肉体を粉砕しようと右腕を遡ってきた、まさにその激突の瞬間。
ガコンッ!!! プシュゴォォォォォォォォォッ!!!!
〇・五秒前に予約されていた命令が実行され、装具のクラッチが弾けるように外れた。 それと同時に、背中のボイラーから右肩のシリンダーへ向かっていた超高圧の蒸気が、後方の排気弁から意図的な『大爆発』を起こして噴出する。
クラッチを切られてブラブラになった右腕のフレームが、反発力に弾かれてルカの身体ごと後ろへ大きく跳ね飛ばされる。 しかし、後方へ向かって猛烈に噴出した蒸気の推進力が『逆噴射のクッション』となり、ルカの身体が宙でバラバラになるのを防いだ。
ズザザザザザザッ!!!
ルカは、アイゼンを履いた両足と、巨針の先端を岩盤に深く食い込ませ、それを「ブレーキ(巨大なすき)」の代わりにして、カルデラの縁を数十メートルも後退しながら、強引に衝撃のエネルギーを削り殺した。
「……あ、がぁっ……!」
〇・五秒のラグという致命的な弱点を、「生存のためのカウントダウン」として完璧に組み込んだ超高難度の受け流し。 だが、それでも殺しきれなかった余波だけで、装具のハーネスがルカの胸を締め上げ、肋骨がミシミシと悲鳴を上げる。
「……三針目……! いくわよ……!」
ルカは再び巨針を構え、カルデラの縁へと歩みを進める。 だが、黒い太陽もただ縫い合わされるのを待っているわけではなかった。穴が小さくなるにつれて、内部の引力と空間の抵抗は、指数関数的に乱高下していく。
(……空間の抵抗値を計算。針の到達まで一・二秒。……ならば、〇・七秒後にクラッチを切る……!)
ルカは脳内で凄まじい速度で演算をこなし、巨針を振り下ろしながら、絶妙なタイミングで左手のトリガーを引いた。
カチャッ。 あとは、〇・五秒後に衝撃が来て、同時にクラッチが外れるはずだった。
だが、その時。
(……!? 引力のベクトルが、変わっ――)
ルカの予測計算を裏切り、黒い太陽からの水平引力が突如として上向きに暴れ狂い、振り下ろそうとした巨針の軌道が、空間ごと暴力的に引っ張られたのだ。 針を打ち込むタイミングが、わずか〇・二秒だけ「早く」なってしまった。
ズガァァァァァァァンッ!!!!
第三の結び目が、予定よりも早く空間の縁に叩き込まれる。
「しまっ――」
〇・五秒前に引いておいたクラッチ切断の命令は、まだ実行されていない。 逃げ場のない数千万トンの反発力が、クラッチがガッチリと繋がったままの外骨格を、そしてルカの身体を、真正面から直撃した。
ガキンッ!! バツンッ!! ギギャァァァァッ!!!
「……っ!?」 ルカの耳に、極めて致命的な、金属の破断音が響いた――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




