表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
85/91

【第85話】黒い太陽と、丸腰の職人

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

穴のふちでは、引き剥がされた空間の断面が、まるでノイズの走る劣悪な魔力映像のように、赤や紫に毒々しく明滅しては、チリチリと崩壊し続けていた。

マイナスGだの、プラス2Gだのといった、麓での重力異常など可愛いものだ。 この奈落のふちに満ちているのは、一切の例外を許さない、絶対的な「中心への引力」。 万物を無に還そうとする、宇宙のバグそのものであった。

「クゥゥゥン……ッ」

スリングの中のノアが、その生物としての根源的な恐怖に耐えきれず、ルカの胸に顔を埋めて震え上がった。 無理もない。王宮の歴戦の騎士であろうと、高位の魔道具師であろうと、この規格外の虚無を前にすれば、己の矮小さに絶望し、発狂して自らその穴へと身を投げてしまうだろう。

それほどまでに、この黒い太陽は、人間が認識していいスケールを逸脱していた。 直径数キロの空間の裂け目を、たった一本の針で縫い合わせる。 それは、アリが一匹で、干上がった巨大な峡谷を縫い合わせようとするような、あまりにも無謀で、滑稽な試みだ。

しかし。

その絶対的な虚無を真っ直ぐに見据えるルカの、ノアと同じ深く澄み切った青い瞳に。 『恐怖』や『絶望』の色は、微塵も浮かんでいなかった。

「……なんだ。ただの、馬鹿でかくて不格好な『綻び(穴)』じゃない」

ルカの泥だらけの唇から紡がれたのは、神の怒りに怯えるような祈りの言葉ではなく。 仕事場に持ち込まれた、厄介な修理品を検分するような、極めて冷静で、静かなる『職人の声』であった。

彼女は、生身の左手で、自身の右肩に食い込む分厚い牛革のハーネスをギュッと握り直した。 全身の骨は軋み、肉は裂け、ボイラーの熱と極寒の冷気によって感覚はとうに麻痺しかけている。 だが、その限界を超えた『痛み』と、右腕の機械がもたらす『重さ』のすべてが、ルカに「自分はまだここに存在している」という強烈な現実感を与え続けていた。

完璧な神様になろうとしていた頃のルカであれば、この巨大な虚無を前にして、己の計算式が通用しないことに絶望し、崩れ落ちていただろう。 だが今の彼女は、己が一人では何もできない、ただの不完全な『継ぎ接ぎ屋』であることを、心の底から理解し、受け入れている。

一人でこの穴を塞ぐのではない。 父の狂気と後悔が込められた針の芯。ガリィが叩き込んだ泥臭い鉄クズ。エイル村の人々が自らの手で縄を引いた生への執念。そして、胸元で鼓動を打つ、小さな家族の温かい熱。

そのすべての『ノイズ』が、今、ルカのこの不格好な装具とともに、彼女の命を大地の縁にガッチリと繋ぎ止めているのだ。

「……私の針なら、届くわ。この世界の、端と端に」

ルカは、左手の五本の指にはめられたトリガーを、ゆっくりと、しかし確かな力強さで握り込んだ。

カチャッ。 〇・五秒の、泥臭い遅延ラグ

シュゴォォォォォォォォォォォォッ!!!!

音すらも飲み込まれる静寂のカルデラに、反逆の狼煙のろしのような高圧蒸気の咆哮が轟いた。

右腕のメインシリンダーが、凍りついた血と氷を吹き飛ばしながら、極限の張力で唸りを上げる。 ギャリギャリギャリッ!と暴力的な歯車の噛み合う音が、虚無の引力に真っ向から抗い、死に体であるルカの右腕を、岩盤ごと『鉄屑の巨針』を強引に引き抜いて天へと振りかぶらせた。

ズンッ……!!

漆黒の虚無を背景にして、ルカの頭上に、禍々しくも頼もしい鉄の巨針が掲げられる。

「少し、手荒い手術になるわよ」

ルカの青い瞳の奥で、決して消えることのない、静かで、しかし世界で最も熱い闘志の炎が燃え上がった。 絶望のスケールがどれほど巨大であろうと、関係ない。 穴が開いているのなら、不格好に、泥臭く、何度血を吐いてでも縫い合わせるだけだ。

「行くわよ、ノア。お父様、ガリィ。……みんな!」

世界最大の虚無のふちに立つ、世界で最も不格好な少女。 彼女は、左手のトリガーに全神経を集中させ、絶対的な絶望の口を塞ぐための、最初のひと針を打ち込むべく、その身を奈落の引力の中へと投げ出したのである。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ