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ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


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【第84話】再起動と、継ぎ接ぎの絆

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

「あ……あぁ……っ」

ルカの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。 神経が死滅しているルカの右腕には、ノアの体温は一ミクロンも伝わってこない。

しかし、彼女の『心』には、その小さな獣の、火傷しそうなほどの熱く深い愛情が、痛いほどに流れ込んできていた。

パキッ……、ピキピキピキッ……!!

ノアの放つ獣の熱と血が、シリンダーの表面を覆っていた青氷に亀裂を入れる。 熱がパイプの内部に伝わり、凍りついていた蒸気が、再び高圧の気体となって暴れ始めた。

「……ッ!! 行くわよ、ノア!!」

ルカは、涙を拭うこともせず、血に染まった左手の指で、トリガーを全力で引き絞った。

カチャッ。 完全なる〇・五秒の遅延。

シュゴォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!!

ノアの熱によって氷の呪縛から解き放たれたメインシリンダーが、これまでで最も巨大な蒸気の咆哮を上げ、限界を超えた張力で一気に収縮した。

ギャリギャリギャリッ!!!

残っていた氷を物理的に粉砕しながら、巨大な歯車が力強く回転を再開する。

ズガァァァァァンッ!!!!!

ルカの右腕が、大地の岩盤から『鉄屑の巨針』を強引に引き抜き、そのままの勢いで猛吹雪の斜面上方へと振り上げられ、次なる岩盤へと深々と、爆発的な威力で突き刺さった。

「やった……! 動いたわ、ノア!!」

ルカは、再び大地にしがみつくことに成功すると同時に、凍りついた鉄の上でガクガクと震えているノアを、生身の左手で素早く抱き寄せ、再び外套の下の温かいスリングの中へと押し込んだ。

「クゥン……」 ノアは、肉球から血を流し、全身を氷のように冷たくしながらも、ルカの胸元で安心したように小さく鼻を鳴らした。

「馬鹿な子……。あんたが死んじゃったら、私が何のためにこんな重たい鉄を引きずってるか、分からなくなるじゃない……!」

ルカは、震える声で叱りながら、スリング越しに自身の心臓の熱をノアに伝えるように、左手で彼を強く抱きしめた。

完璧な魔法の時代、人間は獣をただの「使い魔」や「便利な道具」としてしか見ていなかった。 だが、今ここにあるのは、主従の関係ではない。

神経の死んだ不完全な人間の少女と、大自然の猛威の前ではあまりにも小さな獣。 それぞれが致命的な欠落と弱さを抱えながら、相手の痛みを自分の痛みとして受け入れ、互いの命を削り合い、泥臭く熱を分け合うことで、絶望の底から這い上がろうとしている。

(……この装具は、もうただの機械じゃないわ)

ルカは、ノアの血と熱がこびりついた右腕のシリンダーを見つめた。 父の狂気と後悔、ガリィの不純物だらけの意地、自身の裂ける肉の痛み、そして、小さな家族が命を懸けて注ぎ込んでくれた獣の熱。

そのすべてが、この不格好で重苦しい鉄の塊の中で、完全に一つの命として『継ぎ接ぎ』されていた。

「ありがとう、ノア。……あなたがいれば、この腕は絶対に凍りつかないわ」

ルカの瞳に、ノアと同じ、野生の力強さと研ぎ澄まされた熱量が宿る。 猛吹雪の向こう側、狂った重力の乱気流の果てに、いよいよ世界を飲み込む元凶――『黒い太陽』の漆黒の輪郭が、その圧倒的な絶望の姿を現し始めていた。

「さあ、行くわよ。……私たちの熱で、あの馬鹿でかい空の穴を、縫い潰しに!!」

ビリビリビリッ!! 巨針が、次なる重力異常を警告する。 ルカは、左手のトリガーを操作し、ノアの熱を宿した鉄の右腕を高く振り上げた。

〇・五秒のラグ、蒸気の爆音、軋む歯車、そして生きた肉が裂ける激痛。 そのすべてのノイズを命の賛歌として鳴り響かせながら、継ぎ接ぎ屋と小さな銀色の獣は、大自然の理不尽な暴力に真正面から抗い、スノー・ホワイトの頂を目指して、最後の地獄の斜面へと這い上がっていくのであった。

* * *

どれだけの時間、その絶望の壁に張り付いていたのだろうか。 狂い狂う重力の乱気流に弄ばれ、絶対零度の冷気に生きた細胞を焼かれながら。

ルカは、〇・五秒の遅延ラグと激痛に耐え、右腕の外骨格エグゾスケルトンを軋ませて、泥臭く這い上がり続けた。

そして。 突如として、ルカの視界から「登るべき絶壁」が消失した。

同時に、鼓膜を破らんばかりに吹き荒れていた猛吹雪の咆哮が、まるで巨大な刃物で空間ごと切り取られたかのように、ピタリと止んだのである。

「……ハァッ……、ハァッ……」

ルカは、岩盤に突き立てていた『鉄屑の巨針スクラップ・ニードル』を支えにして、重い足取りで最後の斜面を踏み越え、平坦な岩肌の上に力なく膝をついた。

風がないのではない。 『音』という物理現象そのものが、前方にある巨大な何かによって、発生した端から根こそぎ吸い込まれ、消滅しているのだ。 ルカの背中で燃え盛るボイラーの轟音も、右腕のシリンダーが吐き出す蒸気の音も、ここではひどくくぐもって、遠くの出来事のように聞こえる。

「……着いたわ、ノア。……ここが、霊峰の頂上カルデラよ」

ルカは、胸元のスリングの中で震える小さな銀色の獣を、生身の左手でそっと抱きしめながら、ゆっくりと顔を上げた。

そこには、言葉を失うほどの、あまりにも巨大な『終焉』が広がっていた。 かつて、大陸の屋根と呼ばれ、すり鉢状の巨大なカルデラ湖を抱いていたはずの霊峰の山頂。 だが今、ルカの目の前には、大地も、湖も、そして空すらも存在しなかった。

直径数キロメートル。 人間の視界には到底収まりきらないほどの、途方もないスケールの『漆黒の穴』。

それが、大陸の半分を絶望に陥れた元凶、『黒い太陽』の正体であった。 太陽などという、熱や光を放つ存在ではない。光も、音も、大気も、時間さえもが、その絶対的な暗黒の底へと向かって、静かに、そして暴力的な速度で滑り落ちていく。

その絶望のふちで、ルカは「最後の戦い」に身を投じようとしていた――。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

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