【第81話】職人の産声と、熱の伝鎖
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
シュゴォォォォォォォォォッ!!!
再び、凄まじい蒸気の爆発音が鳴り響いた。 ルカが、自身の左手の指先で、五つの極細のワイヤーケーブルを同時に引き絞ったのだ。
完全なる、〇・五秒の物理的な遅延。 その直後、ルカの右腕の肩と肘に固定された巨大なシリンダーが、極限の張力をもって一気に収縮した。
ギガリッ、ギャリギャリギャリッ!!!
「ガァァァァッ……!!」
ルカの喉から、苦悶の絶叫が迸った。
重さ数十キロの『鉄屑の巨針』を握りしめた死んだ右腕を、外骨格の暴力的な力で強引に持ち上げる。 その凄まじい物理的牽引力が、ルカの右肩の付け根の生きた肉に数トン単位の負荷となってダイレクトにのしかかる。
装具の革ベルトが肉に深く食い込み、右肩の傷口から新鮮な赤い血がドクドクと噴き出し、ボイラーの熱で瞬時に蒸発して生臭い煙を上げた。 ルカは、その激痛に視界を真っ白に明滅させながらも、大地の石畳に向かって、持ち上げた右腕を全力で振り下ろした。
ズゴォォォォォォォォンッ!!!!!
禍々しい鉄屑の巨針が、分厚い岩盤の石畳を粉々に砕き割り、深々と、絶対に抜けない『巨大な杭』として大地に突き刺さった。 そして、針を刺して自らの体を強固なアンカー(錨)として固定したルカは、生身の左手を猛然と伸ばし、空へ吸い込まれかけていた子供の縄を、母親の手ごとガシッと力強く掴み取ったのだ。
「……っ!! 引かせる……ものですか……っ!!」
ルカの左腕の筋肉が、引きちぎれんばかりに隆起する。 空へ落ちようとするマイナス一Gの暴力的な引力と、大地の岩盤に突き刺さった鉄の巨針。
その二つの途方もない力に挟まれ、ルカの華奢な肉体は、文字通り引き裂かれるような凄絶な重圧に晒された。 ボイラーから悲鳴のような高周波の蒸気音が上がり、ルカの口の端から、ツーッと真っ赤な血がこぼれ落ちる。
「……あ……」
石を投げていた男たちの手が、ピタリと止まった。 無気力に沈んでいた者たちの虚ろな目が、大きく見開かれた。
彼らの目の前にいるのは、鉄の悪魔でも、化け物でもなかった。
革のベルトが食い込む肩から。歯を食いしばる口元から。 流れ出しているのは、自分たちと全く同じ、温かく、そして痛々しい『人間の赤い血』だった。
たった一人の見ず知らずの子供を助けるために、自身の体が引き裂かれるような激痛に耐え、血を流し、鉄の拷問器具のような機械を軋ませて足掻いている、一人の小さな少女。
「……まさ、か……」
村長が、フードの奥から覗く、その、銀色の獣と同じ、深く澄み切った青い目の色をした少女を見て、震える声で呟いた。
「白銀の、魔女様……? なぜ、あんな、泥だらけの痛々しい姿で……」
「……私、は」
ルカは、子供の縄を絶対に離さないまま、激痛で顔を歪め、脂汗にまみれた顔を村人たちへ向けた。
「私は、あなたたちが噂しているような、美しくて完璧な魔女なんかじゃないわ!!」
ルカの血を吐くような叫びが、無音の暴風を切り裂いて村人たちの鼓膜を震わせた。
「見ての通り、私には奇跡の魔法なんて使えない! 右腕の神経は死んでるし、持っているのは鉄クズを打ち直しただけの不格好な針よ! ……だから、完璧には直せないかもしれない! 空間を縫う時の反動で、この村の家が吹き飛んだり、もっと痛い思いをするかもしれない!!」
ルカのその残酷なまでの現実の宣告に、村人たちは息を呑んだ。 しかし、ルカの言葉はそこで終わりではなかった。
彼女は、血の滲む唇を歪め、痛みに顔をしかめながらも、その泥だらけの顔に、底抜けに明るく、そして圧倒的に逞しい『不敵な笑み』を浮かべてみせたのだ。
「……でも! 私は絶対に、誰一人として見捨てない!! 私の骨が砕けても、肉が裂けても、絶対にこの重たい針から手を離さない!! だから……あなたたちも、絶望して空に落ちるのを待つのはやめなさい!! 自分たちの手で、自分たちの命を泥臭く繋ぎ止めなさい!!」
その言葉は、冷たい絶望の海に沈んでいた村人たちの心に、直接火打ち石を叩きつけるような、凄まじい熱量を持った物理的な衝撃であった。
「神様気取りで空に向かって祈るのは、もうやめなさい! 縄が千切れそうなら、五人で引っ張りなさい! 寒くて死にそうなら、化け物だと石を投げる前に、互いの体を抱きしめて温め合いなさい!! 完璧な奇跡なんか待たないで、這いつくばってでも生きて、明日へ進むための『継ぎ接ぎ』を、自分たちの手でするのよ!!」
ルカの左腕の力と、大地に刺さった巨針の重みによって、宙吊りになっていた子供が、ゆっくりと、確実に、大地の母親の腕の中へと引き戻されていく。
沈黙。 上空へと逆流していく雪の中、エイル村の広場は、凄まじい熱波に打たれたように静まり返っていた。
彼らは気付いた。 目の前にいる少女は、自分たちと同じように血を流し、痛みに耐え、死に体の腕を拷問器具のような機械で強引に動かしてまで、この世界の絶望に立ち向かおうとしているのだと。
少女が自らの肉を裂いてまで足掻いているというのに。大の大人である自分たちが、ただ死を待って怯え、いがみ合っているだけでいいはずがない。
「……そうだ」
先ほどまで石を投げていた男が、泥水の中に膝をつき、震える手で、千切れかけていた教会の柱のロープを力強く握り直した。
「……化け物じゃない。あの嬢ちゃんは、俺たちのために、あんな痛々しい機械を背負って……自分の血を流してくれてるんだ」
「私たちも、手伝うんだ! 屋根が吹き飛びそうな家に、新しいロープを括り付けるんだ!」 「子供たちを地下室に運べ! 絶対に諦めるな! 嬢ちゃんが、あの空と戦ってくれるなら、俺たち自身で命を繋ぐんだ!!」
冷たく凍りついていた村人たちの瞳に。 恐怖や無気力、排斥の濁りとは全く違う、生きるための強烈な熱が、次々と、連鎖反応を起こすように燃え上がり始めた。
彼らは、互いを縛っていた縄を解き、強烈な上向きの引力に必死に抗いながら、石畳に這いつくばって動き出した。 吹き飛びそうな屋根にロープを投げ、さっきまでいがみ合っていた者同士が肩を並べて必死に引っ張る。動けなくなった老人を背負い、風を避けられる地下へと泥だらけになって運んでいく。
そこにはもう、完璧な神の奇跡にすがりつく弱い羊の群れはいなかった。 ルカの流した血と痛みのノイズが、彼らの心に「共に足掻き、生き抜く」という、人間本来の最も泥臭く、美しい連帯の希望を完全に着火させたのだ。
「……フフッ。いい顔になったじゃない」
ルカは、命の火を取り戻した村人たちの姿を見下ろした。 だが、安心している暇はない。
彼女が視線を向けた先には、世界樹の地脈の崩壊を招いている「真の地獄」が待ち受けていた―― Lights Out。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




