表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
80/91

【第80話】エイル村の惨状と、分裂する祈り

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

北の最果てへ向かう道程は、文字通り、ルカの生きた肉体と精神を削り落としていくような凄絶な地獄の行軍であった。 アイアン・ヘイヴンを出発してから数日。

北上するにつれて、秋の冷たい雨は容赦のない吹雪へと変わり、大地の気温は氷点下を大きく割り込んでいった。 一歩、また一歩と雪を踏み締めるたびに。 総重量四十キロを超える外骨格装具エグゾスケルトンの分厚い牛革ハーネスが、ルカの肩と胸の生きた肉にギリギリと深く食い込んでいく。

背中に背負った超高圧ボイラーは、凍てつく猛吹雪の中でルカの体温を奪われまいと猛烈な熱を放ち続けている。 だが、その熱と外気の極端な温度差によって、鉄のフレームの表面には絶えず霜が張り付き、関節の歯車は凍りつかないように常にけたたましい摩擦音を上げ続けていた。

「ハァッ……、ハァッ……、くっ……」

感覚の死んだ右腕そのものは冷たさも重さも感じない。 しかし、それを外側から装具ごと支えている右肩の付け根と背骨は、常に数十キロの『鉄屑の巨針スクラップ・ニードル』の質量に真下へと引っ張られ、今にも悲鳴を上げて砕け散りそうだった。

「クゥゥン……」

隣を歩く銀狼のノアが、ルカの歩みが鈍るたびに、自身の巨大で温かい身体を彼女の左半身にピタリと擦り寄せ、強風の壁となってその小さな体を守り続けていた。

(……痛い。重い。……でも、これこそが、私が生きている質量よ)

ルカは、凍りついた前髪の隙間から、遥か前方の空を見上げた。 そこには、大自然の猛威などという生易しい言葉では到底表現できない、宇宙のバグとも呼ぶべき『絶対的な絶望』が、その巨大な暗黒の口を広げていた。

大陸の屋根、霊峰スノー・ホワイト。 かつては純白の万年雪を戴き、神々しいまでの美しさを誇っていたその巨大な霊峰の頂は、今はもう存在しない。

山頂の空間そのものが、直径数キロメートルに及ぶすり鉢状の『漆黒の穴』に抉り取られ、周囲の光も、音も、そして空間の概念すらも、その底なしのブラックホールへと暴力的な速度で吸い込まれ続けているのだ。

ルカとノアが、その霊峰の麓に位置する鉱山村『エイル』へと辿り着いた時。 村を包み込んでいたのは、猛吹雪の音ではなく、すべてを飲み込む虚無が放つ、耳鳴りのような「無音の暴風」であった。

「……嘘、でしょ」

ルカは、エイル村の惨状を前にして、思わず足を止め、荒い息を呑んだ。 村の光景は、狂っていた。完全に、物理法則が崩壊していた。

空から降ってくるはずの白い雪が。大地に積もっていたはずの分厚い雪の層が。 まるで重力が完全に反転してしまったかのように、地表から剥がれ落ち、フワフワと、あるいは猛烈な速度へと加速しながら、真っ逆さまに『空へ向かって落ちていく』のである。

雪だけではない。 村の家々の木組みの屋根がミシミシと悲鳴を上げてひしげ、巨大な木材が次々と空へ吸い上げられていく。 荷馬車が浮き上がり、岩が転がり上がり、それらすべての物質が、上空の黒い太陽に触れた瞬間に、音もなくノイズとなって「消去デリート」されていた。

マイナス一Gにも達しようかという、狂った上向きの引力異常。

村の広場の中央。 かろうじて岩盤に深く根を下ろしている石造りの古い教会跡の壁際に、数百人のエイル村の村人たちが、互いの身体や柱を太い麻縄で縛り付け、恐怖と絶望に顔を歪めて身を寄せ合っていた。

そこへ。

プシュゴォォォォォォォォォッ!!!

凍てつく無音の絶望を暴力的に切り裂いて。 突然、凄まじい高圧蒸気の噴出音と、分厚い鋼鉄の歯車が噛み合うギャリギャリギャリッ!という極めて耳障りな「機械のノイズ」が、広場の入り口に鳴り響いた。

「ひぃっ!?」 「な、なんだ!? あ、悪魔だ!!」

絶望に沈んでいた村人たちが、一斉に恐怖に顔を引き攣らせてその音の方角を見た。 そこに立っていたのは、噂に聞く「神々しく美しい白銀の魔女」などでは絶対にない。

全身を真っ黒な鋼鉄の装甲と分厚い革のベルトでガチガチに拘束され、背中の巨大な真鍮のボイラーから、轟々と猛烈な炎の熱気と白い蒸気を撒き散らしている異形のシルエット。 右腕には、禍々しく黒光りする『巨大な鉄の杭』が固定され、隣には血と泥にまみれて牙を剥く巨大な銀狼。

「鉄の化け物だ! 黒い太陽が、俺たちを喰い殺すために寄越したんだ!!」

教会の柱に縛り付けられていた数人の男たちが、半狂乱になって叫び、足元にあった石の欠片をルカに向かって力任せに投げつけた。

ガンッ! という鈍い音とともに、石がルカの胸の装甲を叩く。

「あっちへ行け! 出て行け化け物!!」

敵意と恐怖の叫びが、広場にこだまする。 一方で、その騒ぎにすら反応を示さない者たちもいた。

「……もういいじゃないか。化け物でも何でも。どうせ俺たちは、あの空に吸い込まれて消えるんだ……」

壁際にうずくまる老婆や、虚ろな目をした男たちは、完全に生への執念を失い、冷たい諦観の泥沼に首まで浸かっていた。 排斥しようとする狂気的な敵意と、死を受け入れた絶対的な無気力。

限界を超えた極限状態が、人間から理性を奪い、醜悪な分裂を引き起こしている。 だが、その混沌とした広場の中で、ただ一人。

「誰か!! お願い、誰でもいい、悪魔でもいいから助けて!!」

広場の端で、一人の若い母親が、泣き叫びながら血だらけの手で一本の麻縄を必死に引っ張っていた。 彼女の視線の先――狂った引力によって、教会の屋根の一部が引き剥がされ、空へと浮き上がりかけている。

そして、その崩れゆく屋根のはりに、逃げ遅れた五歳ほどの小さな男の子が、縄を体に巻きつけたまま宙吊りになり、上空の黒い太陽へ向かって『落ちて』いこうとしていたのだ。

母親の細い腕力では、マイナス一Gの強烈な引力で空へ引きずり上げられる子供の体重と屋根の残骸を支えきれるはずがない。 縄を持つ手からズルズルと摩擦で血が噴き出し、今にも彼女の体ごと空へ持っていかれそうになっていた。

「あぁっ……! 手が……! 誰か、化け物でもいいからぁっ!!」

敵意を向ける男たちも、無気力な者たちも、恐怖で身がすくんで動けない。 子供の体が、あと数秒で完全に大地の縁から引き剥がされようとした、その瞬間――。

ルカの左手の指先が、五つの極細のワイヤーケーブルを一気に引き絞った。 過酷な激痛を伴う「鋼鉄の外骨格」が、轟音とともに今、始動する。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ