【第75話】外骨格 ―― 死に体を動かす鉄の枷
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
機巧都市アイアン・ヘイヴンの裏路地に佇むガリィの工房は、それから三日三晩、巨大な炉の火が一度も落とされることなく、真っ赤な熱気と濃密な鉄錆の匂いに包まれ続けていた。
外の路地では冷たい秋雨が降り続いているというのに、工房の内部はまるで火山の火口にいるかのような灼熱地獄であった。 壁という壁に結露した水滴が、炉から吹き付ける熱風によって瞬時に蒸発し、視界を白く歪ませる。
その息の詰まるような空間の中央に広げられた、油汚れと焦げ跡だらけの巨大な木製製図板。 今、その上で、かつての王宮の天才魔道具師アルベルトと、路地裏で生き抜いてきた無骨な義肢職人ガリィが、互いの額をぶつけ合わせんばかりの距離で怒鳴り合いながら、前代未聞の「設計図」を書き殴っていた。
「だから何度も言っているだろう、ガリィ! 神経が完全に死滅したこの子の右腕に、生体電流を拾う『義手』の概念は一切通用しない! 腕を肩から切り落として完全な機械に換装するような大手術を行っている時間も、それに耐えうる体力も、今のルカには残されていないんだぞ!」
アルベルトが、製図板の上に展開した三次元の魔力ホログラムを、血走った目で指差して叫ぶ。 彼の声は連日の徹夜と煙の吸いすぎで完全に嗄れていたが、その瞳に宿る執念は尋常ではなかった。
「今、私たちに必要なのは、腕の代わりではない! 死んだ右腕の『外側』に、分厚い鋼鉄の骨組み(フレーム)を被せ、背中に背負わせた超高圧ボイラーの蒸気とワイヤーの物理的な力で、『外から強引に肉体を引っ張り回す』ための装具だ!」
「分かってんだよ、そんなこたぁ百も承知だ!」
ガリィは、油まみれの太い指で、アルベルトの繊細なホログラムの数式の上に、石筆で乱暴な修正線を太々と引き直した。
「だがな、アルベルト! お前の書いた設計だと、シリンダーの牽引力が強すぎるんだ! 生きた筋肉の収縮によるクッションが全くねえ『死に体』なんだぞ!? それをワイヤーで外から強引に持ち上げれば、肩の関節にダイレクトに数トン単位の物理負荷がかかるんだ。……空間を縫い合わせるために腕を三回も振り下ろせば、ルカの生きている肩の付け根の肉が引き裂かれ、関節が根元から脱臼して吹き飛んじまう!」
ガリィは、製図板をドンッと両手で叩き、アルベルトを激しく睨み返した。
「もっと分厚い牛革のハーネスを使って、右肩から背中、胸、腰に至るまで、生きてる胴体全体をコルセットみたいにガチガチに固定しなきゃならねえ。そうしなきゃ、装具が発する暴力的な反動で、このお嬢ちゃんの細い背骨が真っ二つにへし折れるんだよ!」
「……くっ。だが、それでは装具自体の総重量がさらに二十キロは増すことになる。ルカの華奢な体幹で、そんな鉄の塊を背負って霊峰の引力異常の中を歩けると思うか!?」
「歩かせるんだよ! 歩けなきゃ死ぬだけだ! 俺は職人として、使い手が自滅するような欠陥品を打つわけにはいかねえんだ!」
二人の男の怒声が、ハンマーの打撃音よりも激しく工房に響き渡る。 それは、魔法という目に見えない神秘の力に頼ることを完全に放棄し、重力、摩擦、熱力学、そして人体構造という、極めて泥臭く、残酷な「物理法則」と真正面から取っ組み合っているがゆえの、凄絶な産みの苦しみであった。
その激論が交わされる傍らで。 ルカは、上半身を薄い下着一枚の姿になり、冷たい鋼鉄の作業台の上に静かに仰向けに横たわっていた。
彼女の右腕は、作業台の横に設えられた専用の鉄の支持台の上に真っ直ぐに伸ばされ、今、ガリィの弟子たちの手によって、ドロドロに溶けた灰色の石膏が、肩の付け根から指先に至るまで分厚く塗りたくられていた。 装具の鋼鉄フレームを、彼女の肉体の起伏に一ミリの狂いもなく密着させるための、緻密な「型取り」の作業である。
石膏が水分を失い、次第にカチカチに硬化していく。 本来であれば、腕全体をギブスで固められるような、皮膚が呼吸を止められる冷たさや、ひどく息苦しい圧迫感があるはずだ。 しかし、ルカの右腕の皮膚表面には、その石膏の冷たさや感触すらも全く伝わってこない。手首から肩口にかけて、感覚を司る神経のネットワークが完全に沈黙しており、もはや触覚という概念が喪失しているのだ。
だが。 『重さ』だけは、決定的に、そして暴力的に違った。
石膏が塗り重ねられるたびに増していく、数十キロという無機質な質量。 腕の皮膚に感覚がなくても、その鉛のような重みは、生きているルカの「右肩の付け根」と「鎖骨」、そして「背骨」を、容赦なく鉄の台へと縫い付けるように押さえ込んでいた。
背中に伝わる鋼鉄の作業台の容赦のない冷たさと、右半身を拘束する強烈な重み。まるで解剖台の上の標本のように、自分の身体が自分のものではなくなっていくような、圧倒的な質量の拘束。
(……痛い。肩の関節が、押し潰されてしまいそうに重いわ)
ルカは、冷たい台の上に横たわったまま首だけをわずかに傾け、石膏で固められ白く異様な塊となった自らの右腕を、微動だにしない虚ろな瞳で見つめた。 感覚のない死体のような腕。しかし、それが胴体と繋がっているという「物理的な質量の負荷」は、彼女の全身の骨格を容赦なく軋ませ、常に『お前はこの重さを引きずって生きていくのだ』と強烈に主張してくる。
皮肉なことに、肩を引きちぎられそうなこの鈍い圧迫感だけが、この動かない肉の塊が、まだ自分自身の身体の一部であるとルカに教えてくれる、唯一の確かな繋がりであった。
「……ねえ、ガリィ。お父様」
ルカは、横たわったまま、ポツリと、火の爆ぜる音に消え入りそうな小さな声で口を開いた。
激論を交わしていた二人の男が、ピタリと動きを止め、一斉にルカの方を振り返る。 ルカは世界を救うため、二人の職人に対して最も狂気的な「要求」を突きつけようとしていた――。
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