表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
74/91

【第74話】失われた針の代償と、職人の意地

『神耳の落ちこぼれ』


世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。

少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

アイアン・ヘイヴンの裏路地は、表通りの活気に負けず劣らずの熱を孕んでいた。 頭上を走る無数のパイプからは白い蒸気が不規則に噴き出し、石畳には長年染み込んだ重油の黒い染みが幾重にも重なっている。 迷路のように入り組んだ細い路地の奥、ひときわ大きく、そして鼓膜を震わせるような重低音のハンマーの音が鳴り響く場所――義肢職人ガリィの工房。

「おい! そこの歯車の噛み合わせが甘えぞ! 〇・二ミリの遊びを持たせろって言っただろうが!」

油にまみれた重い鉄の扉の向こうから、相変わらずの威勢のいいガリィの怒声が聞こえてくる。 ルカは、雨と泥に汚れきった外套のフードを深く被り直すと、生身の左手でその重い扉をギィッと押し開けた。

工房の中は、真っ赤に焼けた鉄の熱気と、むせ返るような機械油の匂いが充満していた。 巨大な炉の火明かりに照らされた空間の中央で、筋骨隆々な男――ガリィが、巨大な鉄の塊に向かって凄まじい勢いでハンマーを振り下ろしている。 彼の褐色の肌は汗で光り、腕に刻まれた古傷が筋肉の隆起に合わせて蠢いていた。

「なんだ、客か? 今は街の復興用のパーツ作りで手一杯だ、義手の修理なら後にして……」

ガリィは、ハンマーを振り下ろす手を止めずに、肩越しに振り返った。 しかし、入り口に立つ小柄なシルエットを視界に捉えた瞬間。彼の手から、数十キロはあるであろう鋼鉄のハンマーが、ガランッ!と音を立てて床に転がり落ちた。

「……お前、ルカか……!?」

ガリィは、信じられないものを見るように目を大きく見開き、急いで作業用の分厚い革手袋をむしり取った。 「お前、生きて……いや、お前、その姿はどうした!?」

ガリィが血相を変えて駆け寄ってくるのも無理はなかった。 かつて彼が、魂を込めて真鍮の義手を打ち直して送り出した、あの誇り高き少女の面影は、見るも無残に打ち砕かれていたのだ。

泥と血にまみれた衣服。死蝋のように青ざめ、削げ落ちた頬。 そして何より、ガリィの義肢職人としての鋭い眼光は、ルカの外套の右袖から覗く『異変』を、瞬時に捉えていた。

「おい……お前、俺が作ったあの腕はどうした!? それに、その右腕……!」

ガリィは、震える手でルカの右肩の外套をそっとめくった。 そこに、かつて「重くてうるさくて、最高の相棒よ」とルカが笑ってくれた、あの真鍮の義手はなかった。

代わりにぶら下がっていたのは、自力ではピクリとも動かすことのできない、土気色に変色した細い生身の腕。 かつて義手と神経を繋ぐために打ち込まれていた銅の接合針コンタクト・ピンは無理やり引き抜かれており、その無残な傷跡には、ズタズタに引きちぎれた分厚い革紐の残骸が、ボロ布のように巻き付いているだけだった。

ガリィは、その傷口と、完全に感覚を失って死に体となっている右腕の惨状を見て、絶句した。 義肢職人である彼には、痛いほどによく分かったのだ。この腕が、どれほどの物理的限界を超え、どれほどの痛みを伴って「壊れた(死んだ)」のかが。

「……お前、馬鹿野郎……!! 何をどれだけ無茶したら、ここまで神経をズタズタにできるんだ!!」

ガリィの怒鳴り声が、工房の中にビリビリと響いた。 それは、自分が丹精込めて打った作品を壊された職人としての怒りであり、同時に、このちっぽけな少女がどれほどの地獄を一人で背負い込んだのかを察した、一人の人間としての強烈な同情と悲痛であった。

「俺の作った腕が壊れたことなんかどうでもいい! だが、お前自身の身体をここまでぶっ壊して……痛かっただろうが! 痛くて、死にそうだっただろうが!! なんで、俺たちが街を直してる間に、お前一人で世界の傷を背負い込んじまったんだ!!」

ガリィの太い指が、ルカの細い肩を震わせながら掴む。 しかし、ガリィの驚愕はそれだけでは終わらなかった。彼の視線が、ルカの空っぽの右手の平に落ちた時、彼の表情はさらなる絶望に凍りついた。

「……待て。ルカ。……お前の、あの『白銀のステラ・ニードル』は、どこだ……?」

魔道具師にとって、空間を縫い合わせるための針は、己の魂そのものだ。それを手放すということは、魔道具師としての生命の終わりを意味する。

ルカは、激昂するガリィの目を真っ直ぐに見つめ返し、静かに、しかしはっきりとした声で答えた。

「……囁きの森に、置いてきたわ。あそこの巨大な地脈の綻びを、永遠に繋ぎ止めるための『要石』として、私の手で大地の奥深くに縫い留めてきたの」

「なんだと……!?」 ガリィは、よろめくように後退った。

「針を、捨てたっていうのか……? あれは、お前のお袋さんの遺品で、お前が世界と繋がるための、たった一つの大事な絆だったんじゃないのか!?」

「捨てたんじゃないわ」

ルカは、ダラリと垂れ下がる右腕を左手で優しく庇いながら、泥だらけの顔にフッと柔らかい笑みを浮かべた。

「世界を直すために、一番正しい場所そこに使っただけよ。……この右腕の神経が死んでしまったのも、その後悔は一ミクロンもないわ。私が、自分で選んだ痛みだから」

その言葉に、ガリィは息を呑んだ。 ルカの瞳の奥には、かつてこの街を訪れた時にあった「完璧な魔法で世界を支配しようとする傲慢さ」もなければ、絶望に打ちひしがれた敗北者の暗さもなかった。

そこにあるのは、自らの傷と喪失を完全に受け入れ、這いつくばってでも明日へ進むことを決意した、最高に泥臭くて逞しい『継ぎ接ぎ屋』としての、静かで力強い炎だった。

「……ルカ。お前……」

「ガリィ。……私は、完璧な神様にはなれなかった。どんな傷も一瞬で無かったことにするような奇跡も、もう起こせない」

ルカは、生身の左手をギュッと握りしめた。

「でもね。北の霊峰スノー・ホワイトの頂に、大陸を半分消し飛ばす規模の『黒い太陽(虚無の穴)』が開いたわ。……私は、あそこへ行かなきゃならない。私の手で、この不完全な世界を、もう一度泥臭く縫い合わせるために」

ルカは、深く、深く、ガリィに向かって頭を下げた。 かつて王宮のエリートとして誰にも頭を下げなかった少女が、油にまみれた路地裏の工房で、大地の泥に額を擦り付けるようにして。

「お願い、ガリィ。……私に、もう一度戦う力を貸して。空間を縫うための『新しい針』を打ってちょうだい。そして、この動かなくなった右腕を、無理やり機械で縛り付けてでも動かせるようにして……!」

そのあまりにも悲壮で、しかし狂気的なまでに純粋な懇願に、ガリィはギリッと奥歯を噛み締めた。

「ふざけるな……! 腕が動かねえなら外側から強引に動かすだと!? そんなもん、義手じゃねえ! ただの『拷問器具』だぞ!!」

ガリィは、床に転がったハンマーを苛立たしげに蹴り飛ばした。

「お前が言ってるのはな、死んだ肉体に鉄の装甲を被せて、ワイヤーと蒸気の圧力で無理やり腕を引っ張り回すってことだ! 人間の筋肉の反射もへったくれもねえ。動かすたびにワイヤーが肉に食い込み、骨が軋むほどの激痛が伴う! しかも、あんな魔法の針の代わりになるような代物を、純粋な鉄クズから打ち出せだと!? お前、自分がどれだけイカれた注文をしてるか分かってんのか!!」

「分かっているわ」

ルカは、頭を上げた。その瞳には、一滴の涙もない。

「痛くても、重くてもいい。……私は、その痛みを全部背負って、世界を縫い上げるって決めたの」

ガリィは、ルカのその絶対に引かない覚悟を前に、頭を抱えて唸り声を上げた。

義肢職人として、そして命の尊さを知る者として、使い手を物理的に破壊しかねない装具を作ることなど、絶対に許されることではなかった。 だが、彼女の瞳の奥で燃える炎は、もし自分が断れば、彼女は素手で、あるいはその細い腕を噛みちぎってでも霊峰へ向かうだろうと、痛いほどに告げていた。

この街を救ってくれた恩人であり、最高に手のかかる客。 その無謀すぎる覚悟に、職人としての心が激しく揺さぶられる。

「……やれやれ。お前は本当に、世界で一番強情で、最高にイカれた継ぎ接ぎ屋だな」

工房の奥、薄暗い影の中から、重々しい足音が響いた。 ガリィがハッと振り返ると、そこには、真っ黒な煤と機械油にまみれた作業つなぎを着た、ルカの父・アルベルトが腕を組んで立っていた。彼もまた、ルカの後を追ってこの工房に入ってきていたのだ。

「お父様……」

アルベルトは、ルカの横に歩み寄り、ガリィに向かってスッと右手を差し出した。その手は、かつての白く滑らかな魔道具師の手ではなく、火傷とマメだらけの、立派な「現場の人間の手」であった。

「ガリィ。お前の職人としての倫理観は正しい。だが、この世界が明日消滅するという時に、その倫理を守って何になる?」

アルベルトの目には、かつてガリィと命懸けで殺し合った頃の敵意はない。あるのは、一人の同じ不完全な人間としての、深い共感と連帯の光だった。

「私の論理(魔法)と、お前の技術(物理)。かつてこの街で真っ向から衝突した私たちの力を……今こそ、完全に『継ぎ接ぎ』する時じゃないのか? この不器用な娘に、最高の不格好な相棒を持たせてやるために」

ガリィは、差し出されたアルベルトの手と、その真剣な眼差しを数秒間見つめた。 王宮の元天才魔道具師と、路地裏の無骨な義肢職人。 水と油、決して交わることのなかった二つの才能が、今、一人の泥だらけの少女の覚悟を中心に、一つの巨大な「歯車」として噛み合おうとしていた。

「……チッ。どいつもこいつも、狂ってやがる」

ガリィは、忌々しそうに舌打ちをすると、自身の油まみれの太い手を、アルベルトの手に「バァン!」と力強く叩きつけた。

「いいだろう! ただし、俺の作った外骨格エグゾスケルトンは、一ミリの狂いもなくお前の肉を締め上げる最悪の代物になるぞ! 痛くて泣き叫んでも、絶対に外してやらねえからな!!」

ガリィの怒声に、ルカの顔がパァッと明るく輝いた。

「ええ! 望むところよ!」

「アルベルト! お前はあの塔の残骸の中から、最高純度の鋼鉄と、魔力伝導に耐えうる配線用の合金クズを拾ってこい! 俺はこれから、このお嬢ちゃんの『死んだ右腕』の型取りから始める! ……時間がないぞ、大急ぎだ!!」

ガリィの号令とともに、アイアン・ヘイヴンの路地裏の工房で、前代未聞の装備開発が幕を開けた。 それは、魔法という神秘の力に頼り切った綺麗事の武具ではない。 人間の生身の痛みを代償に、純粋な鉄と蒸気、そしてワイヤーの力で強引に死体を振り回すための『外骨格装具』。

そして、世界最大の虚無の穴に叩き込んでも絶対に折れない、巨大で泥臭い『鉄屑の巨針スクラップ・ニードル』。 不完全な者たちが、その持てるすべてのノイズを絞り出して作り上げる、究極の「継ぎ接ぎの武装」。 巨大な炉に再び猛烈な火が入り、真っ赤に焼けた鉄の産声が、絶望に沈む世界に向けて、力強く、そしてけたたましく鳴り響き始めた――。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ