【第71話】丸腰の継ぎ接ぎ屋、出発の雨
『神耳の落ちこぼれ』
世界の声が聴こえる少女と、仲間たちの成長を描く長編ファンタジーです。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
ルカは、青年から視線を外し、広場を取り囲むヴァロワの群衆へと向き直った。 冷たい雨に打たれながら、彼らはもはやルカに「奇跡」を乞うことはせず、ただ食い入るようにその小さな背中を見つめていた。
「ヴァロワの人たち。……そして、大陸中の明日を恐れるすべての人たち」
ルカは、雨風に負けないように、ありったけの声を張り上げた。
「私はこれから、南のアイアン・ヘイヴンへ向かい、準備を整えてから北の霊峰へ登る。……黒い太陽を塞ぐまでには、まだ何日もかかるわ。その間、空の穴は広がり続けるし、恐ろしい異常気象があなたたちを襲うかもしれない」
群衆の中に、ゴクリと唾を飲み込む緊張の波が走る。
「でも、どうか絶望しないで。私にすべてを丸投げして、立ち止まらないで。……家が壊れそうなら、皆で柱を支えなさい。寒さに凍えそうなら、寄り添って火を焚きなさい。……私が必ず、あの巨大な綻びを縫い合わせてみせる。だからあなたたちも、自分たちの『明日』を、自分たちの手で泥臭く繋ぎ止めておいて!」
それは、神からの神託ではなく。 同じ絶望の時代を生きる、一人の不格好な『戦友』からの、力強い檄であった。
「……ああ、分かった。待ってるぞ、魔女様……いや、継ぎ接ぎ屋のお嬢ちゃん!!」 「絶対に諦めない! 俺たちも、俺たちの命を繋ぎ止めてみせる!!」
群衆の中から、次々と、熱を帯びた賛同の声が上がり始めた。 彼らはもう、ルカに依存して縋り付く弱い羊の群れではない。ルカの言葉という強烈な摩擦によって、自らの足で泥濘を踏みしめ、恐怖に立ち向かうための「生きる意志」を着火された、逞しい人間の集団へと変わっていた。
「……行くわよ、ノア。私たちの、新しい相棒(武器)を迎えに」
ルカは、広場に響き渡る人々の力強い歓声を背に受けながら、ついにヴァロワの巨大な鉄の正門に向かって歩き出した。
ノアが、雨水を弾き飛ばすようにブルブルと全身を大きく震わせ、力強い足取りでルカの隣に並び立つ。その青い瞳には、もはや主の心を心配するような陰りは微塵もない。共に限界のその先まで付き従う、野生の絶対的な信頼の光だけが燃えていた。
ザァァァァァァッ……!!
雨は、未だに止む気配を見せない。 しかし、ヴァロワの門をくぐり、南へと続く街道に足を踏み出したルカの頬を打つその雨粒は、数十分前までの「冷たく暗い絶望の雨」とは、全く違う温度を持っていた。
それは、彼女にこびりついていた『完璧な白銀の魔女』という薄っぺらい偶像の汚れをすべて綺麗に洗い流し、本来の「不格好で泥臭い一人の少女」へと生まれ変わらせるための、祝福の洗礼のようであった。
(待っていてね、ガリィ。……そして、お父様)
ルカは、ダラリと垂れ下がる右腕の重みを、決して忌むべきエラーとしてではなく、自分が今、生きているという「確かな質量の証」として感じながら、灰色の空を見上げた。
(私に、あなたたちの『不格好なノイズ』を、もう一度だけ分けてちょうだい。……この絶望の空を、絶対に千切れない太い糸で、一緒に継ぎ接ぎするために)
完璧な魔法の時代は、ここで完全に終わった。 世界を直すための手段は、奇跡から、鉄と煤と、人間の血の滲むような『物理的な努力(継ぎ接ぎ)』へと、そのバトンを渡されたのだ。
霊峰スノー・ホワイトの頂で渦巻く世界最大の絶望『黒い太陽』。 それを縫い潰すための、前代未聞の泥臭い大手術に向けた準備が、今、機巧都市アイアン・ヘイヴンへと向かう真っ直ぐな足跡とともに、確かな熱量を伴って始まりを告げたのである。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
セレンたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。




