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ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


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【第57話】命の曼荼羅と、最後の一針

「シィィィィィィィィッ!!!」

ズドォォォォォォォォォンッ!!!!!

二度目の強烈な打撃。大地が悲鳴を上げ、泥と蒸気が噴き上がる。 ノアの熱が注入され、周囲の琥珀が溶け出す。セインの銀糸がそれを誘導し、新たな花の結び目が大地に物理的に鋳造されていく。

「次!! 左へ六メートル! ループを二重に重ねるわ!」

ズドォォォォォンッ!!!

それはもはや、魔法などという神秘的な御業ではなかった。 一本の重く巨大な鉄のパイルを、生身の身体の反動だけを使って大地に打ち込み続ける、極めて過酷で、野蛮で、泥臭い『土木作業オペレーション』。

ルカの顔は、飛び散る泥と汗、そして真鍮から噴き出す黒いオイルにまみれ、かつての王宮での白磁のような美しさは微塵も残っていない。 息をするたびに、焦げた樹脂と泥の匂いが肺を焼き、全身の筋肉は乳酸と激痛で悲鳴を上げている。

だが、ルカの瞳は、これまでのどの瞬間よりも、圧倒的な生命力と、職人としての凄絶な歓喜に満ちて輝いていた。

(痛い。重い。熱い。……でも、確かに『繋がって』いる!)

ルカが大地にステラ・ニードルを打ち込み、琥珀を溶かして回路を形成するたびに、世界樹の根本から噴き出していた『虚無の瘴気』が、明らかな反応を示し始めていた。

赤紫色の虚無の毒が、森を消去しようと大地の表面を這い進む。 しかし、その毒の進行ルート上に、ルカとセインが物理的に敷設した『琥珀と銀糸の結び目』が立ちはだかる。

虚無は、その結界を「ゼロ」に還元しようと襲いかかるが、琥珀という物質は、数千万年の地球の生命力と大地の記憶が極限まで圧縮された、いわば「物理的な時間の塊」だ。 虚無がそれを消去しようとするプロセスの中で、琥珀の結び目が強烈な『抵抗器』として機能し、バチバチバチッ!と凄まじい摩擦熱と魔力の火花を散らす。

虚無の毒素は、その物理的・魔力的な摩擦を通過する過程で、少しずつ、少しずつその致死性の力を削り取られ、濾過されていく。 そして、複雑な二重ループを通過し終える頃には、赤紫色だった瘴気は完全に無害な青白い光の粒子(純粋なマナ)へと変換され、新しく形成された琥珀の小川を伝って、世界樹の根本へと優しく吸い込まれていくのだ。

『……すごい』

背後で銀糸を操り続けているセインが、その光景を目の当たりにして、震える声で呟いた。

『虚無の暴食が……止まっている。いや、止まっているんじゃない。僕の糸と君の琥珀が、あの絶対的な死の力を、森の命として「消化」しているんだ……!』

「当然よ! お母様の設計図と、私たちの泥臭いノイズが合わさった、最強の『継ぎ接ぎ』なんだから!」

ルカは、再び重い義手を大地から引き抜き、泥に足を取られながらも次の一歩を踏み出した。

「ハァッ……、ハァッ……! まだまだ行くわよ! 次は、あの巨木と世界樹を繋ぐ大動脈のライン!」

ズドォォォォォンッ!!! ジュワァァァァァァァッ!!!

ルカの真鍮の拳が大地を穿つたびに、森の心臓部に、地響きのような重低音と、熱した鉄が水に触れるような鋭い蒸発音がリズミカルに鳴り響く。 それは、まるで大地そのものを分厚い布に見立て、一人の不格好な裁縫師が、自身の身体ごと巨大な針となって、世界に物理的な「刺繍」を施していく、途方もないスケールの芸術だった。

ルカの意識は、極限の疲労と痛みの向こう側――一種の『ゾーン(没入状態)』へと入り込みつつあった。 生身の左手で紡ぐ魔法の糸の感覚は、もうない。

しかし、代わりに彼女の感覚を支配しているのは、右半身に縛り付けられた真鍮の義手の圧倒的な「重さ」と、ノアから流れ込んでくる「獣の脈動」、そして、大地を打ち据えた時にステラ・ニードルの先端から伝わってくる「岩盤と土の確かな手触り」だった。

(もっと深く。もっと強く。……大地の奥の、冷え切った血管をこじ開けて、熱を流し込むのよ!)

ルカの動きには、もはや一切の迷いがなかった。 右肩の神経を焼く痛みすらも、次の打撃を生み出すためのガソリンとして燃やし尽くす。 一針、また一針。

ルカが大地を殴りつけるたびに、セインの銀糸が走り、溶けた琥珀が黄金色の血のように流れ込み、冷たく死に絶えていた世界樹の周囲の空間に、美しく、そして脈打つような『命の曼荼羅まんだら』が広がり始めていく。

「ノア! 出力が落ちてるわよ! もっと熱を頂戴!!」 「ガァァァァウッ!!」

ノアは、自身の肉体が限界を迎え、口から血の混じった泡を吹きながらも、ルカの叫びに絶対の忠誠と愛をもって応え、さらに苛烈な命の熱を義手へと注ぎ込む。

『ルカ! 右のライン、虚無の圧力が強い! 結び目をもう一つ増やす!』

セインもまた、かつての「完璧な保存」という強迫観念を完全に捨て去り、ルカの不格好な打撃のタイミング(0.5秒のラグ)に自らの銀糸の展開速度を完璧に同調させ、現場の状況に合わせて設計図をリアルタイムで『応用アレンジ』し始めていた。

三人――いや、不完全な少女と獣、そして孤独な少年の三つの魂が、まるで一つの巨大な『織り機』の部品のように、泥と汗と蒸気の中で完璧な連動を見せていた。

ズドォォォォォォォォンッ!!!!!

ルカが何十回目、いや何百回目か分からない打撃を大地に叩き込んだ時。 山小屋を中心として、すり鉢状の空間全体を覆い尽くすほどの巨大な『琥珀と銀糸の魔導回路』が、ついにその全貌を地表に現した。

それは、母エレンが机の上に遺した刺繍布の文様を、何万倍ものスケールで大地に直接刻み込んだ、息を呑むほどに壮大で、そして荒々しい生命力に満ちた「空間の刺繍」だった。

虚無の瘴気は、もはや森を喰い尽くす恐ろしい化物ではなくなっていた。 ルカたちが物理的に縫い上げた無数の琥珀の結びフィルターに捕らえられ、その毒を完全に濾過され、ただの青白い純粋な光の河となって、新しく作られた地脈の血管をサラサラと音を立てて流れている。

「ハァッ……、ハァッ……、ハァッ……」

ルカは、大地に突き刺したままの真鍮の義手に身を預けるようにして、肩で激しく息をしていた。 全身の筋肉は痙攣し、立っていることすら奇跡的な状態だ。泥と血とオイルで真っ黒になった顔から、ポタポタと熱い汗が氷の床に滴り落ちる。

『……終わった。回路が、完全に地脈とリンクした』

空中に浮かぶセインが、信じられないものを見るような声で呟いた。

『虚無の毒は完全に浄化され、森の循環システムに組み込まれた。……君は、本当に……この途方もない大地の傷跡を、その力ずくの「物理的な刺繍」で、縫い合わせてしまったんだね』

ルカは、霞む視界の中で、自らの足元から世界樹へ向かって広がる、黄金色に脈打つ巨大な回路の輝きを見渡した。 魔法の光のような、一切のノイズを含まない冷たい美しさではない。

そこには、ルカが力任せに大地を殴りつけた無数のクレーターがあり、ノアの熱で焦げた土の跡があり、セインの銀糸が不規則に絡み合った不格好な結び目がたくさんあった。 まるで、大怪我を負った皮膚を、太い麻糸で強引に縫い合わせたような、痛々しくも生々しい「大地の傷跡」。

しかし、その傷跡から放たれる熱と光は、どんな完璧な芸術品よりも温かく、そして力強く、世界が『生きている』ということを高らかに歌い上げていた。

「……ええ。終わったわ」

ルカは、泥だらけの顔を上げ、不敵に笑おうとして、疲労のあまり顔をしかめた。 しかし、彼女の仕事は、まだ「完全に」終わったわけではなかった。

大地の回路は繋がった。虚無の毒は濾過された。 だが、この森の時間を完全に動かし、すべての生命を覆っている琥珀色の結晶(セインの結界の残滓)を根本から解き放つためには、この巨大な回路の『最後の一針』――森の心臓である世界樹の最も深い中心核コアに、回路の終点を直接打ち込み、全エネルギーをバチッと点火イグニッションさせる必要があったのだ。

「あと、一針……」

ルカは、大地に突き刺さった義手を引き抜こうと、左手に力を込めた。 しかし。

「あ……」

ルカの身体は、ピクリとも動かなかった。 筋肉の疲労や痛みの限界を超えているからではない。

彼女の右半身に縛り付けられた『真鍮の義手』が、度重なる超高温と物理的衝撃、そしてノアの限界を超えた獣の熱によって、ついに完全に『融解と自壊』を始め、大地に突き刺さったまま、冷えて完全に固着してしまったのだ。

「抜けない……っ。動いて……お願い、あと一回でいいから……!」

ルカは必死に義手を引き抜こうともがいたが、赤熱した後に急速冷却された真鍮は、周囲の土と琥珀を巻き込んで強固な岩の塊と化し、ルカの身体を大地に縫い留める重いかせとなってしまっていた。

『ルカ!』

セインが焦燥の声を上げる。

『ダメだ、急がないと! 回路は完成したけれど、世界樹のコアに接続して循環を開始させないと、行き場を失った純化魔力が回路の中でオーバーヒートを起こして、今度は森全体が純粋な魔力爆発で吹き飛んでしまう!』

セインの警告通り、ルカたちが縫い上げた大地の回路が、処理しきれない魔力を抱え込み、不吉な明滅を始め、ジジジ……と危険な放電音を立て始めた。

あと一歩。 あとたった一メートル先に、世界樹のコアが露出しているというのに。

ルカは、大地に拘束されたまま、絶望的な距離を見つめた。 真鍮の義手を布帯で身体に縛り付けているため、腕だけを切り離して進むこともできない。仮に切り離せたとしても、ステラ・ニードルは義手の先端に固定されたままだ。

「ノア……引っ張って……!」

ルカの悲痛な叫びに、ノアがルカの外套の襟首を咥えて後ろに引こうとするが、巨大な岩盤と同化した義手はビクともしない。

(ここまで来て……。お母様の設計図を、完成させられないの……?)

限界を超えた疲労と、迫り来る魔力爆発のカウントダウン。 ルカの視界が、ゆっくりと暗闇に染まりかけようとした、まさにその絶対絶命の瞬間だった。

スゥゥゥ……。

ルカの背後――あの古びた山小屋の開け放たれた扉の奥から、温かく、そして懐かしい『蜜蝋とカモミールの匂い』を含んだ風が、ふわりとルカの身体を包み込んだ。

そして。 動かないはずのルカの生身の左手に。

『――一人で全部背負い込まなくてもいいのよ、ルカ』

幻聴ではない。 確かに、十年前のあの日、冷たい銀の雨の中でルカの手を最後まで力強く握りしめてくれた、あの『母の指先の感触』が、ルカの左手を、そっと、しかし確かな熱を持って包み込んだのだ。

「……お母、様……?」

ルカは、大きく目を見開いた。 彼女の視界の端に、黄金色の光の粒子となって顕現した、母エレンの温かい幻影が、ルカの背中に寄り添うようにして立っているのが見えた。

最後の大仕事。 限界を迎えた不完全な少女の手に、世界で最も優しく、完璧な職人の手が、時を超えて静かに重なろうとしていた。 ついに森に命の循環が訪れる、その最高のカタルシスへ向かって――。


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