表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラ・ニードルの記憶 〜完璧な魔法を失った天才魔導師は、真鍮の義手で不完全な世界を継ぎ接ぎする〜  作者: 紡木 綸


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/64

【第32話】繋ぎ直す意志 ―― 最後の激突

冷たい純白の床に叩きつけられた父アルベルトは、信じられないものを見るような瞳で、自身の胸元と、ルカの右半身を拘束する真鍮の重装手甲を交互に見つめていた。

完璧な論理の支配者が、物理的な「摩擦」と「重さ」によって玉座から引きずり下ろされた瞬間。 彼の手から滑り落ちた指揮棒の先端で、青白い魔力の刃は一度フッと息絶えるように消滅した。

しかし、アルベルトの底知れない絶望と、何十年もかけて組み上げてきた己の存在意義が、その完全なる敗北を脳に認識することを激しく拒絶した。

「……認めない」

アルベルトの喉の奥から、絞り出すような、かつて聞いたこともないほど人間臭くひび割れた声が漏れた。 彼は嫌いつくばるようにして手を伸ばし、床に転がった指揮棒を再び強く握りしめた。

「こんな……計算式すら存在しない、泥と獣の熱の寄せ集めなどに。私の……エレンを失った悲しみを塗り潰して組み上げた、私の完璧な世界が……否定されてたまるものか!!」

アルベルトが指揮棒を握り直した瞬間、その物理的な外殻である銀色の金属筒がパリン、と音を立てて砕け散った。 中から現れたのは、光の刃などという実体のないものではない。

それは、空間の座標そのものを「無」へと還元する、極限まで圧縮された虚無の魔力の結晶体――漆黒の輝きを放つ、一本の巨大な『黒い針』そのものであった。

これこそが、アルベルトの狂った論理の究極の具現。 対象を切り裂くのではなく、対象が存在するという「事実」そのものを、世界から完全に消去するための、絶対零度の呪物。

「消えろ、ルカ!! その不完全な鉄屑ごと、世界の論理から消去されろ!!」

アルベルトは立ち上がることも忘れ、床に膝をついた姿勢のまま、自らの命の炎――残されたすべての魔力と精神力をその『黒い針』へと注ぎ込み、ルカの心臓めがけて、最後にして最大の、完璧な一撃を突き出した。

黒い針が空気を貫く軌道上から、一切の音と光と温度が消失していく。 それはいかなる物理的な装甲も、いかなる強大な魔法の盾も意味をなさない、完全なる死のベクトルだった。

触れた瞬間、真鍮の義手はおろか、ルカの肉体も、傍らに立つノアの魂も、すべてがゼロへと還元される。 しかし、ルカの瞳には、一切の恐怖の揺らぎはなかった。

「……逃げないわ、お父様」

ルカは、避けることも、魔法の盾を展開することもしなかった。 彼女は自身の右半身にのしかかる、すでに限界を超えてひしゃげ、関節から黒いオイルを血のように流している不格好な真鍮の外骨格を、真っ直ぐに、アルベルトの放つ『黒い針』の切っ先へと向けて突き出したのだ。

「ルルルゥゥゥゥッ!!」

その瞬間、ルカの足元にいた銀狼のノアが全身の毛を逆立て、命の底から絞り出すような激しい咆哮を上げた。 ノアはルカの真鍮の脚装に自らの身体を強く擦り付け、その体内に残された最後の、そして最も熱い『生命の芯』の温度を、ルカの肉体を通して、真鍮の義手へと爆発的に送り込んだ。

ドクンッ!!

ルカの生身の右肩に食い込む接合針を通じて、四十度を超える獣の体温と、力強い心臓の鼓動が、冷え切ろうとしていた真鍮のフレームへと一気に流れ込む。 死んだはずのルカの右腕の神経が、その強烈な熱と痛みに呼応して、かつてないほどの巨大な生体電流のスパイクを発生させた。

『完璧な力(無)』に対する、『不完全な生命の温もり(有)』の、真っ向からの激突。 ルカの真鍮の義手は、開いた五本の分厚い指を、迫り来るアルベルトの『黒い針』の切っ先へと無防備に、しかし圧倒的な質量と熱を持って叩きつけた。

ガシィィィィィィィンッ!!!!

世界からすべての音が消え去ったかのような、凄絶な衝撃。 ルカの真鍮の掌に激突した黒い針は、接触した瞬間に真鍮の義手をゼロへと還元すべく、絶対零度の消去プログラムを走らせる。義手の表面の金属が、一瞬にして凍りつき、灰色の粉となって崩れ落ちようとする。

しかしルカの義手は、その「消去の速度」を上回るスピードで、自らを物理的に書き換え続けていた。

ノアから送り込まれた莫大な獣の熱が、真鍮のフレームを極限まで熱膨張させる。 金属が膨張し、変形し、内部の歯車が不規則に滑り、凄まじい摩擦熱を生み出す。 義手の内部に密閉された蒸気が臨界点を超えて沸騰し、シリンダーを内側から破裂させんばかりに暴れ回る。

アルベルトの魔法は、「今、そこにあるもの」を計算して消去しようとする。 だが、ルカの義手はノアの熱とルカの不規則な生体電流のノイズによって、「一瞬前の状態」とは常に異なる、全く予測不可能な『歪み』と『摩擦』を生み出し続けているのだ。

「……私の腕は、もうあなたの計算通りには止まらないわ!!」

ルカの絶叫が、制御室の空気を震わせた。 彼女は、黒い針を正面から受け止めた真鍮の五本の指を、ギリリッ……と凄まじい金属の軋み音とともに、内側へと握り込み始めた。

「ば,馬鹿な……! 私の絶対消去の魔法が、物理的な握力ごときに……止められるはずが……ッ!!」

アルベルトの顔が、驚愕と恐怖に完全に歪んだ。 ルカの真鍮の指が、漆黒の虚無の結晶である『黒い針』を、文字通り「物理的に掴み取った」のだ。

シュゴォォォォォォォォォッ!!!

義手の排気弁から、限界を突破した超高圧の蒸気が、まるで火山の噴火のように激しく噴き出す。 その蒸気は、ただの白い気体ではなかった。ノアの命の熱、激痛に耐えるルカの血の匂い、そしてアイアン・ヘイヴンの地下から吸い上げた泥臭いノイズ。 それらすべてが混ざり合った、世界の不完全さを象徴する、生々しい濁流。

「お父様は、世界を完璧な数式で縛ろうとした。傷つくことを恐れて、全部を『なかったこと』にしようとした!」

ルカは、内側に閉じ込められた生身の関節が千切れるほどの激痛に歯を食いしばりながら、真鍮の拳にさらなる力を込めた。 黒い針の表面に、ピシッ、と微かな亀裂が走る。

「でもね……お母様の手は、そんな冷たい魔法じゃなかったわ! お母様の手は、針で指を刺して血を流しながらでも、破れた布を一生懸命に縫い合わせていた。……不格好な結び目がいっぱいあったけど、そこには確かに、私を愛してくれているっていう『温もり』があったのよ!!」

ルカの脳裏に、あの日、星読みの町で銀の雨に飲み込まれていく中で、最後までルカの手を離すまいと強く、熱く握りしめてくれた、母エレンの指先の感触が鮮明に蘇った。

完璧な力で空間を切り取る魔法など、何の役にも立たない。 世界を繋ぎ止めるのは、計算式でも論理でもない。「絶対に離さない」という、非合理的で、泥臭くて、不完全な『生命の執念(慈愛)』だけなのだ。

「私とお父様の間にあるこの『隙間』も……私が、この不格好で痛い腕で、強引に繋ぎ直してあげる!!」

ルカが真鍮の義手のシリンダーに、自身の魂の底から絞り出した最後の意志を叩き込んだ瞬間。 ノアの熱と、義手の物理的なトルク、そしてルカの「繋ぐ意志」が完全に共鳴し、アルベルトの完璧な論理の結晶に対して、絶対的な『不均衡の極致』を突きつけた。

パキィィィィィィィィィンッ!!!!!

鼓膜を突き破るような、ガラスの砕けるけたたましい音が、制御室全体に鳴り響いた。 アルベルトの手の中にあった、絶対的な無の象徴である『黒い針』が――。

ルカの泥まみれの真鍮の義手によって、文字通り、物理的に「粉砕」されたのだ。 飛び散る漆黒の破片。 それは、空気に触れた瞬間に、これまでのアルベルトの凍てついた時間を溶かすように、無害な光の粒子となってハラハラと雪のように舞い散っていった。

「あ……ああ……」

アルベルトは、空っぽになった己の手のひらを見つめ、糸の切れた操り人形のように、その場に力なく崩れ落ちた。 彼の信奉した『完璧な論理』が、娘の『不完全な生命の温もり』の前に、完全敗北を喫した瞬間であった。

完璧な世界の崩壊を見届けたアルベルトの、その凍てついた心が、何十年ぶりかに激しく揺らぎ始めようとしていた――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ