森の戦士、黒の悪鬼と刃を交える
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出たばかりの月の光を照り返し、白銀の槍斧が煌く。険しい表情で、レンガは三体のオーガと対峙していた。
夕刻、ラドウの奇襲で神殿への道が開け、レンガは戦士たちを率い進軍した。すると、神殿の闇の中から溶け出るように現れたのが、眼前のオーガたちであった。レンガは即座に戦士たちを撤退させて、単身でこれに挑むことを決意したのである。
三体のオーガたちは、背を見せて逃げ散る褐色の戦士たちを追いはしなかった。巨体の高みにある三対の眼が見据えるのは、ちっぽけな女ドワーフただ一人である。
「随分と、余裕だね。それとも、驕慢? 逃げる獲物を放っておくなんて。まあ、こっちは助かるけれど、ね」
嘯きながら、槍斧の柄を握りしめる。見上げる先は高く、分厚い筋肉が壁のようにそそり立っている。体格差は、歴然であった。大人と子供、という表現では生温いほどの違いである。こと白兵戦においてそれは、圧倒的な開きとなるのだ。
「こっちから、仕掛けるしかないかっ!」
横なぎに、脛を狙って槍斧を振り抜く一撃を放つ。猛獣を両断するほどのそれは、オーガが立てた棍棒によってあっさりと防がれた。同時に、横合いから別のオーガが蹴りかかってくる。蹴撃を、レンガは身を回して柄で受けた。
「くっ……重いね」
槍斧ごと吹き飛ばされたレンガは空中で体勢を直し、地面に手をついて着地する。背後には、石造りの階段がある。神殿の入口から、ここまでたったの一撃で持って行かれたのだ。
棍棒を振り上げて、オーガの一体がが突進してくるのが見える。
「なかなか、いいチームプレイじゃないの、さっ!」
咄嗟に槍斧を斜めに構え、振り下ろされる一撃を受け流す。ぎしり、と白銀の柄が悲鳴のような軋みを上げる。
「せやあっ!」
棍棒を受け流す動きから、オーガの顔面を流れるように突く。槍の穂先が、オーガの眼に浅く突き刺さった。顔を押さえ、棍棒を取り落したオーガが太い腕を横なぎに払う。柄で受け止め、吹き飛びかけたレンガの背中に、重い一撃が見舞われた。
「ぐが!」
肺腑の空気をすべて吐き出させるような衝撃に、レンガは呻いた。地面に激しくぶつけられ、また跳ね上がる。浮き上がった脇腹に、またも重い衝撃が叩きつけられる。レンガの身体は、寄る辺ない宙空へと放り出されてしまう。
眼を突いた一体の腕を受け止め、吹き飛んだところへ別の一体が棍棒を振り下ろし、叩きつけられた身体を蹴りとばされたのだ。放物線を描き、レンガは成す術もなく丘陵の坂に沿って落ちてゆく。
「相手が、三体いなきゃ……なんとかできたけれど……まいったね。あたしの身体、重いから……誰か、受け止めてくれれば……」
遠ざかる神殿を見つめ、レンガは呟く。その視界の端を、何かが通り過ぎてゆく。一筋血の流れるレンガの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「そういう、こと。なら、あとは……任せたよ」
頭を両手で庇い、身体を丸める。べきべきと木々をへし折る音と共に、全身を凄まじい衝撃が叩きつけてくる。レンガの意識は、そこで途絶えた。
二体のオーガたちが、蹴りとばした獲物のほうへ目をやった。暗い夜の密林へ、その小さな身体は落下してゆく。いかにドワーフが頑健な種族であっても、助かりはしないだろう。そんな確信とともににやりとオーガは嗤う。直後、その胸に人間の腕ほどもある何かが突き立った。
いかに強靭なオーガといえども、心臓を潰されてまで生きてはおれない。吹き飛び、もんどりうって転がるそのオーガは、すでに絶命していた。
何事か、と視線を巡らすオーガに向けて、空気を裂く不気味な唸りが届く。ずどん、と音立てて、そのオーガの胸にまた何かが突き立つ。正確無比に心臓を貫いたものは、二体目のオーガの命を射抜いていた。
目を押さえて呻いていたオーガの元に、こつ、こつと石の階段を少しずつ登ってくる足音が聞こえてくる。緑の血を指の間から溢れさせながらも、オーガは棍棒を杖に身を起こす。
「……まだ、いたのか。黒の悪鬼とやらは、余程手遊びが好みとみえる」
月光に金の髪をたなびかせ、無表情に階段を登ってくるものがあった。その手にはオーガの背丈ほどもある大弓を持ち、それに相応しいサイズの矢が番えられている。
「死ね」
無表情に、そして無慈悲に。エルフの早業で太矢は放たれる。至近距離から射られたその矢は、オーガの胸を貫き神殿の壁へ磔にした。
「後で、片づけをせねばならんな。中々見事な神殿だ。殿が居られるには、ここを置いて他には無い」
月光にほの青く光る神殿を見つめ、エリックは言った。
「太陽神殿……そう呼ぶに、相応しい趣だ。あちらには、花壇などを置いてみるか」
ゆっくりとした足取りで、エリックは神殿の中へ足を踏み入れる。
「そりゃあちょいと、気の早い話じゃねえかよ、チビのクソエルフ」
闇の中から、軽妙な声が響いてくる。月の光の届かぬ闇の中であったが、暗視の眼を持つエリックにはその姿がくっきりと見えた。
「王都におられた頃より、この地は我が殿の領地だ。少し塵芥の散らかった土地というだけで、全ては我が殿の物。気の早いことは何もあるまい」
腰に差した剣に手をかけ、ゆっくりと刀身を引き抜いてゆく。刃自体がうっすらと光りを放ち、神殿の闇をほのかに照らし出す。開けた広間の真ん中に、黒い巨体があった。身の丈は二メートル半を超え、全身が逞しい筋肉に鎧われている。太い首に手を当てて、悪鬼が目を細めて剣を見やる。
「おいおい、随分と物騒な話じゃねえか。先住民にゃ、もうちっと敬意を払え?」
黒い腰巻のみを身に着けた悪鬼は、無手である。だが、その全身からは凄まじい闘気が立ち昇っていた。
「先住民? 民と言ったか? 貴様に、殿の民を名乗る資格は無い。殿の民の多くを殺め、その生を歪めた罪は重いぞ、塵芥」
剣の切っ先を上げ、悪鬼の首へと向ける。ヒュウ、と悪鬼が口笛を鳴らし腕を回す。
「そう急くもんじゃねえよ、クソエルフ。だが、その剣……たまらねえな。俺に痛みを、与えてくれそうだ。それが、先祖伝来の退魔の剣、ってやつか?」
目をらんらんと輝かせ、笑みすら浮かべて悪鬼が問う。
「退魔の剣とは、俺の、エルフの中にある揺るがぬ意志を指すものだ。無知な塵芥め。これは俺の作った、急ごしらえのなまくらに過ぎん。だが、貴様を葬るには充分な代物だ」
小さく首を横へ振り、腰を落として構える。エリックの長い足に、ゆっくりと力が込められてゆく。
「へえ、そいつは勉強になった。ありがとよ。礼に、一つだけ答えてやってもいいぜ。何か、聞きたいことねえか?」
悪鬼の問いに、エリックは眼を閉じ、開いた。
「貴様を召喚したのは、誰だ。貴様は、この世界の住人ではあるまい」
エリックの言葉に、悪鬼がにんまりと笑みを濃くする。
「そりゃ、言えねえ」
あっさりとした悪鬼の答えに、エリックの表情は変わらない。
「一つだけ、答えるのでは無かったのか」
「答えてやってもいい、って言ったんだ。人の言葉は、ちゃんと聞くもんだぜ。操主を殺られちまえば、俺はまたつまらん所に戻らにゃならねえ。大将首の情報を、ばらすわけが無えだろう」
笑う悪鬼に、エリックはふんと形良い鼻を鳴らす。
「成程。やはり貴様は何者かに召喚されていたのだな。そいつを殺せば、貴様は消えてなくなる」
「出来るもんかい。俺はてめえと違って、大将首にゃきっちりとガードをしてんだよ」
「関係無い。貴様自体を倒し、そのうえで召喚者も殺す。初めから、そのつもりだ!」
滑らかな床を蹴り、エリックは剣を振り上げ悪鬼に殺到する。
「しぇえいっ!」
裂帛の気合を込めて振り下ろした剣を、悪鬼が右腕を上げて受け止めた。ざくり、と肉へ深く斬り込んだ刃が、硬いものに当たって止まる。
「うほぅ! いいねえ! いい痛みだ!」
喜悦の声を上げながら、悪鬼が左拳を打ち込んでくる。横殴りの一撃に、エリックは悪鬼の右腕を蹴って身を翻す。風圧が、長い髪の先端を揺らした。
「炎の精霊よ!」
身体を回転させて振り向いたエリックが、左手を突き出し叫ぶ。手のひらの先に小さな炎が生まれ、悪鬼に向けて奔流となって撃ち出される。
「魔法か! 魔法もいいな! うお、熱い!」
全身を包む炎に、しかし悪鬼の喜悦は止まらない。駒のように身体を回転させ、悪鬼が放つのは後ろ回し蹴りである。
「ぬうん!」
刃を立てた剣を上げて、エリックは蹴りを斬って受ける。硬いものに弾かれ、エリックの身体は後ろへ大きく吹き飛ばされた。
「ひゃは! アレが見えたのか! すげえな、てめえ!」
どくどくと黒い体液を流す足を下ろし、悪鬼が叫ぶ。回転の勢いで、火は消えてしまっていた。
「……なかなか、頑丈だな貴様は。斬るのは少し、難しいか」
言いながら、エリックは腰を落とし剣の切っ先を鬼の首へ向けて構える。それは、刺突の構えだった。
「おう、今度は何を見せてくれんだ、クソエルフ!」
両拳を胸の前で構え、悪鬼が笑みを見せる。エリックは眼を悪鬼の首へ向けたまま、頭の中に意識を集中する。
「風の精霊よ!」
呼びかけに応じ、風の塊がエリックから撃ち出される。それは悪鬼に向けてではなく、己の足元へ向けて撃った。足裏から放たれた風は床を押し、そしてエリックを悪鬼へ向けて射出する。合わせてエリックは、剣を持つ手を真っすぐに突き出す。風によって斜め上方に飛ぶ切っ先の行く手には、悪鬼の首があった。
どん、と衝撃があり、剣が悪鬼の首深くに突き刺さる。それはエリックの持つ、最速の一撃だった。
「すげえよ……クソエルフ」
咽喉を貫かれた悪鬼の顔が、エリックの間近で微笑んだ。同時に、エリックの左わき腹に重たい衝撃が走った。みしり、と肋骨が鳴り、エリックは剣を手放し大きく吹き飛んだ。
「最高だ! この痛み! ははは! 咽喉が焼けるように痛えぜ! くははは!」
哄笑を上げて、悪鬼が咽喉に刺さった剣を抜く。黒い体液が傷口から噴き出したが、すぐに傷口そのものが消えた。
「そら、返すぜ」
悪鬼が剣の切っ先をエリックへ向けて、軽い動作で放り投げる。倒れたエリックの目の前の床に、剣は深く突き立った。
「……剣で斬っても、無駄か」
膝に手をついて、エリックは身を起こす。不覚に貰ってしまった一撃が、熱い痛みを齎していた。口の中に溜まった唾を、床に吐き捨てる。わずかに、赤いものが混じっていた。
「無駄ってわけじゃ、ねえんだ。ただよ、足りねえんだ。痛みが」
ちっちっ、と舌を鳴らし、悪鬼が指を振る。右腕と右足にあった傷口もいつしか塞がり、悪鬼は五体満足に戻っていた。
「なまくらでは、斬れない。それは、よくわかった……」
ゆらり、と立ち上がったエリックは、突き立った剣に背を向け無手で悪鬼と対峙する。
「おいおい、何のつもりだ? さっさと剣を抜いて、掛かって来いよ」
くいくい、と逆さに向けた指を動かし悪鬼が挑発する。エリックは応じず、胸の前で両拳を打ち合わせた。
「光の精霊よ」
呼びかけに応じ、エリックの全身を光が覆ってゆく。訝しげな表情で、悪鬼が眩しさに目を細めた。
「何だ、そりゃ? 目くらましのつもりかよ」
「いいや……」
光に包まれたエリックが、左の手刀を前に右拳を腰だめに構え、足をわずかに開く。
「第二ラウンドの、始まりだ、悪鬼!」
力強い叫びとともに、エリックは悪鬼へと足を踏み出し肉薄した。
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