元賊徒の計略
丘陵の上にある、白亜の神殿を見上げる。密林の緑の中で、陽の光を照り返す白の建築物は眩しく、神々しささえ感じさせる。木の上から飛び降りて、ラドウは糧食である赤い木の実を齧った。口の中に、鮮烈な酸味と汁気がやってくる。乾いた咽喉にそれは、よく染み渡った。
「敵の動きは、どうだ」
戻って来た斥候に、木の実のヘタを投げ捨てながら尋ねる。
「はっ、神殿への階段で陣取ったまま、レンガ様とのにらみ合いを続けております」
かつて賊徒であった頃の部下が、整った言葉遣いで報告を上げた。
「敵の数は」
「二十と少し。大半はゴブリンですが、指揮官らしき者には身体の大きなオーガもいます。まともなぶつかり合いは、危険でしょうな」
部下の言葉に、ラドウは苦笑を漏らす。レンガの率いる戦士たちと合わせて、こちらには四百五十の兵がいた。だが、たったの四百五十である。褐色の民たちはいずれも調練を積んだ屈強な戦士たちであったが、オーガが相手では分が悪い。武装も石器であり貧弱で、硬い肌を持つオーガはもちろんゴブリンたちにでさえ、劣っていた。
「レンガ様であれば……どうにか、といったところか。だが、取り巻きのゴブリンどもが邪魔をする」
冷静に、ラドウは状況を分析する。応じるように、部下もうなずいた。
「ゴブリンどもは連携も取れており、うかつに手は出しかねる、とレンガ様からの伝令がありました」
「なるほど。戦局を動かすのであれば、俺たちの部隊が動くしかない、というわけか」
木の実の汁で汚れた指を舐めつつ、ラドウは呟く。
「出来るのでしょうか、ラドウ様。俺たちの手で、戦を動かすなど」
ラドウの言葉に、部下が不安そうな表情を見せる。いかに屈強な戦士たちを率い、自らも過酷な調練を積んできたとはいえ、部下もラドウも元々は賊徒である。ゴブリンを率いるオーガ相手に戦うことなど、考えたこともなかった。
「出来るさ。そのために、エリック様から部隊を任せられているんだ」
ラドウもまた、部下と同じ気持ちであった。だが、徒に不安をあおるような真似はしない。それは、賊徒の頭であった頃からそうであった。自信の無い態度を見せれば、忠誠心など持ち合わせない与太者たちはすぐに逃げ出し、裏切る。それを体感したラドウであればこそ、その表情には頼もしげな色が浮かんでいた。
「まずは、レンガ様に伝令を。夕刻より動く。神殿の対処はお任せしたい。以上だ」
部下がうなずき、戦士の一人を伝令に走らせる。褐色の民たちの暗号じみた言語は、こうした伝令に大いに役立つ。口笛と、舌打ちの音だけで大抵のことを伝えられるのだ。
「あの丘陵に太陽が隠れたら、始めるぞ。準備をしておけ。ああ、それから」
準備のために背を見せる部下を、ラドウは呼び止める。
「オーガの肌の色は、何色だった?」
「はっ、ゴブリンどもと同じ、緑の肌でした」
部下の報告に、ラドウはうなずいて手を払う。行って良し、の合図である。今度こそ部下が駆け去り、ラドウはそっと息を吐いた。
「……少なくとも、いきなり悪鬼とは戦わずに済む、というわけか」
敵の首魁と目される黒の悪鬼は、漆黒の肌を持つ巨大なオーガだという話だった。報告によれば、敵の中にその姿は無い。それならば、とラドウの瞳に希望の火が灯る。
「やってやれないことは、無いはずだ」
誰にも聞こえないよう呟くと、ラドウも攻撃の準備に取り掛かった。
神殿のある丘陵の中腹に、オーガたちの陣があった。陣といっても、木組みの柵が設えられているわけではなく、直立するオーガを中心としてゴブリンたちが集っているのみである。石造りの階段から眼下を見下ろし、陣を組んだ二百と少しの人間たちを睥睨する。
闇の眷属である彼らは、太陽の光を嫌う。そのため、昼間の襲撃を彼らは最も警戒していた。夜となれば、夜目の効かぬ人間どもなど相手にもならない。我こそは優越種であるという強烈な自負が、彼らにはあった。
だからこそ、人間どもは昼に攻め寄せてくるだろう。黒の悪鬼には、いたぶれるだけ叩きのめし、全員捕らえて来るようにと命じられていた。オーガは焦れる思いを抑えつつ、夜を待つ。主である悪鬼に命じられたのであれば、全力を尽くすべきであるからだ。
夕闇が、辺りを包み始める。もうすぐ、楽しい狩りの時間が始まる。舌なめずりをしつつ、オーガは眼下の戦士たちを眺める。どこから食い千切ってやろうか。口元に、垂れた涎をぬぐう。
そんな時、密林の中から動きがあった。わらわらと出てきた人間たちが、見晴らしの良い丘陵を這い上ってくる。宵闇にでも、紛れたつもりなのだろうか。オーガの口に、笑みが浮かぶ。忌々しい陽の光はすでに沈む直前、こちらの視界はくっきりと獲物の影を映し出している。
オーガは咆哮を上げ、ゴブリンたちに指示を出す。小柄なゴブリンたちが一斉に動き出し、現れた人間たちへ逆落としを仕掛ける。坂を下る勢いのままに、手にした鈍器で頭をかち割りに行くのだ。高所の利点、というものを理解できない人間どもへ、オーガは嘲りの笑みを浮かべる。
嗜虐の感情が、オーガを動かしていた。捕らえて来い、と言われてはいたが、二、三人であれば貪り食っても問題は無い。悪鬼には、大らかなところもある。なれば、と陣を組んだ人間どもの方へと目を移す。そろそろ、仕掛ける頃合いか。オーガは丸太ほどもある巨大な棍棒を持ち上げ、肩にかつぐ。
ゴブリンどもから、悲鳴が上がった。密林から現れた人間どもの方角だった。オーガが目を向けると、頭に火の点いたゴブリンたちが足をもつれさせ、転がり落ちてゆくのが見えた。
何をやっている! オーガは咆哮する。転がり落ちたゴブリンは石槍を持った無数の人間どもに囲まれ、さんざんに槍を突き立てられて息絶える。
何が起こったというのか。オーガは別のゴブリンに、再び逆落としをさせる。メイスを振り上げ突進してゆくゴブリンに向けて、戦士たちが何かを投げつける。その一つが、ゴブリンの頭に命中した。乾いた、何かの割れるような音が聞こえた。同時に飛んでくるのは、火矢である。ゴブリンは難なく矢を払いのけるが、手が矢に触れた瞬間、凄まじい勢いでゴブリンの身体が燃え上がる。あとは、始めに突撃したゴブリンと辿る運命は同じであった。
ゴブリンたちの不甲斐なさに、オーガは怒り吠え猛る。図に乗るな、人間どもが! オーガは雄叫びを上げて、火矢を放つ人間どもに向けて駆け出した。一緒になって駆け出すゴブリンのひとつを掴み上げ、投げつけてくる何かを弾く。脆弱な存在は、盾にすれば少しは役に立つ。火矢を受けて燃え上がるゴブリンを投げ捨てて、オーガは不敵に笑った。
闇の中を、褐色の戦士たちが背を見せて駆け出してゆく。逃がすものか。一人残らず、骨ごと食らい尽してくれる。大きく吠えるオーガの声に、応じるように陽が沈んでいった。
密林の中を駆け戻ってくる部下に、ラドウはうなずいた。同時に、手にした物をぶんと振り回す。それは、長い紐で結んだ小さな壺である。中には密林で採取した、赤い油が入っていた。オーガと一緒に突っ込んで来るゴブリンどもには目もくれず、ラドウは振り回していた紐をオーガに向けて投げつける。
「こっちだ、デカブツ!」
壺を払いのけたオーガの右腕に、油がたっぷりと降り注ぐ。間髪入れず、ラドウは短弓を取り出し火矢を射る。賊徒をしていれば、この程度の器用さは身についていた。
燃え上がる右腕に、オーガは咆哮する。腕を振り回して火を消そうとするが、油を燃やし尽くすまで生半可なことでは火は消えない。
「どうだ、見たか!」
拳を握り、ラドウは喝采を上げる。目の前で、オーガが腕の振りを止めた。憎悪に満ちたその双眸が、真っすぐにラドウを捉える。
「な、何だと!?」
驚いて見せるラドウに向けて、オーガが猛然と走り始める。大股の一歩は大きく、オーガは瞬く間にラドウへと殺到してくる。ラドウの背中を、冷たい汗が伝った。
「この! この!」
短弓に火矢を番え、ラドウは次々に矢を射出する。だが、いずれの矢もオーガを傷つけるには及ばず、硬い皮膚に弾かれる。オーガの表情が、笑みに歪んだ。
ラドウは背を向けて、木の枝を猿のように伝い一目散に逃げだした。追っ手との距離は、すぐに縮まってゆく。木の幹に手を当てて、急転回をしても変わらない。かえって、距離を縮めるばかりである。
「た、助けてくれ!」
情けない声を上げながら、ラドウは跳躍して木に飛び移る。着地をしたとたん、ラドウの足元で枝が折れた。
「なんてこった! くそ! 足が!」
右足首に手を当てて、ラドウは顔を顰める。べきり、と木をへし折りながら、巨大な緑の身体が現れる。ついに、追いつかれてしまったのだ。
「う、うわ、来るな、来るな!」
矢の無い短弓を振り回し、ラドウは尻餅をついたまま喚き散らす。獲物を見つめる瞳で、オーガは一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。
「っの、野郎!」
叫びながら、ラドウは懐から油の小瓶を取り出しオーガの顔に投げつけた。不意打ちになって、油がオーガの顔にかかる。ぬるりとした赤い油の感触に、オーガが全身を震わせ、吠えた。
「ざまあみろ!」
手にした松明を、ラドウは投擲する。放物線を描いたそれは、しかしオーガの長い腕によって粉砕された。火が点かなければ、油はただの油でしかない。絶望の表情を浮かべるラドウに、オーガは嫌らしく嗤った。ぺろり、と口に垂れた油を舐め取り、オーガがぐっと身を屈める。一息に、飛びかかってくるつもりなのか。せめてもの慰みに、ラドウは枝の折れた古木を盾にする。そんなラドウをあざ笑うようにオーガが駆け出し、そしてその姿が消えた。
一瞬後に、どすん、と重い音が鳴り響き、そして耳をつんざく悲鳴が聞こえた。足を押さえてうずくまっていたラドウはすっと立ち上がり、右手を挙げる。周囲に、いつの間にか現れた褐色の戦士たちが油の小壺を持って立ち上がった。
「よし、やれ!」
オーガの消えた場所にある大穴へ向けて、ラドウは右手を振り下ろす。夥しい量の小壺が宙を舞い、穴の中に吸い込まれてゆく。
「点火!」
続いて、ラドウは火の点いた松明を持つ戦士たちへ指示を下す。穴の中へ松明が投げ入れられると、辺りが昼間のように照らし出されるほどの炎が上がる。だが、これで終わりではない。最後の仕上げとして、ラドウが手を打ち鳴らす。ほどなく運ばれてきたのは、穴の入口をぴたりと塞ぐほどの大岩であった。
「やれい!」
号令一下、十数人の戦士たちによって大岩が転がされ、穴を塞いだ。これで、完成であった。しばらく、オーガの恐ろしい咆哮が土の中からかすかに聞こえてきたが、やがてそれも収まる。
「ラドウ様、やりましたね」
全てが終わったとき、部下の一人が駆け寄ってきた。
「ああ。こちらは、問題無い。ゴブリンどもは、どうか」
「はい。バラバラに追ってきたところを、罠にかけて始末しました。斥候で見つけた数と、同じ数です。討ち漏らしは、恐らく無いかと思われます」
部下の報告に、ラドウはうなずいて見せる。
「レンガ様は」
「オーガの出撃に合わせて、神殿へ進軍を開始したとのことです。我らも、そちらへ?」
問いかけに、ラドウは首を横へ振る。
「いいや、俺たちは、このままファンオウ様のいる本陣へと合流する……被害は、どうだった」
「ゴブリンどもの反撃に遭い、十人ほどが重い怪我を。しかし、死者はありません」
「なら、まずは怪我人を運べ。俺たちは、護衛しつつ合流だ」
うなずいて、部下が走り去る。一人になって、ラドウは苦い顔で息を吐いた。
「十人、か……くそっ」
オーガを埋めた大岩に、蹴りをひとつくれて舌打ちする。しばらく佇んでいたラドウであったが、やがて踵を返して密林の中へと消えた。
本陣は、臨時の診療所となっていた。運び込まれてくる褐色の戦士たちの間で、ファンオウは忙しなく動き回る。ある者には止血や薬を塗り、またある者には鍼による施術を行う。ファンオウの傍らで、イファも小さな身体を目いっぱいに動かしていた。
「殿。そろそろ、敵も動くようです。こちらを、離れられませぬように」
大弓を担いだエリックが、天幕の入口でファンオウに声をかける。
「うむ。いよいよ、じゃのお。エリックよ、頼んだぞ」
「お任せください、殿。必ずや、黒の悪鬼の首級を、挙げて見せます」
のんびりとしたファンオウの声に、凛とした言葉を返したエリックが背を向ける。夜の闇が、美しいエルフの長身を覆い隠してゆく。そんな幻覚を見たような気がして、ファンオウはエリックの背に手を伸ばそうとする。だが、足元で呻く怪我人に、ファンオウの視線はそちらへと向けられた。
「エリック……みんな、無事でのお」
しみじみと、ファンオウは呟いたのであった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。ポイント、ブクマ、感想等大変励みになっております。
次回は、来週になります。どうぞよろしくお願いします。
お楽しみいただけましたら、幸いです。




