激闘の行方と誘い鬼
神速の踏み込みで、エリックは悪鬼の懐へと飛び込んだ。
「しぇあっ!」
呼気とともに、弾けるような肉を打つ音が六つ、広間に響く。
「ぐおお! こりゃ、中々……だが!」
わずかに上体をのけ反らせた悪鬼が、カウンターのフックを放つ。
「見え透いた手だ!」
素早く身を沈め、頭の上を通過する腕を肘で跳ね上げる。生木を裂くような、鈍い音が鳴った。
「うおお、痛え!」
喜悦の声を上げる悪鬼の胸板へ、エリックが再び拳を打ち込む。一秒フラットに六発の重い打撃が、悪鬼を穿つように打ち込まれる。
「っ、このクソエルフ!」
だらりと垂れ下がった右腕をそのままに、悪鬼が左腕を振り上げて下ろす。その一撃は、頑丈な岩を豆腐のように砕くほどの威力が込められている。尋常の者であれば、死を覚悟する一撃だったが、
「当たらなければ、良いだけのことだ!」
唸りを上げて落ちてくる拳を、エリックはわずかに身をよじって躱す。のみならず、光輝くその手で悪鬼の腕を取って投げ飛ばした。ごきり、と関節を砕く音が鳴った。投げで悪鬼が転倒する直前、腕を極めて折ったのである。
「せえい!」
倒れた悪鬼の頭部へ、エリックは長い足を振り下ろす。光り輝く足裏が、悪鬼の顔面を踏み抜く直前、
「甘いぜ!」
初撃で折った筈の悪鬼の右腕が、エリックの足を捕らえた。間髪入れず、ぎしりと鬼の力で締め上げられた足首が軋んだ。だが、エリックの顔には焦りの色は浮かばない。
「予測済みだ、愚か者!」
ふわりと、エリックのもう片方の足が宙で弧を描き、足首を掴む悪鬼の腕へと踵が落ちた。みしりと重い打撃音と同時に、眩い光が爆発する。
「がああ!」
悲鳴が上がり、悪鬼の指が足首から離れた。悪鬼の左腕が上がり、頭部を守るように突き出される。深追いはせず、エリックは小さく跳び下がり悪鬼に対して構えを取った。仰向けに倒れていた悪鬼がばねのように身体をしならせ、素早く立ち上がる。無防備な背中を見せる悪鬼に、しかしエリックは動かず、悪鬼が振り向くのを待った。
「なるほど。てめえ、剣を使うよりもこっちのほうがよっぽど強いな」
にやりと不敵な笑みを浮かべ、悪鬼が拳を宙に突き出して言った。
「なまくらを振り回すよりも、効率的なだけだ。それに、貴様にはこちらのほうが効くだろう」
光り輝く手のひらを上に向けて突き出し、小指から順にゆっくりと握り込む。形作った拳を腰だめに構えて、エリックは弓に番えられた矢のように身を引き絞る。
「なるほど。確かにそう見えるかもなあ。だがよ……」
エリックの目の前で、悪鬼はあらぬ方向へと曲がった右手首を掴み、戻す。わきわき、と指を動かす様を見れば、ダメージが入ったようには見えない。
「それでも、俺を殺すには少し足りねえ。残念だったな」
闘気を漲らせて立つ姿は、戦いを始める前と寸分の変わりも無い。ほとんど不死身のタフネスを目にしたエリックは、首をゆっくりと横へ振る。
「ならば命に届くまで、何度でも痛めつけるまでだ」
「無駄だってのが、判らねえのか? どんなに傷を付けようとも、骨を砕こうとも、俺の身体は再生する。てめえには、ハナッから勝ち目なんざ無えんだ……よっ!」
今度は、悪鬼のほうから踏み込んできた。コマのように身を回しながら、回転の勢いをつけた後ろ回し蹴りがエリックの頭へと襲い掛かってくる。大振りの、これ見よがしな蹴りだった。蹴り足を潜り抜けようと、エリックが身を低く沈める。その瞬間、悪鬼の足の動きが横から縦へと変化する。
「かかったな、馬鹿が!」
大人の女性の胴ほどもある悪鬼の足が、エリックの真上から振り下ろされた。エリックは慌てず、真横に身体をスライドさせて躱しながら、悪鬼の膝を掌底で弾いた。
「馬鹿は、貴様だ!」
内懐深くに入り込んだエリックが、身体を大きく反らせた。そのまま身を起こすように、悪鬼の顔面に額をぶつける。強烈な、それは頭突きであった。光が弾け、悪鬼の身体が大きくのけ反る。それを攻め口に、エリックは無数の拳と蹴りを放つ。どどどどど、と凄まじい連撃が、悪鬼の身体を細かく揺らす。
「てぇい!」
トドメとばかりに、エリックは身を回して右足の踵で悪鬼の顎を横ざまに蹴り抜いた。悪鬼の身体が大きく吹き飛び、地響きを立てて倒れ伏す。頭突きから、ほとんど瞬きをする程度の時間に行われた攻撃だった。
「ぐ、ああ……痛え。痺れるくらいの、痛みだ……」
仰向けに倒れた悪鬼が、顎をさすりながら起き上がる。その黒い地肌の胸に、白く輝く亀裂が入っていた。
「あん? 何だ、こりゃ……ま、まさか!」
胸の傷を見下ろして眼を見開く悪鬼へ、エリックは不敵な笑みを見せる。
「そうだ。俺の光の一撃は、貴様の身に纏う闇を祓う。闇を祓いきってしまえば、貴様はもう不死身では無い……行くぞ!」
だん、と床を蹴ったエリックが、悪鬼へと襲い掛かる。頭を守るように上げた両腕ごと、エリックは蹴り上げる。ガードの上がった胸に肘を、そして顔面に裏拳を叩きこむ。びしり、と音立てて悪鬼の胸の亀裂が大きくなり、その下から赤い肌がのぞき始める。悪鬼の表情に初めて、苦痛の色が浮かんだ。
「ちいっ!」
舌打ちと共に、悪鬼が右拳を握り固めて掬い上げるように打ち出した。エリックは後方へステップし、それを躱す。流れるような動作で、悪鬼が身を回し左足を振り下ろすように放ってくる。首を刈るような鋭さの蹴りに、エリックはさらに後ろへと下がった。
「ちょこまかと動きやがる……だが、こいつはどうだ!」
両腕を胸の前で揃えて構え、悪鬼が小振りの拳を連打する。悪鬼が選択したのは重さではなく速度のある、連撃だった。躱しながら懐へ潜り込む隙を探るエリックが、悪鬼の胸に目をやり眉間に皺を寄せる。
「……成程。再生の、時間稼ぎか。くだらんな」
悪鬼の胸の亀裂が、少しずつ闇で埋まってゆく。
「仰る通りだ! だが、俺は無限に再生する! てめえに、勝ち目なんざ無えんだよ!」
「吠えるな、耳障りだ」
身を沈め、滑るような動きで拳を掻い潜る。横合いから、悪鬼の足が来る。だが、エリックの方が速かった。ほとんど密着するまで肉薄すれば、蹴りは意味を成さない。上がった腿へ腕を差し込み、身を捻りながら抱え上げて投げ飛ばす。一緒に倒れ込むエリックの頭上で、悪鬼の頭部が激しく床に叩きつけられた。
「しゃあっ!」
身を起こしざまに、エリックは右足を払って悪鬼の頭を狙う。蹴りを防いだ悪鬼の右腕に、新たな亀裂が生まれた。
「ぐ、あああああ!」
喜悦ではなく、苦痛の叫びだった。エリックは悪鬼のガードの上から、何度も踏みつけるような蹴りを放つ。べきり、と鈍い音が鳴った。
「この、クソエルフがああ!」
手をついて起き上がろうとする悪鬼の左腕を、蹴り払う。光の一撃は、太い腕をあっさりと払いのける。左腕にも、亀裂が走った。
「貴様には、そうして地べたに這いつくばっているのがお似合いだ!」
身を起こそうともがく悪鬼へ、容赦の無い蹴りの嵐が降り注ぐ。その度に、悪鬼の肉体に亀裂が生まれ、広がってゆく。
「だ、だが、俺は無限に……」
「無限ではない。貴様の再生には、限度がある!」
蹴り足を緩めず、エリックは広間にちらりと視線を向ける。月の光さえも通さぬほどの闇が、いつしか薄まっていた。
「この、神殿の闇が、貴様を鎧う闇の正体だ! だからこそ、俺は光を選んだ!」
ぐにゃりと折れたガードの上から、ついに蹴り足が悪鬼の頭へ届いた。
「ぐおあああ! てめえ! このクソエルフ! 俺の、俺の角をおお!」
足刀の鋭さが、悪鬼の角の一本をへし折った。
「角だけでは無い。貴様の全てを、蹴り潰す!」
「図に、乗るなあああ!」
悪鬼の全身から、黒い霧のようなものが噴き出した。得体の知れぬ攻撃に、エリックは素早く飛び退く。わずかに霧に触れた足先に、かすかな痺れがあった。
「……遊びは、仕舞いだ。てめえの全てを奪って、そしててめえも殺す」
ゆらり、と立ち上がり、悪鬼が言った。だらりと下げられた両腕は折れ曲がり、肌は黒ではなく禍々しい赤に染まっていた。
「それが、貴様の奥の手か」
薄い闇の霧を漂わせる悪鬼に拳を向けて、エリックは問う。薄笑いを浮かべた悪鬼が、ゆっくりと首を横へ振った。
「いいや……俺の奥の手は、別だ。あんまり楽しめないんで、使いたくは無かったんだが……そうも言ってられねえ。てめえ仕様の、特別を見せてやる」
言って、悪鬼は折れた右腕を掲げる。悪鬼を覆う霧が集まり、闇が固まり鏡を創りだす。
「……何のつもりだ? 時間稼ぎであれば、最早無駄だ」
広間の闇は晴れ、ほのかな月光が差し込んでいた。悪鬼の力の根源である闇は、悪鬼の手の上にあるちっぽけな闇しか残ってはいない。そのような状況にありながら、悪鬼はにやりと嗤う。
「そんなつもりは無えよ。それに、時間ならもうたっぷりと稼いだ」
鏡に、悪鬼が折れた手をかざす。つるりとした闇色の表面に、ひとつの映像が浮かび上がる。密林の中の、とある映像が映し出される。
「こ、これは……!」
驚愕に、エリックは眼を見開いた。
「てめえの弱点なんざ、先刻承知なんだよ。忠犬クソエルフ」
にんまりと、嫌らしく悪鬼が言う。だが、エリックは言葉を返すこともできず、ただただ鏡の中の映像に目を奪われていた。
鏡の中には、己の全てを賭けて敬愛する主人、ファンオウの姿が映っていたのだ。
運び込まれてきたレンガの治療を終えたファンオウは、天幕を出た。全身を強打したにも関わらず、レンガは命を拾っていた。打ちどころが良かったのか、はたまた常識外れの頑丈さを持っているのか。ともあれ、峠は越した。ここまで、一人の死者も出なかったことにほっと息を吐いて、ファンオウは丘陵の神殿を見上げる。
「エリック……わしも闘える身であれば、共に行くのじゃがのお……」
ふっくらとした自分の掌を見つめ、ファンオウは呟く。それは戦士の手ではなく、医師の手であった。薬草の臭いの染み付いた、柔らかな指先である。黒の悪鬼と戦うエリックの、助けにはなれそうにもない。出来ることはといえば、怪我人の治療を終えた今となってはただ無事を祈るばかりであった。
『……イデ』
肩を落とすファンオウの耳に、微かな音が聞こえてくる。密林の闇に目をやり、ファンオウは耳を澄ませる。
『オイデ……オイデ……』
「この声は……何じゃろうかのお? 何か、懐かしい感じがするのお……」
言いながら、ファンオウはふらふらと歩き出す。
「ファンオウ様、どちらへ?」
険しい顔をしたイーサンが、ファンオウの側へやってきた。
「ちと、誰かに呼ばれておる気がしてのお。みんなは、もう戻っておる筈じゃったかのお?」
のんびりとした口調で言うファンオウに、イーサンがうなずいて見せる。
「はい。エリック様を除いて皆、この本陣へと戻っております。ここを離れているのは、哨戒に出ているラドウ様の部下の方と戦士が数名です」
淀みなく答えるイーサンに、ファンオウは首を傾げた。
「ふむう……じゃが、聞こえるのじゃ。わしを、呼ぶ声が……」
ふらふらとした足取りで、再びファンオウが歩き始める。
「お待ちください、ファンオウ様。夜の密林は、危険です。供の者を」
「なれば、お主が来れば良い。今、一番危険なのはあそこにいるエリックなのじゃからのお」
神殿を指して言うファンオウに、イーサンがうなずきを見せた。
「はい。ファンオウ様の御身は、この身に代えましても御守りいたします」
「うむ。では、行くかのお」
イーサンを連れて、ファンオウは歩き出す。誘いかけるような声に導かれるままに、ファンオウは密林の中へと足を踏み入れるのであった。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。ポイント、ブクマ、感想等、大変励みになっております。
楽しんでいただければ、幸いです。




