EP9:一人旅
「さて、どうやって突破するか」
岩陰から覗き見た先に、人間の一群がいる。見える範囲で10人ってところか。
待機中なのだろう、のんきに談笑してやがる。
北にある人間の拠点に行くならここを通るのが最短。だがお気楽な兵士達がここに陣取っている。
中層を西回りで北上する計画だったが、迂回するのが賢明か。仕方ない、少し戻ってルートを見直そう。
俺は人間達を恨めしく見つめてその場を去った。
ある程度離れてから、岩陰に寄りかかって地図を指でなぞる。
最適なルートを探してみるが、この辺りは選択肢が少ない。
大きな道の分岐点となると、だいぶ戻る必要がある。ここを選んだのは失敗だったかも。
やっぱり東の森に向かうか。
見上げてため息を吐くと、ちょっと肩が楽になった。
ぼんやりと偽空を眺める。向こうが南東だから、あっちに要塞がある。地図には、要塞のずっと東まで特筆するロケーションは書かれていない。
カルネはどこへ向かったんだろうか。誰かを探しているらしいが、まさか中層に知り合いがいるなんてな。俺が知らないだけで、案外下層から出入りしてる魔物は少なくないのかもしれない。
「まっ、あいつらのことなんて知ったこっちゃねーがな」
立っているのも疲れるもんだ。周辺に何かがいるような気配はないし、このまま休憩にしよう。
静かなもんだ。
たまに、岩の隙間を流れる風の中に砂の混じった、ジリジリと軽く擦れる音がするくらい。
ただ顔にまとわりつく風が煩わしい。手で顔をぬぐうが、どうもさっぱりしない。
ふと、何か違和感があることに気づいた。
空気が淀んでいるのだろうか。妙な、ドロリとしたベタつく空気だ。
いや、これは臭いだ
風の中に嫌な臭いが混じっている。だがどこか馴染みのある、それでいて嫌いな感じだ。
不意に、口の中に鉄錆のような味が広がったような気がした。
ああそうだ。
これは、血の臭いだ。
近い。特に騒ぎは聞こえない。戦闘が終わった後か。
だとするなら、人にせよ魔物にせよ、怪我で倒れている奴はよほど酷い状態だろう。
早く蘇生できるように介錯してやるのが戦場の道理だと、鬼怒かカルネだったかが言っていたのを思い出す。
岩山の向こうか。
地図上に越えられるような道は載っていない。眼前の岩山を目でなぞると、どうにか登れそうな足場を見つける。
誰かがこの反対側を登ってくることはあるだろうか。この先を確かめるべきか。助けるのが道理とはいうが。この先に人か魔物が生きていたとして、危険を犯して助けるメリットは……
ないな。
まだ余裕はあるが、だからって時間を無駄にしたくない。
敵がいるかもしれないし、さっさと離れよう。
俺は踵を返してその場から離れようとした。足を動かしたその一瞬、視界に影がよぎった。
偽空の雲が動いたのかと思い見上げるが、特に動いた感じはしない。
気のせいかと思い直し踏み出そうとして、足が止まった。視線を落とす。
いつの間にか喉元に剣が突きつけられていた。
喉元に刺すような痛み。のけぞったら岩にぶつかる。
逃げ場がない。
目の前には剣を持つ女。年齢は成人前といったところ。もう少し若いか。
白みがかった瞳が無関心に俺を見ている。
女の手が動いた。刃が少しだけ、喉に食い込んだ。
こいつ、やばい。
「ま、まて! おれは人間だ」
「悪魔でしょ」
「ちげーよ! よく見ろ!」
俺は急いで髪を手で押さえ、角がないことを示した。少女はじっと俺を見る。
相手は一人。
単独。
まさかバトラーか。
「魔物のような気がします」
「気がしますで剣を突きつけるな。あぶねーだろっ!」
「大丈夫ですよ。ただ死ぬだけです」
「お、おいおい、正気かよ」
何か、打開策は……
装備はやや軽装、剣の柄の形はコレクションにあったRFC製と酷似している。
そして肝心の首元にネクタイはない。
代わりに少し開けた襟元からはチェーンが見えた。タグかもしくは家族の写真でも持ち歩いてんのか。
「私のこと観察してますね」
「そ、そりゃするだろ。いきなり剣を突きつけるとか、ヤバすぎ。お前の方こそ悪魔だろ」
「ちがうもん」
「じゃあ剣を引いてくれ」
「うーん、まあいっか」
少女は本当に剣を引くとあっさり鞘に納めた。
首に鋭い痛み。触れた指に血が滲む。
さっきの動き、素人目に見ても只者じゃなかった。一般兵でもここまで出来る奴がいるのか。
そりゃ魔物共が手こずるわけだ。
「すみません。てっきり悪魔かと」
「ちげーよ。ほら角ねーし羽ねーし尻尾もねーし。俺は悪魔じゃなーい」
「そうですねー」
同意しながら無遠慮に俺の頭をポンポン叩きやがる。念のためお背中はいけーん、と言うから背中を見せてやった。剣で斬られるかとヒヤヒヤしたがそんな様子もない。
なんとか切り抜けたようだ。安堵すると喉の痛みが疼き出す。
とりあえず助かった。にしても羽も尻尾も無いのは見りゃわかるだろーに、まだ見てやがる。
「ほんとにないですね。おっかしいなぁ。絶対魔物だと思ったのに」
「何を根拠に。ったく、ちゃんと確認してくれて助かったぜ」
「それはそうでしょ。いきなり斬り殺すなんてしたらまた怒られちゃう」
怒られちゃうって、自分の思考が基準じゃないんかい。
満足いったのか、少女はニコッと笑った。
「あなたのお名前は?」
本名を名乗るのはまずいだろう。
とっさに思いつけるのはアナグラム。
マゲ。
やだな、これ。
「……オーマだ」
「オーマさんですか。こんにちは。わたしはアペアです」
「あ、ああ。こんにちは、アペア」
「こんなところで何を」
「魔物がいたから隠れてた」
「それなら私が斬りました」
「そりゃ助かる。これでこの辺りも歩きやすくなるってもんだ」
嘘じゃない。魔物がいなければ人間も警戒を緩める。
だがアペアは一瞬の隙さえ見逃さないように凝視してくる。どうすれば嫌疑は晴れるのか。
「なあ、もういいだろ」
「そうですね。これからどこへ?」
「北の拠点へ行くつもりだ」
「拠点へ行くですか。ふーん」
「な、なんだよ」
「いえ。道中お気をつけて。基地ではきっとみんなが待ってますよ。ではオーマさん、失礼します」
アペアはさっさとどこかへ行ってしまった。
頓着無い素振りに、なぜか自分だけ取り残された感じがした。
俺はさっき変な事を言っただろうか?
思い当たるものはない。なら気にしても仕方がない。今はここを離れることが肝心だ。
ルートを選び直そう。この道は思ったより危険だ。
遠回りにはなるが死ぬよりはマシだ。
ただ一つだけ気になることがあった。
あの兵士、なぜ俺を見逃した?
どう考えてもおかしい。こんな所に民間人などいるわけもない。仮にダンジョンにいたとしてもこんな中層の、しかも魔物側の領域だぞ。
俺を同僚と見たにしては会話が噛み合っていない。
あいつが聞いてきたのは名前と行き先だけ。まさか、俺の正体に気づいていた?
だったら尚更なんで……
不意にネズミの声が脳裏をよぎる。
『教えて上げるよ、人間の目的について……君だよ。魔王』
みんなが待っている、か。
クソったれ。
俺は足早に岩の間を駆け抜けた———
「隊長さん、戻りました」
「魔物は」
「みなごろしでーす」
「さすが白鶴の二つ名は伊達ではないね。ところで、さっき話し声が聞こえたが、尋問でもしていたのか?」
「話し声ですか?」
「ああ。ふむ……アペア、君の声は確かに聞こえたぞ。何か隠しているのかね」
「ふむ。こんなとこで何隠せばいいのかね」
「気のせいではなかったと思うがな。ちなみにそれって私の真似?」
「……もう、だってわたしだけこんな端っこで道の確認とか地味ーな仕事させられるんだもん。こっそり愚痴りたくもなりますよ。早く基地に戻りたーい」
「ははは、それはすまない。だが文句は白銀殿に言ってくれ」
「ベル先生には言っても無駄」
「生きる伝説も愛弟子には甘いのでは?」
「ぜんぜん。毎日いじめぬこうとする。それに身の回りのお世話してあげてるのにすっごい文句言うし。しかも何度も殺すんだもん。もっと優しくしてって言ったら優しく殺してやったとかぬかすし。ちなみに生きる伝説じゃなくて生きる屍だから。寿命長すぎ。ぜったい魔物だよ。妖怪鬼婆」
「は、ははは……まぁ、その、なんだ。華やかな任務ではないが、下層への部隊投入のためともなれば中層の戦いよりも重要だ。戦地では下層深部の鬼が出没したとも聞く。張り切ってくれとは言えんが、君たちバトラーの護衛は頼りになるのだ。今後も期待させてくれ」
「はーい。がんばりまーす。早く終わらせて、おもてなしの準備しなくっちゃ」




