EP8:悪魔エリメアク
「ここだ。しばし待っていろ」
目の前にはくすんだ灰色の切り立った崖。
これが要塞だというのだが、入口さえない。
鬼怒は俺達の疑問を浮かべた視線を背に、ズカズカと崖に近づいていく。
ここが要塞の入口だと案内されなければ到底気づかない、というよりわからない。
鬼怒が岩に手を当て、何かを探しているようだった。
俺とカルネは少し離れたところでその様子を見て待っていたが、どうにも何も起きそうにない。
場所、間違えてないか?
カルネも同じことを思ったらしく首を傾げて俺を見る。
鬼怒はまだ探している。手つきがせわしない。
すると、崖の正面に立つ俺達の横で、バカッと地面が突然開いた。そこからおそらく魔物と思わしき顔がこちらを見つめている。そいつは角の生えた人間、もとい悪魔だった。
その背後には地下へつながる階段。
どうやら開けたのは鬼怒ではなさそうだった。
こっちを見て変なポーズのまま固まっている鬼怒に俺は声をかけてやった。
「おい鬼怒。開いたぞ」
「……うむ」
咳払いして鬼怒が戻ってくる。横でカルネがブヒッと鼻で笑った。
階段では悪魔が手招きしている。
縁起の悪い絵だ。
三人揃って階段に近づくと悪魔が先に口を開いた。
「鬼怒殿、お久しぶりです」
「ああ。司令官の招集に応じ馳せ参じた。案内してもらおう」
「御意に。エリメアク様のところへご案内いたします。ところで……その人間は?」
「フッ、こやつは魔王だ」
「魔王ですか。噂に違わぬ凡庸さ溢れる見た目ですね」
「気にするな。行くぞ」
「ではこちらへ」
お前だって似たような見た目だろ。
喉元まできた言葉を我慢して飲み下す。こめかみがピクピクする。
しかし状況がわかるまでは下手に手が出せない。
ここは魔物の最重要拠点、中層で最も危険な場所の一つなのだ。
階段を降りるカルネの表情が少し硬い。周りに素早く目を走らせている。いつもの軽口も出てこない。
鬼怒は普段と変わらずノシノシ降りていく。こいつの背中には迷いがない。
地下を進むと今度は階段を昇登り始めた。
登ること数十段。恐らく地上から見て三階部分といったところか。
青い木で出来た扉の前に案内され、案内役は少し待てと言い、ドアをノックして入っていく。
中から落ち着いた話し声がするが、言葉が形になっていない。
話が終わったのか、ドア越しに野太い声が入って来いと言う。
強く明瞭な声。
中には大柄な男が一人、部屋の奥に立っている。
四本の角が生えた頭。背中には飛べるのかわからないがこざっぱりした羽が見え隠れしている。それと足元まで伸びた細い尻尾。
一目で冷酷とわかる鋭い双眸に尖った顎。
鬼怒とは違う、どこか色気のある迫力を放っている。
こいつが人間と戦う魔物を率いる要塞の司令官。
悪魔エリメアク。
悪魔が俺を見た。
鋭利な眼光が光のように俺を貫く。
ほんのわずかな動きだったが、その口の端が上がった気がした。
司令官ということはネズミの上司。
こいつもまた、俺のことを知っているのだろう。
ほんのひととき、その目を見返している間、時間が止まったような錯覚がした。
まばたきと共に視線を鬼怒に移したエリメアク。ハグでもする気か、両腕を広げて鬼怒へと近づいた。
鬼怒は片手をあげてそれを制した。
「ハハハ。久しいですね、鬼怒。それに……珍しい組み合わせ。まさかカルネまで来てくれるとは。喜ばしいことです」
「へっ、思ってもいねぇくせによぉ。おらぁついでに寄っただけだ」
「ついで? ああ東に行くのですね。なるほどなるほど」
一人頷くエリメアク。そんな悪魔をカルネは物でも見るようにして対峙している。
一波乱ありそうな雰囲気を破ったのは鬼怒だった。
「エリメアクよ。本題に入ろう。今は中層はどうなっている」
「誠に残念ながら、約6割は人間が占拠しておりますよ。我が軍の精鋭もバトラーを中心とした人間の軍勢に押されている状況。多くの同胞が無残に散っている。実に嘆かわしいことです」
どこか芝居がかった仕草で頭を振るエリメアク。言葉とは裏腹にまるで情動を感じさせない。さすが悪魔。
こいつは油断ならないと本能が告げている。扉の近くから離れようとしていないカルネが俺に目配せした。
いつでも出られるようにしとけってことか。
「ところで、そちらが噂の魔王殿でしょうか」
今の目配せを見逃さなかったのか。
話の持っていき方が強引だな。
「どーも」
「ハハハ、そう警戒しないでください。カルネもです。君達に危害を加えるようなことはいたしませんよ。同じ魔物ではありませんか」
「よく言うぜぇ。おめぇさんの戦術は死を前提にした突撃ばかりじゃぁねぇか」
「部位破壊などを行う人間に対する戦術としては有効だと思いますが? 五体満足で生きて帰ってこれるのです。申し分ないと判断しておりますよ」
「ケッ、その考え方が気に入らねぇんだわ。やっぱ来るんじゃなかったぜ」
友好的な表情を崩さない鋭利な目をした悪魔エリメアク。
カルネを見るその目は蔑む何かを感じさせた。
「カルネ、君がここに来たのは状況を知りたかったということでしょうか。いえ違いますね。東のことが知りたかったのでしょう。わかりました。君が知りたいことをお伝えしましょう」
「勝手にペラペラ喋りやがらぁな。おめぇさんは信用ならん」
「そう言わずに。我が招集に応じてくださったことへの誠意です。君の友人は行方不明となっております。この私でさえその居所はわかっていないのです」
「まさかあの河童、捕まったのか……? おい、知ってることを洗いざらい吐き出せやぁ!」
カルネは悪魔に掴みかかりそうな勢いで踏み出した。だがエリメアクが掌をだし制すると、カルネはそれ以上は進まなかった。
歯軋りをするカルネは拳を自分の掌に叩きつけた。
俺は事の成り行きを静かに見ていた。
「申し訳ありません。わからないのです。本当にね」
「くぅ……あいつのことだぁ、きっと無事に逃げ延びてらぁ。すまねぇなエリメアクよぉ。邪魔したな」
「おや、もう行くのですか。少しはゆっくり滞在してくださっても構わないのですよ。旧知の仲ではありませんか」
「おめぇさんとは馬が合わねぇんだ。だでここには残らん。とはいえだ、無茶なことして人間には捕まるなよ」
「肝に銘じましょうとも。その心遣い、嫌いではありませんよ。ありがとう、友よ」
「へっ。最後の言葉は信じてやらぁ」
カルネは本当に出ていこうとした。しかしその足が止まった。鬼怒がカルネの腕を掴んでいる。
いつもなら放っておく鬼怒の性格を知っているだけに、その場の全員が少なからず驚いていた。
「あんだぁ? 鬼怒よぉなんか文句あんのかぁ?」
「待て。今は争う時ではない。魔物は一丸となって戦うべきであろう」
「ゲハハ! おめぇさんが一丸なんて言うたぁなぁ。酒をやめてとうとういかれちまったかぁ?」
「カルネよ。お前はエリメアクを誤解しておる。たしかにこやつは非道な作戦を強いるだろう。だがしかし、それは戦いに勝つためである。基準が合理的なのだ」
「んなもん知ってらぁ。それが嫌だっつってんだぁ」
口を挟む隙がない展開。置いてきぼりを喰らってしまった。それにしても鬼怒がこんなにも他者に意識を向けるなんて、意外だ。
どうやら悪魔も同じことを思ったらしく、真剣な鬼に興味を惹かれている。
「これはこれは。実に面白いではありませんか。何者にも動じず、神出鬼没の赤鬼と恐れられたあなたに一体何があったのです。200年見ない間にずいぶん丸くなられましたね」
「笑いたければ止めはせん。だが目的のためならば手段など選ぼうものか」
「ほう。激情家のセリフとは思えませんな。まるで私の物言いではありませんか。以前のあなたならば、その非道と称する作戦を強いる私に詰め寄っていたでしょうに」
「ふん、最近少しばかり考えを改めただけだ」
「……魔王ですか」
「さてな」
鬼怒はカルネから手を離し、無表情のまま静かに腕を組んだ。何を考えているのかまるで読めない。
それにしても、俺に影響された?
鬼怒が?
まさかだろ、そんなの。
思わぬ足止めで出そびれたカルネだったが、その機会を与えたのは悪魔エリメアクだった。
エリメアクはカルネに向き直ると、深々と頭を下げた。
「カルネ。もう一度チャンスをいただけませんか。私を嫌うなら嫌ってくれて結構です。だが私は君の実力に一目置いているのです。叶うならば我が軍勢に加わり、共に人間を上層へと押し戻してほしい。君のご友人が見つかるまででも構わない。なんなら我が軍のネズミ達に探させましょう」
嘘くささがない真摯な態度。そして悪魔が頭を下げた。
その姿にカルネもさすがに無下にはしなかった。
「エリメアクが頭を下げるたぁ面白い。おめぇさんの気持ちに応えてやりてぇとこだがなぁ、だがすまねぇな。おらぁ東に行く」
「そうですか。残念です。ですがこれ以上のお引き止めは野暮というもの。鬼怒もよろしいですね。ではカルネよ、健闘を祈っております」
「なあエリメアクよぉ。合理的な判断は必要だろうよぉ。死を前提にするなんざよかねぇよ。いいかぁ、おれたちゃ誰しも心があるんだぁ。蔑ろにしちゃいけねぇぜ」
「存じておりますとも。ですが私は使えるものは何でも使いましょう。人間を一網打尽にできるならこの本陣とて囮に使ってみせます」
「ゲハハハハ! そこでこの身を囮に、と言わねぇところがお前らしい。せいぜい頑張るんだなぁ」
カルネは扉を開けて出ていく前に俺を見た。
束の間の静寂。
その瞳に俺はどう映っているのか。
言いたいことがあるなら言えってんだ。
「なんだよ」
「困ったらぁ東に来い」
「わかった」
「じゃあなぁ」
扉をくぐり、カルネの黒い巨体は見えなくなった。
カルネは東に行く。
鬼怒はさっきの言いぶりじゃあここに残る感じだ。
ここからは俺一人ってことか。
エリメアクから状況を聞かせてもらえると助かるがこいつの場合、それなら手足となって働けって言いそうだしなぁ。
エリメアクはなぜか鼻で笑ってから妙な話を始めた。
「魔王ゲマ。君は悪魔を見たことがありますか」
「……今、目の前に」
「本物の悪魔です。私はずっと昔に見たことがあります。我々が魔物に変容する以前のことです。それは少女の皮を纏った純粋な意思とも呼べる存在でした。今思うと実に恐ろしい存在です。その冷酷さときたら私など到底敵いません。この姿となった時に、私はああはなりたくないと思ったのです。なぜなら、あの冷酷さを強く否定する倫理観をかつて共に過ごした方が教えてくれたのですから」
「へぇ。でもあんたは非道な悪魔って感じだけどな」
「フフフ、そうですね。ですがその教えがなければ私はこの程度ではなかったはずです。もうあの人は生きてはいないでしょう。このような世界にはいるはずもありませんが、今の姿をお見せしたくはありません」
「ふーん。んで何が言いたいんだよ」
「カルネが諭した良心はすでに私にもあるのですよ。もし何かお困りでしたら、ここをお尋ねください」
「やなこった」
「嫌われてしまいましたか。これが悪魔の業というものでしょうか」
「知るか。合理的だってんならもっと有用な情報を寄越せっての」
「見合った働きをしてくださるのなら」
「ちっ」
悪魔との取引はあっさり失敗に終わった。
元々期待はしていなかったからこれ以上は踏み込む気はない。
ヘタをして取り込まれでもしたら厄介だ。
俺の意思を察した鬼怒が、ふっと軽く笑った。
少し名残惜しそうにも見える。
本当にどうしたんだ、こいつは。
「ゲマよ。お前も行くのか」
「ああ。ここに留まる気はねーよ」
「そうか。達者でな」
「あんたもな」
それでも鬼怒は俺を引き止める気はないらしい。
別にそれでいい。
「魔王ゲマ。君はどこへ向かうおつもりなのです」
「知ってどうする気だ」
「ネズミから君のことは聞いております。ずいぶん良くしてくださっているそうではありませんか。地上に出たい魔王。いつかその手に太陽を掴めるといいですな」
「合理を説くあんたが常理の象徴である太陽を蔑むのは道理にかなってないぞ」
「ふん。君の思想に付き合う気はありません。ですが、一つ忠告しておきましょう。敵は人間とは限りません」
「あんたみたいな魔物もいるからな」
「いずれわかるでしょう。それでは、成功を祈っております。フフフ、ハハハハハハ!」
悪魔らしい高笑いに腹が立つ。そんなに面白いのかよ。竜に鬼怒もそうだが、こいつらは何がそんなに面白いんだ。
ただ地上に出たいってことがどうしてそんなにおかしいんだ。どうせ聞いてもろくな答えは返ってこないだろうがな。
「じゃあな」
手を振るエリメアクを見ないようにさっさと部屋から出ていく。
背後で悪魔が、旧友との再会に祝杯を、と言っている。グラスを手にしたのか、軽やかな音がした。
だが鬼怒はその誘惑を断っていた。
ドアが閉まった。
階段を降りる規則的な音だけが響く崖の中。今後について考えねーとな。欲しかったのは中層の情報。
収穫はあった。
戦況は下層でネズミから聞いた内容よりだいぶ悪化している。エリメアクの話を地図に照らしてみると気づいたことがあった。あまり戦況の変わっていない箇所が複数ある。
見た感じだと、戦略において価値のないと思われるエリアだ。
つまりここが狙い目。
誰も攻めてこないような価値のない場所を縫って進めば人間の拠点まで無事に辿り着けるかもしれない。
もちろん人間とて手薄な箇所は対策しているだろうが、戦場を突っ切って行くよりは勝算があるだろう。
しかしリスクは否めない。
やっぱりカルネについていくべきだったか。
……いや、だめだ。
ついて行って、大掛かりな戦闘に巻き込まれる危険もある。人間と衝突する機会は少なくはないだろう。下手すれば人間に捕まって奴隷行き。
困るなんてもんじゃないな。
湖やネズミの道、それにこの要塞については情報として売れる。
劣勢とはいえまだ持ち堪えてるんだ。攻め落とされたら俺の持ち札の価値がなくなっちまう。
ここからは時間との勝負か。
地下道を通り地上へと出た。意識せずに出てきた言葉。
「ダンジョンの中で、地上か」
中層は地上のような景色だ。だがここと地上では決定的に違う要素がある。
どんなにそれっぽい空があったとしても。
ここには陽の光がないのだ。
日が昇り、そして沈むあの光景はここじゃ見られない。
俺は必ず地上へ、本当の地上へ行くんだ。
失ったものを取り戻すために。




