EP10:青い森の暗がりの中で
中層の北東。迂回してから10日ほど歩き詰め。
痛む足に少し硬い草が引っかかってくる。西と比べて植生が豊富らしく、あっちこっちに生えているブルーツリーの変な臭いも濃くなっている。
眼前の青い森は鬱蒼としていた。
悪魔の要塞を出てから数えると半月近い道のりか。けっこう経ったな。地図を信じるなら目指す人間の拠点が間近に迫りつつある。
たまに見かける折れた剣、不自然に割れた地面、切られた草。
蘇生がなければ生臭くなっていただろう。
蘇生の数少ない利点だな。
だがここらにはもう、誰もいないようだ。
足元の石ころを蹴り飛ばしてみると、木に当たって跳ね返った。一枚の木の葉がゆらりと落ちてきて手を伸ばすが、風が森の中へと押し込んでいった。
自ら青く光る、深い森。青い光は気分を落ち着かせる。
そのはずだが、露出した太い木の根が、俺を拒むように絡み合って道を閉ざしている。
無理やり入っていくと、苔に覆われた根は少しヌメっとする。隆起する青い根を跨ぎ、登る。
上下の移動は距離感を狂わせる。
動くほどに、森に取り込まれるような気がした。
森に入ってからどのくらい経っただろうか。蘇生ポイントの更新は避けたいが根詰めてもしかたがない。一度休憩するか。
邪魔な根を握りしめていると、木の葉がすれる音がする。
だが何かおかしい。
根から手を放す。
音はやまない。
とっさにしゃがむ。
聞き間違いじゃない。
まだ聞こえる。
辺りに視線を走らせるが姿はない。
だが近い。
じっと待つ。
まだ見えない。
だが音はする。
動けない。
押し殺した息が耳につく。
視界の端に何かが動いた。
左手の青い暗がりの中。
影そのものが蠢くようによろめくのは人の形をした何か。薄暗くてまだ判別できない。
そいつは亡者のように根の隙間をゆったりと進んでいく。
死んで生き返るゾンビならどこにでもいるが、死んだまま動く亡者なんてこの世に存在しない。
意思のある何かがそこにいる。
亡者もどきは木の隙間に消えていく。
まだ俺には気づいていない。どうやら一人。
向かっているのは南側、魔物の陣営だ。
追うべきか?
得られるものはあるだろうか。
俺が今必要とする情報はなんだ?
迷っていると、倒れ込むような物音がした。
そして、声。
それも複数人の声だ。
覗き込んでみると、暗がりで薄く光る眼がこっちを見ていた。
顔を引っ込める。
だが。
「おい、そこのお前! 隠れてもわかってるんだ。出てこい」
野太い声。
見つかった。
こんな近くにいやがったのか。
隠れても無駄か。
ちくしょう。
「わかった。だがいきなり襲うようなことはやめてくれ。お互い、まだ敵か味方かもわかんねーんだ。いいな?」
「いいから出てこい」
バトラーの剣を抜くべきか躊躇したが考え直し、両手を上げて歩み出す。
相手が人間だとバトラーの剣は即怪しまれる。魔物なら警戒されるだけ。
交渉できればいいがそうでなければ……
飲み込んだ唾が音を立てる。
慎重に物陰から身を出した。
「出てきたぞ。これでいいか」
「お前は、人間か……まさかバトラーの! オレたちを追ってきたのか! どこまでもしつこい奴らめ!」
「待て、安心しろ。俺は人間じゃない」
「どう見ても人間だろ!」
「最下層から来た。鬼と一緒にな」
「信じられるかよ」
「じゃあ魔王のことは知ってるか? 俺が魔王だ」
「……魔王」
「そうだ」
「……そのまま待ってろ」
何やらヒソヒソと聞こえる。
言われた通り少し待っていたら一人出てきた。それはモフモフした犬っぽい魔物だった。
「魔王という名前は聞いたことがある」
「知ってんなら話は早い。何があったか話せ」
「偉そうに。まずお前が魔王だということを証明してみせろ。お前がいつもどこで何をしていたか、オレに説明しろ」
偉そうなのはどっちだよ。
犬が前屈みになって片足に重心を乗せたのが見えた。
あまり挑発が有効な相手じゃなさそうだ。
「下層では武器磨いたり、マッサージしたり、あとは、ジジイのお喋りに付き合ったり……だな。ほんと俺って何してんだ」
「確かに聞いた話の通りの使用人だな」
「し、しようにん……?」
「魔物に頭が上がらないマッサージ上手の使用人って連絡員のネズミから聞いたことがあるぞ。それが魔王という名だと聞いた」
ネ……ネズミィィィィッ!
「アホネズミ……じゃない青ネズミのことだな……と、とにかく証明できたなら状況を教えてくれ。さっきの奴はかなり酷い怪我だった。死ねばいいのになんで苦労してここまで歩いてきてたんだ?」
「そ、それは」
なんだ?
答えにくいことなのか。
苦痛に耐えてでも歩く理由。つまり、蘇生を拒んでいる。
こいつらまさか……
「ワンダさん。この方は信じてもいいかと思います」
音もなくシュルリと木の影から蛇の女が現れ、ワンダとやらの耳元で何かを囁いている。
横目で俺を見る蛇女が薄く笑った。
「……わかった。だがな魔王、妙な真似をしたらその喉笛を喰い千切るからな」
「ああ、気をつけておく」
何がわかったんだ?
あの蛇、何を吹き込んだ。
「オレらは上層から来たんだ」
ワンダが言い放った言葉が耳から離れない。
上層から、つまり俺の目的地を通ってきたかもしれないのか。
「上層からか。てっきり人間に捕獲されて逃げてきたのかと思ったぜ、ワンダ」
「気安く呼ぶな。オレらがどんな思いで逃げてきたか……雑用して呑気に生きてた奴にはわからんだろうなっ!」
太い牙があらわになる。
人間が占領する上層。奴らは魔物に対抗するためにその魔物を武器にする。
切り刻まれても死ねないこの世界。
こいつらはそんな中で生きてきた。
一瞬、湖が思い浮かんだ。
水気を振り払いながら登る下層の坂道。
先の見えない暗がりの中で繰り返される再生。
進めない焦燥。
「……わるかったな」
ワンダは何も答えなかった。
「ワンダだったか。あんた達はこれからどうするんだ? 俺は南西から北東に向けて歩いてきた。多くはないが人間との遭遇もあったぞ」
「魔物の軍勢に合流する」
「悪魔の要塞に行くのか」
「……魔王、あんたはどこに属してるんだ?」
少し前にも似た質問されたな。
ちょっと懐かしい酒臭い顔が脳裏をちらつく。
「どこにも属してねーよ。フリーだ」
「どこにも……なんで北に向かうんだ」
「てめーには関係ない」
「じゃあオレらの行き先も言えないな」
「そーかい」
大した情報は得られなかった。
上層からこいつらが、どうやってここまで来たのか知りたいんだがな。
面倒だが、友好的にしておくべきか。適当にあしらっておけばいいだろう。
いくつか有益に取れそうな提案を考えていると、犬の後ろからひっ迫した声が上がった。
「ワンダ! 来てくれ!」
俺には目もくれずにワンダは素早く身を翻す。
上層とはいえさすが魔物。動きの俊敏さに自分が危険な相手と向かい合っていたことに今更気がついた。
「……おいっ! 気をしっかり持て! ここで死んだら、お前は、お前は……」
声は次第に力を失っていった。
言えなかったのか、言わなかったのか。
あまり物音を立てないように、俺も声の出所に近づいた。
木の影に数体の魔物達。
ワンダが何かを抱き抱えていたのだろう。
その手の中で淡い粒子が煌めいていた。
「魔王さん」
女性的な柔らかく抑揚のある声は、さっきの蛇女か。
「なんだ」
「彼は上層へと戻ったでしょう。私達にはその身を案じることしか出来ません。このような悲しみはもう、増やしたくはありません」
目を伏せて悲しんでいるように見える。だが蛇という生き物のせいか、冷笑を浮かべているようにも見える。
「だったらどうした。俺にどうしろと?」
「人間と遭遇したとおっしゃいましたが、あなたが無事なのはなぜですか」
「面倒な戦いはしない主義なんでな。ルートを厳選してるからだ」
「答えになっていませんね。ですがいいでしょう。ではどのようにして厳選したのでしょう。もしや地図をお持ちなのでは? 可能なら私達にその道を教えていただけませんか」
「スネーカ、ちょっと待ってくれ! あんたと違ってまだこの魔王って奴を信用してないんだ」
「大丈夫ですよワンダさん。この人は利益で物事を推し量る方。そうでしょう?」
「さーな」
さっきの悲しみはどこへやら。スネーカはずいぶんとしたたかなようだな。
あんただって答えになってねーだろ、と突き返してやろうか。
にしてもこの女、見透かしたようなこと言いやがって。なんで初対面で言い切れる。
またネズミの入れ知恵か?
「魔王さん、私たちは中層東部に陣を構える魔物救命軍の所へ行きたいのです」
「救命軍? 聞いたことねーな」
「私たちもネズミさんからその存在を聞いただけ。正確な居場所はわかりません。ですが魔王さん。情報を武器にするあなたなら何かご存知ではありませんか」
口に出した覚えのない事をスラスラと……俺の武器が情報だと?
ますます気に入らんな、この蛇女。
だがいいだろう。利害が一致すればいいってんならむしろやりやすい。
東部の軍か。おそらくカルネの向かった方だよな。俺としちゃ進路を戻ることになる。
さて、どうしたものか。
「俺にメリットがない」
「あります。上層までの情報。いかがでしょうか」
「ちっ。冷静にも程があるだろ。あんた、やっぱ全然悲しんでねーな」
「蛇は涙が出ないのです」
「よくゆーぜ」
「ワンダさん。了承していただけますか? あなたが良いならみなさんも同意されるでしょう」
「スネーカはオレらをどーするつもりだ」
「ただ共に救いの地へ」
ん?
蛇と犬が睨み合っている。
スネーカの口ぶりだとワンダがリーダーで、蛇女は厄介者なのか?
「先ほども申しましたが、魔王さんは下層で生き延びた実績があります。これから先、役に立つでしょう」
「だといいがな。みんな、死なないためにもここは利用し合う。こいつらはそう言ってる。ならオレらもそうしよう」
魔物たちは何も言わなかった。
ただじっと疲れた瞳で俺とスネーカ、そしてワンダの顔を見つめていた。
ワンダは話をまとめたらしいが、俺としてはまだ終わっていない。
それに、下層で生き延びた実績とはな。こいつらどこまで知ってるんだ。
「おい蛇女。俺はまだ了承していない」
「スネーカです。では何をお望みでしょうか」
「俺が着いていくのは途中までだ。さすがにどこにいるかもわからんような奴らを探してる時間はない」
「構いません。おおよその位置さえつかめればいいのです」
「俺が必要としているのは上層からここまで来た経緯、それにまつわる情報。そして人間について知っていることだ」
「わかりました。可能な限り、みなさんでお答えしましょう」
「可能な限りみなさんで、ね。交渉成立だな」
「よしなに」
「けっ」
ワンダはもう口を挟んでこなかった。決めたことは曲げないのだろう。
いいね、そういうのは嫌いじゃねーぜ。
スネーカは信用できんがワンダはちゃんと応えそうだ。
あの蛇、その辺も打算の内か。
嫌な女だ。
しかし、人間の女兵士が言っていた俺を待つという言葉がどうにも頭から離れない。
何も対策しないまま上層に近づくのは得策じゃない。
こいつらとの関係がどう転ぶか。
ここまで来たんだ。
必ずこの暗闇の中から抜け出してやる。




