EP6:オークポークの鉄蹄、カルネ・デ・セルドたぁおれのこと
体の痛みさえ忘れて、俺を覆いつぶしそうな黒い巨体を見た。
突き出た平らな鼻、豚足にデカい腹、絵に描いたようなブタの魔物。
困惑する俺を愉快そうに眺めているのは闇に溶け込みそうなほど黒いブタだった。
デカい顔の割に小さな目と視線がぶつかった瞬間、逃げようとしたが、ソーセージのような指が逃すまいと迫ってくる。
その場から動くことさえ叶わず、あっという間に頭を鷲掴みにされ、罪人さながらに地面に押し付けられた。
押しつぶされそうな圧力。頭蓋骨が軋む激痛。抗おうと奴の指を掴むが微動だにしない。
悲鳴を上げそうになりながら、涙が滲む目で睨み、不敵に見えるように笑い返してやった。
「へっ、魔物ってのは、どいつもこいつも、バカの一つ覚えみたいに襲ってきやがる」
「ゲハハ、口が達者だなぁ。にしても不味そうな面してんなぁ、おめぇ」
「あ、ああこの上なく、不味いぜ。い、以前、竜が言ってたから間違い、ない。うぐっ……だから、さっさと離しやがれ!」
「ほんに口がわらぁな。おい鬼怒、これが噂の湖の魔王って奴なんか? まんま人間の姿してらぁ」
願いごとでも叶えそうな魔王だな。
こいつら、知り合いか。
鬼怒は座ったまま動かない。
助ける気はねぇのかよ。
「おいブタ、見ての通り、弱ってんだから離せっての……いてーんだよ、ボケ」
「どうすっかなぁ。おぉほれほれ、力付くで逃げてみろぉ」
鬼とは違って弾力のある指先がぺたりと張り付いて離れない。力んだ目の奥が切れそうな痛みを感じる。
「ぐっ……ち、ちからこめんな、どアホ。お前ら、知り合いか? おい鬼怒、黙ってないで答えろよ」
「知らんな」
「ゲハハ、知らんとよ。赤鬼は興味がないらしい。じゃあ助ける義理もないなぁ?」
「たしかに義理はない」
「い、いやいや、ちょっと待てよ!」
頭が割れる。ここまでの道のりが脳裏をよぎる。
また途中で死ぬのかよ。
苦労が水の泡。
覚悟した。
だが不意に圧力から解放された。
押し付けられた肩が痛い。
体動かないし、意識も薄れてきた。
二人の声が聞こえた。
「なんだぁ? 義理はなかったんじゃないんかぁ」
「義理はない。殺されるのは弱いゲマが悪い」
「んじゃ邪魔するのはなんでだ。手ぇ離しやがれやぁ、なぁ鬼怒よぉ」
「ダメだ。義理はないが情はある。迷ったが、やはり捨ておけん」
鬼怒の声はいつもと比べてあまり力強くなかった。でも弱くもない。
まだ言い争っているが、なんか助かったみたいだ。
次回からは、迷わず助けて欲しい、もんだ……
「気ぃ失っちまったなぁ」
「死んだか」
「生きてはいる。こんなの連れてるなんて珍しいじゃないか、鬼怒よぉ」
「そうだな。こいつはな、最奥でくすぶっていたんだ。地上に出るという願望があることは、忌々しい竜から聞いていたが、実際に行動に移したことはあまり多くはないらしい。300年で十数回ほどだそうだ」
「20年に一回くらいかぁ。むしろ多いんじゃないか? なんでこいつ、そこまで地上に出たがんだろうなぁ」
「そこなのだカルネよ。逆に問うが、お前は地上に出たいと思ったことはないのか? お前とてかつては人間であったであろう」
「ないなぁ。興味もわかねぇ」
「だろうな。どういうわけか魔物は皆外へ出たがらんのだ。その中でこのゲマだけが執拗に地上を目指しておる。それが気になってな」
「だで連れてると。こんなひ弱な人間もどき、すーぐおっちんじまいそうだがなぁ」
「ふっ、それが案外そうでもない。竜曰く蘇生回数ナンバー1だそうだが、中々にしぶとい」
「伊達に300年生きとらんってことかい。にしてもあんた竜とは仲違いしとったんじゃないんか? えらく仲良さ気だなぁ。あぁ、怒るな。言ってみただけだぁな」
「ふん、かつてアレが勝手に喋っておったのだ。あんな嫌味な蛇もどきと肩など組めるものか。だがこの魔王は面白いだろう? こんな脆弱で人間と変わらぬ者が下層を我が物顔で歩き、あまつさえ恐怖の湖に平気で出入りしておるのだ。この身をもってしても恐ろしいというのに」
「ネジがぶっ飛んでんのかもなぁ」
「もしかすると魔物が外すべきネジかもしれんぞ。魔物のみならず人間を越えて地上に出るという意思、何が待っているのか気になってくるではないか」
「ふひぃ、こんなちっぽけな奴にはなんもないだろう。あったとして何が出来る。人間どもの殲滅かぁ? 一緒に魔物が地上に出るとかかぁ? 鬼怒、まさかこのダンジョンを変えたいとでも思ってるのか、お前さんはよぉ」
「どうかな。だがお前とて無益な人間との争いをどうにか終わらせたいと願っているはずだ。だからこそ今度の招集に応じたのではないのか」
「ふむぅ。おらぁ別の用事だ。だが悪魔からの招集、やっこさん勝てると思うかぃ?」
「質問ばかりだな。わからんよ。それを確かめるためにも中層へ向かう必要がある。もし勝てないとしたら、その後の魔物を導くのは案外、この魔王ゲマかもしれんな」
「へっ、こいつをほんとに魔王様って崇める日が来るってかぁ? ゲハハハハハッ! そりゃ面白い。少なくともエリメアクの悪魔ヤロウよりは手ぇ貸してやりたくはなるなぁ」
「ふっ、確かにな」
「ゲハハッ。おん? ふひっ、目ぇ覚めたみてぇだ」
ぼんやりとした暗がり。無理やり瞼を開くと、小さな炎が視界の端でチラついていた。
顔だけ起こしたら見たくもない顔が二つ並んで俺を見ている。仲良しか。
「うぅ、いって。ってこれ、今日二度目だな」
身体中が痛い。なのに側でデカい声で笑うバカのせいで目が覚めちまった。
右肩も痛むが、なんとかして起き上がるとブタが笑いながら手を振った。
「起きたかぁ、まおーさ・ま」
「うるせーよ。ていうか誰なんだてめーは」
黒ブタは立ち上がり、待ってましたと言わんばかりにバインと腹を叩いた。
「おらぁカルネだ。オークポークの鉄蹄、カルネ・デ・セルドたぁおれのこと」
歌舞いて見栄を切るカルネ。暑苦しい奴。
こんなブタ知るか。と口に出したらまたうるさいだろうから睨むだけにとどめた。
ブタは何か言いそうだから先手を取る。
「それで? なんで並んで座ってんだ。俺達に用はねーだろ」
「いんやぁ、ある」
「はぁ? 鬼怒に用があるなら俺は寝るからな。まじ疲れたわ」
「ゲハハ。魔王、おめぇさんに用があらぁ」
太い指をゆっくりクルクル回しながら俺を指す。ネズミやウサギならいざ知らず、初対面のブタが俺になんだってんだ。
まさか魔物まで湖がどこかとか言わねーよな?
「魔物がなんだってんだ」
「おめぇさんよぉ、地上に出てどうすんだ」
「はぁ? まったくどいつもこいつも。いいかブタ、まずは俺の質問に答えろ」
「カルネだ。次にブタと呼んだらミンチにして殺すからな」
「ミンチになった時点で死んでるだろ」
禁句というものは誰にでもあるらしい。
弾力のある分厚い装甲が視界を遮るほどに盛り上がった。巨体の影が濃く伸びる。
カルネは俺の買い言葉に静かな怒りをみなぎらせている。
鬼怒と違って筋肉質ではない丸みを帯びた輪郭。腕や腹を斬りつけても、骨まではそうそう届きそうにない。
「お、落ち着けよ。地上を目指す理由だったな。いいかカルネ。こんな薄暗くてなーんもない所にずっといられるかって話だ。お前らは外の新鮮な空気を吸いたくならないのか? 太陽も拝めねぇなんて人生損してるぞ。毎日こんな暗がりにいて気が滅入ってこないのかよ」
「ハッ、滅入るなんてねぇなぁ。そんなことに文字通り命がけかぁ。くっだらねぇなぁ」
「くだらないだと? あんたは太陽の明るさを覚えてないのか。爽快な朝焼けの光、情動を剥き出しにした黄昏の灯。太陽に照らされた日々を思い出せよ、カルネ」
「カッコつけたってぇ無駄だい。興味がねぇんだわぁ」
「そうか。なら、もうこれでいいだろ。どっか行け」
しっしっと手を振るがまったく動じない。
しっかりと伝えたつもりだったが、嫌味が足りなかったか?
変わらず腕を組んだまま目を閉じている鬼怒。だがどことなく表情が明るいのは気のせいか。この2人が争って暴れた様子はない。
ブタが俺に興味を持っていたから、鬼怒が何か話したんだろう。
だが、なんで鬼怒の気が晴れてんだ?
昔馴染みで愚痴ってたのか。酔ってなくてもつかめん奴だ。まあ何かは知らんが気晴らしにはなったならいいか。これで少しは落ち着いてくれるだろう。
やれやれ。
「ゲマよ」
「んだよ」
黙ったままの鬼怒が口を開いた。
何か躊躇しているのか、珍しく言い淀んでいた。
「カルネも共に行く」
「なんで……はぁ……まあ好きにしたらいいんじゃないか。俺は中層まであんたらについていくだけだ」
「すまんな」
「なんで謝ってんだ。お前って酒飲まねーと謙虚になるのか? だったら禁酒した方が世のためだな」
「ふっ。そうかもな」
「……おいカルネ。ほんとに何があったんだ? こいつ明らかにおかしいぞ」
「ゲハハッ! 脆弱な魔王如きが鬼を前にこいつ呼ばわりかぁ。ふひっ。ちょっとした楽しみが増えたってだけだぁ。気にすんなぃ」
気になるに決まってんだろ、ボケ。
変なのがついてくるのは誤算だが、この黒ブタも下層の魔物。その実力を疑う必要はないだろう。
とりあえず、鬼怒とカルネがいれば魔物に襲われることはない。たとえバトラーでも、下層の魔物二匹を相手にするんじゃ確実に負けるだろう。
となると……こいつらに襲われるのが唯一心配の種か。
なるようになる、と言って気楽に構えておきたいが、そうもいかない。どうしたもんかなぁ。
鬼怒とカルネは世間話を始めた。俺にもわかることや知らないことを話している。
中層の状況、人間の動向、主にこれからのことで頭が一杯のようだ。
下層の魔物が上に向かっている。
鬼怒だけかと思っていたが、このブタも招集とやらに応えている。
組織なんて概念持ってるのか疑いたくなるような奴らが徒党を組もうとしている。
つまり、予想以上に大掛かりな何かが動いているのかもしれない。
ちょうどいい。
このブタにしてもそうだが、使えるものは何だって使ってやる。
派手にやってくれんなら戦いのどさくさに紛れて上層に向かいやすくなる。俺はこいつらの目的地である悪魔の居場所に一緒に行くべきだな。
作戦の概要だけでも知れたら御の字だ。
その情報を人間に売れば俺の株もあがるってもんだぜ。
愉快そうに笑うカルネと頷く鬼怒を見ながら、思わず口がニヤけそうになるのを堪えた。
今まで散々いいように殺されてきたんだ。
この恨み、しっかり晴らさせてもらうぜ。
今に見てろよ、魔物共。
打算する俺の前でブタが何か探し始めた。
辺りを見回していたが、ようやく見つけたらしく立ち上がる。
視線の先を追ってみると、どうやら湧き水に向かったようだ。
見た目に反した軽やかな足取りで水場に寄る。てっきり水でも飲みたかったのかと見ていると、口にせずに何かを洗いだした。
ハンカチとか?
んなわけないにしても、意外と繊細な奴かもしれない。まあ名前くらいはちゃんと呼んでやるか。
何気なく眺めていたら、洗っていたものを持ったままこっちにやって来た。
「おい魔王よぉ」
「なんだ?」
「背中だせ。痛み止めつけてやらぁ」
「へぇ、そんなもんがあるのか。そりゃ助かる」
気が利くじゃねーかと服をまくり上げ、擦れるたびに背中の痛みに顔が引きつる。これが和らぐんなら本当に助かる。
カルネは力自慢なだけじゃないのかもな。
「おお、真っ赤でねぇか。こりゃひでぇ。ゲハハ。おれ、これつけとけやぁ」
言葉と共に背中にバシッと重たい衝撃。背中どころか全身に激痛が走って目がチカチカした。
さらに腫れたとこからヒリヒリする痛みが広がって、痛いのかさえわからなくなった。
転げ回りたいけどそうするともっと痛いし……我慢だ我慢。
だがしかし……
「ぅっぐ……ぃってぇー!」
ブタにお大事に、とトドメの一撃を背中にお見舞いされた。また意識が遠のきそう。
ブタのゲハハと笑う声が遠くボヤけて聞こえる。
汗ばんだ手を握りしめてひたすら堪えた。
このブタ、中層についたら大滝に蹴落としてやる。
マジで覚えてやがれ!




