EP5:神出鬼没の赤い鬼
休憩を終えて俺と鬼怒は中層への旅を再開した。
大滝の音は近づいているからてっきり中層は近いのだと思っていた。
だが実際に聞こえているのは支流であって、本流はまだ先だと鬼怒が言う。
改めてダンジョンの広さに辟易した。
とはいえ周りの環境は次第に変化を見せていた。
苔むした岩があったり、よくわからん植物がヒョロリと伸びていたりする。
俺が植物を引っこ抜いていたら、興味ありと見て鬼怒先生のうんちくが始まった。
「上の階層に行くにつれて植生が豊かになる。滝は中層から流れてくる川を源流とする。その川は西側を南北に」
「ああいいよ。大体のことは地図に書いてあるから知ってる」
「……そうか」
鬼怒が心なしかうつむいている。まあいい。
ネズミから聞いたものと概ね同じだ。どうやら鬼怒の知見はあてにできる。
もうちょっと詳細を教えてくれと言ったらなぜか押し黙ってしまった。
そしてまた、酒をあおり始めた。
今日はちょっとペースが早い。傍目にも様子が違う。酔っている。
酒を飲んだ赤鬼の顔は、見事に赤一色に染まっていた。
「ふっふっふっ……ゲマよ」
「な、なんだ。ごきげんだな」
「おうよ。酒はいいな」
「ああ、そうだな、でも飲みすぎると」
「なんだ、言ってみろ。飲みすぎるとなんだというのだ! 呑まなきゃやってられんこともあるんだぞ」
「ごもっともですね……」
「いいかゲマ。なんで酒を飲むのか。それはな……悲しみを呑み込むためよ」
様子が変だ。
酔っているにしてもいつもより感傷的な気がする。中層に近づいてるせいだろうか。
鬼怒はグビグビと飲み続けている。
嫌な予感がした。
「ぷはぁ、美味い。悲しみはなぁ……人間がもたらすのだ! わかるか、ゲマ」
「大丈夫かよ、いつもとなんか違うぞ。何かあったのか?」
「ふんっ。これから人間どもに会うと思うとなぁ、酒がまずくなるのだ! あのような奴ら、この手で、この手で滅ぼしてくれる! 人間どもめ、全て破壊してやるわっ」
「おいおい、滅ぼすって、何言ってんだ。鬼怒さん、酔ってるだろ」
「酔ってなどおらんわい! ただ人間のことを思い出すと怒りが込み上げてくるのだ。ああ、イライラするなぁ」
「悲しみじゃないのか。な、なぁ、近くの湧き水をさ、一口飲んだらどうだ? その方が酒の味も美味く感じるはずだし、ほら、あそこにある。そーだ、俺が汲んでくるからちょっと待ってな」
「気が利くな。だが早くしろ」
まずい。
いつもの絡み酒ならまだしも、感情的になってるのは非常にまずい。もはや別人だ。
下手したら殺される。
「おい魔王! 水はまだかっ! 酒がなくなるだろぉが!」
物語の鬼らしいといえばらしい姿だ。
俺には鬼退治なんて出来ないが、できることは……くそっ、どうすりゃいい。
ここで死んだらまた最下層からだぞ。
できれば酒にも強い鬼でいてほしかったんだが、酒に呑まれるなら飲むなよ。
水場で考え込む俺に向かって、鬼怒がまた何かわめき出した。
「もう酒がないぞ! 酒だ、酒をよこせぇっ!」
そもそも酒なんてどこから調達してんだ。
クソったれ……暴れ出すのも時間の問題か。
まだ、まだ詰みじゃないはずだ。思い出せ、こいつの言動を。
何か正気になるようなこと、それか気をそらすヒントとか、何かがあったはずだ。
俺は水を汲んで鬼怒のもとへと向かった。
「やっと戻ったか。遅いぞ」
「わるいわるい、ほら水。なぁ、鬼怒さんはさ、なんでそんなに人間を憎んでるんだよ」
「なんで憎いかって? よぉくぞ聞いてくれましたっ! 実はなぁ、そうなんだ。実はぁ……死んだ戦友がなぁ、鶴の奴が枕元に立つことがあるんだぁ。なんであの時、なんで助けてくれなかったんだってなぁ、剣になったあいつが迫ってくるんだぁ……どうすりゃよかったんだぁ? なぁ、なぁ、マオウよぉ」
「は、ははっ、その当時の鬼怒さんは正しい判断をされたのではないかと」
「わかったような口きいてんじゃねぇぞゴラァッ!」
その迫力、鬼神の如し。
今出来ることは奴の気を沈めることじゃない。ここは耐えるところだ。
だが慣れない微笑みで顔がひきつってきた。
「マオウよぉ、その脳みそは400年経って腐ってんじゃぁねぇのかぁ? まぁだ地上に出たいなんてよぉ」
「300年だ。400年生きてんのはあんただろ。その間ずっと人間を憎み続けていた。あいつらは俺達から大切なものを奪っていく。そうだろ?」
「ああそうだ! その通りだ! わかっておるではないかぁマオウゲマァ!」
鬼怒は拳を固めて地面に叩きつけた。雷神のようにドンドンと何度も打ち鳴らす振動が広がる。天井からパラパラと岩の欠片が降ってきた。
共通の敵を示せば危害は加えないかもしれない。
上手くいっているのだろうか。
慎重に、このまま続けよう。
「あ、ああ。わかっているさ。わかるとも。人間達には煮え湯を飲まされ続けてきた。魔物はあいつらのせいで苦しい思いをさせられている。ネズミや竜からよく聞かされているよ」
「……おい、いまなんと言ったぁ。竜だと?」
竜と鬼怒ってなんか因縁あんのかよ。
鬼怒がいきなり俺の胸ぐらを掴み上げ、軽々と宙吊りにした。
本能が逃げろと騒いでいる。
しかし盛り上がった鬼の腕からは到底逃げ出すことなど出来ない。
先日見たオオカミの姿が脳をかすめる。岩に叩きつけられ粒子に還った獣。
鬼怒が理解出来ない何かを喚いている。
踏んだ地雷が爆発寸前だ。
まだ、死ねない……死んでたまるか。
人間の侵攻が迫る中、今ここで死んだらもう二度とチャンスがないかもしれない。
冷静になれ。観察だ、今できる最良を見つけるしかない!
鬼の鼻息がどんどん荒くなっていく。
俺を掴む腕に力がこもる。とっさに鬼の手を掴むと鋼鉄のように硬い。
鬼怒が、大きく息を吸った。
「小僧がぁ、鬱陶しい細っこい腕で触るでないわっ!」
鬼怒が俺の右腕を鷲掴みにする。右腕から電撃にも似た痛みが走る。
掴んでへし折られるのかと思ったら……違う。
こ、このバカ、腕を引き抜く気だ!
ちくしょう。
湧き上がるのは怒りばかり。
どうせ死ぬなら言いたいこと言って死んでやる。
この酔っ払いめ、いい加減にしろよ。
「おいアホ鬼! この魔王が人間に見えるのか!」
「貴様はどう見ても人間だろぉが!」
「俺は人間じゃねーよ! 聞けよ鬼怒! お前、俺に聞いたよな! 俺の同族はなんだって」
「今更それがどうしたっ!」
怒れる鬼を睨みつける。
血走った目、酒くせぇ口、バカみたいな怪力。
正気に戻ったら中層どころか今後ずっとこき使ってやる!
俺に味方なんて、同族なんて、そんなもの生まれてこの方この世に……
俺は鬼怒を真正面から睨みつけた。
「いない。この世界に俺の同族なんていない! これが俺の答えだ!」
「だったらなんだと」
「孤独な魔王を殺すのがお前の恨みの晴らし方かよ、お前は魔物全体をひっくるめて同族と思ってんじゃないのか! 同族を殺すなんて、お前の戦友はなんのために戦ったんだ! そんな奴らの意思を尊重したいから人間に復讐する、それがお前の目的じゃないのか! 鬼怒、お前は何がしたいんだ! いちいち酒に呑まれて八つ当たりしてんじゃねーよ! このバカ鬼が!」
「好き勝手言いおって! お前に、お前に何がわかるというのだ!」
「知るか! 理解されないからって酒飲んで暴れてんじゃねーよ! あんた一体何年生きてんだ!」
「ぬ、ぬ、ぬぅううううぁぁぁあああぁぁぁ……ぬがぁぁぁぁぁっ!」
鬼怒が俺を地面に投げた。叩きつけられて一瞬意識が途切れそうになる。
結局だめだったか。また下からやり直し、人間の侵攻次第では二度とこんな機会はない。
その時はこの鬼だって武器にでもされてるかもな。
やっと見慣れない景色が拝めたってのに、中層も間近だったのに。
俺には同族がいない、か。
思いついたまま口走っちまったが……
言うんじゃなかったぜ……
暖かくて、浮いてるような心地がした。夢見心地に目を開くと、いつも通り仰向けだった。
頭がクラクラする。喉に何か詰まってむせて咳をしたら、血が混じっていた。
身を起こそうかと手に触れたのはザラリとした硬い地面。顔にあたるのはパチリと爆ぜる焚き火の熱。
湖じゃ……ない?
はっとして鬼怒を探そうと動いたら背中がクソいてぇ。息が詰まってまたむせた。
なんとか気張って身を起こすと、鬼は横にいてあぐらをかいていた。
苦しんでる俺を口をすぼめて見ていやがる。
「へっ、鬼神も名折れな顔だな……うぐっ」
「動くな」
「だ、誰のせいだ。くそ、いって」
「外傷はなかった。そこまで強く打ち付けていない」
「お前の手加減なんて信用できるか」
「……すまんな」
「まったくだ。これから酒は禁止な」
「わかった」
「ホントかよ」
鬼怒は転がっていた酒瓶を壁に投げつけて、そのままぼんやり組んだ足を見つめていた。
背中は痛いが、とりあえず死んでやり直すことにはならなかった。地面が固くてヒンヤリとした感触は、熱く痛む背中に心地良い。
寝転んでいたら頭に妙な振動を感じた。
身体を起こして激痛にのけぞり、振動が伝わってきた方へ顔だけ向けた。
うなだれた鬼怒も同じ方向を見ている。
何か来る。
松明の炎が岩壁に大きな丸い影を一つ映し出していた。
影は無遠慮に俺の側まで来て、そいつはかがみ込んできた。
眼前を埋め尽くす黒い巨体。
「へっ、人間がいやがらぁ」
見上げる俺の前に現れたのは、巨大なブタだった。




