EP3:バトラーの剣
青ネズミの毛は柔らかいトゲのように手に刺さる。
ご所望のマッサージをしてやると、ネズミはだらしない顔であー、うー、そこそこ、などとつぶやいていた。
極楽気分なネズミが他にもやってほしいことリストがあるんだと言うから、肘で腰をグリグリ押しながら聞いてみた。
ほつれた服の修復、湧き水で洗濯、ついでに毛づくろいして、それから……
「っておいっ! いくら何でも働かせすぎだろ!」
「君はそれが取り柄なんだからいいでしょぉ、おっ、そこ……ぉぉぉ、きくぅぅぅ」
「くそっ」
身悶えするネズミに追い打ちをかけながら、こいつの言葉を反芻していた。
中層は人間が優位。地上に行くには人間と交渉は必須だから、まずは中層を突破して話ができる司令官クラスに会う必要がある。
奴らが欲しがる情報を俺が持ってるなら、トレードする機会さえあればいい。
だが交渉の席につくには決定的に何かが足りない。
俺が標的、か。
人間の最終目的は生命の湖だということは知っている。だからその場所を知る俺が標的になるのは頷ける。ただし、俺が湖の場所を把握していると知っていればだ。
そうそう、君はわかってるー、と背中のツボを押されたネズミがつぶやいた。
あのバトラーは俺を見て湖の話を始め、しかもやっぱり知っているなと言った。奴らは何処で情報を得たのだろうか。魔物を拷問しているらしいが、だとしても妙な点がある。
そう、この尻尾はマッサージが必要なのだろうか。揉んでみたら、うふふ、と気持ち悪い声を出してきた。
バトラーは俺を警戒していた。俺に大した力はない。
もし魔物達が伝えているなら真っ先に俺は弱いって言うに決まってる。そもそも俺を引き合いに出すこと自体ない。
……まぁ、俺を困らせるためにあえて変なこと吹き込む奴は沢山いるか。俺のことを知っていて困らせることを楽しむような情報通。
ネズミに疑いの目を向けると、身の潔白を訴えるように仰向けになって次は足だと尻尾が指さした。
仰せのとおりに足を揉んだら思わず力がこもって尻尾で顔を叩かれた。
「なあ、ネズミ達って上層にも行くんだよな?」
「行くよー」
「どうやって人間の目をかいくぐってるんだ」
「頑張って隠密してるのさ。ニンニン、なんちゃって」
「聞いた俺がバカだった」
仕上げの頭皮マッサージ。秘孔を突く心地で力を込めた瞬間、仰向けのネズミがパチリと目を開いた。
そしてポケットから一枚の汚れた紙を取り出した。
「これあげるよ」
広げてみると、色々な書き込みがされた使い込まれた地図だった。大雑把だが簡単に地形も表現されている。
いくつかのランドマークと右端の中層という文字に気を引かれる。
大滝、要塞、青い森、そして人間の拠点があって、それらをつなぐ細い線が幾本も引かれていた。
「なるほど、この線が通りやすいルートってことだな」
「ご明察。同志達の間では、ネズミの道、と呼んでいるのだ」
「へぇ、凄いなこれ。だが細かくて道を覚えるのは無理か」
「それもあげるよ」
「いいのか? これって結構大事なものだろ」
「もう覚えちゃったからね。それにマッサージで今はご機嫌なのさ」
ネズミは行くならこの辺がオススメ、といって指先のように細い尻尾でくるっと地図を指し示した。
尻尾が示したのは伝えたい場所からズレていたが、どこを指したいのかはわかった。
「森か」
「素人はそっちの方が安全かな。玄人のネズミ達は中央の平野地区でも通ることあるんだけどね」
「素人で悪かったな。得手不得手は誰にでもあるもんだろ」
「そうだね。ゲマは殺されるのが得意だもんね。ぷぷぷっ。ださっ」
マッサージにオマケして、一番凝ってるとこにしっかりと力を込めてやった。
ネズミはひっくり返ってよろめいていた。
荷造りを始めたネズミが去り際に俺の顔を見て言った。
「魔王のことはさ、結構気に入ってるんだ」
「そりゃどーも」
「ほんとだよ? 魔物の中には我々連絡員のことを、情報という疫病の運び屋、なんて揶揄する者もいる。でも君は違うでしょ。いっつも聞きたがる」
「必要だからな」
「あはは、そうだね。必要としてくれる。じゃあそろそろ行くよ」
「ああ。またな」
青ネズミは最後にもう一度礼を言ってカバンを背負うと、足音もなく暗闇に紛れていった。
もらった地図を開いてネズミの道とやらを眺めていると、中層の広さがなんとなくわかってきた。
描かれている悪魔の要塞を基準に地図の規格を読むと、中層の大きさは街が2つか3つ……いや、もっと広いのかもしれない。
中層の入口にあたる大滝に指を置いて真っ直ぐ人間の拠点まで引いてみる。要塞が小屋でなけりゃ直線距離でも何日かかるかわかりゃしない。
人間の侵攻状況までは不明だが、湖の在り処を見つけられる前に交渉の場を設けねーとな。
情報売ってダンジョンからおさらば、見渡す限り岩と影の世界にいつまでも囚われてたまるかってんだ。
使い古した地図は布みたいに柔らかくなっていて、ちょっと獣臭い。
少し躊躇したが折り畳んでポケットにしまうことにした。
夢見る地上暮らし実現のためには絶対に湖の在り処は知られちゃならない。
準備を始めよう。
戦いのセンスはないが武器も持たずに歩くのは心もとない。一応持っていくか。一本減ったところでウサギは気づきやしない。
だが毒玉はもうないし、手頃なモノがあればいいが……
「そうだ! バトラーの剣を手土産にしよう」
剣が交渉材料になるのは先刻証明できた。それと、あのバトラーは話し合いをするタイプには見えない。だが話を続けてきた。だったら交渉の余地はあるはずだ。
何よりあの剣は軽くて扱いやすそうでもあった。なら一石二鳥だ。
そうと決まれば、いざコレクションルームだ。
松明に照らされた整然と並ぶ様々な年代の武器。炎を照り返し輝いている。
相変わらずお前達は美しいぜ。
さてさて、バトラーの剣はネズミがどこかに置いたらしいが……
「あれ? バトラーの剣がない」
我が目を疑うまでもなく無い。ネズミの勘違いか?
自信たっぷりの姿が浮かぶ。
まさか他にも人間がいるのだろうか。
恐る恐る顔を出す。
来る途中に俺が点けた数本の松明が、小さく揺れている。
岩陰に何が潜んでいても不思議じゃない。
「ちっ。おばけに怯える子供じゃあるまいし……水でも飲んで頭を冷やすか」
湧き水に近づくと水面に幾重も重なった波紋が音もなく広がっていた。映り込んだ姿と見つめ合っていると時間の感覚が薄れていく。
俺は慌てて顔を上げて今後のことに意識を集中した。
まず目指すは中層。その道のりにおいて障害になるのはやっぱり魔物。
下層で出会った魔物はみんな、俺を見ると獲物をいたぶる目つきに変わる。酒でもあれば酔わせた隙に立ち去るんだが、酒好きでもないのに持ち歩くわけもない。
「ちっ。どいつもこいつも魔王魔王って呼ぶくせに、敬う奴がぜんぜんいねーのってどういうことだ」
今度こそ水を飲もうとしてかがみ込む。一口飲み、手に残った分は水面に叩きつけた。
湧き水は地面を伝ってどこかへと流れている。
俺は水に触れないように座り込んで、岩に体を預けたまま首を上げた。
真っ暗な天井は宇宙のように広くも奥行きもなくて、じっと見ていると心をプレスされているような気分にさせられる。
けどこの上には中層があって、更に上には上層、そしてその先には地上がある……大地に立って見上げれば空がある。
どれだけ求めてもここにはないものがある。
何度殺されても、もう一度あの太陽の力強い光を全身で浴びるんだ。体が火照るほど、日焼けして赤くなるまで、ずっと浴びていたい。こんなところに留まってたまるか。
そうでなきゃ、俺はどうやってこの永遠を終わらせたらいいんだよ。
ふと、何気なく横を見ると数歩離れたところにオオカミがいる。突然のことに声も出せない。
夢中で水を舐め始めたのは四足のオオカミ。
魔物じゃない、獣だ。
目を閉じたオオカミはふぬぅーと鼻息を鳴らして余韻を堪能している。そして鼻歌でも歌い出しそうに横を向いた。
俺と目が合った。
その瞬間はよほど意外だったらしい。伸ばしたままの四つの足でビクッと少し浮かび上がった。
水のせせらぎが耳につく。こんな状況で思ったのは器用だなぁ、なんて呑気なことだった。
ふと、オオカミのそばに何かが地面に転がってることに気づいた。目を凝らしてみると、それが見覚えのあるシルエットだとわかる。
バトラーの剣だ。
こいつが持っていやがった。
バトラーの剣が見つかったのは俺にとってステキな朗報なわけで、頭の中で冷静な自分がガッツポーズしていた。
先に動いたのは俺。
見た目とは真逆の陣営だとやっと気づいて走り出すと、今度は体が止まらなかった。
暗闇を突っ切る。勘を頼りに駆け抜けた。
背後で地を引っ掻く音。
それがすぐに戻っていった。
不審に思い背後を振り返ると、オオカミが剣を取りに戻ったらしく、剣を落とす硬い音が何度か響く。
咥えるのに手間取ってるオオカミから急いで距離を取る。
硬い音が止んだ。
背中から鋭い足音が迫っている。
走りながら勝利への道筋を考える。
戦えば不利。オオカミは剣を取りに戻った。そして俺を追ってきた。その一連の行動が示すもの。
俺は足を止めて迎え討つ。
これは賭けだ。
迫る唸り声。
容赦なく駆け寄る鋭い足音。
それを打ち消すかのように俺は叫んだ。
「俺はRFC の人間だ! 止まれ! と、止まってくれ!」
だがオオカミは止まらない。
牙が咥えた刃が腹に押し当てられる。
俺は食いしばり、目を硬くつぶった。
どこからか水の音がする。
目を開いた俺は暗闇の中で立ち尽くしていた。恐る恐る腹に触れてみるが斬れていない。足元には申し訳なさそうな顔をしたオオカミがいた。
寸前で止めたのか。
足の力が入らなくてその場に座り込んだら、オオカミが控えめに俺の顔を舐めてくる。
「この魔王様を舐めやがって。ったく勘弁してくれよ」
「わぉん」
「それ謝罪の言葉か?」
コクリと頷いた。落ち着いて意思疎通が出来るってなんて素晴らしいんだろうか。俺の顔を見上げるオオカミは少し戸惑っているように見える。
「あー、そうか。俺はあれだ、ここに潜入してんだ。ほら、たぶんお前のご主人のバトラーがいたろ。あいつとは別の指令で動いてんだよ、そうそう、俺って秘密のミッション中なのよ」
「わんっ」
オオカミは明るい声で答えた。
賭けは俺の勝ちだった。
魔物は基本、二足歩行。ダンジョンで四足の獣がいたら人間と知れ、と以前ネズミが言っていた。
「お前は賢いんだな。俺を見て戸惑ったのは人間だと思ったからだろ?」
「わふっ」
「ははっ、変な鳴き声だな」
俺を観察していた姿が理性的だった。だから言葉を理解してくれるかもって思ったのは正解だった。
毛皮まとった奴なんて憎たらしい奴らばかり。オオカミの頭を撫でてやるとすごく喜んだ。
かわいいもんだな、獣って。
このオオカミ、帰る場所は人間の拠点のはずだし連れていけないかな。俺よりも感覚は優れてるはず。もしかしたら秘密の抜け道に案内してくれるかもしれん。下手な武器や魔物なんかよりよっぽど頼りになるんじゃね?
なんて考えてたらかわいすぎて顔を撫で回してしまった。すると急に唸りだした。気に触ったかと慌てて手を引いたら、オオカミは暗がりのずっと奥へ皺を寄せた顔で睨んだ。暗闇を威嚇するオオカミが剣を咥える。
声は次第に低くなり、獰猛さが滲む唸り声へと変わっていった。
オオカミが睨む先、真っ暗な中で何かが聞こえてきた。
鈍器を地面に叩きつけるような無遠慮な音。こっちに近づいてくる。
闇よりも暗い何か異常な圧迫感に当てられ、俺の心臓は強く脈った。
そして暗闇から奴が現れた。
赤い鬼だった。
驚く俺を守るようにオオカミが飛びかかった。
赤鬼は素手で払いのける。
「あっ、待て、お前らちょっと待てって!」
急いで松明を燃やし辺りを照らす。
炎の先で煌めく剣の軌跡が幾重にも弧を描き、赤鬼を切り裂こうとしているが、鬼は空手のような型で構え、信じられないことにその拳が岩を砕き弾き飛ばした。
降り注ぐ破片が視界を覆う。
尋常ではない威力にゾッとしている俺とは対照的で、勇敢なオオカミは全く引かない。
破片の膜を斬り裂いて小さな影が素早く地面を駆け巡る。迫る鋭い太刀を鬼は叩いて裁く。おそらく剣の腹を弾いているのだ。
正直よく見えんのだが、たぶんそうなんだろう。
オオカミの剣舞は隙がないように見える。だが俺でもわかるほど実力に差が出ていた。
そして一瞬の隙でも出来たであろうタイミングで、ついに戦いの幕が下りた。
鬼の掌底が獣の腹を撃ち抜いた瞬間、黒い直線が壁に激突して亀裂をつくりドサリと地に落ちた。
動く様子はない。
壁に激突した時の、重い水風船が弾けたような生々しい不愉快な音が、耳から離れない。
それでも俺はオオカミに駆け寄って怪我の状態を見た。
「良かった、ざっと見たところ欠損はない。安心しろ。お前は、粒子になって還るだけだ。だから……またな」
そう言いながら撫でてやると、震えるオオカミは少し落ち着いたように息を引き取った。冷たくなるよりも前に、獣の体は粒子へと還っていった。きっとどこかの蘇生ポイントで再構築されていくはずだ。
オオカミの帰還を見届けた俺はバトラーの剣を取り、鬼に向き直った。
「よお、鬼怒さんじゃねーか」
「ふむ。やはりゲマであったか。何やら物音がするので来てみたら、先程の通りだ」
「助けてやったと言いたいのか? そりゃご親切にどーも」
「相変わらずの皮肉屋だな」
「それが俺のアイデンティティって奴さ」
「ぬははっ! 口の減らん奴よ」
「あんたここで何してんだ? もっと下にいると思ってたんだが」
「そうか、お前は知らんのか。悪魔エリメアクが下層の魔物に招集をかけているのだ」
「招集……」
「そうだ。中層に来て共に戦え、とな」
そういや青ネズミが魔物達に用があると言ってたな。だからって、下層のしかもこんな深いとこまで声をかける中層の状況。まさか想像よりずっと劣勢なのか?
大丈夫なのかよ、悪魔の要塞。
てことは、今みたいな戦いは中層では日常的。安全を確保するための強力な戦力が必要だ。
そう、例えば目の前のこの鬼とかな。
「なあ鬼怒さん」
「なんだ」
「俺には目的がある。そのためには上層まで行く必要があるんだ。中層まででいい。同行させてもらうが、構わないか?」
顎を手でさする鬼は黙って俺を眺めている。
静まり返ったダンジョンで、焦げた臭いを発している松明の炎が、次第に小さくなっていった。
長くはない沈黙を経て、鬼怒は太い腕を下ろした。
「目的とは何か」
「それは言えない」
「では力付くで従えてみせよ」
「無理だ。それは俺の戦い方じゃないからフェアじゃない。頭脳戦にしろ」
「フェアじゃない? 戦場でもその口がまわるか見ものだな」
「じゃあ連れて行くってことでいいんだな」
「もう一度聞く。お前が上に行く目的とは何だ。叶えたいものとはなんだ」
「殺されたって言うもんかよ。てめーらにはどうせ理解できねーんだ。言ってやるかよ」
「言えんか。そうか。ハハハッ! 実は知っておる。地上に帰りたいのであろう」
「お、お前なぁ!」
こいつ、試したのか。竜のジジイみたいなことしやがって。
これだから最古種は嫌なんだ。
「すまんな。では行くとしようか」
「最初からそう言やいいんだ。まあとにかく助かる。よろしくな」
「助かる、か。お前はもう少し自分の内面を隠すべきだぞ、参謀殿」
「うっせ」
中層までの道中はある程度、安全になったと考えていいだろう。
さすがに俺がピンチになっても手を貸すほどお人好しではないだろうから、油断はできない。
だがしかし、差し当たって一つだけ問題がある。
「なあ鬼怒さん」
「まだ何かあるのか」
「酒は持ってんのか?」
「当然よ。酒は命の源泉である。うむ。生命の湖とはこれのこと」
「ちげーだろ。人間が誤解するからやめ……あー、むしろそっちの方が面白いか」
いっそこいつが持ってるって触れ回ったら人間の標的はこいつになるのか?
最下層よりこいつを捕らえることに注力する、とか。
俺へのマークも薄くなるならいいかもな。
「お前も飲みたいのか?」
「いらん」
断った俺の眼前に、鬼怒は古風な瓢箪を開けて突きつけていた。
ドロリとした酒の臭い。鼻を覆いながら押し返した。
「だからいらねーって。俺が言いたいのは、道中何があるかわからんし、酒は控えたほうがいいんじゃないか?」
「バカヤロウ! 気が張ってばかりでは旅など出来ようものか。酒は人生を潤す神秘の水。やめてなるものか」
「そーですかい……やめてなるものかってとこに本心でてるぞ」
「はっはっはっ」
笑って誤魔化した鬼怒は、そのまま酒を飲み始めてしまった。
まずい、話題にしたのが裏目に出た。どうにか酒を手放してもらいたいのだが。
「よし、ゲマよ。飲んでから行くぞ。さあさあ、お前も付き合え」
「いらんって言ってんだろ。なぁ、酒はいつでも飲めるんだしさっさと早く行こーぜ、なっ?」
「がっはっはっはっはっはっ」
ああ……終わった。
もう出来ることといったら、酔った勢いで殺されないようにするだけ。
はぁ、やっぱりあのオオカミの方がずっとましだったな。またどこかで会えるといいなぁ。
そうだ、地上に出たら絶対に犬飼おっと。
酒盛りを始めた鬼怒を警戒しつつ、適当に付き合いながら、俺は酒くさいダンジョンの一時を過ごした。
———翌日。
鬼怒と俺はひどい頭痛の中で出発した。
だから魔物は嫌なんだ!




