EP15:人の形
霧に混ざって声がまとわりついてくる。
でも嫌じゃない。
暗いけど心地いい。
どこかで聞いたことのある声だ。
思い出せない。
おぼろげなのは記憶よりもその音。
声というほど形もなくて、音というには意味がある。
俺を呼ぶこいつは誰なんだ。
意識の隙間に入ってくる。
少し気に食わない。
明るくないのが煩わしい。
目を開くと俺だけ森の中だった。
立ち尽くしたまま。
ワンダ達は森を抜け周囲の状況を確認している。
誰も俺を見ていない。
今なら森に紛れることもできる。
でも足が動かない。
なぜ、という問いにはもう疲れた。
頭が回らない。
懐かしい下層の暗がりに、戻りたい。
ワンダが俺を呼んだ。
魔王。
それが俺。
ほんといつからそんな呼称がついたんだ。
そもそも、誰がつけたんだ?
暗い顔をした魔物達が俺を見る。
意思のない凍った眼差し。
一匹の魔物が近づいてきた。
何をするのかと思えば、恐る恐るその手を伸ばしてきた。
よくわからずに手を出すと、そいつは俺の手を取って引っ張ろうとする。
振り払おうとして気づいた。
こいつは、このイタチは俺を仲間だと思っていやがる。
俺を魔物達のところへ引っ張ろうとしているのだ。
顔を上げてもう一度前を行く連中を見た。
張り詰めた顔をした魔物達。
シカが震える手を胸元で握っている。
短い足で必死に追いつこうとする小走りのリス。
ダチョウは首を伸ばしてワンダが見ていないところを注意深く覗き込んでいる。
ああ、全然気づかなかった。
こいつらは生き抜こうとしていたんだな。
腕を引かれた。
イタチが小さく笑った。
その手を握り返すと木の枝みたいに硬くて、でも少し暖かかった。
森を抜けた先は岩が連なる荒れた土地。
乾いた砂に魔物たちの足跡が残っている。
森は陰と光が混ざり合い仄暗かったが、こっちは天井の明かりが遠くて膜に覆われているみたいに薄暗い。
高い天井は爽快だ。
救命軍とやらは南にいる。
行けば会えるとネズミは言った。
どこまで南下すればいいんだ?
地図を開いて見ると、今いるあたりに不自然な三角のマークがあることに気づいた。
もしかして、これか。
ワンダとスネーカに伝え、方角を確認すると皆でマークの場所まで歩き出した。
そろそろマークの場所。
そう判断したワンダが周囲を偵察すると言い出した。
いつもよりも軽率な行動に思える。
無理もないか。
さっさと見つけてもらった方がいい。
俺は座って待つことにした。
せめて、カルネに挨拶くらいはしておくか。
正面の岩は俺の背よりも高く、登ったら見晴らしがよさそうだ。
そう思ってなんとなしに眺めていたら、妙な模様を見つけた。
丸い模様で、二つ並んでいる。
なんだろうと考えていると、模様が消えた。
あれ?
といぶかしんでいたら、また現れた。
そしてパチリと瞬きした。
それは目だった。
「お、おいスネーカ」
「どうなさいました、魔王さん」
「あれ、あそこ」
「あらまあ。ちょっと、ワンダさん、ワンダさーん」
ワンダが戻ってくると、岩場の目が起き上がり姿をあらわにした。
モグラに、牛、背後にも何人かいる。
これが救命軍。
本当にいやがった。
「オレはワンダ、上層から逃げてきたんだ。頼む、あんたたちの庇護に加えてもらえないだろうか」
「上層から来た、だと? にわかには信じられんな」
「お待ちください。私たちは本当に救命軍に加わりたくて参ったのです。あなた方がそうなのではありませんか? 私はスネーカ、リーダーの河童さんは私の旧友です」
こいつ、一体どんな経歴もってんだ。
いまさら驚きもしないが、さすがに隠し事が多すぎる。
いつもより上ずったスネーカの声。
救命軍ににじり寄る姿は真剣そのもの。演技ではないようだが、その本心は。
救命軍は戸惑っている。
素性が知れず、しかし追い返すわけにもいかない情報。
そのリーダーって、もしかするとカルネの知り合いかもしれんな。
まあいいさ。ここまで来たんだから最後まで付き合ってやる。
「おい」
「なんだキサマは。悪魔か」
「いーや、人間様だ」
「ゲマさん、今そのような言い方」
「でも魔物でもある」
スネーカが口を開いたまま声を失っている。
何に驚いてんだか。
「キサマ、禅問答のつもりか」
「別に。ただの事実だ。カルネに困ったら来いって言われてんだがな」
「カルネ殿が? まさかキサマが、魔王だと? あのカルネ殿がお認めになった男が、こいつ」
「わかったならさっさと中に入れろよ。こちとら長旅で疲れてんだ。早くしねーと人間が来るかもしれんだろ」
その言葉に反応したのはワンダ。
何か言おうとして、鼻で周囲を探っている。
「魔王、それはない。辺りにはそれらしい臭いはないし」
「ネズミには気づけなかったろ。ちょっとは反省しろよ」
「それは、そうだが」
「魔王さんの言うとおりです。救命軍の皆様、今は中へ入れてはいただけませんか」
はいそうですかと簡単には通す気はないのか、まだ考えている。
ボソボソと小声で相談を始めた。
短い間だったが、結論は出たようだ。
牛が代表して前に出た。
「いいだろう。だが中で取り調べはさせてもらう。いいな」
「ああ、構わない。ありがとう! 皆、やっと、やっとたどり着いたんだ! さあ、中へ入れてもらおう!」
魔物達がこれほど活気づいたのは初めて見た。
笑顔の奴までいる。
ワンダ達は牛の魔物についていった。
さて。
俺はここに用はない。また、北でも目指すか。
ずいぶん遠回りしちまった。
しかし、また森の中を行く気にはなれない。
どうしたものか……
「魔王さん」
スネーカだ。
「あなたも一緒に行きましょう」
「俺はここに留まる気はない」
「あなたに必要なのは休息です。そうでしょう?」
「俺は……止まりたくねーんだよ」
スネーカが俺の手を取った。
冷たい手で力強く握ってきた。
「魔王さん。はやるお気持ち、お察しします。ですが一晩ゆっくりなさるべきではありませんか。私が持っている情報もまだお伝えできていません」
「そうだったな。あんた、一体何が狙いなんだ」
「今お答えするとしたら、そうですね。かつて私の古い知り合いがあなたを気にかけていました。こうしてあなたを見ているとその気持ちも少しわかります。それに」
「もうちょっと、なんていうか、直接言ってくれないか? 回りくどいぞ」
「ふふっ、すみません。こういう性格なものでして」
「よくゆーぜ」
「とにかく私たちも入りましょう。まだ今後の予定も決めていないのでしょう? ささ、こちらへ」
とか言って先に行きやがった。
また先延ばしか。というより子供扱いされている。
あんなに感情的になるんじゃなかった。
動かない俺を察したスネーカが、軽やかに振り向いて、ニコッと笑った。
嫌味な顔には見えなかった。
「そうですね、これだけは約束します。私はあなたと敵対はいたしません」
「一番食って掛かってんのはお前だろ」
「うふふ、痛いところを突かれましたね」
「自覚してんのかよ」
いい加減しびれを切らしていた魔物達の脇を通って、俺とスネーカは促されるより先に進んだ。




