EP13:迫りくる赤ネクタイ
お騒がせネズミについて誰かが激怒するかと思った。だが魔物達は皆一様に、何事もなくて良かった、良かったと繰り返すだけ。
理知のかけらもない。見ていられなくて目をそらした。
憂さ晴らしにネズミに謝罪を述べよと詰め寄ると、救命軍の位置を答えてチャラだと言う。たしかに悪くはない取引に聞こえる。
どうしようか、と考える間もなくワンダが飛びついた。
「連絡員、埋め合わせはしてもらう。ちゃんと聞かせてもらうからな」
「いいよー」
凄む犬のしっぽが揺れている。
「救命軍は南にいて、ここからだと森を抜けてその先の岩場に紛れて入口が設置されている。行けば向こうから接触してくるはずだよ」
「向こうから? 間違いないんだろうな」
「さあね。少なくとも魔王君よりはずっと確かなことを言っているよ」
いつもの嫌味。
そこにスネーカとワンダがやってきて。
「ふふふ、その点は疑いようがありませんね」
「オレも同意だな」
寄ってたかってこれだ。
あーあ、早く人間の世界に行きたい。
ネズミは一通り言い終わると、荷物を背負い軽やかに根の上に飛び乗る。
「ネズミ、もう行くのか」
「遊びに来ただけだからね。これでも忙しいのさ。寂しいだろうけど、それじゃがんばってー」
「別に、あっ」
言いたいこと言って、ネズミはヒョイっとどこかへ行ってしまった。
取り残されたのは俺達のような気がして、少し可笑しくなった。隣にいたスネーカも同じ顔をしていた。
俺は軽く咳払いをして、今聞いた道を歩き出した。
魔物達の足取りは依然として重い。
救命軍という未知の存在に期待を抱いてはいないのかもしれない。
「救命軍に会えばひと息つけるのだ。皆、あと少しだから頑張ろう」
ワンダは空元気で皆を動かす。
魔物達は人形のように付いていく。
スネーカだけは穏やかな顔で歩いていた。
青い森は静かにどこまでも続いている。絡み合った根が一繋ぎの網のようにどこまでも、どこまでも続いている。
本当にこの方向であっているだろうかと疑念ばかりがつもる行軍。
だが突如として、それは終わった。
ワンダと数匹の魔物が立ち止まり、一心に何かをかぎ分けようとしている。
また何かを感知したのだ。
そしてその顔が、今度こそ怒りと絶望に変わっていく。
俺達の行く手に数人が立ちふさがった。
目に刺さらない程度の光量で辺りを照らす白い光の向こうには、同じような姿が並んでいる。
俺達はいつの間にか人間達に包囲されていたのだ。
全方位から差し込む白い光がまぶしい。手をかざして見えた先には見覚えのある男。
かつて斬られた右腕が今更になってうずきだす。
俺に向かってそいつは手を上げた。
「よお、下層にいた魔王じゃないか。久しぶりだな。元気にしてたか?」
やはり、下層に現れたバトラーだ。
「うるせーな。馴れ馴れしく話しかけんな」
「まあそう言うなよ。オレも悪かった。ちょっと痛めつけるつもりが、まさかあんな反撃を受けるとは思ってもみなかったんだ。ははっ、すまんすまん」
「その口を閉じろ。もう一回殺すぞ」
「ほぉ、オレに勝てるとでも? まさかそいつら道連れにまた自爆でもするのかよ。いいぜ、やれるものならやってみろ」
殺気をみなぎらせるバトラー。
だが、おかしい。
不自然な点が何かわからず、癖で首元を見てわかった。
男はネクタイをしていない。付けていないだけなのか、それとも下層で俺がもぎ取ったせいなのか。
もしそうなら、あのネクタイは今どこにあるんだ?
「おいおい、ネクタイがないじゃないか。どこかで落としたのかねぇ、バトラーさんよ」
「テメェが取ったんだろ。返しやがれ。こちとらおかげでお説教されてんだ」
「ハハハ、ちゃんと躾してくれる会社なんていいじゃねーか。もっと善処したまえよ」
「テメェ……もういい。死なない程度に切り刻んでやる」
「剣も無いのに、か?」
バトラーは拳を固め、今にも襲いかかってきそうに構えたが、しかし奴は動かない。
なんだ?
何が奴を止めている?
バトラーが構えを解いて腕を組みだした。困惑するしかない俺達。
黙ったままの人間達。
するとバトラーの横に何かが降ってきた。
光の中に墨を流したように尾を引いた残像。
起き上がったのは人間の男。
そして首元につけた緑色の蝶ネクタイが否応なく目に入った。
「ルアプール、そこまでにしてくれないかな。簡単に挑発に乗っちゃダメだっていつも室長に言われてるでしょ」
「フン。オレは別に挑発にのってない。ベル先生に言わせればどんなことも欠点になっちまうだろ」
「どうかなぁ。少なくともそんな下手な返ししてるからベリルに言いくるめられるんだよ」
「今それって関係ないだろ。オメロンはネクタイあるんだからさっさとフォームチェンジして片付けてくれ」
「わかったよ。ルアプールといると、いつも雑用をさせられる気になるのはなんでかなぁ」
こんな状況で雑談をしてやがる。
勝利を確信して慢心してくれるのはありがたいが、バトラーが二人。
こっちは意気消沈した魔物達。
緑のバトラーは未知数だ。情報が足りない。
いや待てよ……緑のバトラー、どこかで聞いたような。
「各員に告ぐ。これより捕獲任務を開始する。各員戦闘体勢のまま待機。ただし包囲を突破する動きがあれば即座に戦闘を開始せよ。まずはボクが対処する。標的は知識の蛇。そして、伝説に謳われる湖の魔王だ」
ずいぶんと誇張した呼び名に、こんな状況だが思わず苦笑い。
緑のバトラーは武器も持たずに進み出た。
バトラー以外を兵士達と呼ぶべきなのか。奴らから放たれる光が、俺と緑のバトラーの間に一直線の白い道を映し出す。
逃げ出そうにも退路はすでにない。
緑のバトラーが近づいている。
俺は腰の剣に手をかけ、いつでも抜けるように握りしめた。
硬い感触が指先に馴染んでくれない。
バトラーがもうすぐそこまで来ている。
交渉、情報戦……なんでもいい、何か、なにか対策を練らなくては。
剣も抜けず、迫るバトラーを止めることも出来ない。
ここまで来て、何度も窮地を乗り越えてきたのに。
ここで終わるのか。
「ごきげんよう。オメロンさん」
いつの間にか横にスネーカがいた。
緑のバトラー、もといオメロンが足を止めて不敵に笑う。
そうだ、思い出した。
緑のバトラーはこいつが何度も会ったことがあると言ってた相手だ。
「やあ蛇。捕まえに来たよ」
「可愛い坊やに追われるのは悪い気はしませんが、少ししつこいですね」
「安心しなよ。今回はそっちのお兄さんが一番の目的だから君はついでだ」
「あらそうでしたか。ついでなら私たちは失礼させていただきたいのですが。この方なら煮るなり焼くなりお好きになさってください」
嬉しそうにスネーカは俺を差し出す。
オメロンはニコッとしただけで何も言わない。
「おいスネーカ、それは酷いんじゃないか? ここまで一緒に旅をしてきた仲じゃないか」
「仲間だなんて白々しいですね。わざと北に向かったり、私たちを良いように利用しようとしていたではありませんか」
やっぱりバレていた。
気まずい。
「大丈夫だよ蛇。誰も逃す気はないんだ。さておしゃべりしてる間に逃げる段取りはついたのかな?」
「残念ながらまだですの。もう少し猶予をくださらないかしら」
「それはできない。もう十分猶予を与えてきたからね。せいぜい快適な研究室の過ごし方にでも頭を使ってくれ」
「では最後に一つだけ教えてください。なぜ私たちの位置がわかったのですか? 発信機の類は付けられていないはずです」
「盗んだ機材で発信機がないか確認したのかい? ふっ、その通りさ。発信機は付けていない。もっと確実で簡単な方法を使ったんだ。さあ種明かしだ。こっちへおいで」
ワンダの横から歩み出てきたのはゾウ。
ゾウは誰の目も見まいと顔をそらしていた。
ワンダはわななく手を伸ばし、しかし何も言わずにその手を下ろした。
なるほど、スパイとは実に人間らしい。
ワンダ達はひどく動揺している。無理もないか。
自分達が追われ続けた理由が身内だったんだからな。
我が身可愛さに仲間を売るか。それ自体はいい発想だ。その結果が人間に服従でなければだが。
くだらんことを。
「いかに感覚が鋭いと言えども、そう易々と上層から逃げ切るなんて出来ないよ。この子の聴覚を使って遠方から暗号化した指示を受け取ってもらったのさ。どうかな、簡単な話だろ?」
「まさかワンダさん達と会ったのは偶然ではないということですか。納得です。彼らの超感覚をもって私を見つけ出したと。お見事ですね。素直に感心いたしました」
オメロンは話ばかりして一歩も動いていない。それともスネーカの戦闘力を警戒しているのか?
わかることといえば、この隙に何か切り抜ける方法を考えろということが、スネーカが俺に期待していることなんだろう。
言われなくたってやってやるさ。
「おいバトラー緑」
「なんだい、魔王」
「お前らはなんで俺を捕らえようとしている。そもそもなぜ俺のことを知っていた」
「ルアプールから聞いていないのかい? まあ色々あるんだけど、湖の在り処を教えてほしいのさ」
「教えたら用はないってことか」
「そうだね」
情報を吐いたら終わりだ。
案内をするフリをして、その隙に逃げるか。それとも……
「おいオメロン、待てって」
バトラー赤、もといルアプールだったか。
オメロンの肩を掴んで振り向かせた。
「主任はこいつに来てほしいって言ってただろ。情報だけじゃだめだ」
「はぁ、いいかいルアプール。そんなんじゃ取引なんてろくに出来ないよ」
オメロンはやれやれと首を振る。
どこまでが本気なのか。スネーカと言い合うだけあって食えない男だ。
「まったくもう、仕方がないな。というわけだよ魔王。ボクはあまり戦いたくない。嫌いじゃないけど疲れるから面倒でいやなんだ」
「いいね、俺も同感だ。だったら見逃せ」
「ふふっ、良かった。ボクも君のことは嫌いじゃないよ。だからこうしようか。狙い通り、君の身と引き換えに蛇達は見逃してあげよう」
「ちょっ、それじゃ俺が」
俺を押しのけて蛇が割って入ってきた。
「あらまぁ、ずいぶんと寛大ですのね。嬉しいわ」
「ボクの任務は拠点に潜入した誰かさんを捕縛すること。それが終わるとまた激戦区に放り込まれちゃうんだ」
「そうでしたか。もっと早くそう言っていただければ仲良くして差し上げたのに」
「ははっ。でも今回で最後だ。怒られてしまってね。次は見逃さない」
「わかりました。しかと覚えておきましょう」
「そうしてよ。さて交渉は成立かな。というわけだから一緒に来てもらうよ、魔王ゲマ」
選択肢がない。
この二人はなんでこうも勝手に話を進めるんだ。
クソったれ。
選択肢がないなら、それが俺にとって都合よくなるようにするしかないのだが、まだ一つ切り札がある。
「わかった。ちょうどお前らの所に行こうと思ってたんだ。連れてってくれるなら都合がいい。せいぜいVIP対応で案内してくれよ。それがダメならこの場で自害する」
俺は赤いラインが入った剣を引き抜いて自分の首元に突きつけた。この状況で使える手はもうこれしかない。
スネーカとオメロンはあまり驚いていない。俺が取る手段なんてお見通しってわけか。
気に食わねー奴らだ。
「そんなことしなくても大丈夫。もちろんVIPだからね。君が来てくれて本当に嬉しいよ。これでようやく」
「あらオメロンさん、私達は南へ行きたいのです。道を開けてくださらない?」
「わかったわかった。承ったよ。では魔王、こちらへ」
慇懃な礼をして促すオメロン。こいつには俺の要望を伝えておかんとな。
だが魔物達に聞かれるとまた面倒なことになりかねない。まずはワンダ達だな。
用心してオメロンに近づいて、俺はその耳元でそれっぽいことを囁いた。
「魔物達の身の安全を保証するなら要求を呑んでもいい。あいつらが逃げるのを見届けるまで蛇は残せ。兵士らは一歩も動くな。出来なきゃさっきの通りだ」
そう宣言して、突き付けた剣を軽く振って見せつける。オメロンは微笑んだまま曖昧に頷いた。
この状況は悪くない。魔物がいなくなったら地上に出る交渉だ。もしかしたらいけるかもしれないぞ。
それと、蛇には最後までリスクを被ってもらう。
へっ、ざまーみろ。
しかし、こいつらの目的が湖じゃなく俺ってどういうことだ。湖の情報ならここで聞けばいいだろうに。なんで拠点に行く必要がある。
そういやさっきルアプールが主任が俺に用があるって言ってたし、どうにも解せん。
何かが足りていない。
この状況を紐解く何かが。
もどかしい。
「……魔王テメェ、まさか」
なんだ?
少し離れたところでルアプールがつぶやいている。
何を察したつもりなのかは知らんが、この際どうでもいい。
一つずつ整理していこう。
まずは魔物だ。
「あばよ、魔物共」
軽く手を振って別れを告げる。
魔物達は怯えていた。
人間に囲まれ、そして身内の裏切り。さすがのワンダも大分堪えている様子だ。
ワナワナと震え、どこか悲しそうに俺を見つめる。
……悲しそうに?
「魔王、お前」
「悪いな。お前らと一緒に行くのはここまでだ」
「お前……オレらのために」
ん?
「おいワンダ、何を」
「あんたがそのバトラーに言ったことが聞こえたんだ。魔王、あんたのことはどうにも信用できない奴だと思っていた。だが、誤解だったようだ。その言葉の裏にはいつもオレらへの配慮があったんだ。すまない……すまない、魔王」
「いやだから、話聞けって」
こいつ耳も良かったのか。
ワンダの見当違いの解釈を訂正しようとしたらルアプールが俺の肩をガシリと掴んだ。
かつて受けた強烈な一撃を思い出し咄嗟に身構える。
バトラーは俯き、言った。
「テメェが自分を犠牲にするとはよ」
「お、おう……いや自己犠牲じゃないけど」
「テメェよぉ……いいじゃねぇか。熱い、熱いぜ魔王!」
「こっちもかよ。いいか、ただいいようにやられる俺じゃないってことを」
「皆まで言うな。わかってる。そういえば以前会った時も自分の身を顧みないやり口だったか。おもしれぇ。自己犠牲を厭わないなんて勇者かよ!」
「だ・か・ら」
オメロンが横で呆れ半分に笑っている。
「ルアプール、それは違うんだけど、面白いからいいか。そろそろ行こう。各員戦闘態勢解除。作戦完了に伴いこれより帰還する」
「こいつはオレが責任もって連れてってやる。じゃあな魔物共。魔王の自己犠牲を心に刻んでさっさと失せろ」
ルアプールの威嚇にワンダは唸って応え、それでも素直に魔物達を後退させた。
そんな中、スネーカだけ必死に笑いを噛み殺していた。
この蛇女ってやっぱりそういう奴だよな。
悲しむよりそっちの方がしっくりくるわ。
魔物達が急に走り出した。あれほどの勢い、初めて見た。
しんがりで残っているワンダの様子がどこかおかしい。
そのことにスネーカも気づいたようだ。
そしてワンダが俺の背後を指さした。
「何か、いる」
その言葉を合図にしたように鈍い音が響く。
背後の森の中。
青暗い闇そのものが、硬いものでも噛み砕いているかのような鈍い音が立て続けに鳴り響いた。
あの辺には人間の部隊がいるはずだ。
ライトの光が狂ったように入り乱れている。
この聞き心地の悪い、この音は、これはまるで……骨が折れる音。
悲鳴。
「おいバトラー共! どうなってる!」
「知るか! オレだって知りたいとこだ、オメロン!」
「わからない、けど用心して!」
「くっ、魔王! 剣を寄越せ、早く! テメェが持ってるその剣だ!」
「クソったれ! 愚図ども、ついていってやるんだからちゃんと守ってみせろよ!」
俺は剣を元の持ち主に投げつけた。
人間が襲われているなら間違いなく魔物。それも強力な奴だ。
不気味な闇を暴くように、人間達は一斉に明かりを向けた。
奴らの手元から迸る文明の利器。
あんなに憧れていた人工的な光は、ダンジョンの自然を破壊するかのように辺りを白く照らし出している。
そして暗闇から浮かび上がったシルエット。
その時、俺の脳はマジで停止した。
そいつはどこかで見た赤い蝶ネクタイをつけていて、いつもと変わらず嬉しそうに手を振っている。
「おっ、みーつっけた。やぁまーくん。おひさー」
そこにはなぜか、ウサギがいた。




