EP12:青い叡智
「落ち着けよ、ワンダ。ここで騒いでも状況が悪化するだけだぞ」
「この状況で落ち着けだと? 背後の敵は間違いなく追ってきているのに、呑気なものだな」
「まだ敵と決まったわけじゃ」
「このダンジョンに敵以外、何がいるっていうんだ!」
ワンダの言葉が胸に刺さる。
言い返せない。
ワンダは俺を振り切って仲間に指示を出した。迫りくる相手は明らかに俺達を追っている。
目的がワンダ達なのかは現状不明。
巻き添えはごめんだが、こいつらをわざわざ追う存在ってなんだ。
理由は?
そういえばワンダの奴、出会った時に妙なこと言ったな。
「なあワンダ。初めて会った時にお前、バトラーがどうって言ってたよな」
「ああ? ああそうさ、きっとあの人間が追ってきてるんだ。陰湿な人間め!」
「早まるなよ。そいつ、バトラーってことはネクタイしてたんだよな。何色だった?」
「さあな。オレに色はわからん。他のみんなにそんな余裕なかったし、こんな時に色なんてどうでもいいだろ」
「それなりに重要なんだよ」
「知るか」
噛みつきそうな剣幕でいきり立っている。噛みつくべきは俺じゃねーだろうが。リーダーが焦ってどうするんだ。
落ち着かせるつもりで肩を掴もうとしたら、優しく押さえられた。それは細かい鱗で覆われたスネーカの手。
蛇は言った。
「緑よ」
本当かよ。
そう問い返そうとしたが、先にスネーカが頷く。
静謐さを湛えた眼差しが嘘ではないと物語っている。
そしてスネーカは、バトラーの特徴を身振りを混じえて話し出した。
「少年というよりは青年くらいでしょうか。このくらいの背で、魔王さんと同じくらいですね。若い人間。頭の回る人です。ですが戦闘も侮れません」
「ずいぶん詳しいな。知り合いかよ」
「ええ。何度も遭遇しましたので覚えてしまいました」
「へぇ、あんたバトラーと仲がいいんだな。スネーカが残ったらみんな助かるんじゃないか?」
「そうでしたらいいのですが」
たっぷりの皮肉に嫌味は返ってこない。
自分だけ浮ついてるみたいで、話題を戻すことにした。
「せめて相手が分かればな。交渉でも出来れば上手く避けられるかもしれんし」
「交渉? 魔王さんはずいぶんと甘い世界で生きてきたのですね」
「言ってくれるじゃねーか」
「ゲマさん。覚えておきなさい。その口先だけではどうにもならないことがあるのだと」
「……うるせーよ」
言われなくたって、知ってるさ。
だがそれ以外に俺が取れる手段なんて……
逃げる以外に、それ以外にはない。
ワンダの言葉が頭をよぎる。弱者は常に取れる選択肢が少ない。なら強者とは、選択肢が多い者を指すとでもいうのか?
違うか、強弱ではなく優劣だ。だとするなら俺は、いつも優位に立てているのだろうか。
俺は、これまで戦えていたのか……?
スネーカは振動で相手の位置を把握すると言って木の根に顎を乗せた。
そうやって、あいつはいつも先手を取っている。会話にしても常に相手の先にいる。
こいつは間違いなく、強者だ。
そのスネーカに口先ではままならないと言い切られたら、俺は、俺は……
……待て。
この蛇女、さっき俺の名前を言わなかったか。
出会ってからこいつに名乗っただろうか?
俺の記憶では……名乗っていない。
木の根から離れた蛇女が俺を見る。
スネーカの冷たい瞳が、青い木の灯りを吸い込んだように暗く輝いていた。
背中に悪寒が走る。
「スネーカ。あんたは何を知っているんだ」
「なんのことでしょう。今はそれどころではありませんが」
「そうやって答えをはぐらかす」
「その問いに応えて状況が好転するのですか? もう少し冷静になりなさい。今すべきは議論ではなく行動でしょう」
「いいから答えろ」
「聞き分けのない方ですね」
スネーカが珍しく苛立ちを見せた。
軽く組んだ腕を指で叩いている。
うつむいて俺を見る目は鋭すぎるほどに細い。
視線を外せない。
ピタリと指が止まる。
蛇の口からシューっと音がした。
「ワンダさん。一刻も早く南の救命軍に会うべきです」
スネーカは俺ではなく、魔物達をなだめているワンダに声をかけた。
「おい蛇女、俺の質問に」
俺の横をワンダが通り過ぎた。
「そうは言ってもな。その救命軍がどこにいるのかわからないんだぞ。近づいている相手がもし人間なら、救命軍が出てくるとは思えない。わざわざ敵を引き込むようなこと」
「そんなことを言っている場合ですか。今は私達の安全を確保することが先決です」
否定的な犬と理詰めの蛇。
二匹の眼中に俺はいない。
いい加減舐めやがって。
俺は300年を生きた魔王なんだぞ。
「おいスネーカ、追いつかれるのは時間の問題だ。おい、こっちを見ろ」
蛇がジロリと睨め付けてきた。
俺は真正面から見返してやった。
「交渉するってのが甘い考えだとしてもだ、追われる理由が少しでも分かれば対策を練られるだろ。相手を確認すべきだ」
「そうして手遅れにならないといいですね、魔王さん」
「逃げても逃げ切れる保証はないだろ」
蛇の鱗が青く、冷たく照らされている。
胸がジリジリする。息を吐くと妙に熱かった。
視界の端でフワリと白い毛が揺れた。目を伏せたワンダが俺の肩に手を置いた。
「もういい魔王。オレもここは相手を確認すべきだと思う。過去そうしたおかげで逃げ延びたこともある。来い」
ワンダは落ち着きを取り戻しつつある。
こいつが俺を肯定したことに驚いたが、スネーカが余計なことを言う前に俺達は追っ手を確かめにその場をあとにした。
だが、遅かった。
ワンダが素早く上を見た。
スネーカが鋭く叫ぶ。
「魔王さん! 上です!」
「なにが」
俺が言い終わる前に、頭上から何かが降ってきた。
肩にずしりとのしかかる重さにバランスを崩し、思わず片膝をつく。
鋭く細い指が俺の目を覆って何が起きてるのかわからない。必死に振り解こうとしてもがく俺の首に、尖った冷たい指先がしがみついてきた。
殺される。
俺は死に物狂いで手の甲を思いっきりつねった。
すると、いたた、なんて間の抜けた声を出して離れていく。
首に傷がないことを確認して急いで振り向き、離れた影を目で追った。
地面に転がっている小柄な姿。
まさか。
「やあ魔王。やっと会えた」
地面に座り込んでいたのは青ネズミだった。
涙が滲んできた。
首が痛いからだろう。
「……お前かよっ!」
「その言い方は傷つくじゃないか。せっかく追ってきたのに」
「その追ってきたが問題なんだよ」
「えーっと、あー、ああなるほど。人間か何かだと思ったわけだね。それは悪かったよー。ごめん」
「ごめんで済むか」
まるで反省の色を見せないネズミ。
ネズミは立ち上がり、何事か推し量るスネーカとワンダに、どうもー、と挨拶している。
生返事を返すワンダ。
ワンダ達の話振りなら知った顔のはずだが。
ネズミの青い毛皮が周りの木に混ざって、目と鼻と口が浮いているように見えてくる。
呆れている俺に、その口は言葉を投げてきた。
「やれやれ、魔王君はまだ何かをご所望かな」
「とりあえず反省しろ。俺のこと雑用とか言って広めてんのお前だろっ!」
「だって魔王の特徴ってそれしかないし」
「鋭利な知性があるだろーが」
「鋭利ねぇ。仮に本当だとしても見た目じゃわからないよ」
そもそも特徴を伝える必要がないだろう、と叱りつけてやりたい。
「お前のせいで結構面倒なことになったんだぞ。なんで追ってきた。というかどうやって俺を見つけたんだ。あと何か重要な情報でも掴んだのかよ」
「質問は一つずつにしてね。掴んだといえばそうだけど、君に伝えることじゃないかな。君の足取りは簡単に掴めたよ。要塞に寄ってさ、帰ってきた同志に聞いたんだよ。そうしたら西から東に移動してるのを何度か見かけたって。で、魔王君が選ぶルートなんてお見通しさ。そもそもネズミの道を教えたのが誰か忘れたの? こっちの方へ来たのはちょっと意外だったけど」
ネズミは小さな人差し指をピンと立てて、お・み・と・お・し、なんて言いながら指を横に振っている。
「お、お見通し……ていうか、見られてた」
地図を見て何度もルートの選択を考え直して選んだんだぞ。いくら道を把握してるからって……それにかなり用心してたってのに。
そんなバカな……
「……じゃあなんでこそこそと追ってきた」
「君達を見つけたから声をかけようとしたんだよ。だけどただ挨拶するだけじゃつまらないでしょ? 頬がピクピクしてるけど、大丈夫かい? でね、せっかくの再会だからドラマチックにしようと思って。だけど歩いてる時に転びでもしたら危ないでしょ。というわけでみんなが休憩してる時に近づいたわけさ。でも全然気付かないからちょっとわかるようにして、不用心にうろつくおバカさんが隙を見せたところを後ろから……ガバッ! というわけさ」
一方的に喋りながら、襲いかかる仕草をして楽しそうに語るネズミ。
俺の開いた口が塞がらない。
近づいていた、だと?
あの敏感な魔物達に気付かれることもなく?
それでわかるようにしたら魔物達がちゃんと気付いた、と……?
言ってることはアホなのにやってることがとんでもない。
こいつ、実は只者じゃないのか。
「さ、さーて気を取り直して。このお騒がせネズミだが、どうしてくれようか」
「てへっ」
「そんな態度だとネズミの神がお怒りになるんじゃないか」
「ドリーミンヘブンにおわす神はむしろお喜びになる」
「サイテーな神だな」
「ひどいなぁ。じゃあ救命軍の居場所、なんてどうかな」
不敵な笑みを浮かべるネズミ。ほんとにお見通しってことかよ。伊達に連絡員やってるわけじゃないか。
でも俺が救命軍の居場所なんて聞いてもなぁ。
そう思ったのを見透かしたのか、スネーカが先に動いた。
「素晴らしいですわネズミさん。ぜひお聞かせいただけないでしょうか。ささやかな休息の中で突如現れた謎の追手に迫られ、わたくし達は先ほどから無用な緊張を強いられておりました。皆一様にひどく憔悴しております。ですがその朗報をいただけましたら、身を焦がす怒りから立ち直り、この暗い森の中でも明るい希望を持って歩みを進められることでしょう。ありがとうございます、親切なネズミさん」
「う、うん。どういたしまして……ねぇ魔王」
「どうしたんだ? 親切なネズミさん」
「この蛇女、なかなか怖いね。まだ教えるなんて言ってないのに言わざるを得なくなったよ」
今度は俺がニヤニヤしてやった。
ネズミは蛇と目を合わせないようにしている。
ざまーみろ。




