第12話 『出発準備』
浦川口駅、乗務員詰所。
「――第21D、発車準備完了」
点呼の声が響く。
仁十は時計を確認し、軽く頷いた。
「異常なし」
短く返す。
その隣で、星華が書類を揃えている。動きに無駄はないが、どこかいつもより静かだった。
「霜月」
「はい」
「明後日から非番だな」
「……はい」
それだけの会話。
だが、その“非番”の意味はいつもと違う。
旅行。
詰所の空気はいつも通りだが、どこか浮いている。
「佐倉、霜月」
助役が声をかける。
「日程、出たぞ」
一枚の紙が渡される。
仁十は受け取り、目を通す。
「……一週間後」
「急にずれたな」
隣で星華が呟く。
「そうだな」
仁十も短く返す。
一週間。
長いとも短いとも言えない中途半端な時間。
「まあ、その分準備はできるだろ」
助役はそう言って肩をすくめた。
「航空会社側の都合らしい。細かいことは知らん」
それだけ言って、去っていく。
仁十は紙を折り、ポケットに入れた。
「何かあると思うか」
星華が小さく言う。
「さあな」
即答だった。
だが、否定もしない。
「……そう」
それで会話は終わる。
詰所の奥で無線が鳴る。
いつもの音。
いつもの仕事。
仁十は帽子をかぶり直す。
「行くぞ」
「はい」
二人は持ち場へ向かう。
――その後、数日。
特に何も起きなかった。
勤務、交代、点呼。
同じことの繰り返し。
ただ一つ違うのは、時折思い出すこと。
「旅行」
その単語だけが、日常の中に浮いていた。
――出発前日。
仁十の部屋。
最低限の荷物だけを鞄に詰める。
衣類、必要書類、財布。
それだけ。
余計なものは入れない。
チャックを閉める。
視線を落とす。
一瞬だけ、止まる。
理由はない。
ただ、何か引っかかる。
――その頃。
星華は同じ部屋で、別の鞄を用意していた。
無言で、淡々と。
服を畳み、入れる。
動きは正確。
だが、ふと手が止まる。
右目を隠す髪に触れる。
「……」
何も言わない。
ただ、そのまま手を離す。
準備を続ける。
――当日。
空港へ向かう車内。
仁十の運転。
助手席に星華。
外はいつも通りの景色。
変わらない道。
「寝ていいぞ」
仁十が言う。
「大丈夫です」
星華は窓の外を見たまま答える。
「そうか」
それで終わる。
車内は静かだ。
エンジン音だけが続く。
やがて、遠くに滑走路が見える。
空港。
非日常の入口。
だが、まだ何も起きていない。
何も。
――そのはずだった。




