第11話 『選出』
浦川口駅、乗務員詰所。
「――第17D、浦川口定刻着。異常なし」
仁十の声はいつも通りだった。短く、無駄がない。
ドアが閉まり、静かに列車は引き上げていく。窓の外を一瞥してから、彼は帽子を外した。
「お疲れ様です」
隣で星華が小さく言う。いつも通りの調子。感情は薄いが、声はしっかりしている。
「ああ」
それだけ返して、仁十は詰所へ入った。
中はいつも通りの空気だった。点呼の声、紙をめくる音、無線の小さな雑音。変わらない日常。
「佐倉、霜月。ちょっといいか」
呼び止めたのは助役だった。
仁十は足を止め、星華と一瞬だけ視線を交わす。特に何も言わず、そのまま歩み寄った。
「何でしょう」
「まあ、座れ」
珍しく柔らかい口調だった。
違和感、とまではいかない。だが、いつもと少しだけ違う。
向かいに座ると、助役は一枚の封筒を机に置いた。
「――お前ら、今年の最優秀乗務員に選ばれた」
数秒、間が空いた。
星華が瞬きを一つする。
「……そうですか」
反応は薄い。だが、声はわずかに上がっていた。
仁十は封筒を見たまま、短く言う。
「理由は」
「総合評価だ。定時性、対応力、トラブル処理……全部だな」
助役は肩をすくめる。
「正直、文句なしだ」
詰所の奥で誰かが「おお」と小さく声を上げた。
仁十は封筒を手に取る。軽い。
中を開けると、紙が一枚。
――海外旅行券。
「……旅行」
珍しく、仁十が言葉を続けた。
「そうだ。ペアでな。好きなとこ行け」
助役が笑う。
「ルーレットでも回すか?」
冗談のはずだった。
だが、星華がぼそりと言う。
「……それでもいいです」
助役が一瞬止まり、それから吹き出した。
「本気かよ」
「別に、どこでも」
星華は視線を落としたまま答える。
仁十は少しだけ考えてから、頷いた。
「構いません」
「お前らな……まあいい」
助役は引き出しから小さなルーレット盤を取り出した。誰かが持ち込んだらしい。
テーブルの上に置かれる。
「じゃあ、回すぞ」
軽い音を立てて、針が回る。
カラカラ、と乾いた音。
詰所の何人かが興味本位で覗き込む。
やがて、針がゆっくりと減速し――止まった。
「……韓国、か」
誰かが言った。
星華は小さく頷く。
「近いですね」
「ああ」
仁十もそれだけ答える。
助役が腕を組んだ。
「じゃあ決まりだな。手続きはこっちでやっとく。日程は――」
そこで一瞬、言葉が止まった。
ほんのわずかに。
「……追って連絡する」
すぐに言い直したが、間は残った。
仁十はその一瞬を見ていた。
何も言わない。ただ、覚えておく。
「以上だ。お疲れ」
二人は立ち上がる。
詰所を出ると、いつもの廊下。蛍光灯の白い光。
何も変わらない。
「……旅行」
星華が呟く。
「行きたい場所はあるか」
「特に」
「そうか」
会話はそれで終わる。
階段を下り、改札へ向かう。
夕方の空気。少し冷たい風。
日常は、変わらない。
――はずだった。




