第20話:【港町の投資家と、死蔵された銅貨】
「……我々は、共に旅をする仲間だと、そう思っていたのだがな」
シオンの突き放すような言葉を最後に、ユイとシオンは私に背を向け、宿の方へと歩き去ってしまった。
私は、腕に抱えた、重い、重い海王魚のアラと共に、祭りの喧騒が遠のいていく港の市場に、一人取り残された。
大勝利のはずだった。
『端福流』の神髄を発揮した、完璧な立ち回りだったはずだ。
なのに、どうして。
心の中を吹き抜けるのは、冬の港のような、冷たく、寂しい風だけだった。
抱えたアラが、まるで自分の独りよがりな心の重さそのものであるかのように、私の腕にずしりと食い込む。
その時だった。
「素晴らしいじゃないか、その目! まるで飢えた獣だ。……いや、獲物を前にして、その価値しか見えていないという意味では、飢えた狩人の方が近いかな?」
軽薄で、しかし、人の心を見透かすような声。
振り返ると、そこに一人の青年が立っていた。風にひらめく、上質な絹の衣服。腰に下げた装飾品は、見たこともない鉱石でできている。東方の異国から来た商人のようだが、その鋭い瞳は、ただの商品相場だけでなく、もっと別の何か――人の欲望や、未来の価値までも見通しているかのように、ギラギラと輝いていた。
「……誰です?」
「僕はカイ。見ての通り、しがない商人さ」
カイと名乗った青年は、人を食ったような笑みを浮かべると、私が先ほど交渉した商人の店先へとこともなげに歩み寄った。そこには、競りにかけられることもなく、売れ残った雑魚が木箱にいくつも残されている。
「ご主人。この残りの魚、全部もらうよ」
カイが懐から取り出したのは、銅貨ではない。数枚の、金貨だった。
売れ残りの雑魚すべてを合わせても、銀貨一枚になるかどうか。その価値不相応な金額に、店主も、私も、目を丸くした。
「こ、こんな大金は受け取れねぇ!」
「いいから、いいから」
カイは店主に金貨を押し付けると、今度は港で網の手入れをしていた、若い漁師たちを手招きした。彼らの顔には、今日の漁が不漁だったのだろう、疲れと落胆の色が浮かんでいる。
「さあ、みんな! 今夜は宴会だ! この魚は、僕からのプレゼントさ!」
「え、いいのかい!?」
「あんた、何者だ?」
戸惑う漁師たちに、カイは悪戯っぽく笑いかける。
「これは施しじゃない。君たちの明日への『投資』さ。これで腹を満たして、ゆっくり休んで、明日はもっと大きな魚を獲ってきてくれよ。そうすれば、この港町も、僕も、もっと豊かになる」
その光景に、私は我慢ならなかった。
「な、なんてことを! それは、食材への冒涜です!」
私はカイの前に駆け寄り、激しく抗議した。
「価値あるものを正当な対価で買うならまだしも、ほとんど価値のない魚に大金を払い、それを無償で配るなんて! そんな無駄遣い、私の『端福流』が許しません!」
私の剣幕を、カイは実に面白そうに眺めていた。
そして、彼は、私の心の最も柔らかな部分を、的確に、容赦なく、抉りにかかった。
「じゃあ聞くけど、君のその節約は、誰の懐を温めるんだい?」
「……え?」
「君が必死で貯め込んだその銅貨は、一体どこへ行くんだい? その銅貨で、この漁師たちの腹は満たせるのか? 新しい船を造る助けになるのか? それとも、墓場まで大事に持っていくのかい?」
カイは一歩、私に近づく。その瞳は、もう笑ってはいなかった。
「いいかい、節約家の嬢ちゃん。死蔵された金は、価値のない石ころと同じなんだよ。金も、物も、人の善意も、すべては『循環』させてこそ、未来を創る力になるんだ」
循環。投資。未来。
私の頭を、知らない言葉たちが殴りつける。
私は、ただ目の前の価値を最大化することしか考えていなかった。その先のことなど、一度も。
カイは、呆然と立ち尽くす私を一瞥すると、「また会おう。君のその飢えた目は、なかなか面白い」とだけ言い残し、漁師たちの歓声の輪の中へと軽やかに消えていった。
私は、一人、その場に立ち尽くす。
腕には、自分が信じる「価値」の象徴である、海王魚のアラ。
そして心には、カイに突き刺された、「お前の価値は、誰のためだ?」という、あまりにも重い、問い。
『端福流』という絶対の正義が、今、足元から、ガラガラと音を立てて崩れ始めていた。
リナ
仲間から孤立した直後、青年商人カイと出会う。「節約」とは真逆の「投資」という価値観を突きつけられ、自らの信じる道に初めて大きな迷いと疑問を抱く。
カイ
消費と投資で未来を創る、新進気鋭の青年商人。リナの『端福流』を「死蔵された価値」と看破し、彼女の物語を大きく動かすトリックスターとして登場する。
ユイ
リナに失望し、心を閉ざしている。
シオン
リナとの間に距離を置いている。




