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18/22

17時間目 これでよかったんだって、そう思わせて…

「ユーキー君。」

 いつものように事務室のパソコンに向かい合っていると、後ろからとんとんと肩を叩かれた。

「はい?」

 後ろを振り返ると、ナミがにこにことこちらを見下ろしている。

 その隣には、見るからに重そうな書類の束が乗せられた台車が。

「悪いんだけど、これ全部印刷室のシュレッダーにかけてきてくれない?」

「えっ…」

 これはまた大量な。印刷室のシュレッダー全部を酷使してもどのくらい時間がかかるか。

「いやぁ、面目ない。めんどくさいで放っておいたら、いつの間にかこんなに溜まってて。」

 あはは、とナミは頭を掻く。

 ユキは半目で書類を見下ろした。

「相変わらずですね…。でもここまで溜まっちゃったんなら、いっそ業者に処理頼んだ方が早くないですか?」

「経費削減! いいから行ってきて!」

 ナミは明るく笑い飛ばす。

「ついでにちょっと休んでらっしゃい。最近、なんだか元気ないわよ。」

 優しくそう言われて、ユキは目をしばたたかせる。ふと周りを見れば、他の事務員の人々もそれぞれ心配そうな顔でこちらを見ていた。

「……すみません。なんか、気にさせちゃったみたいで。」

 おそらく言い繕っても意味がないだろう。

 ユキは素直に頭を下げる。

「あら、可愛くないぞ~。」

「わっ⁉」

 突然、ナミはユキの頭を強くなでる。

「吐き出したい時は吐き出す! ユキ君はいつも大人になりすぎ!」

「ほーんと、ナミさんに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいですよね~。」

「お黙り。」

 ナミが顔を赤くして言うと、小さな事務室に暖かな笑い声が満ちた。

「つらい時に無理していつもどおりを通さなくたっていいのよ。子供はちゃんと大人に甘えなさいな。もう、ユキ君が成人でもしてたら飲みに引っ張ってくんだけどなぁ~。」

「やめといた方がいいよー。ナミさん酒乱だから、悩み聞いてもらうどころか延々愚痴を聞かされる羽目になるから。」

「あー、言ったわね! 今夜は覚えてらっしゃい!」

「おおっと、これは定時できっかり帰らなきゃ。」

 横槍が入る度にナミが喚き、周囲が面白おかしく笑う。

 そんなやり取りを見ていたら、ふと気が緩んだ。

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて。」

 台車を引き、事務室を後にする。

 甘えなさい、とは言われたものの……

「はぁ…」

 気まずさが胸をじわじわと侵食する。

 自分の問題だし周りに気を遣わせるつもりはなかったのだが、現実はどうしたって上手くいかない。

 悩んでも意味がないのは分かっている。

 さっさと切り替えてしまえば楽なのに。

 ―――ナギの視線が痛いのだ。

 同じクラスなのがきつい。いっそ顔すら合わせなければ忘れることもできるかもしれないのに、教室に向かえば彼の姿を見ることになる。できるだけこちらからは目を合わせないようにしているが、彼の視線がこちらを向いていることを察しては苦い思いを飲み込んでばかり。

 最近ではナギの名前を聞くのも苦痛になってきている。

 自分で選んだ道だけど、心がそろそろ限界だと訴えている。

 こんなの正しいことじゃないだろう、と。

 そう自分を問いただしてくるのだ。

 だから今は、ナギと会ってしまうことが怖い。

 あの澄んだ瞳を見てしまったら、突き放す決心がにぶってしまいそうで。

「ほんと、いい加減切り替えろよ…」

 他でもない自分に毒づくユキ。

 悶々としながら廊下を進んでちょうど職員室付近に差しかかった頃、ふと視界の隅に何人かの足が見えた。

 特に何も考えずに顔を上げると、職員室の出入り口辺りでニックたちがたむろしているのを見てしまった。

 嫌な予感。

 ユキは顔をしかめ、台車を押すスピードをあげる。

 さっさと職員室を通過してしまいたかった。

 だが…

「うわっ」

 目論みは見事に外れ、きれいにこちらが通るタイミングで職員室のドアが開いてしまった。

「あ…」

 職員室から出てきたナギが目を丸くする。

 至近距離で絡み合ってしまう視線。

 すぐには動けなかった。

「………」

 何も言わず、その場で立ち尽くすユキとナギ。

 目を逸らしたのは、やはりユキの方が先だった。

 無言で台車の進行方向を調整し、ユキはナギの隣を通り過ぎる。

 そんな二人の様子に口の端を吊り上げるニックたち。

 

 

 ――――――くい、と。

 

 

 それぞれの沈黙を壊したのは、とても小さな力だった。

「え…」

 ユキは思わず後ろを振り向く。

「あ……えと…」

 おそらく無意識だったのだろう。ユキのジャンパーの裾を掴んだナギは、自分でも驚いたような顔をしていた。

「……、………」

 ナギは深くうつむき、ジャンパーの裾を掴む自分の手を凝視している。

 離さなきゃだめだと。

 何度も震える手に表れる葛藤。

(そうだ。それでいい…)

 ユキはきつく目を閉じ、また前を向いた。

 このまま自分が彼を無視して進めば、それで答えが示せる。

 腹をくくれ。

 このままここに、罪悪感すらも打ち捨てていけ。

 ……あの時と、同じように。

 自分に言い聞かせ、ユキは一歩を踏み出そうとした。

 踏み出そうとしたのに……

「……離せよ。」

 震えそうになる声を平淡に抑え、ユキはナギに告げる。

 どうして…

 さっきまでちゃんと手を離そうとしてくれていたじゃないか。

 こちらから断ち切ってやろうとしたのに、どうしてここでまた強く自分を引き留めるのだ。

「………」

 ナギは何も言わない。

 仕方ない。

 ユキはまた後ろを振り返り、震えるナギの手に自分の手を添えた。

 それはあくまでも、ナギの手を振り払うための行為。

 その瞬間、ナギが顔を上げた。

「―――……」

 ユキは息を飲む。

 真っ直ぐにこちらを見つめるナギの瞳。

 そこに全ての気持ちが込められていた。

(これでよかったんだって…そう思わせてくれよ……)

 ユキは大きく顔を歪める。

 なんでそんなに悲しそうな顔をするんだ。

 自分じゃなくたって、その心に寄り添ってくれる奴はいるじゃないか。

 自分じゃなきゃいけない理由なんて、どこにもないだろう。

(どんだけ泣いたんだよ…)

 赤く腫れた目元が痛々しい。よく見れば、顔中に涙を拭った跡もあった。

「………、……っ」

 手が動かない。

 だから嫌だったのだ。

 ほら、やっぱり……

 もう一度この瞳に囚われてしまったら、もう―――

 

 

「この、大馬鹿野郎…っ」

 

 

 ぎり、と奥歯を噛み締めたユキは、ナギの肩を強く引き寄せた。

「ちょっと、こいつ借りてくぞ。」

 一応ニックたちに断りを入れ、問答無用でナギを引っ張っていく。そのまま早歩きで印刷室まで直行し、ナギを中に押し込んでから自分も室内に入って乱暴にドアを閉める。

「お前、マジでいい加減に―――げっ⁉」

 衝動的に怒鳴りかけたユキは、目の前のナギを見てぎょっとする。

 うつむくナギは、ぽろぽろと大粒の涙を流していたのだ。

「お、おい…」

 まさかの事態にユキが狼狽していると……

「ふぇ……ふえぇぇぇぇっ」

 まるで幼子のように、ナギが大声をあげ始めてしまう。

「わわわわっ⁉ ちょっ…落ち着け! 人が来る‼」

 こんな場面を見られたら、明らかに自分が悪者じゃないか。

 慌てたユキは、ナギの泣き声を少しでも小さく抑えようと、その華奢な体を自分の胸の中に抱き込む。

「……った…」

 ユキの胸にすがって嗚咽を殺しながら、ナギが口を開いた。

「こんな才能……なければよかった…なければよかった!」

「なっ…」

 ユキは瞠目する。

「ごめん…トモに……全部、教えてもらったの…」

「‼」

「ごめん……俺が、俺があんなこと言ったから…」

「チッ…あのナギ馬鹿……っ」

 なるほど、そういうことか。

 ナギの心情を察し、ユキは苛立たしげに舌を打ってナギの頭を抱き寄せた。

 くそ。こうなるのが分かっていたから黙っていたのに。

「違う。トモは悪くない。俺が聞きたいって頼んだの。ユキに口止めされてるって言われたけど、それでも言ってくれなきゃやだって、俺が我が儘言ったの。」

「分かった。分かったよ。分かったから…」

 これ以上は何も言わなくていい。

 そう伝えるようにナギの頭を抱き寄せる手に力を込める。

「しんどかっただろ…」

 優しく頭を叩くと、ナギが大きく体を震わせた。

「なんで…なんでぇ? みんな仲良くしたい人と一緒にいるじゃん。一緒にいたい人と一緒にいるじゃん。俺は…俺はそうしちゃだめなの?」

「んなわけあるか。お前だってそうしていいんだよ。」

「でも、そのせいでユキが大変になるんでしょ? みんな、俺じゃなくてユキをいじめるんでしょ。ユキは悪くないのに…」

「………っ」

 ユキは切なげに目を閉じる。

 ナギに言ってやれる言葉が思い浮かばない。

 今回のことは、自分だってナギだって被害者だ。でも、自分の気持ちのせいでこんなことになってしまったと、そう自分を責めるナギに何を言えばいい。

 お前のせいじゃない、なんて。

 そんな軽はずみなこと言えないじゃないか。

「こんなことになるなら……知りたいなんて、思わなければよかった。」

「そうかもな…」

 ユキはただ、ナギの言葉を聞き続ける。

「知らなければ、こんな風に苦しいとか、悲しいとか…そんなこと思わなくてよかったのにっ…」

「そうだな…」

「ユキの馬鹿! なんで俺のこと嫌いになったの⁉ なんで俺のことを否定したの⁉ 嫌いならせめて無関心でいてくれれば……俺はユキに興味なんて持たずに済んだのに‼」

 ナギが何度も胸を叩いてくる。

 なんでこちらが責められなきゃいけないんだ。

 数ヶ月前の自分なら即座にそう言い返していたことだろう。

 でも今は……

「ごめん……」

 そう謝るしか、自分にはできなくて。

「もう、遅いよ…」

 ナギがユキの服を強く握る。

「ユキがちゃんと周りを見ろって言うから、俺、ちゃんと見るようにした。そしたら寂しくなるだけだった。俺の周りにはもう、俺をちゃんと見てくれる人はいなかった。トモは俺のこと見てくれてるけど、ユキみたいに俺のことを怒ってはくれないし褒めてもくれないんだもん。ユキの嘘つき! 構ってくれる人がいっぱいいるって言ったくせに……もうそんな人、ユキしかいないじゃん…っ‼」

 耳と胸が痛い。

 もっと早く外に目を向けていれば、まだ自分みたいな奴がいたんだと。

 そう言ったところで何もかもが遅い。

 ナギが気づいてしまったこの現実も、紛れもない真実でしかないのだから。

「俺、どうすればいいの…?」

 ナギがしゃくりあげながら問いかけてくる。

「俺には無理……ユキといたい。だって寂しいんだもん。一人でいるのも嫌。トモとだけ一緒なのも嫌。ユキがいなきゃやだよ…。」

「………」

 ユキは思わず片手で額を押さえて頭上を仰ぐ。

 どうすればいい、なんて。

 そんなの、こちらが聞きたい。

(あの手……使わなきゃだめなのか…?)

 理性が即座に告げるのは否。

 考えてもみろ。あの手を使うということは、自分の最強の切り札を早くも使うということなのだ。そのインパクトが周囲に与える影響は半端なものじゃない。

 細々と裏方で生きていく。

 そんな理想を確実に遠ざけてしまう。

 そんな大きなリスクを負うのは合理的じゃない。

 だけど―――感情はそんな手を使えと言ってくる。

(距離が近ぇんだよ、馬鹿……)

 ユキは唇を噛む。

 胸の中で震える温もりが、自分の理性を押し流そうとしてくる。

 だから彼は嫌なのだ。

 どうして彼はいつもいつも、止める間もなく心の中枢に入り込んでくるのだろう。

 そして自分は、どうしてそれを拒めないのだろう。

 

 

「―――――――はぁ…。」

 

 

 深い、本当に深い溜め息。

「降参だ。負けたよ、まったく。」

 ナギを離し、ユキはドアにもたれかかってずるずるとその場に座り込んだ。

 初めから、勝ち目なんてない。

 そう痛感するには十分だった。

「ユキ……?」

 真っ赤な目でユキを覗き込むナギ。

「馬鹿だよ、ほんとに。お前も、オレも……」

 うなだれたユキが呟くのは、それだけだった。

 

 ★

 

 一度決めたら行動が早いのが自分だ。

 あの後、大量の書類をシュレッダーにかけながらナギの文句や話を好きなだけ聞いてやった。

 分かってはいたが、ナギもナギで相当こたえていたらしい。笑ったと思ったら突然泣き出したり、かと思えば急にこちらを責め出してきたり、かなり情緒不安定だった。

 そんなナギを気持ちが落ち着いたら帰れと言って印刷室に置いていき、自分はすぐに事務室に戻った。

「なんか…急にすっきりした?」

 不思議そうなナミに改めて礼を言い、初めから予定に入っていた校内清掃に向かう。

「ほほほ、久しぶりじゃのう。」

 いつものようにそこで待っていたウォルトは、自分の姿を見るといつもとは少し違う声音でそう語りかけてきた。

「お久しぶりです。」

「なんじゃ、つまらん。もう少ししけた顔をしてるかと思ったがのう。」

 顔を合わせるや否や突きつけてくる言葉がそれとは。

 ユキは思いきり不愉快そうな顔をして見せた。

「お生憎様。こんなんでくたばってたまるかってやつですよ。」

「そのようじゃな。どうじゃ、世の理不尽さは身に沁みて分かったか?」

「ええ。ほんと、散々でしたよ。」

「ふふ、ならこれも今なら分かるかの?」

 清掃用具の準備を終えて隣に並んだユキを見やり、ウォルトは飄々と告げる。

「人にはな、それぞれが持った素質というものがある。その素質に合った選択をしなければ、それは周囲に不満を募らせ、いずれ崩壊を呼ぶじゃろう。自分の素質とはなんであるか。それを最大限に活かせるのはどこなのか。そしてそれらを自分が望む未来に組み込むことができるのか。それにいち早く気づいた者が成功を収める。」

「……何が言いたいんです?」

 一言。

 すると、ウォルトは真っ直ぐにユキの目を見つめた。

 しばらくユキの瞳の輝きを吟味するように眺めていた彼は、

「安定など、諦めた方がよいぞ。」

 ユキがこれまで覆したことがなかった理想を、はっきりと否定した。

「分かったであろう。お前さんが積み上げてきた信頼と人徳は、すでに安定という次元を越えておるんじゃ。今まではナギのおかげでそれが見えなかっただけ。だが今、そのナギでさえもがお前さんを評価したんじゃ。隠れ蓑は、もうないぞ。」

「………」

 ユキは黙してその言葉を聞く。

 今までの自分なら軽く聞き流した。そんな言の葉が、今はこんなにも心に突き刺さる。

 なんでこの人は、自分にやたらと気をかけるのだろう。

 自分は別に、この人レベルの高みになど行く気はないのに。

 ずっとそう思っていたけど、怒濤の日々を乗り越えた今は何となくその理由が分かる気がする。

「その顔は、もうある程度のものが見えておるな。ならば言おう。」

 ウォルトの声が低く落ちる。

「お前さんは、使われて終わるような安い人間じゃあるまい。確かに最初は保身のための努力だったのじゃろう。だが、その努力の過程でお前さんが開花させた才能とそこで得た力を自覚せい。自分が望んで得たのなら、それを惜しまず使え。安定以前に、お前さんは戦うことを選んでここにいるのじゃろう。」

「………」

 ユキは何も語らない。

 ウォルトはユキが何も答える気がないことを悟り、すぐにユキの先を進んだ。

「さぁて、今日はどこを掃除するかのぉ~」

 いつものウォルトとしてのキャラに戻った彼は、箒を片手に校庭沿いの道を行く。

 するとその時、彼のポケットから軽やかなメロディが流れてきた。

「………っ」

 取り出した携帯電話の画面を見たウォルトが立ち止まり、くるりと後ろを向く。

「あえてそちらの電話を鳴らした意味、あなたなら分かりますよね?」

 ワンコールで電話を切り、ユキは据わった目で彼と対峙する。

「分かりましたよ。ようは、俺が頼らなすぎるのが気に食わないってことなんですね。そこまで言うなら、ちょっと話聞いてくれません?」

 安定など諦めろ?

 使われて終わる人間じゃない?

 余計なお世話だ。

 散々好き勝手言って、自分がどう生きようとそっちに関係ないじゃないか。

 だが、上等だ。

 使えと言うなら使ってやろうとも。

「オレと賭けでもしませんか? 学校全部を使って。」

 あえて笑顔で提案するユキ。

 それを見たウォルトの目が、これまでとは明らかに違う光を宿した。

 

 ★

 

(あああ、うぜぇ…)

 机に突っ伏し、ユキは苛立ちを殺す。

「なあユキ、やっぱ考え直してくれない?」

「頼むよー…」

 周囲に群れる人だかり。何人いるのか見たくもないから、さっきから頑として顔を上げないようにしている。

「だーかーらー、オレは誰とも組まないっつってんだろ。」

「そこをどうにかさぁ…」

 しつこい。

 非常にしつこい。

 今日の夕方五時がグループエントリーの締切だ。つまり論文の提出期限まであと二週間。大方、全然論文に手をつけていなくて焦り出し、確実に手を進めている自分に頼ろうという魂胆なのだろう。

 馬鹿な奴らだ。自分に交渉する時間があるなら、同じ境遇の仲間とさっさとグループを組んでしまった方がいい。そういう利口な手を打っている奴らもすぐ近くにいるのに、どうしてその手に気づかないのか。

「あ、ナギ!」

 ふと響いた誰かの声に、ピクリと肩が震えた。

「ナギ、この前の話だけどさ!」

 ああ、これはニックの声か。

 他にも自分からナギにターゲットを変えた奴らが周りを離れていく気配がした。

 少しは静かになった。

 ひっそりと息をついて脱力するユキ。

 ナギを取り囲む喧騒。それはナギが教室に入ってきたことで近くなり、何故か大きなどよめきに変わってしんと静まった。

「………?」

 不審に思って顔を上げる。

 すぐ傍にナギとトモが立っていた。

「ユキ…」

 弱り切ったナギと、こちらに助けを求めるかのようなトモ。

「黙ってろ。」

 ユキが叩きつけたのは痛烈な一言。

 相も変わらずなユキの態度に、周囲が息を飲んでひそひそと言葉を交わす。

 さすがに冷たすぎる?

 ちょっとは話を聞いてやれ?

 いいご身分だ。

 どうせ自分がナギを構えば、それはそれで気に食わないくせに。

 ユキは大袈裟に息をつく。

「…………どうせ、すぐに終わる。」

 小さなユキの言葉。

 それをちゃんと聞き取ったナギとトモが二人で顔を見合わせる。

 その時。

 

 

「おはよう、諸君。」

 

 

 そんな挨拶と共に教室のドアが開いた。

 入ってきたのは、スーツに身を包んだ五十前後の男性。

 一見柔和そうに見える細い顔。だがその瞳に宿る光は触れれば切れてしまいそうなほどに鋭い。

 彼を見た誰もが呼吸を忘れる。

「理事、長…」

 誰かが苦し紛れにそう呻いた。

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