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17/22

16時間目 簡単なことなはずなのに、こんなにも遠い――

(オレらって、なんだよ……)

 ベッドに飛び込んだユキは、昼間の会話を思い出して気分を沈ませる。

 どうせナギも一人でいるんだろう、なんて。

 あれは無意識にそう決め込んでいたからこそ出た言葉。

 そして冷静に考え直してもなお、その推測は間違っていないのだろうと思う。

 だってどう考えたってそうじゃないか。

 ナギは呆れるほど自分のことしか見ていなくて、自分の前でだけしか見せない顔がたくさんあって。態度でも言葉でも、自分じゃないと意味がないと語っていたではないか。

 なし崩し的にほだされていたんだと、突き放してしまった今なら分かる。

(距離感、ミスったな…)

 ぼんやりと思う。

 縁が切れたとしても、ちょっと残念だったなと思うくらいの距離感。自分はその距離感を何よりも大切にしていて、だからこそ広げた人脈に必要以上は頼らないようにしてきた。

 自分が突き進んでいくのは、いつ誰が脱落していくとも分からない世界。自分も相手も下手に傷つかない立ち回り方も必要だと思ったから。

 自分は自分。友人といえども他人は他人。

 張り詰めた毎日の中で、何度もそう意識してきた。

 意識していた、はずだったのだ。

 なのにいつからだろう。

 ナギとの距離感を掴み損ねていたのは。

 

 それはきっと、最初からで―――

 

 ユキは物憂げに息をつく。

 ナギはいつだって突飛すぎるのだ。どうしても自分と話したかったからといって、いきなり自室に投げ飛ばす馬鹿がどこにいる。自分を見ていたいから研究所を辞めるなんていうのも、普通ならありえない理由じゃないか。

 彼がそんなだから距離感を計り損ねたのだ。

 こちらが線引きをする前に、圧倒的な力で線の内側まで入り込まれてしまったから。

 あんな風に上手く操れない人間は初めてで、おかげで思い出したくない過ちを何度やらかしたことか。

 ナギを相手にした時だけは、自分はいつもの理性を保っていられる自信がない。

 それは熟考型の自分には致命的で、だから調子を狂わせてくるナギと一緒にいるのは苛立たしかったはずなのに。

 今思えば悪くなかったかもしれない、なんて。

 そんなことを思う自分がいるのだ。

(オレは、何を後悔してんだろ。自分で決めたことだろ…?)

 自問するも答えが見えない。

 これでよかったはずだ。現にあれから、ひどい嫌がらせは受けていない。あの後校長に呼び出されたニックたちも大人しくなったし、何より仲違いした自分とナギを見る彼らは満足そうだったじゃないか。

 火種は消した。トモもちゃんとナギについていてくれている。自分がナギを拒絶したことについて、上からの圧力もかかってこない。

 これで元通り。つい数ヶ月前の状態に戻っただけだ。

 ならばいっそ、ナギが傷ついたことだってなかったことになればいいのに…。

(結局オレは…こうすることしかできないんだよな……)

 ユキは苦しげに奥歯を噛み締める。

 最近はほとんど記憶の向こうに霞んだ思い出が脳裏をかすめる。

 ああもう。だからナギと接するのは本気で嫌だったのだ。

 ただでさえ空っぽな彼を見ているのは過去を思い返させて嫌だったのに、距離感を誤ったせいでまたこんなことになったじゃないか。

(いいんだ、これで…。あの時と同じだろ。)

 言い聞かせながらも、胸を締め上げる罪悪感は収まらない。

 それをひしひしと感じながら、ただ一人で冷たい夜を越えるしかなかった。

 

 ★

 

 夜はとても静かだ。

 その静寂を打ち壊すように、トモは忙しなくキーボードを叩いていた。

 いつものことだ。自分は常に誰かと接点を持ち、新しい情報を取り入れるようにしている。

 これはもう身についた習慣。考え事をしていたって、情報の取捨選択は空気を吸うようにできる。

 そのはずなのに、いつもと違って情報収集に身が入らない。

 注意力が散漫になっている苛立ち。

 それは、ふと携帯電話が震えたことで臨界点を迎えた。

 

 

 ―――残念だったな。

 

 

 受け取ったメッセージはたった一言。

「―――ッ‼」

 トモはたまらずその携帯電話を壁に投げつける。

「くそ…」

 髪の毛をくしゃりと掻き回し、トモは悔しげに奥歯を噛み締めた。

「だから……理性を優先し過ぎんのもだめだって言ったんだよ。」

 脳裏に浮かぶユキの姿。

 彼には脱帽することばかりだ。

 感情に流されず、不特定多数を優先して少数を切り捨てる判断ができる。その少数に自分が含まれていようと関係なしだ。

 ―――いやあれは、少数に自分がいるからこそ容赦なく冷たい判断を下したというべきか。

 本当に、彼は将来大物になる人間だ。上に立っているべき人間だろう。今回の一件を通して、あの強かさに胸を打たれた者も多い。

 だけどそんなの、今は別にいいじゃないか。

 まだ自分たちは高校生で、浅はかな判断で間違えることも多くて、そしてそれが若さで許される時だ。

 あんな小汚い大人たちに並んで、自分の感情を押し殺さなくたっていいはずなのに。

「一人で戦ってるんじゃないよ。悔しいじゃん…。」

 ユキと知り合ってから一年半。

 この自分がこんなに長く付き合っている意味を、きっとユキは知らない。言ったこともないのだ。知るはずもなかろう。

 ユキとは絶対に縁を切りたくない。

 純粋にそう思えた。

 割と感情で走りがちな自分と、いつだって冷静に理性を優先するユキ。人間性が全然違うことも面白かったし、ナギとは異なり理知的に物を語る彼と話すのはとても有意義だった。

 正直、ユキと出会うまでの自分は、ナギ以外の同級生をサル程度にしか思っていなかった。そんな自分が素直に認めてしまうくらい、ユキという人間が持つ能力は他を凌駕していたのだ。

 そして何より、ユキは先入観に囚われて他人を見ない。

 議員や閣僚への大きな登竜門であるこの高校には、権力者の子供たちがたくさんいる。故に普通の生徒たちは、背後に立つ親の権力を天秤にかけ、付き合う人間を選び、言葉にもそれ相応の気を遣う。

 しかし、ユキは違った。

『偉いのもすごいのも親であって、お前じゃないだろ?』

『こんな場所でまで親の操り人形になってて楽しいのか?』

 自分に衝撃を与えたユキの言葉たちだ。

 その言葉は決して、親の権力にすがれる自分たちを僻んだものではなかった。

 親は親で、お前はお前だろう?

 不可解そうな顔をしていたユキの瞳は、言葉より明らかにそう語っていたのだ。

 衝撃を受けたのは言葉の内容というよりは、そう語るユキの瞳に映る濁りのない自分の姿にだった。

 ユキは肩書きを取っ払った個人を見ている。そんな彼の言葉はあくまでも〝指摘〟でしかなくて、決して〝否定〟ではなかった。だから余計に、彼の言葉は直接心に響くようで心地がよかった。

 彼と接するようになってから、自分の世界は広がったように思う。それとなく彼が突っ走る自分にブレーキをかけてくれて、それで助けられたり成長したこともたくさんあった。

 もっと彼と接していたい。

 損得勘定など関係なくそう思えた同級生は、ナギを抜けば彼が初めてだった。

 そんな彼の口からナギを嫌う言葉が出てきた時、絶対に彼を逃してやるものかと思った。

 きっと彼なら、自分が教えられなかったことをナギに教えてくれる。当時すでにナギがユキに興味を持っていることを知っていた自分は、直感的にそう確信した。

 それだけユキは、自分にとってかけがえのない友人だったのだ。

 だからこそ、今のこの状況が悔しくてたまらない。

 ユキもナギも納得しての別れならまだ溜飲も下がった。

 でも、あんなきつそうな二人を見ていたら、二人のことを同じくらい大事に思っている自分はどうしたらいい。どうやってこのやるせなさを飲み込めというのだ。

「ねぇ、ユキ。分かってんでしょ……あれから、ナギが笑えなくなってるってさ。」

 言いたくても言えない気持ちが零れる。

 ユキが言ったことはまあまあ正しかった。ユキと絶縁してから、ナギはこちらの言うことにはちゃんと耳を貸すようになった。空いてしまった心の穴を埋めようとするように、自分の傍にいることも増えた。

 でも彼は、あれから笑顔を忘れてしまった。本気の笑顔だけじゃなくて、いつも他人に使う愛想笑いですら浮かべられなくなってしまっているのだ。

 自分じゃ、あの心の穴は塞ぐことなどできない。

 できるわけがないじゃないか。

 ユキがナギに与えた〝初めて〟は、唯一無二にして最大の価値があったものなのだ。

 代わりなんて、あるはずがない。

「おれだって、これはしんどいよ……」

 あの二人が上手くいきつつあることは感じ取っていた。

 だから、いずれ三人で笑える日も来るかもしれない、と。

 そう期待していたのに。

 友人として笑い合う。

 そんな簡単なことが、どうしてこんなにも遠いのだ…。

(おれ、いつの間にかユキのことも相当好きになってたんだな…)

 こんなに参るなんて、自分でも少し驚いている。

 でもやっぱり、こんなの許せない。

 いくらユキ自身がこれでいいと言ったとしても、いくらそれが事件を丸く収める選択だったとしても、自分は納得などできない。

 大勢の名誉を守るために切り捨てられた心。

 それの方が、自分は大事なのだから。

「こらえろなんて言わないでよ。もっと怒って、もっと頼ってよ。馬鹿野郎…。」

 うなだれて激情に耐えるトモ。

 その時、ふいに部屋のインターホンが鳴った。

 時刻は深夜二時。

 こんな時間に誰だろう。

 気分じゃなかったので寝たふりでも決め込もうと思ったのだが、それを阻止するようにもう一度チャイム音が室内に響く。

 仕方なく、トモは椅子から立って玄関に向かった。

「え…」

 そこに立っていた人物に、トモは大きく目を見開いた。

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