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15時間目 あいつのこと、頼むな。

「…………おれは、これでよかったと思う。」

 すぐにユキとナギの異変を感じ取ったトモは、ユキから事情を聞いてそう語った。

「本当に、ユキのこと尊敬するよ。ここまで追い詰められても、ナギを本気で責めはしないんだからさ。」

「………」

 自動販売機に寄りかかっていたユキは、トモの言葉には答えずにただ黙って地面を睨む。

 夕焼け色に染まったコンクリートに伸びる自分の影。その闇はまるで今の自分の心のようだ。

「ユキ…」

 弱った表情をするトモはユキにかける言葉を探し、何かを言いかけては引っ込めを繰り返す。

「あのさ…」

「もういい。」

 ようやく何かを言いかけたトモに対し、ユキは静かに首を振った。

「もういい。終わったことだ。」

 ぽつりと呟き、ユキはほとんど飲まずに覚めてしまった缶コーヒーを握り締める。

 そんなユキを見ていたトモは、ぐっと眉を寄せた。

「ねぇ…本気でもう、ナギとは話さない気なの?」

「そうだけど。」

「本当に? 本当にいいの?」

「だからそうだって。なんだよ、しつこいな。」

「だってユキ、全然納得してないじゃん!」

 ユキの制服を掴み、トモはその無抵抗な体を自分の方に引き寄せる。

「ユキのことだから、策はあるんでしょ⁉ ニックたちを黙らせて、ナギとも友達であり続ける方法がさ!」

「………」

 その沈黙が告げるのは肯定だ。

「納得してないなら、その手を使いなよ! これでよかったとは思うって、さっきはそう言ったけど……こんなつらそうなユキとナギなんて、おれ見てられないよ‼」

「じゃあ、お前はどこまで腹をくくれる?」

 ユキはトモに鋭い一瞥をやる。

「確かにあるよ。オレがあいつを拒絶せずに済む方法。だけどな、覚悟できんのか? たかだか一人のために学校全体を動かすことになるぞ? そんで、巻き込まれた奴らはきついハンデを負うことになる。そのせいで、下手すればあいつは高校にいる間、ずっと一人になるかもしれねぇ。」

「なっ…」

 絶句するトモ。

 ユキはまた缶コーヒーを睨みつける。

 トモを黙らせるために少し大袈裟な表現をしたが、決して嘘を言っているわけではない。周りの反応次第では、本当にナギを孤立させてしまうかもしれないのだ。

 自分が持っている手札でできることは、半ば博打のようなことだ。

「確かに、無理にあいつを引き剥がしたのには気が引けるよ。だけどな、オレ一人を優先するよりは、今後あるたくさんの可能性を優先した方がいい。前にも言ったように、オレはあいつの人生全部の責任は取れないんだ。オレとのことは、苦い思い出と教訓だと思ってくれればいいさ。」

「……それも、感情は抜きに合理的に考えた結果ってやつ?」

「そ。」

 一つ頷き、ユキは自動販売機から背を離した。

 ユキが話を切り上げようとしていることに気づいたトモが、どうにかユキを引き留める言葉を探そうと顔をしかめている。

 そんなトモの前を通り過ぎたユキは、中身が入ったままの缶コーヒーをごみ箱に捨て、話は終わったと言わんばかりに寮への道を進もうとする。

「ただまあ……中途半端に放り出しちまったから、少しくらいは罪悪感あるんだよ。」

 トモに背を向けたまま、逆光の中でユキは呟く。

 あまりにもナギが自分しか見ないもんだから、こっちだって多少は情が湧いてしまっていたのだ。決して罪悪感がないわけじゃない。

 ナギか寂しさや切なせに気づいてしまったのは、間違いなく自分がきっかけだろう。ならばせめて、彼がトモのことも大切に思えるくらいまでは育ててやるかと思っていた。

 いつまでも自分にべったりでは困るし、いざ真剣にナギと関わってみたら、本当に危なっかしくて心配になるレベルだった。だから自分が安心して背中を押してやれるまでは、彼に付き合ってやるつもりはあったのだ。

 それももう、叶わないけども。

「トモ、あいつのこと頼むな。あいつの犬だって言い切れるなら、お前が傍にいてやれ。今のあいつなら、お前のことをオレ並みに受け入れると思う。あいつの才能抜きにして、あいつの心を見てやってくれ。それが……合理的ではない、オレの気持ち。」

 自分はナギの人生に責任を持てないとか言いながら、トモにはそれを押しつけている。

 言葉を紡ぐ刹那の間にそんな矛盾を感じたが、振り返ってもらえないことを承知でナギに寄り添ってきたトモのことだ。自分と違って、彼ならその責任を自ら負ってくれる。

 そんな気がした。

 だから託す。

 自分はもう祈るのみだ。

 ユキは目を閉じ、一歩前に進む。

 その後、ユキがトモの方を振り返ることは一切なかった。

 

 ★

 

 あれから、ナギとは一度も話していない。

 元々、傍目から見れば嫌がる自分にナギが無理矢理くっついていた状態だ。

 いずれ来るべき時がとうとう来てしまった。

 周りは簡単にこの状況を受け入れた。特に自分が嫌がらせをされるに至った経緯を知っている一部の視線といったら、逆にこちらが気まずくなるほどのものだった。

 同情するのは勝手だ。

 でも、そんなに痛々しげな目を向けないでほしい。

 これは自分から選んだ道。

 後悔だけは残したくないのだ。

 なのに、そんな目で見られたら……

「ユキ?」

「―――あ…」

 ふと呼びかけられ、ユキははたと我に返る。

 どうやら物思いに(ふけ)っていたらしい。来週提出の課題を進めていたはずの手は完全に止まっていて、手から滑り落ちたペンがノートの上に転がっていた。

「ごめん、ちょっとぼーっとしてた。」

 ペンを取り直し、ユキはまた課題を進めることにする。

「いつ見ても早いよな。なんでそんなに詰まらないんだ?」

 ペンがノートを走るスピードが他とは桁違いだ。ユキの周りの席に座っていた数人は、圧倒的なその早さに、もはや若干引いているようだった。

「オレだって初めて習うもんは多少詰まるよ。詰まらなくなるまで何度もやるだけ。課題には期限があるけど、部屋で勉強する分には期限なんてないから、ゆっくり勉強できるしな。」

「へぇ…」

「ユキ、ちょっと助けて!」

「何を?」

「ここって、この公式とこの公式を組み合わせるって考え方で合ってる?」

「ああ…ここは……」

 差し出されたノートに書かれている計算過程を眺め、ユキは丁寧に解説を始める。

 ナギと話さなくなってからというもの、常に違う誰かと休憩時間や放課後を過ごすようになった。集まってきた奴らは自主的に勉強会を始め出し、どうしても詰まったらこちらに助けを求めてくる程度。倒れる前と比べたら天地の差だ。

 とりあえず、期末試験が終わるまでは仕方あるまい。試験が終われば大体の生徒は一旦勉強から離れる。そうすれば、自分の周りはいつもの穏やかさを取り戻すだろう。

「……おお、解けた!」

「コツは掴めそうか?」

「うん、なんとか! 残りのやつもやってみるわ。」

 パッと表情を輝かせた彼は、ノートと教科書を並べて嬉しそうに問題を解き進めている。

「やっぱユキの説明、分かりやすいわ。」

 一緒になって解説を聞いていた他の連中もうんうんと頷いている。

「なぁ、ユキ。期末試験の論文、どのくらい進んでるの?」

 その質問は、ここ最近くどいほど聞いた。

 ユキは溜め息をつく。

「半分くらい。」

「やっぱり、一人でやってんの?」

「まあな。言っとくけど、仲間には入れねぇぞ。」

 期待させる前に結論を突きつけると、皆が途端に次の言葉を失って口をつぐんだ。

 今ここにいるのは、自分とニックとのいざこざを知っている奴らだ。もう少し込み入った事情を話しても大丈夫だろう。

 そう判断したユキは言葉を連ねる。

「お前らはナギのことで分かっただろ。……オレらみたいなタイプは、ある意味一人で動いていた方がいい。誰かを優先すれば、どっかで歪みが出る。」

 そっと目を伏せるユキ。

 今回は多くの人々に必要とされているナギが自分を優先したから、僻まれた自分がここまでひどい目に遭うことになった。

 今の自分はそれを他人事にしてはいけない。

 だってこの騒ぎで、自分はここまで多くの生徒たちを引き込んでしまったのだ。それはつまり、周りの手によって今の自分は、ナギと同じ立場に放り上げられてしまっているということ。

 下手に注目を浴びているこの状況で誰かを贔屓すれば、その相手を自分と同じ目に遭わせかねない。

 一度死にかけた自分としては、絶対にそれだけは避けたい。

「そう…だよな。ごめんな、気を遣わせて。」

 ユキが言うことの意味を正確に汲み取った彼らは、各々気まずそうに視線を落としている。

 仕方ないのだ。

 今この高校に在籍している全員が自動的に大学へ進めるわけじゃない。蹴落とし蹴落とされ、より確実な力を持った人間に我先にと群がって、確実な道を確保しようと必死になる。

 それがこの世界の現実だ。

「………」

 ユキは目元をきつくし、またノートにペンを滑らせ始めた。

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