14時間目 もう二度と、オレに関わるな。
それから彼らは、これまでとはまるで別人のようにそれぞれの机について教科書と睨み合っていた。
自分の行いを振り返ってきちんと反省できる奴らだ。きっかけさえあれば、いくらでも変わっていけるだけの要素はあったのだろう。そうじゃなきゃ、そもそもこの高校には入学できなかったはずだ。
(なんだかんだ、よく見てんだろうな…)
いくら成績が優秀でも入学できるとは限らないのがこの高校の特色。学校側は受験での成績以上に、成長できる伸びしろを見ていたのかもしれない。
ふとそんなことを考えた。
何はともあれ、自重してくれるという発言はありがたい。
彼らの誠意を尊重して自分も遠慮なく勉強に没頭しようと思ったのだが、退院した昨日の今日ではそんなことは無理だったようだ。
一体どれだけの奴らに謝られ、そして泣きつかれればいいのやら。
何かおかしい気がする。
いや、彼らの態度を見ている限り、別に誰かに無理矢理言わされているというわけではないのだ。
だがいくら自分が倒れてしばらく入院していたからといって、皆が皆ここまで態度を変えるものか?
十中八九、誰かが裏で動いている。それなりに影響力のある誰か。そして、生徒たちに自分から考えを改めるように誘導できるほどの腕を持った誰かが。
(ガルム先生……もとい、理事長辺りか。)
ぽんと思い浮かぶのはその二人。
まあ基本的に学校運営においては最終的な場面でしか口を挟まないレードルが動いた可能性は低いとして、ガルムやその他教師の誰かがそれとなく動いたのかもしれない。
せっかく自分が下手な反感を買わないように生徒たちを誘導してくれたのだ。ここは、気づかないふりをしておくのが礼儀だろう。
やれやれ。狙ったことではないが、やたらと人気者になってしまった。
ひっきりなしに自分の元を訪れる生徒たちに疲れてしまい、申し訳ないが途中からは作業のように話を聞き流させてもらった。
そんな時間がしばらく過ぎた頃、やたらと大きく教室のドアが開く。
「………」
現れたのはニックたちだ。
誰もが突然響いた大きな音に驚いて口を閉ざす。その中に、どこか気まずそうに彼らから目を逸らす生徒がちらほらと。
(トモに味方したのはあの辺りか。)
なんとなく事情を察し、ユキは周りの様子を見ていた流れでニックたちにも目をやる。
無表情を装う彼らの目には、全然収まっていない負の感情がどす黒く渦巻いている。
あれは校長に圧力をかけられて動けなくなったもどかしさなのか、単純に自分が助かったことが悔しいのか。
どのみち興味などないが。
ユキが何事もなかったかのように視線を流すと、ニックたちはより一層顔を歪める。
「おい―――」
「ユキッ‼」
何か言おうとした彼らの声は、別の声に遮られてしまった。
「ユキ、大丈夫⁉ ついさっき、トモからユキが昨日まで入院してたって聞いて!」
ニックたちを空気のように無視し、まるでロケットのような勢いで抱きついてきたのはナギだ。
「うぜえぇぇっ! 何度も言うけど距離が近ぇんだよ、この馬鹿‼」
ユキはいつもと変わらない怒号をあげる。
ああもう、接し方を改めた方がいいかもなんて思ったのは何かの間違いだ。
久しぶりにこいつを目の前にして会、一番に感じるのが苛立ちとうざったさなのだから。
ユキは思い切りナギの体を突き放し、遠慮なく蹴りを見舞う。当然のようにひらりとそれを避けるナギ。本当に、すばしっこさは天下一だ。
「だってぇ、心配だったんだもーん。もう、なんで連絡くれなかったの? お見舞いに行ったのにー!」
ナギは子犬のように目を潤ませる。
(その顔はやめろ。周りも引いてんだろうが…っ)
自分とは真逆でいつもは笑顔のナギだ。そんなナギが見せる笑顔以外の表情は、自分が笑うのと同じくらいの衝撃がある。
そして周り以上に、自分は彼のこんな顔が大の苦手なのである。
「あのな…聞かなかったか? オレは過労で倒れたの。疲れすぎて倒れたの。分かる? なんで入院中にわざわざ疲れることしなきゃいけないんだよ。」
周囲と同じくらいざわめく自分の心を抑え、ユキは溜め息混じりに言う。
多分動揺は伝わっていない、はず。
「大丈夫だよ! 病院でくらい静かにできるもん。」
「……、………」
こらえろ。
そういう問題じゃなくて、と言いたくてたまらない口を引き結ぶ。
どうしてこんな大勢の前でこんなことを言われて、自分が嫌われているという結論に至らないのだろう。本気でその神経は理解できない。
「ナ、ナギ……今はその、ユキのことはそっとしておいてあげて。」
「そ、そうそう。ほら、まだ病み上がりだから。」
「今週だけ。せめて今週だけは我慢しよう。な?」
静かに拳を震わせているユキに、周りの方が狼狽えてナギを止めにかかった。
だが。
「―――だめ。」
ナギは強く首を振り、俯いて感情を殺しているユキの頬を両手で挟んだ。
「ほら、やっぱなんか溜めてる。ほっといちゃだめなやつ。」
「………っ」
ユキは息を飲む。
こんなの全然予想していなかった。
だから真っ直ぐにその瞳を見てしまった。
そして知ってしまう。
こちらの目を覗き込む彼に、いつものしつこさがないことを。
本気で彼が自分を心配していることを。
(なんで……こんな時に限って、ちゃんとオレを見るんだよ。)
いつものように空気を読まずにひっついてくるなら、まだ気が楽だったのに。
ちょっと論点がずれたいつもの会話に、心底安心していたところだったのに。
こんな不意打ち、あまりにも―――
「…………分かった。オレが悪かったよ。」
ユキはがっくりと項垂れ、力なくナギの手を押し返す。
「文句は後で聞いてやる。もう授業も始まるから、昼まで待て。」
「本当? 逃げない?」
「はいはい。逃げない。逃げないから。」
とにかく今は距離を置かせてくれ。
ざわめく胸が苦しくてたまらないから…。
「うん。じゃあ待つ。」
ユキは嬉しそうに笑い、自分の席へと向かっていった。それを機に、ユキの周りに集まっていた生徒たちもそれぞれ自分のクラスや席に戻っていった。
「……ドンマイ。」
何人かが同情するように優しく肩を叩いていく。
「ほんとだよ…」
呟き、ユキは机に顔を伏せた。
★
「ユキー、行くよー。」
「……はいはい。」
しつこいほど腕を引かれ、ユキは仕方なく椅子から立ち上がる。
周囲から向けられる視線が痛い。遠目に見られるのはムカつくが、こんな生優しい目を向けられるのも複雑だ。
「あんま人がいないとこの方がいいよね。裏庭にでも行こっかー。」
スキップをしながら先を行くナギ。
それを、ユキは浮かない表情で眺める。
落ち着けようと努力したはずなのに、未だに胸がざわついている。
あんな目、見るんじゃなかった。
何かを溜めていると、一瞬で自分の隠し事を看破したあの目が脳裏をちらついて離れない。
(オレ…どうすればいいんだ……?)
機械のように足を動かしてナギについていってはいるが、彼に何を語ればいい?
ナギが勝手に文句を言う分にはいい。聞き流せばいいだけだ。
でももし、どうしたのか、と。
あの目でそう訊かれたら、自分はどう答えればいい?
ちゃんとごまかすことができるのだろうか。
いや、ごまかさなければ。
正しいことじゃないと心のどこかで思いながら、それでも隠すと決めたのは自分なのだから。
――――――カタッ
危機に敏感になっている五感が捉えたのは、本当に小さな音だった。
顔を上げる。
ナギと歩く校舎沿いの裏道。
校舎の五階。
開きっぱなしの窓。
そこには見るからに重そうな植木鉢があって。
ぐらり、と。
それが窓の外へと……
(このままオレが何も言わなきゃ、あいつに当たるな…)
きっとあれは、自分に当たるように計算されて落とされたもの。
自分がここで立ち止まって、疑問に思ったナギがこちらを振り向けば、その計算は見事に崩れる。
―――いっそのこと、このまま彼がいなくなってしまえば…
脳裏をよぎる、そんな気持ち。
それは無意識に浮かんだものが故に、本気のものだったんだと思う。
でも。
「―――っ‼」
ユキは駆け出し、ナギを引き寄せて強く抱き締める。
その一瞬後に、隣でものすごく重たい音が響いた。
「え…何……?」
きょとんとしたナギがぱちくりと瞬きをする。そして自分のすぐ側で割れている植木鉢に気づくと、途端に慌てふためいた。
「わわっ、何これ⁉ 上から落ちてきたの⁉ ユキが庇ってくれなきゃ大変だったね。危ないなー…。ねぇ、ユキ―――」
胸の中からユキを見上げたナギが大きく目を見開く。
そこにあったユキの顔。
それは、ひどく疲れた笑みに彩られていたのだ。
「ユ、キ……? なんで、そんな顔するの…?」
今までとは明らかに違うその表情に、ナギの声が動揺と不安で大きく震える。
彼のそんな声を聞くのは初めてだった。
「なんで…? 何があったの? トモも似たような顔してた。俺がいない時に、何かあったよね! ユキ!」
「―――知りたいか?」
薄く開いた口から零れた声は、聞いた者の心をすくませるほどに静かな威圧感に満ちていた。
「本気で知りたいか? 知ったら……何もかも壊れるぞ?」
ユキはナギの耳に触れ、近くの髪の毛を優しくなでる。
湛える笑顔の悲しさがあまりにも切なくて、ナギが言葉を失ってしまう。
もうこれが限界、か…。
そんな気持ちからユキはふう、と重たげな息を吐き出す。
次の瞬間、ユキは強くナギを突き飛ばした。
「だから……腐るほど言ったろ。自分の影響力を、もっとよく考えて動けって。」
ああ、せっかく全てを飲み込んでしまおうと思ったのに。
決して彼のせいではないから、傷つけたくはなかったのに。
もう無理だ。
こんな現場を見られて、何もなかったなんて言えない。
それに、もう疲れてしまった。
崩れるのは一瞬。
いつだってそうなんだ…
「俺のせい、なの…?」
ナギが泣きそうな顔をする。
「俺が、ユキを知りたいって思わなければよかったの? 俺が……俺が悪いの?」
「違う! それは違う!」
ユキは頭を振り、額に手をやって前髪を強く掴んだ。
「違う、けど…」
違う。違うんだ。
そう心は叫ぶけど。
「お前の才能と、その才能を欲しがる奴らがオレを許さないのは……事実だ。」
ああ、こんなこと言いたくはなかった。
ナギの瞳の奥で何かが崩れていく。
それを見たくなかった。
なのに、現実はあまりにも残酷で。
「オレ…………もう、無理だわ。」
ユキは涙をこらえた顔で笑う。
仕方ない。
こうなってしまったら、残された手はひとつだけ。
それはずっと頭の片隅には用意していた手で。
本当は、絶対に使いたくなかった手で。
「何なんだよ、お前。とんだ疫病神だな。お前なんか嫌いだ。……大っ嫌いだ! お前見てるだけでイライラするんだ。好きで一緒にいたわけじゃない! なのに……なんでここまでひどい目に遭わされなきゃいけねぇんだ‼ オレが何したってんだよ⁉」
「………っ‼」
ナギが大きく顔を歪める。
こんな風に拒絶するのは久しぶりだ。
だけど、あの時と今ではこんなにも言葉の重みが違う。それを受けたナギの反応も、あの時とは明らかに違った。
互いに互いを知ってしまった今だからこそ、拒絶の言葉がより残酷に響いてしまう。
でもいいんだ。
これで最後なら、いっそ忘れたいと思えるほど深く傷ついた方がいい。
そして―――いっそのこと、自分のことを憎んでしまえ。
「もう二度と、オレに関わるな。」
絶縁の言葉は、風に吹かれて消えていく………




