11時間目 オレが……気づかせなければ、よかったのか…?
こんなに嬉しくない呼び出しもない。
どうにかナギを撒いてきた労力を返してくれないだろうか。
ユキは腕を組んで壁に寄りかかり、気だるげに肩を落とした。
「ユキ、お前一体どう手を回したんだよ?」
ユキを呼び出したニックが鬼のような形相で迫る。
「どういう意味だ? まさか、オレが自分に有利なように先生やナギを懐柔したとでも?」
ずばり結論を叩きつけると、ニックを始め自分を取り囲む奴らが揃って言葉に詰まった。
やれやれ、分かりやすい連中だ。どうせこんなことだろうと思った。
「もしオレがそれだけのコネを完成させてたなら、さっさと高校と大学の卒業資格だけもらって、いいとこに就職してるよ。こんなちまちまと稼いでなんかない。馬鹿じゃねぇの?」
ユキは真っ直ぐにニックを見据える。
「つーか、お前らの方がコネあるんだから知ってるだろ? 試験内容を決めてるのが誰なのか。普通に考えて、庶民上がりのオレがそんな上層部にまで顔を売れてると思うか?」
本当はそのまさかなのだが、ここは彼らのプライドに思い込ませる方がいい。
案の定、こちらの質問にニックたちは答えることができなかった。
「で、でも…じゃあナギのことは…!」
「それこそ、オレがどうこうできた問題じゃない。オレが一度でもあの馬鹿をおだてたことがあったか?」
はっきりと天才であるナギを“馬鹿”と表現したこと。
そして、ユキがナギを甘やかしたことがないのは周知の事実であること。
その双方に、ユキを取り囲んでいた生徒たちがどよめく。
では何故ナギはユキを…。
そんな心の声が聞こえてきそうだ。
「先に結論を言っておくと、オレはナギと組む気はない。」
まだ本人には言っていないが、それが自分の下した結論だ。
「オレはあの馬鹿の力を借りなくたって、自力で最高評価を取る自信くらいある。」
ナギの才能のインパクトが大きすぎるせいで、忘れてはいないだろうか。
去年の試験で行われた課題論文。そこでナギだけではなく、自分も最高評価を獲得していたことを。
ユキが自信満々にそう告げると、彼らは明らかに狼狽えるような仕草を見せた。
ユキは続ける。
「まあそんなわけで、ナギと組みたいんならどうぞご自由に。―――ただ、グループ上限は五人。お前らの中で誰がその枠に入るのかは知らんけどな。」
どうせ自分がナギと組むと言えば、どうにかして自分を排除する気だったのだろう。だがそれは、ナギが自分を指名したが故の展開。周囲を出し抜いてナギに近づけば、今自分がいる立場に立たされることになる。
さて。
誰が排除されて、誰が安寧を得るのか。
ユキの鋭い問いかけと眼光にどよめくニックたち。
何人かの顔には明らかに“しまった。”という感情が表れていた。
今さら気づいたのだろう。
ナギと組めないとなれば、自分はナギ並みの成績を獲得できる唯一の人間。
競争率の高いナギとのグループ枠を取り合うより、自分に取り入った方がある意味早かったかもしれないということに。
そして一度こうして敵対してしまった以上、自分に取り入ることはほぼ不可能だということに。
「一応言っておくと、オレは誰とも組む気はない。今年も一人でやりきる予定。以上。他に何か訊きたいことは?」
問いかけると、ニックたちは先ほどまでとは別人のように黙り込んでしまった。
結局、ただ時間の無駄だったわけか。
ユキは盛大に息を吐き、ニックたちの間を割って人垣を抜けた。
「一応、オレ以外の奴と組んでやれとは言っといてやるよ。誰にするかはナギに任せるけど。」
一度立ち止まり、置いてけぼり状態の彼らにそう言ってやる。
そんなことをする義理も道理もないのだが、これ以上目の敵にされても困る。
「できるだけ、穏便な方法で決めておけよな。どうせあいつのことだ。組む相手なんて、誰でもいいって言うだろうからさ。」
ユキは今度こそ立ち止まらず教室へと戻ることにする。
(なんでみんな、こんな簡単なことも分かんねぇのかな…。)
歩みを進めながら、ユキが思うのはそんなことだった。
ナギに対して、自分は何もしていない。
彼の能力じゃなくて、彼という人間そのものを見ていた。ただそれだけだ。
だからこそ最初はあんな風に嫌ったし、彼をより知った今はまた接し方を変えるべきか悩んでいる。
たったそれだけのことなのだ。
たったそれだけで、ナギはあんなにも変わるのに。
こんな簡単なことも見えない奴らに、果たしてナギと組む資格なんてあるのだろうか。
ふとそんなことを考えてしまい、ユキはくしゃりと前髪を掻き上げた。
(あんま深く考えるな。ドツボにはまる。)
苛立ちが心を覆いそうになる。
世話の焼き過ぎもよくない。
ナギには自分だけじゃないのだ。
今はそうでも、今後はそうじゃない。
適度な距離感は保っておかなければ。
このまま流されるのは自分らしくない。
(つーか、オレは…何をこんなにイライラしてんだか。)
この胸が訴えるものは一体なんなのか。
今はまだ、よく分からなかった。
★
「えー、だめなの?」
教室のベランダに呼び出したナギ本人に結論を告げると、彼は心底残念そうな顔をした。
「お前とオレじゃ、得意分野が違いすぎるだろ。そもそも論文の趣旨が一致するとは思わない。」
これは最初から用意していた理由だ。
それを受けたナギはどこか拗ねたように頬を膨らませる。
「それくらい、俺がユキのテーマにいくらでも合わせるのに。」
「そういう問題じゃない。」
やはりこうなるとは思っていたが…。
ユキはただ自分が思うことを言うことにする。
「なんでわざわざ自由な課題になってると思ってんだ。自分が興味ある分野を突き詰めるためだろ。こういうのは無理に興味関心を捻じ曲げてやるべきじゃない。」
「そんなこと言ったら、俺はユキについての論文を書くことになっちゃうよ?」
言われてみれば確かに。ナギなら本気でやりかねない。
「そこは自重してくれ。」
「ええぇ…」
ナギは不満でたまらないといった様子。
「………こういう言い方をするのはよくないけど、他の奴らにチャンスをやってやれ。」
少し言い淀んでしまったが、ユキは意を決してその一言を口にする。
誰とも組まないと断言した自分のことを棚に上げているようで気持ち悪いが、今は致し方ない。
どうせ、至る所で色んな人間が自分たちの会話に聞き耳を立てている。話はしてやると宣言したのは自分なので、そのくらいの責任は果たすとしよう。
「チャンスって?」
ナギが不思議そうに首を傾げる。
こういう風に、相手の言葉を"分からないから"で片付けなくなったのは大きな進歩だ。
そんな進歩に、水を差すようなことを話すのは気が引けるけども…。
ユキは開きたがらない口をこじ開けて、どうにか言葉を喉から押し出す。
「論文って、グループ提出ができるだろ? お前と組めれば、論文の最高評価は確定したようなもんじゃん。二年生ともなれば、そういうちょっとグレーな方法でも成績を確保したい奴らがいっぱいいる。オレは別に一人でも最高評価取れるから、そういったやつらと組んでやれってこと。」
「どうせ俺が一人で仕上げちゃうのに?」
ナギの指摘が胸に痛い。
自分も決して勧めたくて勧めているわけじゃないので、早くも心が折れそうだ。
「それは、少しくらいお前が合わせてやれ。」
「合わないよ、多分。俺、ユキの学力くらいしか把握してないもん。」
「そう、だろうな…」
「………? ユキ、なんか変だよ?」
「………」
未だかつてこんなに返答に困ったことがあっただろうか。
自分の信念を曲げて、建前だけの話をするのがこんなにも難しいだなんて。
「…ま、いいや。」
幸運なことに、ナギの方から話を突き詰めることを諦めてくれた。
内心冷や汗ものだったユキは、ナギの反応にほっと胸をなで下ろしてしまう。
「じゃあ、ユキはどうするの? 俺にその理屈が通るなら、ユキにも同じ理屈が通るでしょ?」
「うっ…それは、まあ……考え中…」
面倒を回避するためとはいえ、安直に自分は一人でやるなんて言うんじゃなかった。ごまかすのも一苦労だ。
「ふーん。なんかユキのことだから、誰とも組まなそう。」
「………」
しっかりバレている。
まったく、どうしてその観察力を自分以外の人間に適応しないんだか。
「なんか初めてだな。ユキに言われていまいち納得できなかったの。」
そりゃ、自分だって納得はしていないからな。
喉元までその一言が出かかったが、ユキはただひたすらに耐え忍ぶしかない。
今後安請け合いはやめよう。自分の価値観上、ちゃんと建前を押し通せるかもう少し考えなければ。
「でも、そっか。ユキと学問的に話せるいい機会だと思ったんだけど、だめかぁ…」
ナギはベランダの柵の上で腕を組み、そこに顎を乗せる。
「じゃあ、俺は今年も一人でいいかな。」
彼はそう告げる。
「え…」
自分と組めないのなら、ナギはきっと誰とでもいいと言うだろう。
そんな自分の予想が大外れして、ユキは瞠目して隣を見やる。
「ユキと一緒じゃないなら、一人でいい。どうせユキ以外の誰かが一緒にいたって、一人と変わらないし。」
適当に景色を眺めるナギは、いつか見たあの寂しげな表情をしている。
そうだ。
ナギはもう知ってしまったじゃないか。
自分の才能を見ない誰かの存在を。
自分の普通には当てはまらない誰かの存在を。
(オレが……気づかせなければ、よかったのか…?)
そうすれば、ナギはこんな顔をせずに済んだ?
教えない方がよかった?
自分が色々と教えなければ、ナギは今もきっと空っぽだったと、そう分かっていたとしても?
(ああもう…うざってぇな。オレが何したってんだよ……)
なんだか気まずくなってきて、ユキはナギから目を逸らした。
こんなつもりじゃなかった。
こんな面倒なことになりたくて、今までナギにつっけんどんな態度を取ってきたわけじゃないのに。
本当に、彼のことが大嫌いだったはずなのに。
なのに今は。
罪悪感から、抜け出せない―――――




