第9話 増殖する悪魔の騎士
第9話 増殖する悪魔の騎士
『我が主に、軍勢を――』
聞き覚えのない声が、ジンの頭の中へ響いた。
悪魔の騎士の足元で、一つだった影が二つに裂ける。
分かれた片方が不自然に膨らみ、黒い霧となって地面から立ち上った。
頭部。
肩。
胸。
腕と脚。
渦巻く霧が次々と形を得て、漆黒の装甲へ変わっていく。
やがて現れたのは、悪魔の騎士と瓜二つの存在だった。
鋭く尖った兜。
重厚な全身鎧。
背丈を超える黒い大剣。
兜の奥では、新たに生まれた紫色の双眸が揺らめいている。
「もう一体、増えた……?」
二体の悪魔の騎士が、同時にジンへ向き直った。
寸分違わぬ動きで片膝をつき、頭を垂れる。
「次の命令を――我が主」
声まで完全に重なっていた。
鎧の形も、大剣の長さも、兜の傷さえ同じ。外見から二体を見分けることはできない。
「お前たちは、別々の存在なのか?」
二つの兜が、同時に僅かに傾く。
「否」
「我らは一つ」
左右の騎士が交互に答え、最後に声を重ねた。
「我らはすべて、我が主の騎士」
「一つ……」
ジンは右眼へ意識を集中させた。
漆黒の瞳が黄金色へ変わり、二体の内部を巡る赤紫色の魔力が浮かび上がる。
二体の足元に伸びる影は、深い場所で一つにつながっていた。
その奥に存在する巨大な魔力の塊から、二本の経路が枝分かれし、それぞれの鎧へ同じ量の力を送り込んでいる。
新しい力が生まれたわけではない。
これまで一体へ集中していた力を、二つの身体へ均等に分けているのだ。
さらに、二体を結ぶ魔力の経路は、距離が離れるほど僅かに細くなっていた。どこまでも自由に離れて活動できるわけではないらしい。
「増えたのは身体だけか」
ジンは二体を見比べた。
神眼を通せば、鎧を構成する魔力の密度が、一体だったときの半分近くまで低下している。大剣を包んでいた黒いオーラも薄い。
「試してみるか」
少し離れた場所に、人の背丈ほどもある大岩が転がっていた。ワイト・コマンダーとの戦いで、地面から抉り出されたものだ。
「右の騎士。あの岩を斬れ」
「御意」
右側の悪魔の騎士が大岩の前へ移動し、漆黒の大剣を振り上げた。
一気に振り下ろす。
ガギィンッ!
岩の表面に深い亀裂が走り、無数の破片が飛び散った。
だが、大剣は岩の半ばで止まっている。
「今度は左だ」
「御意」
もう一体が隣の大岩へ大剣を叩き込む。
結果は同じだった。
岩には大きな亀裂が刻まれたものの、両断するまでには至らない。
「やっぱり、一体ずつの力は落ちているな」
数が二倍になった代わりに、攻撃力や装甲の耐久力も分配されている。
増殖すれば、そのまま戦力が倍になるわけではないのだ。
「一体に戻れるか?」
二体の悪魔の騎士が、互いへ顔を向ける。
「御意」
片方の身体が足元から黒い霧へ崩れた。
霧はもう一体へ吸い寄せられ、装甲の隙間から内部へ流れ込んでいく。
二つに分かれていた紫色の眼光が一つに重なった瞬間、残された悪魔の騎士から濃密な黒いオーラが噴き上がった。
「もう一度、斬れ」
「御意」
悪魔の騎士が三つ目の大岩へ向かう。
大剣を振り上げ、迷いなく振り下ろした。
ズガンッ!
漆黒の刃が岩を上から下まで通り抜ける。
一瞬遅れて、巨大な岩が左右へ割れた。
「力も戻っている」
ジンの予想どおりだった。
一体なら、蓄えた力のすべてを集中できる。
二体へ増殖すれば、一体あたりの能力は低下する代わりに、別々の行動が可能になる。
強敵と戦うなら一体。
多数の敵を相手にするなら複数。
護衛、索敵、素材の回収にも使える。
状況に応じて数と強さを切り替えられることこそ、この能力の本質なのだ。
「もう一度、二体へ分かれろ」
「御意」
影が二つに裂け、黒い霧から新たな騎士が形成された。
「さらに増えられるか?」
二体の足元で影が蠢く。
しかし、三つ目の影が生まれることはなかった。
「力が……足りぬ」
二体が同時に答えた。
「魔石を吸収すれば、もっと増えられるのか?」
「喰らう」
右側の騎士が答える。
「蓄える」
続いて左側の騎士が口を開く。
最後に、二体の声が重なった。
「満ちれば――我らは増える」
悪魔の騎士が魔石を求めていた理由が、ようやく分かった。
魔石を吸収すれば、鎧そのものの能力が高まる。それだけではなく、蓄積された力が一定量へ達するたび、分裂できる最大数も増えていく。
ワイト・コマンダーの魔石を吸収したことで、二体目を生み出すために必要な力が満ちたのだろう。
ジンは神眼で、影の奥に残る魔力を観察した。
二体目へ至るまでに蓄積した量と比べ、三体目へ続く空白は遥かに大きい。次に増殖するためには、これまで以上の魔石が必要になりそうだった。
「なるほどな」
ジンは夜の平原を見渡す。
見渡す限り、倒れたゾンビが横たわっていた。
一体が持つ魔石は豆粒ほどしかない。だが、それが三千個以上となれば無視できない量になる。
「二体とも、ゾンビから魔石を回収しろ」
「御意」
二体の悪魔の騎士が同時に立ち上がった。
一体は平原の東側へ。
もう一体は西側へ歩き出す。
離れた場所にいても、動きに迷いはなかった。一体が何かを発見すると、もう一体も同時に反応する。
視界や聴覚だけでなく、得た情報まですべて共有しているらしい。
ジンも魔石の回収へ加わった。
戦闘中は意識していなかった疲労が、緊張の途切れた全身へ一気に押し寄せる。神眼を酷使した右眼も焼けつくように痛んだ。
それでも、ここへ来た目的は魔石だ。
残して帰るつもりはない。
東の空が白み始めるまで、ジンと二体の悪魔の騎士は黙々と作業を続けた。
やがて、三千個を超える小さな魔石が集まった。
依頼の達成を証明する分だけ収納指輪へ残し、それ以外を地面へ積み上げる。
二体の悪魔の騎士が、同時に両手を伸ばした。
無数の魔石が紫黒色の光へ変わり、次々と漆黒の鎧へ吸い込まれていく。
赤紫色の光が二体の全身を駆け巡った。
薄くなっていた黒いオーラに密度が戻り、装甲から放たれる魔力も僅かに強くなる。
だが、三つ目の影が生まれることはなかった。
三千体分とはいえ、所詮は下級アンデッドの魔石である。次の段階へ到達するには、まだ足りないらしい。
「次に増えるのは、随分と先になりそうだな」
「もっと……」
二体の声が重なる。
「もっと、喰らう」
以前なら、聞き間違いだと思っていたかもしれない。
だが、今度ははっきりと悪魔の騎士の意志が感じられた。
魔石を喰らい、力を蓄え、数を増やす。
この騎士は、最初から一体の召喚獣として完成した存在ではなかった。
いつか軍勢となるための、最初の一体だったのだ。
「増えるのは構わない。ただし、俺の命令には必ず従え」
二体の悪魔の騎士が、その場へ片膝をついた。
「御意」
「我らはすべて――我が主の剣」
重なった声が、夜明けのナギ大平原へ響き渡る。
ジンは二体を黒い霧へ戻すと、収納指輪へ触れた。
中には討伐証明として残した魔石のほか、ワイト・コマンダーの残骸と、砕けた《隷属刻印》が収められている。
黒い結晶に刻まれていた、首都ザザンの名。
この死者の軍勢を操っていた魔族は、今もどこかで生きている。
「急いで報告した方がよさそうだな」
朝日が地平線から顔を出す。
数千体の死者が横たわる平原を背に、ジンは首都ザザンへ向かって歩き出した。
その足元では、一つに戻ったはずの影が、ときおり二つに揺れていた。




