第10話 首都を狙う魔族
第10話 首都を狙う魔族
ナギ大平原を出発してから数時間後。
朝日がすっかり昇った頃、ジンは首都ザザンへ帰還した。
夜通し戦い、その後は三千体を超えるゾンビから魔石を回収したため、身体は鉛のように重い。神眼を酷使した右眼にも、鈍い痛みが残っていた。
それでも、休むより先に報告しなければならないことがある。
東門を通過したジンは、その足で冒険者ギルドへ向かった。
「ただいま戻りました」
扉を開けたジンを見て、受付に立っていたナーベが顔を明るくする。
「ジン君! 無事だったんですね!」
だが、その安堵は長く続かなかった。
ナーベは受付台を回り込み、泥と黒い霧の痕で汚れたジンを上から下まで確認する。
「怪我はありませんか?」
「大きな怪我はありません。少し魔力を使いすぎただけです」
「本当に?」
「はい」
「……それで、ゾンビの群れは?」
「殲滅しました」
「殲滅……」
ナーベの動きが止まった。
「三千体以上いたはずですよね?」
「依頼書に記載されていた数より、少し多かったと思います」
「それを一人で?」
「悪魔の騎士と一緒です」
ジンは収納指輪から、依頼で指定されていた数の魔石を取り出した。
豆粒ほどの魔石が、受付台へ積み上がる。
「討伐証明です。群れの死骸はナギ大平原に残してあります」
「残りの魔石は?」
「悪魔の騎士に吸収させました」
「……またですか」
「現地を確認すれば、三千体以上の死骸が見つかるはずです」
ナーベは魔石と、疲れ切ったジンの顔を交互に見た。
「まさか、本当に一晩で全部倒したんですか?」
「正確には、夜明け前までかかりました」
「そういう問題ではありません!」
大声がギルド中へ響き渡る。
「Bランクへ昇格したその日に、三千体のゾンビを一人で討伐しに行く人がどこにいるんですか!」
「ここに……」
「レッドグリズリーのときも同じことを言いましたよね!?」
「すみません」
ジンが素直に頭を下げると、ナーベは深く息を吐いた。
「それで、本当にゾンビだけだったんですか?」
「そのことですが、ギルドマスターにも報告したいことがあります」
ジンの表情が変わったことに気づき、ナーベも受付職員の顔へ戻る。
「分かりました。応接室へ案内します」
「その前に、解体場を借りてもいいですか?」
「何を出すつもりですか?」
「群れを率いていた魔物です」
ナーベの顔に、嫌な予感が浮かんだ。
ギルド裏手の解体場。
ジンが収納指輪へ魔力を流すと、巨大な黒い影が地面へ現れた。
腐食した黒銀の全身鎧。
地面へ届くほど長い斧槍。
胸当てには刀で斬り裂かれた痕が残り、その奥からは青紫色の魔石が抜き取られている。
ワイト・コマンダーの残骸だった。
「これが、ゾンビを率いていました」
「ワイト・コマンダー……」
ナーベの顔から血の気が引いていく。
「依頼書には、こんな魔物がいるなんて書かれていませんでした」
「俺も、現地へ着くまで知りませんでした」
「それなら、どうして撤退しなかったんですか?」
「倒せそうだったので」
「そういうところを怒っているんです!」
ナーベが再び声を上げた直後、解体場へ大柄な男が現れた。
冒険者ギルド本部を預かるギルドマスター、ガルドである。
「朝から騒がしいと思ったら、またお前か」
「また、とは何ですか」
「昨日はレッドグリズリー。今日はワイト・コマンダーだ。次は何を持ち込むつもりだ?」
「俺にも分かりません」
ガルドは呆れたように鼻を鳴らすと、ワイト・コマンダーの残骸へ近づいた。
胸当ての傷と斧槍を調べ、険しい顔になる。
「間違いない。中位アンデッドのワイト・コマンダーだ」
「危険度は、どのくらいなのですか?」
ナーベの問いに、ガルドは腕を組んだ。
「単体でもBランク上位。夜間の強化を受け、三千体を超えるゾンビから魔力を吸収していたとなれば、限りなくAランクに近い」
「それでも、Aランクではないのですか?」
「Aランクとは、都市一つを滅ぼしかねない災害だ。こいつはまだ、そこまでは至っていない」
ガルドは空になった胸部へ目を向ける。
「だが、周辺の村を襲い、死者を軍勢へ加えていれば、いずれ本物のAランクへ成長していただろう」
討伐が一日遅れるだけで、取り返しのつかない被害が出ていたかもしれない。
「すぐに調査隊をナギ大平原へ送る。三千体の殲滅が確認できれば、今回の依頼は特別功績として記録し、追加報酬も支払おう」
「それでは、ジン君はAランクになるのですか?」
「いや」
ガルドは即座に否定した。
「Aランクには実力だけでなく、指揮能力と信用、国家規模の依頼実績が求められる。Bランクになった翌日に昇格させるわけにはいかん」
ジンにも異論はなかった。
冒険者としての階級より、今は悪魔の騎士を成長させることの方が重要だった。
「もう一つ、確認してもらいたいものがあります」
ジンは収納指輪から、砕けた黒い結晶を取り出した。
「ワイト・コマンダーの胸当てに埋め込まれていました。ゾンビを支配していた魔導具だと思います」
「貸してみろ」
ガルドが破片を受け取った瞬間、その表情が変わる。
「魔族の文字か」
「ほとんどは読めません。ただ、これだけは人間の共通文字でした」
ジンが指差した先。
砕けた結晶の一片には、見慣れた地名が刻まれていた。
――ザザン。
ガルドはすぐに職員を呼び、解体場を閉鎖した。
黒い結晶は鑑定室へ運ばれ、魔導具に詳しい職員たちによって調べられた。
数時間後。
ジンとナーベは応接室へ呼び出された。
机の上には、結晶から読み取られた情報を写した紙が並んでいる。
「お前の予想どおり、こいつはワイト・コマンダーを遠隔操作するための《隷属刻印》だ」
「操っていたのは魔族ですか?」
「その可能性が高い」
ガルドは一枚の地図を広げた。
ナギ大平原周辺の村、街道、墓地が細かく記され、そのすべてから首都ザザンへ線が引かれている。
「奴らの目的は、最初から首都だった」
まず周辺の村を襲う。
殺した住民をゾンビとして軍勢へ加え、次の村へ進む。
死者を増やしながら進軍し、最後にザザンを襲う計画だったのだ。
さらに、記録されていたのは地図だけではない。
村の人口。
街道を巡回する兵士の数。
首都の門番が交代する時刻。
王国軍の一部が前線へ移動していることまで記されていた。
「外にいる魔族だけで、ここまで詳しい情報を集められるでしょうか」
ジンが問うと、ガルドは沈黙した。
「首都に協力者がいると考えるべきだろう」
「人間の内通者ですか?」
「あるいは、人間へ化けた魔族か」
ガルドは地図を折り畳む。
「この件は王国騎士団と神殿へ極秘に報告する。お前も不用意に話すな」
「分かりました」
「それから、しばらく首都の外へ出ることを禁じる」
「どうしてですか?」
「隷属刻印を通じて、操っている者を探ろうとしたのだろう?」
ジンは神眼について伏せたまま頷いた。
「はい。ですが、追跡する前に接続を切られました」
「なら、相手もお前の存在へ気づいた可能性がある。刻印を破壊した人間として狙われても不思議ではない」
ガルドは疲れたように額を押さえた。
「いいから、今度こそ大人しく休め」
「分かりました」
「その返事は信用できんな」
隣でナーベが深く頷いた。
同じ頃。
人の領域から遠く離れた地下神殿。
赤紫色の炎が並ぶ広間の奥で、一人の女が玉座へ腰掛けていた。
腰まで届く紫黒色の髪。
血のように赤い瞳。
こめかみから後方へ伸びる黒曜石の角。
黒と深紅を基調としたドレスへ部分的な装甲を重ねた姿には、人ならざる美しさと妖しさがあった。
女の白い指先には、亀裂の入った黒水晶が載せられている。
ワイト・コマンダーへ埋め込んだ《隷属刻印》と対になる、遠隔操作用の魔導具だった。
水晶の表面には、接続が切れる直前の光景が繰り返し映っている。
黄金色に輝く右眼。
少年の全身を覆う漆黒の鎧。
そして、胸当ての刻印だけを正確に斬り砕いた一振り。
「ワイトが倒されたのね」
女の声に、怒りはなかった。
退屈を紛らわせる玩具を見つけたように、赤い瞳を細める。
「あれは神眼……それに、悪魔を鎧として身にまとっていた」
細い指先が、映像に映るジンの頬を撫でる。
「私の刻印まで一目で見抜くなんて」
やがて水晶へ最後の亀裂が走り、映像が消えた。
女は名残惜しそうに息を吐き、赤い唇へ妖艶な笑みを浮かべる。
「面白そうな坊やね」
玉座の影から、翼を持つ小さな魔物が姿を現した。
「調べてきなさい。あの坊やの名前も、あの黒い鎧の正体も、すべて」
『発見した場合は、始末いたしますか?』
「駄目よ」
女の赤い瞳が、愉悦に濡れる。
「絶対に殺さないで」
白い指が、砕けた水晶を握り込む。
「しばらくは、私が楽しませてもらうわ」
赤紫色の炎が揺れ、女の笑い声が地下神殿へ静かに響き渡った。




