第7話 Bランク冒険者
第7話 Bランク冒険者
首都ザザンの東門が、にわかに騒がしくなった。
「な、何だ、あれは……?」
門番が震える指を街道の先へ向ける。
魔の森から戻ってきたのは、泥と返り血に汚れたジン・クロードだった。
その後ろには、無数の傷跡を刻んだ漆黒の騎士。さらに黒騎士の肩には、全長四メートルを超える巨大な熊型の魔物が担がれている。
血のように赤い体毛。
大木さえ引き裂く巨大な爪。
Bランク魔物、レッドグリズリーである。
「ジン……なのか?」
「はい。ただいま戻りました」
「そいつを、どうしたんだ?」
「討伐しました」
「一人でか!?」
「正確には、こいつと二人です」
ジンが振り返ると、悪魔の騎士が僅かに頭を下げた。
門番たちは言葉を失った。
レッドグリズリーは、熟練の冒険者や現役の騎士を集めて討伐隊が編成されるほど危険な魔物だ。それを若い冒険者が倒し、死骸まで持ち帰ってきたなど、すぐには信じられなかった。
ジンが大通りを進むにつれ、騒ぎはさらに大きくなった。
人々は巨大な魔物を担ぐ黒騎士から逃げるように道を空け、その後ろを子供たちが目を輝かせて追いかける。冒険者ギルドへ到着する頃には、小さな行列ができていた。
ジンは悪魔の騎士にレッドグリズリーを裏手の解体場へ運ばせた。
役目を終えた黒騎士が黒い霧へ崩れ、ジンの影へ吸い込まれていく。
「あっ、ジン君!」
ギルドへ入ると、受付にいたナーベが安堵したように顔を明るくした。
「お帰りなさい。随分と遅かったですね。レッドグリズリーには遭遇しませんでしたか?」
「そのことなのですが」
ジンは依頼書と、グレイウルフ十体分の討伐証明を差し出した。
「依頼は完了しました。それから、レッドグリズリーも討伐しました」
「そうですか。レッドグリズリーも……」
受け取りかけたナーベの手が止まる。
「今、何と言いました?」
「レッドグリズリーを討伐しました」
「絶対に戦わないでくださいと言いましたよね!?」
ギルド中へ響き渡る大声だった。
「ですが、街道へ向かっていたので、放置すれば被害が出ると思いまして」
「だからといって、単独でBランク魔物と戦う人がいますか!?」
「ここに……」
「屁理屈を言わないでください!」
「すみません」
ナーベはカウンター越しにジンを睨んだ。
怒っている。
だが、その瞳は僅かに潤んでいた。
「本当に、心配したんですよ。もし帰ってこなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「……申し訳ありません」
ジンが素直に頭を下げると、ナーベは大きく息を吐いた。
そのとき、解体場から男性職員の叫び声が聞こえてきた。
「ナーベさん! 裏にレッドグリズリーの死骸が!」
ギルド内が騒然となる。
やがて死骸を確認したナーベが、白髪交じりの大柄な男を連れて戻ってきた。
冒険者ギルド本部を預かるギルドマスター、ガルドである。
「レッドグリズリーを倒したのは、お前か?」
「はい。ただし、悪魔の騎士の力を借りました」
「召喚体は術者の戦力として扱われる。ほかの冒険者が加勢していない以上、これはお前の単独討伐だ」
ガルドは死骸の状態を記した報告書へ目を落とした。
「残っていたのは大剣と刀による傷だけ。背後から心臓を一突きか。魔石はどうした?」
「悪魔の騎士に吸収させました」
「見せてみろ」
「出てこい」
黒い霧が人の形へ集まり、悪魔の騎士が姿を現した。
兜の奥では、以前よりも強い紫色の光が揺らめいている。
ガルドは黒騎士を観察し、やがてナーベへ顔を向けた。
「ジン・クロードをBランクへ昇格させる」
「いきなりですか?」
「これまでの依頼達成率にも問題はない。本来なら昇格試験を受けさせるところだが、Bランク魔物の単独討伐以上に分かりやすい試験もない」
手続きが終わり、ジンの冒険者証が新しいものへ交換された。
銀色の表面に刻まれた文字は――B。
「昇格、おめでとうございます」
ナーベが冒険者証を差し出す。
「ただし、Bランクになったからといって、無茶をしてよいわけではありませんからね?」
「分かっています」
「その返事は信用できません」
レッドグリズリーの毛皮や牙、爪は高値で買い取られた。
ジンは報酬の大半を使い、ギルドと提携する魔導具店で中容量の収納指輪を購入した。生き物は入れられず、内部の時間も止まらないが、小さな倉庫一室分の品物を収納できる。
「これで、大量の魔石も持ち帰れるな」
ギルドへ戻ったジンは、Bランク向けの依頼掲示板から一枚の依頼書を剥がした。
――ナギ大平原に出現したゾンビの群れの討伐。
一体ごとの危険度はEランク。
しかし、確認されているだけでも三千体を超え、群れ全体の危険度はBランクに指定されていた。さらに近隣の農村へ向かっており、到達まで二日も残されていない。
「この依頼を受けます」
「昇格した当日にですか!?」
「一体ずつは弱いのでしょう?」
「三千体以上いるんですよ?」
「だから、ちょうどいいんです」
「何がですか?」
「魔石が必要なので」
ナーベは頭を抱えた。
「本当に受けるんですね?」
「はい」
「危険だと判断したら、今度こそ必ず撤退してください」
「分かっています」
「……その返事が信用できないと言ったばかりなのですが」
翌日の昼過ぎ。
ジンはナギ大平原を見下ろす丘の上に立っていた。
地平線を埋め尽くす、無数の人影。
腐敗した身体を引きずるゾンビの群れが、呻き声を上げながら進んでいる。空気には耐え難い腐臭が漂い、乾いた大地へ数千体分の足音が重なっていた。
「これは……想像以上だな」
ジンは右手を前へ突き出した。
「出てこい」
黒い霧が人の形へ集まり、悪魔の騎士が片膝をつく。
「命令を――我が主」
「あの群れを殲滅しろ。一体も平原から出すな」
「御意」
悪魔の騎士が丘を駆け下りた。
漆黒の大剣が振り抜かれ、三体のゾンビの首が宙を舞う。返す刃が、さらに二体を斬り倒した。
十体。
五十体。
百体。
やがて三百体を超え、太陽が西へ傾いても、悪魔の騎士の動きは鈍らなかった。
呼吸も、疲労も、恐怖も存在しない黒騎士は、ただ命令に従って大剣を振るい続ける。
「この調子なら、夜明けまでには終わりそうだな」
ジンがそう考えたときだった。
「…………?」
戦いが始まった直後に倒したゾンビの指が、ゆっくりと動いた。
首を失った身体が両手を地面につき、再び立ち上がる。
一体だけではない。
悪魔の騎士が斬り倒したはずのゾンビが、次々と起き上がり始めた。
「どういうことだ?」
ジンの右眼が黄金色へ変わる。
神眼を通して見ると、死体の胸に残された小さな魔石へ、紫黒色の魔力が流れ込んでいた。
魔石を壊さない限り、何度でも復活する。
だが、それでは持ち帰る魔石がなくなってしまう。
「どこから魔力を送っている……?」
ジンは無数の魔力を遡った。
糸のように細い紫黒色の魔力が、すべて群れの中心へ集まっている。
やがて太陽が沈み、月明かりがナギ大平原を照らし始めた。
太陽が完全に沈んだ瞬間、平原を満たす死の魔力が急激に濃くなった。
夜は、アンデッドの時間だ。
その瞬間。
ゾンビの群れが、左右へ分かれた。
誰かに命令されたかのように、腐敗した死者たちが一斉に膝をつく。
開かれた道の奥。
月明かりの下に、一体の騎士が立っていた。
腐食した黒銀の全身鎧。
地面へ届くほど長い斧槍。
兜の隙間では、青白い光が不気味に揺らめいている。
神眼の視界には、その胸当ての奥で脈打つ巨大な魔石が映っていた。
「中位アンデッド……《ワイト・コマンダー》」
単体でもBランク上位。
数千体のゾンビを率いた状態なら、依頼書に記されたBランクという評価には収まらない。
「情報と違うじゃないか……」
ワイト・コマンダーの胸当てには、見覚えのない黒い紋章が刻まれていた。
神眼を凝らすと、紋章から一本だけ、遠方へ向かって魔力の糸が伸びている。
「こいつも、誰かに操られているのか?」
魔力の先を追おうとした瞬間、黒い糸が切断された。
気づかれた。
姿の見えない何者かが、神眼による追跡を察知したのだ。
ワイト・コマンダーの兜が、ゆっくりとジンへ向けられる。
『……邪魔者』
低く濁った声が平原へ響いた。
ワイト・コマンダーが斧槍を掲げる。
紫黒色の波動がゾンビの群れを駆け抜け、倒れていた数百体の死者が一斉に立ち上がった。
先ほどまでの鈍重さは消え、統率された軍隊のように悪魔の騎士を包囲していく。
ゾンビの海の中で、二体の黒い騎士が向かい合った。
一方は、ジンの命令に従う悪魔の騎士。
もう一方は、数千の死者を率いるワイト・コマンダー。
腐食した斧槍が持ち上がる。
悪魔の騎士も、漆黒の大剣を構えた。
「命令を――我が主」
ジンは黄金色に輝く右眼で、敵の胸にある巨大な魔石を見据えた。
「あの指揮官を倒せ」
「御意」
二体の黒い騎士が、同時に地面を蹴った。




