第42話 届かない一撃
第42話 届かない一撃
週明け。
三日ぶりに騎士学園へ登校したジンを待っていたのは、退院を祝う言葉ではなかった。
「遅い。さっさと整列しろ」
屋外訓練場の中央で、ジルベスターが訓練用の槍を地面へ突き立てる。
長い銀髪を後ろで束ね、煙草をくわえた姿は普段と変わらない。その容赦のない態度に、ジンはむしろ安堵した。
「病み上がりだろうと、訓練場へ来た以上は生徒だ。特別扱いしてもらえると思うな」
「そのつもりはありません」
「結構。なら列へ入れ」
ジンは腰の刀を確かめ、仲間たちの隣へ並んだ。
「本当に大丈夫なの?」
クロエが小声で尋ねる。
「傷は治っている」
「傷は、でしょう?」
「動けなくなったら下がる」
「あなたの『大丈夫』は信用できないのよ」
反対側からニーニャが顔を近づけ、鼻をひくつかせた。
「まだ少し薬臭いニャ。でも、血の臭いはしないニャ」
「犬みたいな確認の仕方ね」
「犬じゃないニャ!」
アグニスへ牙を剥くニーニャを横目に、ジンは訓練場を見回した。
今日の授業は、学園対抗戦の選抜テストを想定した模擬戦だった。いつもより多くの生徒が集まり、周囲の観覧席には見学者の姿まである。
「全員、聞け」
ジルベスターが煙草を携帯灰皿へ押し込んだ。
「学園対抗戦で相手にするのは、お前たちと同じように悪魔の力へ頼る者だけではない。幼い頃から正規の武術教育を受けてきた連中も大勢いる」
ジルベスターが槍を持ち上げる。
次の瞬間、その穂先を淡い銀色の光が包んだ。
炎でも雷でもない。
空気そのものが刃へ変わったような、鋭く澄んだ力だった。
ジンの右眼が熱を帯びる。
「これは魔術ではない。体内の魔力を練り上げ、闘争の力へ変えたものだ。一般には《オーラ》、剣士の間では《剣気》とも呼ばれている」
ジルベスターが槍を横薙ぎに振るう。
銀色の光が刃となって飛び、離れた場所に置かれていた木製人形を斜めに切断した。
生徒たちの間にどよめきが広がる。
「武器へ纏えば切れ味を増し、身体へ纏えば筋力や防御力を高められる。現役の騎士を名乗るなら、最低限のオーラを扱えて当然だと思え」
「そんなもの、授業では教わっていないぞ」
平民出身の生徒が声を上げる。
「当然だ。この学園は悪魔の権能と魔導技術を学ぶ場所だからな」
ジルベスターは淡々と答えた。
「魔術とオーラでは、魔力の運用方法が異なる。魔術師は心臓付近の魔力核――サークルを通じて魔力を操る。それに対し、オーラを使う者は下腹部に《丹田》と呼ばれる別の核を作る。未熟な状態で両方を扱えば流れが衝突し、どちらの力も制御できなくなる。悪魔の権能を主軸とするこの学園が、正式な課程にオーラを組み込まない理由だ」
ジンは神眼で、ジルベスターの身体を見つめた。
心臓付近のサークルから流れ出した魔力が、下腹部へ集まっている。そこで圧縮された魔力は性質を変え、筋肉や骨格へ染み渡りながら、最後には槍へ定着していた。
「普通は見えない。自分の感覚だけを頼りに丹田を作る必要がある。早い者でも一年はかかる技術だ」
貴族の生徒たちは、驚いた様子を見せなかった。
家に仕える騎士から、すでに教わっているのだろう。
一方、平民出身の生徒たちは、戸惑いを隠せずにいた。
生まれた環境による差。
これまでジンは、そのようなものを気にしたことがなかった。足りないものは、自分で手に入れればいいと思っていたからだ。
「見えるのか?」
ジルベスターがジンへ顔を向ける。
「……はい」
「なら目に焼きつけておけ。ただし、下手に真似をして腹を破裂させても、俺は責任を取らんぞ」
冗談なのか本気なのか分からない口調だった。
「それでは模擬戦を始める。呼ばれた者から前へ出ろ」
次々と生徒の名前が呼ばれていく。
やがてジルベスターが、二人の名を告げた。
「ジン・クロード。アルベルト・ヴァレンシュタイン」
訓練場がざわめいた。
黒騎士を従える平民と、名門侯爵家の嫡男。
選抜候補同士の対戦に、周囲の視線が一斉に集まる。
金髪の青年アルベルトは、訓練用の長槍を手に中央へ進み出た。
「身体は動くのか?」
挑発ではなく、純粋に状態を確認する声だった。
「問題ない」
「黒騎士は使わないのか?」
「今日は使わない」
本当は、使わないのではなく使えない。
しかし、それを説明するつもりはなかった。
「俺を侮っているわけではなさそうだな」
「そんな余裕はない」
「ならばいい」
アルベルトは長槍を構えた。
ジンも刀を抜き、腰を落とす。
「始め!」
合図と同時に、アルベルトが踏み込んだ。
槍の穂先が一直線に迫る。
ジンは身体を半歩ずらし、刺突を紙一重で躱した。すれ違いざまに刀を振るうが、アルベルトは槍の柄で刃を受け止める。
硬質な音が響いた。
アルベルトは槍を引かず、そのまま石突を回転させる。
ジンは左腕で受け、衝撃に逆らわず後方へ跳んだ。
「黒騎士がいなくても、そこまで動けるのか」
「お前こそ、槍の悪魔を使わないのか?」
「これは俺自身の技量を測るための授業でもある」
アルベルトが再び間合いを詰めた。
突き。
払い。
石突による打撃。
流れるような連撃が、休む間もなく襲いかかる。
ジンは神眼を輝かせた。
肩に力が集まれば刺突。
重心が落ちれば薙ぎ払い。
アルベルトの筋肉、呼吸、視線、足裏を流れる魔力まで鮮明に見える。
黒騎士を失った代わりに、神眼は以前よりも強くなっていた。
ジンは最小限の動きで攻撃を躱し、少しずつアルベルトとの距離を詰めていく。
やがて、槍が伸び切った。
ジンは刀で穂先を逸らし、柄の内側へ潜り込む。
刀の切っ先が、アルベルトの胸元へ迫った。
その瞬間。
アルベルトの下腹部に渦巻いていた魔力が、一気に解き放たれた。
淡い青色の光が全身を駆け抜け、長槍を包み込む。
ジンの刀が槍の柄へ触れた。
「ぐっ……!」
腕が痺れるほどの衝撃が返ってきた。
刀が大きく弾かれる。
アルベルトはオーラを纏わせた槍を強引に引き戻し、石突をジンの胸当てへ叩き込んだ。
空気が破裂する。
ジンの身体が地面から浮き、数メートル先まで弾き飛ばされた。
背中から石床へ落ち、肺の空気が一気に吐き出される。
起き上がろうとするジンの喉元へ、槍の穂先が突きつけられた。
「そこまで!」
ジルベスターの声が響く。
アルベルトは槍を引き、ジンへ右手を差し出した。
「俺の勝ちだ」
「ああ」
ジンはその手を掴み、立ち上がった。
言い訳の余地はなかった。
体調が万全ではないことも、黒騎士を呼べないことも事実だ。それでも最後の一撃は、アルベルトが積み上げてきた技術とオーラによるものだった。
「途中までは、こちらの動きを読まれているようだった」
「見えていただけだ」
「見えていても、防げないものはある」
嫌味のない言葉だからこそ、ジンの胸へ深く突き刺さった。
アルベルトは幼い頃から、家に仕える騎士たちに槍を教わってきた。
正しい構え。
隙のない足運び。
そして、オーラの使い方。
彼自身が努力を続けてきたことは分かっている。その強さを、貴族という身分だけで片づけるつもりもない。
それでも、初めて羨ましいと思った。
自分にも幼い頃から、正しく力の使い方を教えてくれる者がいたなら。
悪魔の力へ頼る前に、自分の刀だけで戦う方法を知っていたなら。
「悔しいか?」
いつの間にか、ジルベスターが隣へ立っていた。
「……はい」
「なら、その感情は忘れるな。敗北を身分の差だけで納得した瞬間、そいつには一生追いつけん」
ジンは、アルベルトの下腹部に残る淡い光を見つめた。
「あれは、どうすれば作れますか?」
「丹田のことか」
「教えてください」
ジルベスターが目を細める。
「さっきの説明を聞いていなかったのか? 形にするだけでも一年はかかる。選抜テストには間に合わん」
「構いません」
ジンの右眼が黄金色に輝いた。
「もう一度、先生のオーラを見せてください」
魔力が下腹部で変質する瞬間。
全身へ流れ、武器へ定着する経路。
神眼で見た光景は、すべて記憶に残っている。
「一度で足りないなら、覚えるまで見ます」
「……面倒な生徒に目をつけられたものだ」
ジルベスターは新しい煙草をくわえ、訓練用の槍を肩へ担いだ。
「放課後、第二訓練場へ来い」
「いいんですか?」
「俺は教えん。ただ使っているところを見せるだけだ」
「十分です」
「真似をして死にかけても知らんぞ」
ジルベスターが背を向ける。
ジンは手にした刀を見下ろした。
先ほど刃へ流した魔力は、定着することなく霧散していた。
アルベルトのオーラは違う。
武器と一体化し、ジンの刀を正面から弾き返した。
黒騎士は眠っている。
ジョーカーの声も聞こえない。
ならば、目覚めるのを待っているだけでは駄目だ。
ジンは刀を鞘へ収めた。
敗北の痛みは、まだ胸の奥に残っている。
だが、その痛みはすでに、新たな力を求める熱へと変わり始めていた。




