第39話 喰らう狂戦士
第39話 喰らう狂戦士
無数の黒い腕が、玉座の間を埋め尽くした。
強欲なるゴブリンロードの背後から伸びる《強欲なる手》。
実体を持たない半透明の腕が石床を抉り、五体の黒騎士へ一斉に襲いかかる。
『ギャハハハッ! 随分と手癖の悪い王様じゃねぇか!』
ジョーカーの指が踊る。
黒騎士たちは左右へ散開し、迫る腕の隙間を縫うように駆けた。
一体が柱を蹴って宙返りし、ゴブリンロードの頭上から大剣を振り下ろす。
しかし、その刃が届く直前。
見えざる手が黒騎士の胴を掴んだ。
「ガアアアアッ!」
ゴブリンロードが腕を振るう。
黒騎士は天井へ叩きつけられ、岩盤へ深くめり込んだ。別の二体が左右から斬りかかるが、漆黒の大剣は強欲なる手に受け止められる。
刀身が軋んだ。
黒騎士たちが力を込めても、半透明の腕は微動だにしない。
「ソノ程度カ!」
ゴブリンロードが拳を握る。
大剣を掴んでいた指が閉じ、二本の刀身が同時に砕け散った。
『上等だ!』
ジョーカーは笑いながら黒騎士たちを退かせる。
『壊し甲斐があるってもんだぜ!』
「遊ぶな、ジョーカー」
ジンは神眼を輝かせ、無数の手の軌道を追っていた。
通常の目には輪郭すら映らない。
だが、神眼には、赤黒い魔力で形成された無数の腕がはっきりと見えていた。
「右から三本! 次は上だ!」
ジンの指示に従い、黒騎士が横へ跳ぶ。
直後、三本の腕が石床を砕いた。
しかし、回避した先にも別の腕が待ち構えていた。
黒騎士の脚を掴み、床へ何度も叩きつける。漆黒の装甲が砕け、黒い霧となって飛び散った。
「魔力を吸われている……?」
クロエが黄金色の瞳を細める。
黒騎士へ触れている腕を通じ、魔力がゴブリンロードへ流れ込んでいた。
相手は攻撃するたびに力を奪い、自らのものへ変えている。
「長引くほど不利になるわ」
「なら、一気に終わらせる」
ジンが刀を構えた、そのとき。
五人の女冒険者が二人の前へ立ち塞がった。
隷属の首輪から伸びる鎖は、ゴブリンロードの腰へ繋がっている。彼女たちの瞳には恐怖と抵抗の色が浮かんでいたが、その身体は本人の意思に反して武器を構えていた。
「逃げて……!」
女戦士が苦しげに叫ぶ。
直後、踏み込んで大剣を振り下ろした。
ジンは刀で受け止める。
続けて、女魔術師が杖を向けた。
「お願い……避けて!」
炎の塊が放たれる。
ジンは女戦士を突き飛ばし、自らは横へ跳んだ。火球が背後の柱へ衝突し、爆炎が広がる。
「攻撃するなよ、ジョーカー!」
『面倒な命令ばかり増やしやがる!』
女戦士へ近づこうとした黒騎士が、不満げに剣を止めた。
その隙を逃さず、ゴブリンロードの強欲なる手が黒騎士を掴んで壁へ投げつける。
クロエの前にも二人の女冒険者が迫っていた。
女斥候が身を低くして懐へ潜り込み、左右のナイフを振るう。
クロエは二丁の魔銃で刃を受け止めるが、上方から女弓兵の矢が降り注いだ。
「くっ……!」
後方へ跳び、辛うじて矢を避ける。
先ほど《十連魔弾》を使ったばかりで、魔力はほとんど残っていない。浮遊魔銃を再び形成する余裕はなかった。
女斥候の刃がクロエの頬を掠める。
反撃できる機会は何度もあった。
だが、引き金を引けば、操られている彼女たちを殺してしまう。
ジンも同じだった。
女戦士と斬り結びながら、魔術師の炎を避け続けている。首輪を狙おうにも、少しでも狙いがずれれば首を斬ることになる。
「人間ハ、脆イ!」
ゴブリンロードが嘲笑する。
「仲間ヲ殺セヌ弱サガ、貴様ラヲ滅ボス!」
『うるせぇぞ、出来損ないの王様が!』
五体の黒騎士がジンの周囲へ集まった。
『力比べがしてぇなら、付き合ってやる!』
ジョーカーが両手を打ち合わせる。
黒騎士たちが黒い霧へ崩れ、一つの巨大な渦となった。
装甲が重なり、大剣が融合し、玉座の間の天井に届く巨大黒騎士が立ち上がる。
ゴブリンロードの巨体より僅かに小さい。
巨大黒騎士は大剣を構え、正面から踏み込んだ。
振り下ろされた刃と、ゴブリンロードの拳が激突する。
衝撃が玉座の間を揺らし、床一面へ亀裂が走った。
「オオオオオッ!」
ゴブリンロードが咆哮する。
巨大黒騎士は押し切ろうとするが、背後から無数の強欲なる手が殺到した。
両肩。
首。
胴体。
大剣を握る腕。
数え切れないほどの手が装甲へ食い込み、その巨体を押し返していく。
『チッ……パワー不足だぜ』
ジョーカーが初めて悪態をついた。
強欲なる手が巨大黒騎士の腕を捻り上げる。
装甲が軋み、大剣が床へ落ちた。
ゴブリンロードは巨大黒騎士の胸を掴み、力任せに投げ飛ばす。
黒い巨体が石柱を何本も薙ぎ倒した。
崩れ落ちる瓦礫。
立ち込める土煙。
ゴブリンロードは笑いながら、倒れた巨大黒騎士へ強欲なる手を伸ばした。
その足元が、突然白く凍りついた。
「何ダ……?」
冷気が床を走り、女冒険者たちの両脚もまとめて氷へ閉じ込める。
身体を傷つけず、動きだけを正確に封じていた。
「随分と派手に苦戦しているみたいね」
聞き覚えのある声に、ジンが振り返る。
砕けた扉の向こうから、淡い青髪を揺らす少女が歩いてきた。
「シルフ……?」
「助けに来たわ、ジン」
シルフ・エスパーダ。
その背後には、四人の仲間が続いていた。
冒険者ギルドで同じ依頼を受け、遅れて村へ到着した五人である。地上でアグニスたちと遭遇し、事情を聞いて地下王国まで追ってきたのだ。
「悪いけれど、再会を喜ぶのは後にしましょう」
シルフが右手を振るう。
空中に生まれた氷の槍が、強欲なる手へ次々と突き刺さった。しかし、半透明の腕は氷を砕き、そのまま彼女へ迫る。
「鏡よ、映せ」
シルフの隣に立つ青年――レオン・ミラージュが手を掲げた。
空中に巨大な鏡が展開される。
強欲なる手が鏡面へ触れた瞬間、波紋が広がった。
鏡の中から同じ形の腕が飛び出し、真正面から攻撃を跳ね返す。
半透明の腕同士が激突した。
「自分ノ力ダト……!?」
「映せるものなら、何でも返せる」
レオンの周囲へ鏡が増える。
鏡面からジンと黒騎士の幻影が次々と現れ、玉座の間を駆け始めた。
実体はない。
それでも姿も魔力も精巧に複製された幻影を前に、強欲なる手の狙いが分散する。
「偽物ニ惑ワサレルナ!」
ゴブリンロードが吠える。
だが、その背後から巨大な両腕が胴体へ回された。
「捕まえたぞおおお!」
筋骨隆々の男、マッスルが自らの肉体を巨大化させ、ゴブリンロードを羽交い締めにしていた。
「今だ! 長くは持たん!」
強欲なる手がマッスルの腕へ群がる。
魔力を吸われ、その巨体が少しずつ縮み始める。それでもマッスルは歯を食いしばり、ゴブリンロードを離さない。
「乱暴な男性は嫌われるわよ?」
艶のある声とともに、甘い香気が広がった。
サーシャ・クラトスが赤紫色の瞳を輝かせる。その背後には、蝙蝠の翼を広げた淫魔の影が浮かんでいた。
操られていた女冒険者たちの視線が、一斉にサーシャへ向く。
「今だけ、力を抜いてちょうだい」
魅了の魔力が、隷属の命令へ干渉する。
女冒険者たちの身体から緊張が抜け、構えていた武器が床へ落ちた。サーシャは彼女たちの余剰魔力だけを吸収し、意識を奪っていく。
五人が次々と眠りに落ちた。
「首輪は後で外すわ。今はこれが精一杯ね」
さらに白髪の少女ミレイユが、黒い針を床へ投げ放つ。
針はゴブリンロードの影へ突き刺さった。
「《影縫い》」
ゴブリンロードの巨体が一瞬だけ硬直する。
「ジン! 今よ!」
シルフが叫ぶ。
だが、ジンは動かなかった。
これだけの力を集めても、ゴブリンロードを完全には抑えられていない。
氷へ亀裂が走る。
鏡の一枚が砕ける。
影を縫う針も、一本ずつ床から抜け始めていた。
「グオオオオオッ!」
ゴブリンロードが両腕を広げた。
マッスルの拘束が外れ、その巨体が弾き飛ばされる。無数の手が氷と鏡をまとめて粉砕し、吹き荒れた魔力がシルフたちを後退させた。
「援軍ガ増エヨウト、同ジダ!」
床へ倒れていた巨大黒騎士が、五体の姿へ分かれて立ち上がる。
『確かに、このままじゃ足りねぇな』
ジョーカーの影が、地下王国を見渡した。
通路にも広間にも、倒されたゴブリンの死体が積み重なっている。
その胸には、まだ無数の魔石が残されていた。
『だったら――足りるまで喰えばいい』
「ジョーカー?」
『おい、氷の姫さん! 筋肉野郎! そいつをもう少し押さえてろ!』
「誰に命令しているのよ!」
『勝ちてぇなら黙って働け!』
五体の黒騎士が一斉に黒い霧へ崩れた。
霧は玉座の間を飛び出し、地下王国全体へ広がっていく。
倒れたゴブリンの胸から、魔石が次々と浮かび上がった。
十。
百。
それ以上。
無数の魔石が黒い濁流となり、ジョーカーのもとへ集まってくる。
『ギャハハハハッ! 御馳走じゃねぇか!』
道化師の仮面が大きく裂けた。
獣の顎を思わせる口が開き、魔石の群れを呑み込んでいく。
ばきり。
ばきり。
硬質な破砕音が響くたび、ジョーカーの魔力が膨張した。
「やめろ!」
ジンの全身へ激痛が走る。
膝をつき、胸を押さえた。
自分が魔石を喰らったわけではない。
それでも、ジョーカーが吸収した膨大な魔力が、魂の繋がりを通じてジンへ流れ込んでくる。
『俺様と主人様は、もう一心同体なんだよ!』
「こんな量を取り込めば……」
『死ぬかもしれねぇって?』
ジョーカーが愉快そうに笑う。
『安心しろ。死ぬ前に、あいつを殺せばいい!』
ジンの皮膚へ、黒い亀裂のような紋様が浮かび上がった。
右眼の黄金色へ赤紫色が混ざる。
溢れ出した魔力が床を這い、石畳を黒く染めていく。
一体目の黒騎士が立ち上がる。
二体。
三体。
五体。
それでも増殖は止まらない。
六体。
八体。
そして十体。
玉座の間を埋め尽くす十体の黒騎士が、まったく同時に首を傾けた。
兜の奥で、赤紫色の眼光が燃える。
『ギャハハハハハハッ!』
十体の哄笑が重なり、地下王国そのものを震わせた。
クロエが青ざめた顔でジンを見る。
「その力を使えば、人間に戻れなくなるかもしれないわ」
「分かっている」
ジンは苦痛に耐えながら立ち上がった。
ゴブリンロードの前では、シルフたちが再び防御陣形を組んでいる。
鏡が割れ、氷が砕け、マッスルの巨体から魔力が奪われていく。
もう時間は残されていない。
「換装」
十体の黒騎士が、黒い霧へ変わった。
濁流となった装甲がジンへ殺到する。
腕。
脚。
胸。
背中。
通常の限界を遥かに超える装甲が幾重にも重なり、人間の輪郭を凶暴な異形へ変えていく。
背後には黒い霧が翼のように広がった。
黒い霧状のジョーカーの十本の指から魔力の糸を伸ばす。
糸はジンの四肢と背中へ繋がった。
『いい面になったじゃねぇか、主人様』
ジンが漆黒の大剣を握る。
鎧の隙間から溢れる邪悪な魔力に触れただけで、周囲の石床が崩れていく。
ゴブリンロードの笑みが消えた。
無数の強欲なる手が、初めて怯えるように王の周囲へ集まる。
『さあ、始めようぜ』
ジョーカーが指を動かした。
ジンの身体が獣のように深く沈む。
黄金と赤紫が入り交じった眼光が、異形の王を捉えた。
『今度は俺たちが――王様を喰らう番だ』
次の瞬間。
狂戦士と化したジンの姿が、轟音とともに消えた。




