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黒騎士物語  作者: 神
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第40話 狂戦士の檻

第40話 狂戦士の檻


 狂戦士と化したジンの姿が、轟音とともに消えた。


「ナ――」


 ゴブリンロードが反応したときには、ジンはすでにその懐へ潜り込んでいた。


 漆黒の大剣が斜めに振り上げられる。


 赤黒い重鎧ごと、ゴブリンロードの左腕が斬り落とされた。


「グガアアアッ!」


挿絵(By みてみん)


 巨大な腕が石床へ落下し、鮮血が玉座の間へ降り注ぐ。


 ゴブリンロードの背後で、《強欲なる手》が一斉に蠢いた。


 実体を持たない無数の腕が、四方からジンへ襲いかかる。


 だが、黄金と赤紫色に輝く神眼は、そのすべてを捉えていた。


 ジンが見ている光景は、魔力の糸を通じて霧状のジョーカーにも共有されている。


『右に五本。後ろから三本だ!』


 ジョーカーの十本の指が踊った。


 糸に引かれたジンの身体が石床すれすれまで沈み、人間には不可能な角度で方向を変える。


 標的を失った強欲なる手が、互いに激突した。


 さらに正面から迫った腕に対し、ジンの左腕を覆う装甲が流動する。


 幾重もの黒鉄が重なり、巨大な大楯へ変わった。


 轟音。


 衝撃によってジンの両脚が石床へ沈む。


 骨の軋む音が響いたが、ジンは一歩も退かなかった。


 大楯の縁から鉤爪が伸び、受け止めた強欲なる手へ食い込む。


『そいつはもらった!』


 左腕が振り抜かれた。


 魔力の腕が引き裂かれ、赤黒い粒子となって霧散する。


「我ノ手ガ……見エテイルノカ!」


 ゴブリンロードの顔から笑みが消えた。


 ジンは答えない。


 兜の奥に、人間らしい意識はほとんど残されていなかった。


 殺せ。


 壊せ。


 喰らえ。


 ジョーカーが数百の魔石から取り込んだ怒り、狂気、憎悪。それらが濁流となって、ジンの精神を黒く塗り潰している。


「調子ニ乗ルナ!」


 ゴブリンロードが残る右腕を振り下ろした。


 五メートルを超える巨体から放たれた拳が、ジンを石床へ叩きつける。


 左肩が外れた。


 肋骨が折れ、兜の隙間から血が流れ出す。


 それでも、戦いは終わらない。


 ジョーカーが糸を引く。


 外れた肩が強引に持ち上げられ、装甲が添え木のように関節を固定した。裂けた筋肉も折れた骨も無視して、ジンは再び立ち上がる。


「ナゼ動ケル!」


『決まってんだろ』


 ジョーカーの三日月状の笑みが裂けた。


『こいつが倒れるかどうかを決めるのは、肉体じゃねぇ。俺様だ!』


 ジンの大剣が黒い霧へ崩れる。


 霧は両腕へ集まり、巨大な鉤爪へ変わった。


 ジンは獣のように地面を蹴り、ゴブリンロードの巨体へ飛びつく。


 鉤爪を重鎧へ突き立て、その身体を駆け上がった。


 ゴブリンロードが振り払おうとする。


 その直前、背中の装甲が伸び、巨大な大鎌へ変形した。


 振り抜かれた刃が、ゴブリンロードの腹部を深々と切り裂く。


「グオオオオッ!」


挿絵(By みてみん)


 巨体が傾く。


 大鎌が霧へ戻り、今度は右腕へ集まった。


 形成された戦鎚が、胸部の重鎧へ叩き込まれる。


 赤黒い装甲が陥没し、表面を走っていた魔族の術式が砕け散った。


 戦鎚が大剣へ変わる。


 ジンは一歩踏み込み、その刃でゴブリンロードの胸を貫いた。


「我ハ……王ダ!」


 ゴブリンロードは止まらない。


 無数の強欲なる手がジンを掴み、宙へ持ち上げる。


「貴様ノ力モ、鎧モ、全テ我ノ物ダ!」


 強欲なる手を通じ、ジンの魔力が奪われていく。


『俺様を喰うつもりか?』


 ジョーカーが愉快そうに笑った。


『腹を壊しても知らねぇぜ、王様!』


 ゴブリンロードへ流れ込んだのは、魔力だけではなかった。


 殺されたゴブリンたちの断末魔。


 支配される恐怖。


 仲間を踏み台にした王への憎悪。


 ジョーカーが抱え込んでいた悪意が、《強欲なる手》を逆流していく。


「ガ……アアアアッ!」


 ゴブリンロードが頭を押さえて絶叫した。


 拘束が緩む。


 ジンは巨体の肩へ降り立ち、大剣を横薙ぎに振り抜いた。


 ゴブリンロードの首が宙を舞う。


 巨体が膝をついた。


 それでも、首を失った身体は動き続けている。胸部に埋め込まれた上級魔石が、心臓のように脈打っていた。


『往生際が悪いぜ』


 ジンの胸部装甲が、獣の顎のように開く。


 黒い霧の牙が胸を抉り、重鎧ごと上級魔石を引きずり出した。


『御馳走様だ』


挿絵(By みてみん)


 ジョーカーが魔石を噛み砕く。


 膨大な魔力が爆発し、ゴブリンロードの肉体が崩れ落ちた。


 直後、換装を維持したジンの周囲へ、新たな黒騎士が次々と現れた。


 一体。

 五体。

 そして十体。


 ジンを覆う十体分の装甲。

 その周囲を守る、さらに十体の黒騎士。


 合計二十体分へ膨れ上がった力が、玉座の間を震わせた。


『ギャハハハハハッ!』


 ジョーカーの哄笑が地下神殿に響き渡る。


 だが、ジンへ流れ込んだのは新たな力だけではない。


 ゴブリンロードの強欲と憎悪が、僅かに残っていた理性まで呑み込んでいた。


 視界の中で何かが動く。


 敵。


 殺せ。


 ジンは石床を蹴り、シルフへ大剣を振り下ろした。


「鏡よ、返せ!」


挿絵(By みてみん)


 レオンが巨大な鏡を展開する。


 鏡面へ触れた斬撃が反射され、ジン自身の胸へ叩き返された。


 装甲が砕ける。


 しかし、ジンは僅かに後退しただけだった。


「《影縫い》!」


 ミレイユの黒い針が、ジンの影へ突き刺さる。


 動きが止まったのは一瞬。


 ジョーカーの糸が四肢を引き上げ、影を縫っていた針が弾け飛んだ。


「仕方ないわね」


 シルフが両手を広げる。


 猛烈な冷気がジンを包み、全身を分厚い氷へ閉じ込めた。


 だが、内部で黒い魔力が膨張する。


 氷へ亀裂が走り、内側から粉々に砕け散った。


「俺が押さえる!」


 巨大化したマッスルが、背後からジンを羽交い締めにする。


 ジンは片腕を振るった。


 それだけでマッスルの巨体が宙を舞い、石壁へ激突した。


「化け物かよ……!」


 仲間の声は、ジンには届かない。


 兜が次の獲物を探すように動く。


 黄金と赤紫色の眼光が、クロエを捉えた。


「クロエ、逃げて!」


 シルフが叫ぶ。


 だが、クロエは動かなかった。


 残された魔力を二丁の魔銃へ集め、真っ直ぐジンへ照準を合わせる。


「あなたは、やっぱり変わらないのね」


 ジンが大剣を振り上げた。


 クロエは引き金を絞る。


 二発の魔弾がジンの肩越しを通過し、背後に浮かぶジョーカーの魔力の糸を撃ち抜いた。


 二本の糸が切れる。


 ジンの右腕が僅かに止まった。


「ジョーカー」


 クロエは霧状の悪魔を睨みつける。


「それが、あなたの主人なの?」


『ああ?』


「魔石の憎悪に操られ、仲間すら分からない。ただ殺すだけの獣が、あなたの望んだ主人なの?」


 ジョーカーの笑みが止まった。


 残る糸に引かれ、大剣が振り下ろされる。


 刃がクロエの頭上へ迫った。


 次の瞬間。


 残された八本の糸が、強く張り詰めた。


 大剣が、クロエの目前で止まる。


『……違ぇな』


 ジョーカーの霧がジンを包み込んだ。


『俺様の主人は、こんなつまらねぇ獣じゃねぇ』


 ジンの中を満たしていた怒り、殺意、狂気が、黒い霧へ吸い戻されていく。


 ジョーカーの顔が歪んだ。


 数百体分の絶叫が重なり、その輪郭が崩れ始める。


 それでも、糸は離さなかった。


『主人様の身体を好きに動かしていいのは――俺様だけなんだよ!』


 兜の奥から赤紫色の光が消えた。


 最後に残った黄金色の眼光も弱まり、ジンの手から大剣が滑り落ちる。


 二十体の黒騎士が、黒い霧へ崩れた。


 全身を覆っていた装甲も消え、傷だらけのジンが前へ倒れる。


 クロエは魔銃を捨て、その身体を両腕で受け止めた。


「本当に……無茶ばかりする人ね」


挿絵(By みてみん)


 返事はない。


 クロエが首筋へ指を当てると、弱々しいながらも脈は残っていた。


 ジンは生きている。


 その事実を確かめ、クロエはようやく息を吐いた。


 玉座の間から、戦いの音が消える。


 残されたのは、崩れた王座と倒された異形の王。


 そして主人を守るためにすべての悪意を引き受け、深い眠りへ落ちた一体の悪魔だけだった。


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