第38話 強欲なるゴブリンロード
第38話 強欲なるゴブリンロード
地下王国の最深部。
地下王国の各所で続く戦いの振動は、幾重もの岩壁を越え、最深部の玉座の間にまで届いていた。
天井から細かな砂が落ちる。
松明の炎が揺らぎ、壁面に刻まれた赤黒い術式が不規則に明滅した。
「グギギ……!」
骨と武器を積み重ねて造られた玉座の上で、ゴブリンキングが牙を剥く。
三メートルを超える巨体。
肥大化した筋肉を覆う赤黒い重鎧。
頭には奪った王冠が載せられ、その手には人間の背丈ほどもある巨大な魔剣が握られている。
玉座の足元には、五人の女冒険者が侍らされていた。
いずれも魔力を持つ成人女性である。
剣士、魔術師、治癒術師。
かつてはそれぞれの仲間とともに地下王国へ挑み、捕らえられた者たちだった。
首には赤黒い隷属の首輪。
そこから伸びた鎖は、ゴブリンキングの左手にまとめて握られている。
立つことは許されていない。
五人は武器を取り上げられたまま床へ両手をつき、王の足元へ控えることを強制されていた。
「顔ヲ上ゲロ」
ゴブリンキングが命じる。
首輪の術式が赤く輝き、五人の身体が同時に震えた。
俯いていた顔が、本人たちの意思に反して持ち上がる。
「侵入者ノ臭イヲ嗅ゲ」
誰も動こうとしない。
次の瞬間、首輪から黒い火花が散った。
「うっ……!」
女冒険者たちは苦痛に顔を歪め、それでも必死に声を堪えた。
だが、身体までは逆らえない。
五人は床へ顔を近づけ、命じられたとおり犬の真似をさせられる。
玉座を取り囲むゴブリンたちから、下卑た笑い声が上がった。
「侵入者ハ、ドコニイル」
「……近いわ」
先頭の女剣士が、屈辱を噛み殺しながら答えた。
「もう……この近くまで来ている」
「使エヌ犬ドモダ」
ゴブリンキングが鎖を強く引く。
五人の身体が床を滑り、玉座の前へ引き寄せられた。
ゴブリンキングの視線が、中央にいた金髪の治癒術師へ止まる。
「オ前ハ、マダ使エル」
巨大な手が伸び、法衣と軽装鎧に覆われた胴体を掴んだ。
「きゃっ……!」
治癒術師の身体が片手で持ち上げられ、両足が床から離れる。彼女は王の指を押し返そうとするが、びくともしない。
ゴブリンキングは目の高さまで持ち上げると、値踏みするように顔を覗き込んだ。
「オ前ノ魔力ハ、我ノ傷ヲ癒ス。壊レルマデ働ケ」
「誰が……あなたなんかに……!」
首輪が赤く輝き、淡い治癒魔力が吸い上げられる。
その光景を石柱の陰から眺め、魔族の男は深いため息を吐いた。
「随分と悪趣味な王国を造ったものですね」
人間と変わらない容姿。
灰色の長髪。
血の気のない白い肌。
細身の身体には、黒い礼服を思わせる外套を纏っている。
だが、額から伸びた二本の角と、暗闇の中で赤く輝く瞳が、彼を人間ではないと示していた。
魔族の使者である。
「貴様ガ教エタノダ!」
ゴブリンキングが玉座から身を乗り出した。
「人間ノ女ヲ捕ラエ、兵ヲ増ヤセト!」
「ええ。確かに助言はしましたが、犬の真似をさせろとは一言も言っていませんよ」
「コレハ、我ガ力ノ証ダ!」
ゴブリンキングは鎖を掲げた。
五つの首輪から淡い魔力が吸い上げられ、鎖を伝って王の身体へ流れ込む。
捕らえた女たちは、ゴブリンを産ませるためだけの存在ではない。
魔力を持つ者には隷属の首輪を嵌め、その力を王へ供給させる。
炎。
氷。
治癒。
身体強化。
それらを奪うことで、ゴブリンキングは通常の上位種を遥かに超える力を手に入れていた。
魔族の男は、女冒険者たちへ冷淡な視線を向ける。
ゴブリンの繁殖力は人間の十倍。
人里から女を攫い続ければ、数年で数千の兵士を生み出せる。魔力を持つ女を利用すれば、シャーマンやコマンダーといった上位種が誕生する可能性も高い。
王都近郊へ巨大な軍勢を密かに築く。
準備が整った段階で一斉に地上へ侵攻し、周辺の村々を呑み込みながら数を増やす。
そのために五年もの歳月を費やした。
人間へ偽の討伐依頼を出させ、送り込まれた冒険者を捕らえる仕組みまで整えた。
計画は順調だった。
昨日までは。
魔族の男は、宙へ小さな術式を展開した。
黒い鏡のような円の中に、地下王国で起きている光景が映し出される。
破壊された正門。
焼き払われたゴブリン部隊。
倒されたトロール。
救出された捕虜たち。
そして、地下道を進む黒髪の青年と、黒衣の女。
五体の黒騎士が二人の前方を進み、立ち塞がるゴブリンを容赦なく斬り伏せている。
「……また、こいつですか」
魔族の男が、心底うんざりしたように呟いた。
ワイト・コマンダー。
ストームワイバーン。
そして、今回のゴブリンキング。
人間の領土へ混乱をもたらすため、入念に用意してきた火種が、ことごとく同じ人間によって潰されている。
「ジン・クロード」
鏡の中に映る青年の名を口にする。
本人に自覚はないだろう。
だが、その存在によって、魔族側の計画はすでに大幅な修正を迫られていた。
「何者なのです、あなたは」
黒騎士の動きも以前とは違う。
兵士のように命令へ従うだけだった鎧が、今では獲物を求める獣のように振る舞っている。
ときおり、その背後へ道化師を思わせる影まで現れていた。
魔族の男は目を細めた。
「まさか……いえ、まだ断定はできませんね」
「何ヲ一人デ喋ッテイル!」
ゴブリンキングが玉座の肘掛けを殴りつけた。
轟音とともに石が砕ける。
巨体が揺れ、その足元へ繋がれた女冒険者たちが怯えて身体を震わせた。
「貴様ノ言ッタトオリニシタ! 人間ヲ捕ラエタ! 兵ヲ増ヤシタ! 罠モ仕掛ケタ! ソレナノニ、我ガ王国ハ滅ボウロシテイル!」
「そうですね」
「ドウシテクレルノダ!」
魔族の男は再びため息を吐いた。
すでに地上の部隊は壊滅。
牢獄区画も奪還された。
侵入者は今も最深部へ向かっている。
ゴブリン王国作戦は、恐らく失敗に終わる。
だが、失敗の責任を取るつもりなど、魔族の男にはなかった。
「落ち着きなさい」
「我ニ命令スルナ!」
「あなたが生き残れば、王国など何度でも築けます」
魔族の男は外套の内側へ右手を差し入れた。
取り出したのは、拳よりも大きな赤黒い魔石だった。
表面には複雑な術式が幾重にも刻まれ、心臓のように脈打っている。
魔石から溢れ出す邪悪な魔力に反応し、玉座の間を埋めていたゴブリンたちが一斉に静まり返った。
ゴブリンキングの目が、魔石へ釘付けになる。
「ソレハ……?」
「魔族の術式を刻んだ上級魔石です」
男は魔石を指先で弄ぶ。
「呑み込めば、あなたは膨大な力を得られる。あの侵入者を倒し、ここから逃げ延びればいい」
「王国ヲ捨テロト言ウノカ!」
「王が生きていれば、国は滅びません」
魔族の男が、鎖に繋がれた五人の女性へ視線を移す。
「その女たちを連れて逃げればいい。人間の女を集め直せば、数年以内に新たな軍勢を造れます。今度は千ではなく、一万を目指せばよいでしょう」
ゴブリンキングの怒りが、僅かに静まった。
「コレヲ呑メバ、勝テルノカ?」
「保証はしません」
「何ダト!」
「ただし、今のあなたとは比べものにならない力が手に入ります」
魔族の男は、赤黒い魔石を放り投げた。
ゴブリンキングが大きな手で受け止める。
魔石から伝わる力を感じた瞬間、その醜悪な顔へ強欲な笑みが広がった。
「最初カラ、コレヲ寄越セバヨカッタノダ」
「扱えるだけの器へ育つまで、渡せなかったのですよ」
ゴブリンキングは躊躇しなかった。
巨大な魔石を口へ放り込み、牙で噛み砕く。
ばきり。
乾いた音が玉座の間へ響いた。
次の瞬間。
「グ――ガアアアアアッ!」
絶叫とともに、赤黒い魔力が噴き上がった。
ゴブリンキングの巨体が玉座から転げ落ちる。
筋肉が内側から異常に膨張し、全身を覆っていた重鎧が次々と弾け飛んだ。
骨が軋む。
背骨を突き破り、黒い角が伸びる。
腕が肥大化し、指先には岩を抉るほどの鉤爪が形成された。
膨張は止まらない。
四メートル。
五メートル。
巨大化した肉体の周囲で空間が歪み、何もない場所から黒い腕が次々と生えてくる。
実体を持たない、半透明の腕。
一本ではない。
十。
二十。
数え切れないほどの見えざる手が、獲物を探すように蠢いていた。
そのうちの一本が石柱へ触れる。
直後、太い柱が握り潰され、砕けた岩が床へ降り注いだ。
「オオ……オオオオ……!」
ゴブリンキングが、自らの両手を見下ろす。
いや。
すでにゴブリンキングではない。
上級魔石に刻まれた術式が肉体と魂を変質させ、より上位の存在へ進化させていた。
「素晴らしい」
魔族の男が薄く笑う。
「《強欲なるゴブリンロード》。等級に換算すれば、A級下位といったところですか」
「チカラガ……溢レル!」
強欲なる手が広がり、周囲のゴブリンたちを掴み上げる。
「オ、王ヨ……?」
配下の怯えた声など、もはや届かない。
見えざる手が握り締められると、ゴブリンたちの魔力がロードの肉体へ吸収された。
首輪に繋がれた五人の女冒険者からも、魔力が強引に奪われる。
「うっ……!」
苦痛に耐え切れず、女性たちが床へ崩れ落ちた。
だが、ゴブリンロードは鎖を乱暴に引き寄せる。
「立テ、我ガ猟犬ドモ!」
首輪が赤く輝いた。
五人は震える手足で立ち上がり、王の周囲へ集められる。
そのとき、玉座の間を閉ざす巨大な扉の向こうから、重い衝突音が響いた。
一度。
二度。
扉の中央が大きくへこむ。
亀裂の隙間から、黒い霧が流れ込んできた。
「来ましたね」
魔族の男は、再び鏡の術式を展開した。
扉の向こうにはジンとクロエ。
そして、赤紫色の眼光を灯した五体の黒騎士が立っている。
『ギャハハハハッ! 王様はこの奥かぁ!?』
耳障りな笑い声が、分厚い扉を越えて響いてきた。
ゴブリンロードが牙を剥く。
「我ガ力ヲ見セテヤル!」
無数の強欲なる手が、巨大な扉へ伸びた。
蝶番ごと掴み、力任せに引き千切る。
轟音。
巨大な扉が広間の外側へ吹き飛び、通路の壁へ激突した。
立ち込める土煙の向こうで、ジンが刀を構える。
クロエも黒紫色の魔銃を形成し、黄金色の瞳でこちらを見据えていた。
ゴブリンロードは鎖を握ったまま歩き出す。
その背後を、首輪に繋がれた五人の女冒険者がよろめきながらついていく。
「殺セ!」
命令を受け、五人の身体が同時に武器を構えた。
本人たちの瞳から涙が流れる。
それでも、隷属の首輪へ逆らうことはできない。
「我ガ猟犬ト、我ガ手ガ、貴様ラヲ引キ裂ク!」
無数の見えざる手が、ゴブリンロードの背後へ広がった。
その姿を確認した魔族の男は、満足そうに頷く。
「では、後は任せますよ」
「貴様モ戦エ!」
「私は使者です。兵士ではありません」
足元から黒い影が這い上がる。
ゴブリンロードが振り返ったときには、魔族の男の身体は腰まで闇へ沈んでいた。
「待テ!」
「期待していますよ、王様」
赤い瞳が細められる。
「せめて彼の力を、もう少し見せてください」
魔族の男は影の中へ消えた。
残されたゴブリンロードは怒りの咆哮を上げ、無数の強欲なる手をジンたちへ解き放つ。
黒騎士たちが一斉に大剣を構えた。
異形の王。
隷属された五人の女冒険者。
そして、悪意に満ちた鎧の悪魔。
三者の魔力が激突し、地下王国の最終決戦が幕を開けた。




