第4話 銀髪の王女
第4話 銀髪の王女
騎士学園の入学試験は、順調に進んでいた。
午前の実技試験で高い評価を得た六十四人は、最後に受験生同士で戦う選抜トーナメントへ進む。
この試合だけで入学の合否が決まるわけではない。実戦形式で剣術や判断力を測り、入学後のクラス分けに役立てることが目的だった。
四試合を勝ち抜き、準決勝まで残った受験生は四人。
その中には、ジン・クロードの姿もあった。
もっとも、ジンの状態は万全から程遠い。
前日にキラーワームとの戦いで身体強化魔術を使い、今朝はザックス将軍との模擬戦でも再び発動した。
ナーベからもらった初級ポーションのおかげで炎症は抑えられているが、筋肉へ蓄積した損傷までは消えていない。
それでも、ここまで勝ち上がった。
「準決勝第一試合!」
審判役の教官が、闘技台の中央で声を張り上げる。
「ジン・クロード対――シルフ・エスパーダ殿下!」
その名が告げられた瞬間、訓練場が大きく騒めいた。
エスパーダ。
それは王国そのものを示す名だ。
シルフ・エスパーダは、国王エスパーダ七世の娘にして、この国の第三王女だった。
「どうして王族が、騎士学園の入学試験を受けているんだよ……」
ジンは溜息をつきながら、石造りの闘技台へ上がった。
ザックスとの戦いを終えた後、ジンは治療用の控え室で身体を休めていた。そのため、シルフがどのように勝ち上がったのか、一度も見ていない。
闘技台の反対側には、一人の少女が立っていた。
月光を紡いだような銀髪。
雪を思わせる白い肌。
透き通るようなアイスブルーの瞳。
身長は百六十センチほどで、ジンより頭一つ分ほど小さい。身体を守る銀色の軽鎧には、王家の紋章が控えめに刻まれている。
細身のレイピアを右手に持ち、静かにジンを見据えていた。
(確か、俺と同じ十八歳だったはずだ)
王族が騎士になる必要などない。
危険な戦場へ出なくても、彼女を守る騎士はいくらでもいる。
おそらく、ここまでの対戦相手も王女を攻撃することができず、自ら棄権するか、わざと負けたのだろう。
(興味本位で参加したのか知らないけど、迷惑な王女だな)
ジンが眉間に皺を寄せていると、審判が観客へ向き直った。
「シルフ殿下ご本人ならびに国王陛下の許可により、試合中の正当な攻撃は不敬罪の対象とはならない! 両者、身分を忘れて全力を尽くせ!」
致命傷へ至る攻撃は、闘技台を覆う防護結界が遮断する。
勝敗は降参、場外、戦闘不能、あるいは審判が続行不可能と判断した場合に決まる。
そう説明されても、ジンの不安は消えなかった。
「本当に攻撃して大丈夫なのか……?」
「遠慮は不要です」
シルフは淡々と答え、レイピアを正面へ構えた。
その瞬間。
彼女を中心に、空気が張り詰めた。
先ほどまでの可憐な王女の姿が消え、一人の剣士が現れる。
ジンも学園から支給された模擬剣を構え直した。
「始め!」
「参ります!」
審判の合図と同時に、シルフの姿が消えた。
「速っ――!」
十メートル近くあった距離が、一瞬で消える。
銀色の残像を引きながら踏み込んだシルフは、ジンの顔へ向けて最短距離の突きを放った。
考えてからでは間に合わない。
冒険者として培った本能に従い、ジンは首を捻った。
レイピアの切っ先が頬を掠め、浅い傷から血が一筋流れる。
同時に、ジンの身体が反撃していた。
模擬剣を上段から振り下ろす。
狙いは、シルフの頭部。
「しまっ……!」
王女へ反撃するつもりなどなかった。
だが、シルフの突きに込められた気迫が、ジンの戦闘本能を完全に呼び覚ましていた。
ギャリンッ!
シルフは慌てなかった。
細いレイピアをジンの模擬剣へ添え、僅かに手首を回す。
力で受け止めたのではない。
剣の側面を滑らせ、軌道を外側へ逸らしたのだ。
行き場を失ったジンの剣が、石床へ激突する。
ガキンッ!
前の試合から酷使されていた模擬剣が、中央から折れた。
「なにっ!?」
ジンが驚いたときには、レイピアの切っ先が喉元へ置かれていた。
「降参しますか?」
シルフのアイスブルーの瞳が、真っ直ぐにジンを見つめている。
冷たく見えるほど澄んだ瞳。
だが、その奥には小さな期待があった。
まるで、ここで終わる人間なのかと試されているように感じられ、ジンは無性に腹が立った。
普通なら、ここで降参する。
しかし、戦場で喉元に剣を突きつけられれば、降参する時間など与えられない。
敗北は死だ。
こんなところで簡単に諦める者が、皇帝オルクスを倒せるはずがない。
「……嫌です」
「え?」
ジンは折れた剣を握ったまま、一歩踏み込んだ。
前蹴りが、シルフの銀色の胸当てを捉える。
防具に守られているため、大きな損傷はない。それでも軽い身体は数メートル後方へ押し飛ばされた。
シルフは空中で体勢を立て直し、軽やかに着地する。
貴族の受験生たちから、激しい非難が巻き起こった。
「殿下に蹴りを入れたぞ!」
「不敬だ!」
「卑怯者!」
一方、試験官や実戦経験のある受験生は声を上げなかった。
これは正式な試合だ。
手加減する方が、相手を侮辱する行為だと知っている。
「……少し熱くなっていたな」
ジンは息を吐き、折れた模擬剣を構え直した。
王女だから弱い。
対戦相手がわざと負けたから、ここまで勝ち上がった。
そんな考えは、すでに消えていた。
シルフは強い。
少なくとも剣術だけなら、自分より遥かに上だ。
ジンが真剣な眼差しを向けると、シルフは一瞬目を見開き、やがて満面の笑みを浮かべた。
先ほどまでの冷たい剣士ではない。
そこにいたのは、強敵との戦いを心から楽しむ、年相応の少女だった。
(……可愛い)
ほんの一瞬だけ、ジンの意識が銀色の剣先から、その笑顔へ移った。
その一瞬を、シルフが見逃すはずがない。
レイピアの連続突きが襲いかかる。
「くっ!」
喉、肩、手首、胸。
一撃ごとに狙いが変わり、ジンは後退を余儀なくされる。
折れた剣では間合いが足りない。
ジンは模擬剣を捨て、腰から模擬短剣を抜いた。
短剣は、ジンが最も得意とする武器だ。
懐へ潜り込めば勝機がある。
そう考えて踏み込もうとするたび、シルフのレイピアが進路を塞いだ。
前へ出れば喉を狙われる。
横へ回れば、シルフも同じだけ移動する。
近づけない。
細いレイピア一本によって、ジンの得意な間合いが完全に封じられていた。
「なら――!」
ジンは足元へ落ちていた折れた模擬剣の柄を蹴り上げた。
回転しながら飛んでくる柄を、シルフはレイピアで弾き落とす。
攻撃ではない。
一瞬だけ、その視界を塞ぐための陽動だ。
同時に踏み込んでいたジンは、模擬短剣をシルフの脇腹へ走らせた。
「もらった!」
「いいえ」
シルフの声は、すぐ近くから聞こえた。
次の瞬間、ジンの視界が青空で埋まった。
「がはっ!?」
短剣へ意識を向けさせた隙に、シルフが真下から顎を蹴り上げたのだ。
ジンの身体が宙へ浮き、背中から石床へ落ちる。
肺から空気が押し出された。
「先ほどの、お返しです」
立ち上がろうとしたジンの喉元へ、再びレイピアの切っ先が置かれた。
シルフが楽しそうに微笑む。
「まだ続けますか?」
二度も同じ場所へ剣先を突きつけられた。
今度こそ、完全な敗北だった。
「……参った」
ジンは模擬短剣を地面へ置き、両手を上げた。
「勝者、シルフ・エスパーダ殿下!」
審判の宣言とともに、会場から大歓声が巻き起こる。
それに負けないほど、ジンを非難する声も飛び交っていた。
「ふふっ。良い戦いでしたわ」
シルフはレイピアを収め、右手を差し出した。
対等な剣士へ贈る、健闘を称える握手。
しかし、ジンはその意味を別のものとして受け取った。
片膝をつき、王族へ敬意を示すように頭を垂れる。
「もったいなきお言葉、感謝いたします」
「…………」
シルフが求めていたのは、臣下としての礼ではない。
一人の剣士として交わす、対等な握手だった。
だが、その思いを口にすることはできず、行き場を失った右手を静かに下ろした。
ジンは重い身体を引きずり、闘技台のそばにあるベンチへ腰を下ろした。
全身が軋んでいる。
ザックスとの試合で使った身体強化魔術の反動が、完全に身体を蝕んでいた。
それでも、万全なら勝てたとは思えない。
「王女というだけで、弱いと決めつけていたな……」
手加減されることを嫌っていたのは、ジンも同じだ。
それなのに、自分は最初からシルフを一人の剣士として見ていなかった。
「……格好悪いな、俺」
結局、シルフは続く決勝戦でも対戦相手を圧倒し、選抜トーナメントの優勝者となった。
やがて、訓練場へ重い鐘の音が鳴り響く。
「これより最終試験――《聖魔の儀》を開始する!」
ジンは痛む身体を起こし、訓練場の奥にそびえる巨大な儀式塔を見上げた。
なぜか、その魂の奥から。
まだ存在しない何かの笑い声が、聞こえたような気がした。




