第36話 悪魔たちの覚醒
第36話 悪魔たちの覚醒
地下王国へ続く洞窟の前。
五体の黒騎士が、ゆっくりと大剣を抜いた。
赤紫色の眼光が闇を裂き、五つの兜がまったく同じ角度へ傾く。
『ギャハハハハハッ!』
重なった哄笑が洞窟の奥まで響き渡り、見張り台にいたゴブリンたちが一斉に騒ぎ始めた。
「侵入者ダ!」
「門ヲ閉ジロ!」
警鐘が打ち鳴らされる。
洞窟の内部に築かれていたのは、魔物の巣と呼ぶにはあまりにも巨大な都市だった。
岩壁へ沿って無数の足場と住居が組まれ、松明の明かりが地下深くまで続いている。木造の監視塔、幾重にも連なる防壁、武器を製造する鍛冶場。さらに奥には、黒い城を思わせる建造物さえ見えた。
「これほどとはな……」
ジンは息を呑んだ。
地上にいた数百体は、本隊ですらなかったのだ。
洞窟の入口を守る鉄門が閉ざされ、その向こうへゴブリンアーチャーが並ぶ。無数の矢尻には紫色の毒が塗られていた。
「射テ!」
号令とともに、毒矢が雨のように降り注ぐ。
「防げ!」
ジンが黒騎士へ命じる。
だが、五体は動かなかった。
「何をしている?」
『駄目だねぇ』
ジョーカーの声が頭の中へ響く。
『盾になれ、敵を止めろ、仲間を守れ。主人様の命令は、どいつもこいつも退屈で仕方がねぇ』
「今は遊んでいる場合ではない」
『だから、なっちゃいねぇって言ってんだよ』
ジンと黒騎士を繋いでいた感覚が、突然途切れた。
「なに……?」
五体の背後へ、巨大な影が浮かび上がる。
黒い霧から上半身を現した、道化師を思わせる異形の鎧。左右非対称の仮面に刻まれた三日月状の亀裂が、赤紫色に輝いている。
ジョーカーが両手を広げた。
十本の指から伸びた細い魔力の糸が、黒騎士たちの兜や肩、腕へ繋がる。
『鎧の使い方がなっちゃいねぇ!』
ジョーカーの指が、踊るように動いた。
『戦いってのは、もっと自由に――もっと愉しくやるもんだ!』
五体の黒騎士が一斉に地面を蹴った。
飛来した毒矢の間を縫い、左右の岩壁へ跳ぶ。壁を蹴った二体が空中で回転し、大剣を円状に振り抜いた。
矢の雨がまとめて弾き飛ばされる。
一体が鉄門の前へ着地すると、大剣を地面へ突き立てた。柄を軸にして身体を回転させ、両脚で鉄門を蹴りつける。
轟音。
分厚い鉄門が内側へひしゃげ、背後にいたゴブリンを巻き込みながら吹き飛んだ。
「ギャッ――!」
五体が地下都市へ雪崩れ込む。
大剣を振るいながら走るのではない。互いの肩や剣を足場にして跳び、宙返りを繰り返しながら敵陣へ降り注ぐ。
腕を斬られても止まらない。
胸を槍で貫かれても、その槍を掴んで敵を引き寄せる。
防御も退避も考えない、狂戦士の戦い方だった。
『ギャハハハッ! そうだ、壊せ! もっと派手に踊れ!』
「ジョーカー、支配権を返せ!」
『嫌だね。主人様はそこで見物してな!』
黒騎士がゴブリンを追って脇道へ入りかける。
「そちらではない! ニーニャとアグニスを捜せ!」
命令を受けた黒騎士の足が僅かに止まった。
完全に無視できるわけではないらしい。
『へいへい。分かってるよ』
ジョーカーは不満そうに指を動かし、五体を都市の中央へ進ませた。
「随分と厄介なもんを目覚めさせたなあ」
後ろを走るイアンが、引きつった笑顔を浮かべる。
「悪魔を名乗るだけはあるわね」
クロエは魔銃を構えたまま、ジンを見ていた。
「止められるの?」
「止める」
ジンは短く答えた。
今はジョーカーの力が必要だった。
だが、このまま好きにさせるつもりはない。
そのとき、地下都市の奥から大地を震わせる足音が響いた。
「グオオオオオッ!」
建物の陰から、五メートルを超える巨体が現れる。
灰色の皮膚。
丸太のように太い腕。
傷だらけの身体には鎖が巻かれ、その先を何十体ものゴブリンが握っている。
「トロールか」
クロエの表情が険しくなった。
巨人族にも劣らない怪力と、驚異的な再生能力を備えた亜人。ゴブリンたちは魔導具によってトロールを隷属させていた。
「殺セ!」
ゴブリンコマンダーが命じる。
トロールが岩壁を削りながら腕を振るった。
一体の黒騎士が前方へ跳ぶ。
空中で身体を丸め、何度も前転しながら大剣を振りかぶった。
落下の勢いを乗せた刃が、トロールの腹へ深々と突き刺さる。
「グオオオッ!」
トロールは怯まず、黒騎士を拳で殴り飛ばした。
漆黒の身体が岩壁へ激突する。腹から大剣を引き抜いたトロールの傷口が泡立ち、瞬く間に塞がっていく。
『なるほど。少しばかり丈夫らしいな』
ジョーカーが愉快そうに笑う。
五体の黒騎士が、トロールを囲むように集まった。
「何をするつもりだ?」
『見てろよ、主人様』
ジョーカーが両手を打ち合わせる。
五体の身体が一斉に黒い霧へ崩れた。
渦を巻く魔力の中で装甲同士が重なり、軋みながら巨大化していく。五つの兜が一つとなり、五本の大剣も溶け合う。
やがて霧の中から立ち上がったのは、全高五メートルに達する巨大黒騎士だった。
その両手には、トロールの身長に匹敵する漆黒の大剣が握られている。
『ギャハハハハハッ! こうやって戦うんだよ!』
トロールが拳を振り上げる。
巨大黒騎士は正面から踏み込み、大剣を袈裟懸けに振り下ろした。
黒い斬撃が、洞窟の闇を引き裂く。
トロールの身体へ肩口から脇腹まで亀裂が走り、その巨体が斜めにずれた。
二つに分かれた肉体が地面へ落ちる。
傷口から再生しようと肉が伸びるが、切断面へまとわりついた黒い炎が、再生する端から細胞を喰らっていく。
「グ……オ……」
トロールは起き上がれないまま、黒い灰へ変わった。
『いいねぇ! 愉しくなってきたぜぇ!』
巨大黒騎士が大剣を担ぎ、地下都市の奥へ向かって歩き始めた。
◇
同じ頃。
地下王国の牢獄区画。
ニーニャとアグニスは、木製の壁へ磔にされていた。
両手首と足首を赤黒い拘束具で固定され、身体へ残った麻痺毒のため、力を込めることもできない。
周囲には、二人以外にも多くの女性が囚われていた。
行方不明になっていた村人。
討伐へ来た冒険者。
長く捕らわれているらしく、衰弱した者もいる。腹部を庇いながら壁際へ座り込む女性の姿を見て、アグニスは強く奥歯を噛んだ。
「最低ね……」
ゴブリンは雄しか生まれない。
そのため、数を増やすには異種族の女性を必要とする。なかでも魔力を持つ者は、シャーマンなどの上位種を生み出すために狙われていた。
牢獄の中央では、怪しい香炉から白い煙が立ち上っていた。
甘く、重い香り。
魔力の制御を乱し、意識を混濁させる香だ。
「頭が……くらくらするニャ……」
嗅覚の鋭いニーニャは、アグニス以上に影響を受けていた。
犬耳が力なく垂れ、大きな尻尾も床へ落ちている。
「ニーニャ、眠っては駄目よ!」
「眠く……ないニャ……」
そう答えながらも、緑色の瞳は焦点を失いかけていた。
杖を持ったゴブリンシャーマンが、二人の前へ立つ。
「人間ノ女ハ、ヨク育ツ」
濁った瞳が、アグニスからニーニャへ移る。
「魔力ヲ持ツ女ハ、強イ同胞ヲ産ム。オ前タチハ、王国ノ母ニナル」
「誰が……あなたたちなんかに……!」
アグニスは手の中へ炎を集めようとした。
だが、拘束具に刻まれた術式が赤く輝き、練り上げた魔力を霧散させる。
シャーマンが杖を掲げた。
二人の腹部付近へ、繁殖を強制する赤黒い術式が浮かび上がる。
「やめ……なさい……!」
アグニスが身を捩る。
ニーニャは俯いたまま動かなかった。
「ニーニャ?」
「…………」
甘い香りが、彼女の奥深くに眠っていた何かを刺激していた。
奪われる恐怖。
仲間を傷つけられた怒り。
身体へ異物を刻まれることへの拒絶。
それらが混ざり合い、人間の意識よりも深い場所へ沈んでいく。
「グルルルルル……」
低い唸り声が聞こえた。
アグニスが目を見開く。
「ニーニャ……?」
返事はない。
俯いたニーニャの髪が、根元から銀色へ染まっていく。
犬耳が鋭く立ち上がった。
巨大な尻尾の毛が逆立ち、一本一本の間を青白い雷が走る。
ゴブリンシャーマンが後ずさった。
「ナ、何ダ……?」
ニーニャが顔を上げる。
緑色だった瞳は、雷光を閉じ込めたような銀青色へ変わっていた。
「グルルルル……!」
青白い雷が爆発した。
手足を固定していた拘束具が砕け、木壁が内側から吹き飛ぶ。
床へ落下したニーニャは、両手と両足を地面につけた。
ゴブリンたちが武器を構える。
「捕マエロ!」
次の瞬間、雷鳴が轟いた。
ニーニャの姿が消える。
遅れて、一体のゴブリンが爪で斬り裂かれた。
銀色の残光が牢獄を駆け抜ける。
壁を走り、天井を蹴り、敵の頭上から飛びかかる。爪が閃くたびにゴブリンが倒れ、放たれた雷が周囲の敵をまとめて焼き払った。
「ギャアアアッ!」
シャーマンが結界を展開する。
ニーニャは獣のように身を沈め、地面を蹴った。
雷を纏った爪が結界を突き破る。
振り抜かれた一撃が杖を砕き、続く雷撃がシャーマンを黒焦げにした。
すべてが終わるまで、僅か数秒だった。
ゴブリンの気配が消えた牢獄で、ニーニャだけが立っている。
「ニーニャ……」
アグニスが呼び掛ける。
銀青色の瞳が、ゆっくりと彼女へ向けられた。
ニーニャは無言のまま近づくと、アグニスの拘束具へ爪を立てた。
赤黒い金具が砕ける。
解放されたアグニスが床へ降りた、その瞬間。
ニーニャの全身から雷が消えた。
銀色の髪が赤褐色へ戻り、小さな身体が前へ倒れる。
「ニーニャ!」
アグニスは、その身体を両腕で受け止めた。
ニーニャは眠るように目を閉じている。
「まったく……助けに来たつもりなの?」
返事はなかった。
それでも、微かな呼吸は感じられる。
アグニスはニーニャを抱き締め、安堵の息を吐いた。
直後。
牢獄区画全体を揺らす轟音が響いた。
奥にある鉄壁へ、巨大な亀裂が走る。
二度目の衝撃。
分厚い壁が内側へ吹き飛び、黒い霧が牢獄へ流れ込んだ。
その向こうから現れたのは、五体が融合した巨大黒騎士。
そして、その背後で笑う道化師の影だった。
『見つけたぜぇ』
赤紫色の眼光が、アグニスと意識を失ったニーニャを捉える。
『主人様のお気に入りが、二人とも揃ってらぁ』
巨大黒騎士が、二人へ向かって片手を伸ばす。
助けが来た。
そう思うべきなのに、アグニスはニーニャを抱いたまま動けなかった。
目の前にいるものが、本当に自分たちの知る黒騎士なのか。
確信を持てなかったからだ。
『さあ――迎えに来てやったぜ、お嬢様方』
ジョーカーの哄笑が、地下牢へ響き渡った。




