第34話 死村の包囲網
第34話 死村の包囲網
王都を出発してから、半日。
五人を乗せた馬車は、森に囲まれた小さな農村へ到着した。
「……誰もおらへんな」
馬車を降りたイアンが、細い目で周囲を見回す。
街道に面した家々の扉は開け放たれ、畑には収穫されていない作物が残されていた。道の中央には籠や農具が転がっている。
人影はない。
家畜の鳴き声すら聞こえなかった。
「本当に、ここで合っているの?」
アグニスが依頼書と村の入口に立つ看板を見比べる。
「村の名前は一致しているわ」
クロエが答えた。
依頼書には、森へ住み着いた四十体以上のゴブリンが家畜や作物を奪っていると記されていた。
だが、村人が避難したという情報はない。
「嫌な臭いがするニャ」
ニーニャの犬耳が落ち着きなく動いた。
「血と、ゴブリンの臭いだニャ。そこら中からするから、数までは分からないニャ」
ジンは右眼へ魔力を集中させた。
黄金色の光を帯びた神眼が、静まり返った村を見渡す。
崩れかけた建物の陰。
干し草を積んだ荷車の下。
民家の屋根。
道端の草むら。
地面の下に掘られた浅い穴。
隠された無数の魔力反応が、輪郭となって浮かび上がった。
「伏せろ」
ジンが告げると同時に、木の上から毒矢が放たれた。
クロエたちが身を沈める。
矢は五人の頭上を通過し、背後の馬車へ突き刺さった。鏃には粘ついた紫色の液体が塗られている。
「出てこい――黒騎士」
ジンの足元から黒い霧が噴き上がった。
一体。
二体。
三体。
そして、四体目。
現れた漆黒の騎士たちを見て、クロエが黄金色の瞳を僅かに見開く。
「四体……?」
「話は後だ」
ジンが片手を上げた。
「隠れている敵を始末しろ」
「御意」
四体の黒騎士が、別々の方向へ飛び出した。
一体が民家の壁へ大剣を突き刺す。壁の裏から短い悲鳴が上がり、潜んでいたゴブリンが崩れ落ちた。
別の黒騎士は大剣で地面を薙ぎ払う。土の下から飛び出した二体のゴブリンが、宙へ弾き飛ばされた。
屋根へ跳び上がった黒騎士が弓兵を斬り倒し、最後の一体は荷車ごと敵を両断する。
待ち伏せていたゴブリンが次々と倒されていく。
やがて、村に静寂が戻った。
しかし、それは一瞬だった。
「ギャハハハハ!」
森の奥から、不気味な笑い声が響いた。
「ゲヒャッ!」
「ギャハハ!」
一つだった声が、二つ、十、百へ増えていく。
四方を囲む森の中で、無数の赤い眼光が灯った。
「囲まれてもうたで」
イアンが頬を掻き、乾いた笑みを浮かべる。
「しかも、四十体どころやなさそうや」
「離れるな」
ジンは五人の中央へ戻り、四体の黒騎士を東西南北へ配置した。
その内側で、ニーニャとアグニスが武器を構える。イアンは二人の後方へ下がった。
クロエは近くの民家へ駆け寄り、壁を蹴って屋根へ飛び乗る。そのまま煙突の上へ立ち、両手に黒紫色の魔力を集めた。
形成されたのは、長い銃身を備えた狙撃型魔銃。
照準器を覗き込み、森の中へ視線を巡らせる。
木々の隙間を埋め尽くすゴブリン。
弓を持ったアーチャー。
獣へ跨がったライダー。
杖を掲げるシャーマン。
その後方にも、数え切れないほどの影が蠢いていた。
「多いわね」
「何体いる?」
「見える範囲だけで数百。森の奥には、まだいるわ」
アグニスの表情が険しくなる。
「罠だったということ?」
「討伐に来た冒険者ごと仕留めるつもりやったんやろなあ」
イアンの笑顔が引きつる。
ジンは迫り来る大軍を見ても、動揺しなかった。
「問題ない」
「これを見て、よくそんなことが言えるわね」
「俺は過去に、三千体のゾンビを黒騎士だけで倒したことがある」
疲労を感じず、恐怖も抱かない黒騎士は、長期戦になるほど強さを発揮する。
「極力、俺と黒騎士で殲滅する。お前たちは力を温存しながら、打ち漏らした敵を頼む」
「私たちは補助扱いかニャ?」
「包囲を突破するまでだ」
森からゴブリンの群れが飛び出した。
「行け」
ジンが命じる。
その瞬間、四体の黒騎士の様子が変わった。
兜の奥で、赤い眼光が獰猛に輝く。
漆黒の装甲が脈打ち、鮫肌を思わせる鋭い鱗状の突起が逆立った。黒い霧とともに漏れ出した凶悪な魔力が、周囲の草木を震わせる。
騎士というより、血に飢えた獣だった。
四体は地面を砕き、ゴブリンの群れへ突進した。
「ギャハハ!」
ゴブリンたちは黒騎士を新たな獲物だと思ったのか、歓声を上げて取り囲んだ。
毒矢。
毒を塗った短剣。
錆びた剣と棍棒。
無数の攻撃が黒騎士へ殺到する。
だが、黒騎士は止まらない。
毒は意味をなさず、短剣は装甲へ弾かれた。棍棒を受けても、身体が僅かに揺れるだけだった。
一体の黒騎士が大剣を横薙ぎに振るう。
包囲していたゴブリンたちがまとめて吹き飛ばされ、血の雨が村の道へ降り注いだ。
別の黒騎士は敵陣の中心へ飛び込み、荒々しく大剣を振り回す。砕かれた武器とゴブリンの身体が宙を舞った。
「ヒャア……。えらい凶暴な悪魔になってもうたなあ」
イアンが青ざめた顔で後ずさる。
「以前とは、まるで違うわね」
煙突の上に立つクロエは、黒騎士ではなくジンを見ていた。
ジンの身体から、黒い魔力が煙のように漏れている。
狙撃銃の照準が、ゆっくりとジンの背中へ重なった。
「やっぱり、変わらないのね」
クロエが引き金を絞る。
黒紫色の魔弾がジンの肩越しを通過し、その背後へ迫っていたゴブリンアサシンの額を撃ち抜いた。
死体が、ジンの足元へ転がる。
「助かった」
「戦場で考え事をしないことね」
黒騎士の圧倒的な力に押されていたゴブリンたちだったが、いつまでも無策ではなかった。
森の奥から低い角笛が鳴る。
通常のゴブリンが一斉に道を開け、二メートルを超える巨体が姿を現した。
重装備のホブゴブリン。
分厚い鎧を身につけ、巨大な魔剣を構えている。刀身には赤黒い術式が刻まれ、持ち主の肉体を強化する魔力が流れていた。
三体のホブゴブリンが、一体の黒騎士を取り囲む。
黒騎士の大剣と、三本の魔剣が激突した。
凄まじい衝撃が村を震わせる。
黒騎士は押し切ろうとするが、魔剣の重量化が発動し、三体のホブゴブリンが踏み留まった。
別の場所でも、重装ホブゴブリン部隊が黒騎士の進撃を止める。
「力任せだけではないわね」
アグニスが長剣を抜いた。
黒騎士が足止めされた隙を狙い、通常のゴブリンたちが一斉に内側へ雪崩れ込んでくる。
「焼き払うわ!」
アグニスが長剣を振り抜いた。
灼熱の爆炎が地面を走り、最前列のゴブリンを呑み込む。十数体が炎に包まれ、後続が足を止めた。
「今度は私の番だニャ!」
ニーニャが風を纏う。
一瞬で姿を消し、ゴブリンの群れの中を駆け抜けた。
両手のナイフが閃くたびに敵が倒れる。矢をかわし、棍棒を潜り抜け、大きな尻尾で姿勢を制御しながら次々と敵を切り裂いていく。
屋根の上からは、クロエの魔弾が降り注いだ。
アーチャー。
ライダー。
指示を出すコマンダー。
重要な敵から正確に撃ち抜いていく。
それでも、敵の数が減ったようには見えなかった。
森から新たなゴブリンが際限なく現れる。
倒れた仲間の死体を踏み越え、笑いながら迫ってくる。
やがてゴブリンたちは、五人の戦い方へ対応し始めた。
アグニスが炎を放つ直前に散開し、ニーニャの進行方向へ毒矢を集中させる。クロエがいる屋根にも、絶え間なく矢が降り注ぐ。
「しつこいわね……!」
クロエは煙突の陰へ身を隠しながら、残りの魔力を確かめた。
撃ち続ければ、いずれ底を突く。
「ギャッ!」
ニーニャの足元で、倒れていたゴブリンが突然起き上がった。
死体の下へ隠れていたアサシンが、毒を塗った短剣を振るう。
「っ――!」
回避が僅かに遅れた。
短剣がニーニャの太腿を浅く切り裂く。
「このくらい……!」
一歩踏み出した瞬間、右脚から力が抜けた。
「ニャ……?」
傷口から広がった麻痺毒が、瞬く間に身体の自由を奪っていく。
ニーニャが石畳へ膝をついた。
「ニーニャ!」
アグニスが爆炎で前方の敵を吹き飛ばし、彼女のもとへ駆け寄る。
その背後。
屋根の上に潜んでいたアーチャーが、静かに弓を引き絞った。
「アグニス、後ろ!」
クロエが叫ぶ。
だが、遅かった。
放たれた矢が、アグニスの肩へ突き刺さる。
「こんな、もの……」
長剣を構え直そうとした腕が震えた。
同じ麻痺毒だった。
アグニスの長剣が石畳へ落ちる。
待ち構えていたゴブリンたちが二人へ殺到した。ニーニャとアグニスの腕へ縄を掛け、魔力を封じる赤黒い拘束具を装着する。
「離すニャ……!」
ニーニャが牙を剥くが、指一本まともに動かせない。
「触るんじゃ……ないわよ……!」
アグニスも炎を生み出そうとする。しかし、手首の拘束具が光ると、集まった魔力は霧散した。
「ニーニャ! アグニス!」
ジンが二人のもとへ踏み出す。
その行く手へ、三つの影が降り立った。
血のように赤い帽子。
大きく膨らんだ異様なズボン。
手には、身長を超える巨大な大鎌。
ゴブリンの精鋭、レッドキャップだった。
三体の口元へ、邪悪な笑みが浮かぶ。
一体だけでもBランク下位に相当する魔物が、互いの死角を埋めるように広がった。
左右から、二本の大鎌が振るわれる。
神眼が軌道を捉える。
ジンは身を沈めて一撃目をかわし、刀で二撃目を受け流した。
正面の三体目が、間髪入れず大鎌を振り下ろす。
「くっ……!」
ジンは横へ跳んだ。
石畳が砕け、巨大な刃が深々と食い込む。
すぐに突破しなければならない。
だが、三体は焦らず、連携しながらジンの前を塞ぎ続ける。
黒騎士たちも、重装ホブゴブリンの部隊に足止めされていた。
屋根の上ではクロエが矢をかわしながら狙撃を続けているが、その呼吸は荒い。
イアンの周囲にも、ゴブリンの群れが迫っていた。
数体のゴブリンが縄を引く。
ニーニャとアグニスの身体が、森へ向かって引きずられ始めた。
「ジン……!」
ニーニャが苦しげに顔を上げる。
ジンは三体のレッドキャップと斬り結びながら、遠ざかっていく二人を見つめた。
胸の奥で、飢えた獣が目を覚ます。
『喰らえ』
黒い魔力が、ジンの身体から噴き上がった。




