第32話 たこ焼きパーティー
第32話 たこ焼きパーティー
グランドシャークを討伐してから、しばらく後。
沈没を免れた漁船は、軋む船体をどうにか進ませながら、巨大な死骸へ何本もの縄を掛け、ゆっくりと港へ向かっていた。
先ほどまで荒れ狂っていた海も、今は嘘のように穏やかになっている。
「…………」
甲板の隅では、ずぶ濡れになったニーニャが奇妙な顔で腰を押さえていた。
犬耳が落ち着かない様子で動き、巨大な尻尾も左右へ揺れている。
「どうした?」
ジンが尋ねると、ニーニャは青ざめた顔を上げた。
「パンツの中に違和感があるニャ!」
「なぜ俺に報告する」
「何かいる気がするニャ!」
「そんなわけ――」
クロエが言い終えるより早く、ニーニャの腰回りから、紫色の細い触腕が一本、にゅるりと姿を現した。
「ニャ……?」
ニーニャが恐る恐る視線を落とす。
赤黒いビキニアーマーの隙間で、小型のタコ型魔物が蠢いていた。
海へ落ちた際、どさくさに紛れて潜り込んだらしい。
「ニャアアアアッ!?」
ニーニャの全身の毛が逆立った。
「いつから入ってたニャ! 早く出ていくニャ!」
「落ち着きなさい。無理に引っ張ったら――」
「無理だニャアアッ!」
クロエの制止も聞かず、ニーニャの全身から青白い雷が噴き上がった。
激しい放電が甲板を照らす。
「ニャハアアアッ!?」
タコだけでなく、放電した本人まで感電した。
ニーニャは髪と尻尾を大きく膨らませ、口から細い煙を吐きながら、その場で硬直する。
やがて黒く焦げたタコが、ぽとりと甲板へ落ちた。
「何をしているんだ、お前は」
「仕方なかったニャ……」
涙目になったニーニャは、動かなくなったタコを摘まみ上げる。
「そいつはマリンオクトパスだ。見た目は悪いが、火を通せば食えるぞ」
船員の言葉を聞いた途端、涙目だったニーニャの表情が変わった。
「決めたニャ。今夜はたこ焼きパーティーだニャ!」
「それを食べるつもりなの?」
アグニスが露骨に顔を引きつらせた。
「魔物にやられっぱなしでは終われないニャ!」
「もう十分にやり返したと思うけれど……」
クロエの呟きを乗せ、漁船は港へ入っていった。
グランドシャークの死骸が姿を現した瞬間、港中から人々が集まってきた。
巨大な頭部。
幾重にも並んだ牙。
硬い鮫肌を焼き裂き、頭蓋骨まで貫通した大剣の痕。
その姿を目の当たりにした漁師たちから、大きなどよめきが上がる。
「本当に倒したのか……」
「これで、また漁に出られる!」
グランドシャークが出没するようになってから、何隻もの船が襲われていた。命を落とした漁師もおり、残された者たちは海へ出ることさえできずにいたのだ。
一人の年老いた漁師が、五人の前へ進み出る。
「ありがとう。あんたたちのおかげで、俺たちはまた海で生きていける」
深々と頭を下げた彼に続き、周囲の人々も感謝の言葉を口にする。
ニーニャは得意げに胸を張り、イアンは人当たりのよい笑顔で応えていた。
クロエは静かに頭を下げる。
アグニスだけは、どう反応すればよいのか分からない様子だった。
「お前が炎で大剣を強化してくれなければ、倒せなかった」
ジンが声を掛ける。
「礼を言う」
「わ、私は自分の役割を果たしただけよ」
アグニスは赤くなった顔を隠すように、濡れた髪を掻き上げた。
「それに、五人で受けた依頼でしょう。私だけに礼を言わないで」
その日の夕方。
五人は冒険者ギルドへ戻り、グランドシャークの討伐完了を報告した。
鮫肌や牙、ヒレ、肉には高値がついた。
討伐報酬と素材の売却金を合わせれば、五人で分けても十分な金額になる。
「これで新しい制服が買えるニャ!」
「結局、買うのね」
「予備として持っておくニャ!」
金貨を抱えて喜ぶニーニャの横で、ジンは卓上に置かれた巨大な魔石を見つめていた。
グランドシャークの体内から取り出された、青黒い魔石。
ストームワイバーンのものにも劣らないほど、濃密な魔力を秘めている。
「魔石も売却して、五等分するのか?」
ジンの問いに、クロエは首を横へ振った。
「これは、あなたが受け取るべきよ」
「五人で倒した魔物だ」
「海へ飛び込んでニーニャを助け、グランドシャークを海上まで誘き出したのはあなたでしょう?」
「私も賛成だニャ!」
ニーニャが勢いよく手を上げる。
「ジンがいなかったら、私は今頃サメのお腹の中だニャ!」
「ワイも異論はないで。魔石より金貨の方が商売には使いやすいからな」
残るアグニスへ視線が集まる。
「何よ?」
「お前はどうする?」
「好きにすればいいでしょう」
アグニスは気まずそうに顔を逸らした。
「私たちは素材の売却金を受け取っているもの。その魔石は、新人戦へ向けた必要経費としてあなたへ預けるわ」
「分かった。ありがたく受け取る」
「だから、私に礼を言わないで!」
ジンが魔石を収納指輪へ収めると、ニーニャが勢いよく立ち上がった。
「それじゃあ、初任務達成のお祝いをするニャ!」
「どこで?」
「ジンの屋敷だニャ!」
「なぜ勝手に決める」
「広いし、クロエも料理ができるニャ!」
「私が作ることまで決まっているの?」
「今夜はたこ焼きパーティーだニャ!」
イアンは迷うことなく参加を表明した。
アグニスは一度断ろうとしたが、ニーニャに「仲間なのに来ないのかニャ?」と尋ねられ、言葉に詰まった。
「行かないとは言っていないでしょう!」
勢いよく答えた後、自分から参加したがっているように聞こえたことへ気づき、頬を赤く染める。
クロード家へ到着すると、イアンとアグニスは門の前で立ち止まった。
「ジンはん、随分と立派な屋敷に住んどるんやなあ」
「両親が残したものだ」
「一人で住んでいるの?」
「今はクロエとニーニャもいる」
当然のように答えたジンへ、アグニスが勢いよく振り返った。
「三人で暮らしているの!?」
「ああ」
「年頃の男女が同じ屋根の下で生活するなんて、不健全よ!」
「寝室は別よ」
クロエが冷静に訂正する。
「そういう問題ではないわ!」
「なら、アグニスも泊まれば公平だニャ」
「誰が泊まるものですか!」
赤面するアグニスの横で、イアンが羨ましそうにため息を吐いた。
「美少女二人と同居しながら、さらに侯爵令嬢まで泊まりに来るんか。ジンはん、前世でどれだけ徳を積んだんや?」
「意味が分からない」
やがて、居間の卓上へ焼きたてのたこ焼きが並べられた。
クロエは手際よく生地を丸め、アグニスは負けじと鉄串を操る。ジンも無表情のまま、形の崩れた生地をひっくり返していた。
「ところで、これ……」
たこ焼きを口へ運びかけたイアンが、動きを止める。
「さっきまでニーニャはんのパンツの中におったタコやんな?」
全員の手が止まった。
「しっかり洗ったから大丈夫だニャ!」
「味の問題やなくて、気持ちの問題やと思うんやけど……」
アグニスが無言で皿を遠ざける。
クロエも僅かに眉を寄せた。
そんな中、ジンだけが構わず一つ口へ入れる。
「普通に美味いぞ」
「さすがジンだニャ!」
「ジンはん、魔物より精神が強いんと違うか?」
笑い声が、久しく静まり返っていたクロード家の居間へ広がった。
その日の深夜。
皆が寝静まった後、ジンは一人で裏庭に立っていた。
手にしているのは、グランドシャークの魔石。
「換装」
三体の黒騎士が黒い霧へ変わり、ジンの身体を覆う。
兜の口元が霧へ変わった。
ジンは青黒い魔石を口へ運び、一気に噛み砕く。
次の瞬間。
「ぐっ……!」
凄まじい魔力が体内へ流れ込んだ。
暗い海。
血の臭い。
牙で肉を引き裂く感触。
傷つけられるほど激しく燃え上がる、原始的な闘争本能。
『喰らえ』
自分のものではない思念が、頭蓋の内側へ響く。
『もっと喰らえ』
漆黒の鎧が激しく脈打った。
肩の装甲が大きく張り出し、背鰭を思わせる鋭い突起が生まれる。腕と脚を覆う黒鋼は牙のように重なり、兜の口元も獣の顎を思わせる凶暴な形へ変形した。
指先から、長く鋭い爪が伸びる。
力が満ちていく。
それでも、足りない。
収納袋に残された魔石が、ひどく美味そうに思えた。
『喰らえ』
『すべて喰らえ』
右手が、勝手に収納袋へ伸びかける。
ジンはその手首を左手で掴み、力任せに押さえ込んだ。
「黙れ」
黄金色の右眼が闇の中で輝く。
「何を喰らい、何のために力を使うのか。それを決めるのは俺だ」
足元の影が大きく膨らんだ。
一体目。
二体目。
三体目。
続いて、さらに深い闇の中から、四体目の黒騎士が立ち上がる。
それだけではない。
魔力の器そのものが広がっている。
四体を同時に召喚しているにもかかわらず、一体ごとの力は以前よりも強い。
四体目の黒騎士が、ジンの前へ片膝をついた。
「御意」
その声に重なるように、残る三体も頭を垂れる。
グランドシャークの闘争本能は、黒騎士たちにも共有されていた。
兜の奥に灯る赤い眼光は、以前よりも獰猛に輝いている。
「四体目か」
確かに、強くなった。
だが、胸の奥に残る飢えは消えていない。
『もっと喰らえ』
闇の中から響く思念を押さえ込み、ジンは四体の黒騎士を見渡した。
力を得るほど、鎧は強くなる。
同時に、喰らった魔物の本能も濃くなっていく。
それでも、止まるつもりはなかった。
一か月後の新人戦。
その先に待つオルクス帝国。
すべてを乗り越えるためには、まだ力が足りない。
「次へ進むぞ」
「御意」
四つの声が、夜の屋敷へ静かに重なった。




