第28話 雷鳴の獣姫
第28話 雷鳴の獣姫
シルフとクロエの模擬戦が終わると、シルベスターは気怠そうに名簿を開いた。
「次。ニーニャ、アルベルト・ヴァレンシュタイン」
「ようやく私の出番だニャ!」
観客席から立ち上がったニーニャが、大きな尻尾を揺らしながら訓練場へ降りていく。
向かい側へ現れたアルベルトには、普段の余裕がなかった。
先日の実力測定で、取り巻きを盾にしてオークから逃れた。その姿を目撃した生徒たちの間には、いまだ冷ややかな空気が残っている。
この模擬戦は、失った名誉を取り戻す機会でもあった。
「獣人の娘を倒した程度では自慢にもならないが、せいぜい利用させてもらおう」
「誰が獣人の娘だニャ。私にはニーニャという立派な名前があるニャ!」
「同じことだろう」
「全然違うニャ!」
ニーニャの指先から青白い火花が弾けた。
「始まる前から感電するなよ」
観客席のジンが声を掛ける。
「分かってるニャ! 余計な心配をするなニャ!」
「昨日も同じことを言っていたわね」
「クロエまでうるさいニャ!」
シルベスターが二人の間に立ち、煙草の灰を携帯灰皿へ落とした。
「勝敗は戦闘不能、降参、または俺の判断で決める。相手を殺したら退学。設備を壊した場合は自腹だ」
「承知しています」
「分かったニャ」
シルベスターが片手を上げる。
「始めろ」
腕が振り下ろされた瞬間、ニーニャの姿が掻き消えた。
緑色の風が石床を駆け抜ける。
「そこだ!」
アルベルトが振り向きながら右手を掲げた。
赤黒い魔力が収束し、長い柄と鋭利な穂先を持つ槍へ変わる。そのまま横薙ぎに振るわれた槍を、ニーニャは身体を沈めて潜り抜けた。
床すれすれまで姿勢を低くし、勢いを殺さずアルベルトの懐へ飛び込む。
脇腹を狙った蹴り。
アルベルトは槍の柄を立て、正面から受け止めた。
乾いた衝撃音が響く。
「ニャッ!?」
ニーニャは反動を利用して宙返りし、巨大な尻尾を振って空中で姿勢を変えた。アルベルトの頭上を飛び越え、着地と同時に背後から拳を繰り出す。
だが、その拳も槍の石突きに弾かれた。
アルベルトは振り向かないまま柄を後方へ突き出す。
「ぐっ……!」
石突きがニーニャの腹部を掠めた。
ニーニャは後方へ跳び、両足で石床を滑る。
「性格は最悪だけど、槍はそれなりに使えるみたいだニャ」
「それなり、だと?」
アルベルトの顔に怒りが浮かんだ。
しかし、その構えは崩れない。
侯爵家の嫡男として、幼い頃から騎士に槍術を教え込まれてきたのだろう。接近戦ではニーニャの速度に押されながらも、長い柄を巧みに操り、穂先と石突きを使い分けている。
「獣じみた速さだけで、私を倒せると思うな!」
鋭い連続突きが放たれた。
ニーニャは首を傾けて最初の突きをかわし、二撃目には上半身を逸らす。続く三撃目を横へ跳んで避けたが、穂先が頬を掠めた。
浅い傷から、赤い血が滲む。
「ニャ……!」
ニーニャのエメラルドグリーンの瞳が鋭く細められた。
犬耳がアルベルトの足音を拾う。
鼻が汗の臭いを嗅ぎ取り、視線だけでは分からない呼吸の乱れを察知する。
槍が振るわれる直前に重心の変化を捉え、大きな尻尾で姿勢を支えながら急旋回した。
穂先の脇を擦り抜け、一気に懐へ潜り込む。
「もらったニャ!」
肩から叩き込んだ体当たりに、アルベルトの身体が後方へ押し戻される。
ニーニャが追撃しようと踏み出した、その足元へ赤黒い魔法陣が浮かび上がった。
本能的な悪寒に従い、横へ跳ぶ。
直後、石床から一本の槍が突き出した。
「危ないニャ!」
「ようやく気づいたか」
アルベルトが手持ちの槍を石床へ突き立てる。
赤黒い光が地面を走り、次々と新たな魔法陣を描いた。
正面から一本。
着地点へ二本。
回避した先を塞ぐように、さらに三本。
ニーニャは風を纏って駆け抜けるが、突き出す槍は正確に進路を塞いでいく。
アルベルトは無理に追わなかった。
手持ちの槍で正面から牽制し、遠隔生成した槍で逃げ道を奪う。ニーニャの速度へ対応するのではなく、その速度を発揮できる場所そのものを狭めているのだ。
「さっきまでの勢いはどうした?」
「まだ始まったばかりだニャ!」
ニーニャが風を爆発させ、一気に距離を詰めようとする。
その背後で、石床へ残されていた槍が斜めに突き出した。
「くっ……!」
制服のジャケットが裂け、脇腹へ浅い傷が刻まれる。
さらに正面から槍が迫る。
巨大な尻尾を振って強引に身体を捻ったが、今度はプリーツスカートの裾が切り裂かれた。
気づけば、訓練場には無数の槍が突き立っていた。
一見すると無造作だが、すべてがニーニャを包囲するように配置されている。
「追い詰められているわね」
クロエが黄金色の瞳を細めた。
「アルベルトも、実力でA組へ入ったということか」
ジンは冷静に戦況を見つめていた。
「接近戦で倒せないと判断し、戦い方を変えた。オークを相手にしたときよりは、自分の頭で考えている」
アルベルトが槍を振り上げる。
「これで終わりだ!」
訓練場を埋め尽くす槍へ、一斉に赤黒い光が走った。
次の瞬間、槍は根元を支点に向きを変え、獲物へ襲いかかる牙のようにニーニャへ傾いた。
四方八方から、無数の穂先が迫る。
ニーニャは風を全身へ纏い、僅かに残された隙間へ身体を滑り込ませた。肩と太腿を浅く切り裂かれながらも、辛うじて包囲を抜ける。
着地したニーニャの犬耳が、不意に動いた。
「…………」
足元へ突き刺さった一本の槍。
少し離れた場所にある別の槍。
そして、アルベルトが握っている槍。
そのすべてから、同じ低い音が聞こえていた。
槍が出現するたび、手持ちの槍も僅かに震えている。
別々に作られた武器ではない。
遠隔生成された槍は、アルベルトが握る槍を中枢として、一本の魔力回路でつながっている。
「何を笑っている?」
アルベルトが眉を寄せた。
ニーニャは牙を覗かせるように笑っていた。
「こんなにたくさんの槍を、どうやって操っているのかと思ったニャ」
「今さら気づいても遅い!」
「遅くないニャ」
ニーニャは足元へ突き刺さった槍を、両手で掴んだ。
「自分から槍を掴むとは、諦めたか!」
「逆だニャ」
青白い火花が、ニーニャの指先から弾ける。
「ようやくアンタを捕まえたニャ!」
次の瞬間。
ニーニャの全身から、凄まじい雷が噴き上がった。
バチバチバチィッ!
「ニャハアアアッ!?」
放電した本人が真っ先に悲鳴を上げる。
雷の一部は槍から石床へ逃げていく。
だが、すべての電流が地面へ逃げたわけではない。残った雷は、槍同士をつないでいる赤黒い魔力回路へ流れ込み、アルベルトへ向かって逆流した。
一本。
二本。
十本。
訓練場へ展開されたすべての槍が、青白く発光する。
「何だと……!?」
雷が中枢である手持ちの槍へ到達した。
アルベルトは慌てて手を離そうとする。
しかし、自らの魔力で生成した槍は、槍の悪魔を介して彼自身と直結している。逆流した雷が両腕から体内へ流れ込んだ。
「ぐああああっ!」
アルベルトの身体が硬直する。
制御を失った槍が、根元から赤黒い粒子へ崩れ始めた。
ニーニャも無傷ではない。
赤褐色の髪と巨大な尻尾が大きく膨らみ、全身から細い煙が上がっている。両腕も両脚も激しく痺れていた。
それでも、槍から手を離すと、動かない脚へ風を纏わせた。
「これで……終わりだニャ!」
緑色の風が爆発する。
ニーニャは一直線に飛び出し、アルベルトの眼前で身体を回転させた。
遠心力を乗せた巨大な尻尾が、その脇腹へ叩き込まれる。
「がっ……!」
アルベルトの身体が石床を転がった。
手持ちの槍も完全に消滅し、仰向けに倒れたまま動かなくなる。
「そこまで!」
シルベスターの声が響いた。
「勝者、ニーニャ」
「当然だニャ……!」
ニーニャが得意げに胸を張った、そのときだった。
ぱちっ。
「ニャ?」
遅れて弾けた火花が、焦げていた制服の縫い目へ触れた。
放電の熱に耐え切れず、ジャケットと白いシャツが裂ける。プリーツスカートの留め具も弾け、焼け焦げた布が、ぱらぱらと石床へ落ちていった。
その下から現れたのは、赤黒い魔物革で作られたビキニアーマーだった。
冒険者として活動するとき、ニーニャが普段から身につけている装備である。制服だけで実技へ参加することに不安を覚え、念のため下へ着込んでいたのだ。
一瞬の静寂。
直後、観客席の男子生徒たちから大歓声が上がった。
「うおおおおっ!」
「すげえぞ、ニーニャ!」
「最高だ!」
「ニャハハハ! もっと褒めてもいいニャ!」
男子生徒たちの視線がどこへ集まっているのか気づかないまま、ニーニャは腰へ両手を当て、堂々と胸を張った。
巨大な尻尾も、誇らしげに左右へ揺れている。
「随分と人気者になったわね」
クロエが呆れたように呟いた。
「勝ったんだから当然だニャ!」
「……本人が気にしていないなら、放っておきましょう」
「何の話だニャ?」
「知らなくていい」
ジンもそれ以上は説明しなかった。
シルベスターは倒れたアルベルトと、ビキニアーマー姿で勝ち誇るニーニャを交互に眺め、煙とともに深いため息を吐く。
「アルベルト。接近戦で勝てないと判断し、遠隔攻撃へ切り替えた点は悪くない。槍術も相手の追い込み方も及第点だ」
治癒術師に起こされたアルベルトが、悔しそうに唇を噛む。
「だが、自分の魔力回路の弱点を理解せず、接続する槍を増やしすぎた。強みを伸ばしたつもりで、敵がお前まで辿り着く道まで広げたんだ」
続いて、シルベスターの視線がニーニャへ向けられる。
「相手の能力を見抜き、逆手に取った判断は合格だ」
「当然だニャ!」
「自分まで感電する点を除けばな」
「最後まで立っていたから問題ないニャ!」
「そうか。なら、壊れた制服も問題ないな」
「ニャ?」
シルベスターは、石床へ散らばった黒い布切れを指差した。
「言っておくが、決闘や模擬戦で破損した制服代は自腹だからな」
得意げに揺れていた尻尾が止まる。
「…………」
ニーニャは自分の姿を見下ろした。
続いて、原形を留めていないジャケットとシャツ、焼け焦げたプリーツスカートへ視線を移す。
「ニャッ!?」
「お前の制服は尻尾を通す部分が特注だ。普通の制服より高いぞ」
「い、いくらするんだニャ……?」
「購買部で聞け」
ニーニャの犬耳が力なく伏せられた。
「せっかく依頼で稼いだ金が、制服代に消えるニャ……」
先ほどまでの威勢は消え失せ、肩を落として焦げた布切れを拾い始める。
「破れた布を集めても、元には戻らないわよ」
「縫えば、まだ使えるかもしれないニャ!」
「ほとんど炭になっているぞ」
「諦めたら、そこで終わりだニャ!」
勝者とは思えないニーニャの悲痛な叫びに、訓練場は再び笑いに包まれた。




