第27話 氷結の王女
第27話 氷結の王女
「始めろ」
シルベスターの腕が振り下ろされた瞬間、クロエの両手に黒紫色の魔力が収束した。
形成されたのは、二丁の自動拳銃型魔銃。
クロエは迷わず引き金を絞る。
乾いた銃声が連続して響き、黒紫色の魔弾がシルフへ殺到した。
「――凍てつきなさい」
対するシルフが、細身のレイピアを横へ振るう。
刀身から放たれた白い冷気が空気中の水分を凍結させ、半透明の氷壁を作り出した。
魔弾が氷壁へ突き刺さる。
激しい衝撃によって表面へ亀裂が広がったが、貫通するまでには至らない。
クロエは射撃を止めず、後方へ下がりながら左右へ移動する。
狙うのはシルフ本人だけではない。
石床へ撃ち込まれた魔弾が角度を変え、氷壁の側面からシルフへ迫る。
「跳弾……!」
シルフは身を翻し、頬を掠めた魔弾をかわした。
続けて飛来した二発目をレイピアで弾き、氷壁の陰から飛び出す。
「はあっ!」
一瞬で距離を詰め、鋭い突きを放った。
クロエは上半身を逸らして穂先をかわし、右手の魔銃をシルフの顔へ向ける。
引き金を引く寸前、レイピアの刀身から冷気が噴き出した。
「っ……!」
クロエは射撃を諦め、大きく後方へ跳ぶ。
直後、二人の間を無数の氷柱が突き抜けた。
「随分と逃げ足が速いのね」
「射手が剣士と距離を取るのは当然でしょう?」
「ですが、いつまで逃げられますか?」
シルフが床を蹴る。
レイピアを振るうたびに冷気が放たれ、石床が白く凍結していく。
クロエは二丁の魔銃で応戦するが、シルフは氷壁を盾にしながら駆けていた。
魔弾が迫れば氷壁で受け止める。
防げない弾丸は、最小限の動きでかわす。
クロエが距離を取るよりも、シルフが接近する方が僅かに速い。
「王女殿下がここまで戦えるとは思わなかったわ」
「王族だからといって、城で守られているだけだと思いましたか?」
「むしろ逆よ。王族だからこそ、自分で身を守る必要があるのでしょうね」
クロエの言葉に、シルフの瞳が僅かに揺れた。
クロエは、その理由を知っている。
この世界が、前世で読んだ小説と同じ未来へ進むなら。
エスパーダ王国は、オルクス帝国との戦争で劣勢に追い込まれる。
停戦の条件として差し出されるのが、第三王女シルフ・エスパーダだった。
オルクス皇帝の第八百九十五夫人。
それが、彼女に与えられる立場だ。
小説では、帝国へ嫁いだ後のシルフについて詳しく語られなかった。
しかし、オルクス帝国が間もなく停戦協定を破り、再び王国へ侵攻したことを考えれば、彼女がまともな扱いを受けなかったことは想像に難くない。
シルフ自身も、王家が必要とあれば娘を政略の道具として差し出すことを理解している。
だからこそ、自分だけの騎士団を作ろうとしていた。
王家ではなく、シルフ個人へ忠誠を誓う騎士たち。
運命に抗うための力を手に入れることが、彼女が騎士学園へ入学した目的だった。
「余所見をしている余裕があるの?」
シルフの突きが、クロエの肩を狙う。
クロエは身体を捻ってかわし、二丁の魔銃を消した。
代わりに両手へ集まった黒紫色の魔力が、一丁の大型魔銃へ変わる。
太い銃身を備えた散弾銃型魔銃。
シルフが間合いへ踏み込んだ瞬間、銃口がその胸元へ向けられた。
「これなら、避けられないでしょう?」
轟音が響く。
無数の黒紫色の散弾が、至近距離から一斉に放たれた。
「――《氷盾》!」
シルフが咄嗟にレイピアを床へ突き立てる。
眼前に分厚い氷壁がせり上がり、散弾を受け止めた。
凄まじい衝撃に氷壁が内側へ砕け、シルフの身体が後方へ押し戻される。
無数の氷片が、訓練場へ飛び散った。
「防いだのかニャ!?」
観戦していたニーニャが声を上げる。
「だが、無傷ではない」
ジンの黄金色の右眼には、氷壁を抜けた僅かな魔力が見えていた。
シルフの制服は肩口が裂け、頬には浅い傷が刻まれている。
それでも彼女は倒れなかった。
「さすがですね」
白い息を吐きながら、シルフが微笑む。
砕けた氷壁が二人の姿を囲み、周囲からの視線を遮っていた。
「第一王子の婚約者であるあなたが、まさか黒騎士学園にいるとは思いませんでした」
クロエの黄金色の瞳が細められる。
「何のことかしら?」
「お兄様が、随分とあなたのことを心配していましたよ。クロエ・ハートフィリア」
「戦いの最中に他人の秘密を口にするなんて、趣味が悪いわね」
「安心してください。この氷壁の外へ声は届きません」
シルフは腹違いの兄について話しているにもかかわらず、その声音に親愛の情はなかった。
側室の子として生まれた彼女は、第一王子と決して仲がよいわけではない。
王家の血は、時に他人よりも残酷な争いを生む。
その未来を、クロエは誰よりもよく知っていた。
「あなたが何から逃げているのかは聞きません」
シルフはレイピアを構え直す。
「ですが、その力を遊ばせておくのは惜しい。クロエ・ハートフィリア、私の騎士団へ入りませんか?」
「まだ存在してもいない騎士団に?」
「だからこそ、最初の一人には信頼できる者を選びたいのです」
「悪いけれど、断るわ」
「即答するのですね」
クロエは答えず、砕けた氷壁の向こうへ視線を向けた。
そこには、戦いを見守るジンがいる。
ほんの一瞬だけ向けられた視線を、シルフは見逃さなかった。
「……そういうことですか」
「何を納得しているの?」
「もう、仕える相手を選んでいるのかと思いまして」
「勘違いしないで。私は誰かに仕えるつもりなんてないわ」
「本人は、まだ気づいていないようですね」
シルフはジンへ目を向けた。
その姿に、かつて見た二人の騎士が重なる。
身分や出自に関係なく部下を守り、多くの騎士から慕われていた黒騎士団長。
負傷者を救うためなら、自ら危険な戦場へ踏み込んだ聖騎士団副団長。
その二人が部下を見捨て、敵前から逃亡した。
シルフは、王国が発表した記録を信じていなかった。
そもそも、本当に逃げ出したのなら、なぜ二人の遺体は戦場の最前線で発見されたのか。
同じ疑問を抱いた貴族や騎士は多かった。
しかし、死人は何も語れない。
当時の上官だった高位貴族たちが圧力をかけ、敗戦の責任をすべてクロード家へ背負わせた。
そして王家も、その結論を受け入れた。
黙認した以上、王家もまた共犯だった。
「あの2人の息子も、人を引き寄せるのですね」
シルフの瞳に、僅かな羨望が宿る。
「やはり、血は争えません」
「あなたは、ジンの両親を知っているの?」
「ええ」
「だったら――」
「無理強いはできませんね」
シルフは寂しそうに呟くと、レイピアの切っ先をクロエへ向けた。
「ですが、戦いはまだ終わっていません」
それまでとは異なる鋭い眼差し。
クロエは散弾銃型魔銃を構え直そうとした。
その足元で、白い光が弾ける。
「なっ……!」
訓練場へ散らばっていた無数の氷片から、同時に冷気が放たれた。
クロエの周囲を白い霜が走り抜ける。
散弾によって氷壁を砕かれたのではない。
シルフは、あえてクロエに砕かせたのだ。
訓練場へ散った氷片の一つ一つが、冷気を広げるための起点となっている。
クロエが気づいたときには、両足が石床ごと凍りついていた。
「最初から、これが狙いだったのね」
「射手を倒すには、足を止めるのが一番ですから」
シルフが踏み込む。
クロエは氷へ銃口を向けるが、引き金を引くより速く、シルフが眼前へ到達した。
冷たいレイピアの切っ先が、クロエの首筋へ触れる。
「まだ続けますか?」
クロエは足元の氷と、首へ突きつけられた刃を交互に見た。
散弾銃型魔銃を消し、ため息を吐きながら両手を上げる。
「……参ったわ」
周囲の氷壁が崩れ落ちる。
「そこまで!」
シルベスターの声が訓練場へ響いた。
「勝者、シルフ・エスパーダ」
生徒たちから歓声が上がる。
シルフはレイピアを下ろし、クロエの足を拘束していた氷を消した。
「気が変わったら、いつでも声をかけてください」
「期待しないで待っていなさい」
クロエは負けたにもかかわらず、不敵に笑ってみせた。
だが、その意識はすでに勝敗から離れている。
シルフは、ジンの両親を知っている。
そして王国が発表した記録を、信じていない。
クロエは観客席に立つジンを見つめた。
四年前の戦場で何が起きたのか。
その真実へ続く糸が、僅かに姿を現し始めていた。




