第25話 影の冒険者
第25話 影の冒険者
決闘を終えた、その日の夜。
クロード家の居間には、薬草を煮詰めた独特の臭いが漂っていた。
「少し染みるニャ。動くんじゃないニャ」
長椅子へ腰掛けたジンの背後で、ニーニャが包帯を巻いている。
アグニスの炎を正面から受け止めた上半身には、赤い火傷が残っていた。魔力を皮膚へ集中させたことで重傷は免れたが、治癒術を受けても痛みまでは完全に消えていない。
「ぐっ……」
「だから動くなと言ったニャ!」
「包帯を強く締めすぎだ」
「緩いとずれるニャ!」
「貸しなさい」
見かねたクロエが、ニーニャから包帯を取り上げた。
ジンの背中へ回ると、火傷へ触れないよう手際よく巻いていく。
「随分と慣れているな」
「冒険者なら応急処置くらい覚えているわ」
「私だってできるニャ!」
「包帯で相手を絞め殺すのは、応急処置とは呼ばないのよ」
「そこまで強くしてないニャ!」
ニーニャが抗議するが、クロエは相手にしない。
包帯を巻き終えると、最後に金具で固定した。
「これでいいでしょう。明日まで激しい運動は禁止よ」
「明日も授業がある」
「座学なら問題ないわ。実技なら見学しなさい」
「そういうわけにはいかない」
「どうして、そこまで急ぐのかしら?」
クロエの問いに、ジンは答えなかった。
決闘には勝った。
三体目の黒騎士を呼び出し、それぞれの視覚を共有する新たな力も発見した。
それでも、アグニスの攻撃を完全には防げなかった。
ストームワイバーンにも、三人で連携してようやく勝利したにすぎない。
オルクス帝国の軍勢を打ち破り、その頂点に立つ皇帝へ刃を届かせるには、今の力では到底足りない。
「まだ弱い」
ジンが呟く。
「アンタが弱かったら、ほとんどの一年生はどうなるニャ?」
「比較する相手が違う」
「また一人で無茶をするつもりじゃないでしょうね?」
「そのつもりはない」
ジンの返答を聞き、ニーニャは疑わしそうに犬耳を動かした。
「本当かニャ?」
「ああ」
「なら、今日は大人しく寝るニャ。私はもう疲れたニャ」
ニーニャは大きく伸びをすると、クロエとともに居間を出ていった。
二人分の足音が、階段を上っていく。
屋敷へ静寂が戻る。
「…………」
一人になったジンは、包帯の巻かれた胸へ手を当てた。
黒騎士学園の授業は朝から夕方まで続く。
放課後には訓練も必要になる。冒険者の依頼を受け、魔石を集める時間はほとんど残されていない。
魔石を買うという方法もあるが、高位の魔石は貴族でなければ手が届かないほど高価だ。
これまでの蓄えだけでは、いずれ限界が来る。
「学園へ通いながら、魔石を集める方法……」
考えながら、足元の影へ視線を落とす。
影の奥には三つの気配がある。
その瞬間、一つの答えが浮かんだ。
「俺自身が行く必要はないのか」
ジンは立ち上がり、屋敷の裏庭へ向かった。
月明かりの下。
右手を前へ伸ばす。
「出てこい――黒騎士」
足元から黒い霧が立ち上った。
一体。
二体。
三体。
漆黒の全身鎧を纏った悪魔の騎士たちが、音もなく片膝をつく。
「御意」
三つの声が重なった。
ジンは、そのうち二体へ目を向ける。
黒騎士は命令どおりに動くだけの人形ではない。
峡谷へ落ちたストームワイバーンから魔石を回収し、遠く離れたレグナまで追いついた。周囲の状況を見て経路を選び、自分の意思で障害を排除する判断力がある。
ならば、単独で魔物を討伐することも可能なはずだ。
「お前たち二体に、新たな命令を与える」
ジンは首都周辺の地図を広げた。
昼間、冒険者ギルドで確認しておいた常設依頼の討伐地域へ印をつける。
「明日の夜明けと同時に出発。街道東部の森でゴブリンとファングウルフを討伐し、魔石と討伐証明部位を回収しろ」
「御意」
「人間との戦闘は禁止。旅人やほかの冒険者には可能な限り姿を見せるな。判断できない事態が起きた場合は、戦わず撤退しろ」
二体の黒騎士が同時に頷く。
一体でもCランクに近い戦闘能力を持っている。
二体で行動すれば、首都近郊の低級魔物を相手に遅れを取ることはないだろう。
だが、派遣している間、ジンの影に残るのは一体だけになる。
悪魔の鎧へ換装しても、引き出せる力は三分の一。
魔石を集める効率と、自分自身の安全。
その二つを秤へ掛けなければならない。
「無理に戦う必要はない。勝てないと判断したら戻れ」
「御意」
命令を終えたジンは、二体へ小型の収納袋を渡した。
魔石と証明部位を入れるためのものだ。
「行け」
二体の黒騎士が立ち上がる。
地面を蹴った直後、その巨体が黒い霧へ紛れ、夜の街へ消えていった。
翌朝。
ジンは普段どおり、クロエとニーニャを連れて学園へ向かった。
影の中にいる黒騎士は一体だけ。
普段より気配が薄く、足元が僅かに軽くなったように感じる。
「まだ身体が痛そうだニャ」
「授業を受ける程度なら問題ない」
「実技授業だったら、私が先生に見学させるよう言ってやるニャ」
「余計なことをするな」
「怪我人は大人しくするニャ!」
二人が言い合っていると、隣を歩いていたクロエがジンの影へ目を向けた。
「今日は静かなのね」
「何がだ?」
「いえ。気のせいよ」
ジンは表情を変えずに歩き続けた。
黒騎士を派遣したことも、その目的も、まだ二人へ話すつもりはない。
まして、集めた魔石を自分自身が喰らっていることだけは、絶対に知られるわけにはいかなかった。
その頃。
首都から東へ離れた森では、二つの漆黒の巨体が木々の間を駆けていた。
「ギャッ!?」
一体目の黒騎士が、大剣でゴブリンの棍棒を受け止める。
その背後へ二体目が回り込み、別のゴブリンを斬り伏せた。
互いに言葉を交わすことはない。
それでも、一体が敵の注意を引けば、もう一体が死角を突く。
ジンと視覚を共有した経験が、黒騎士同士の連携にも残っていた。
茂みの奥から、三頭のファングウルフが飛び出す。
一体目が大剣を地面へ突き立て、正面から牙を受け止めた。二体目が横から踏み込み、黒い刃で二頭をまとめて薙ぎ払う。
残る一頭が逃げ出した。
二体は追わなかった。
命令は魔石の回収であり、森の魔物を皆殺しにすることではない。
倒した魔物の胸から魔石を取り出し、収納袋へ収めていく。
夜。
授業と訓練を終えたジンは、屋敷の裏庭に立っていた。
月が空へ昇る頃、庭の隅で黒い霧が揺れた。
二体の黒騎士が姿を現す。
一体目の胸部装甲には牙の痕が残り、もう一体の左肩にも棍棒によるへこみがあった。
それでも、二体はジンの前へ片膝をついた。
「任務、完了」
差し出された収納袋を受け取る。
中には十二個の小さな魔石と、討伐証明となるゴブリンの耳、ファングウルフの牙が入っていた。
どれも低級の魔石だった。
ストームワイバーンの魔石とは比べものにならない。
だが、自分が学園で授業を受けている間に集められたものだ。
「よくやった」
ジンの言葉に、二体の黒騎士が頭を下げる。
成功した。
昼間は学園で自分自身を鍛える。
同じ時間に、黒騎士が冒険者として魔物を狩る。
夜になれば、集めた魔石を神眼と悪魔の鎧で喰らい、自分と黒騎士を強化する。
一日で得られる量は僅かでも、毎日積み重ねれば大きな力になる。
「これなら、もっと早く強くなれる」
ジンは収納袋から一つの魔石を取り出した。
暗闇の中で、黄金色の右眼が静かに輝く。
「戻れ――換装」
三体の黒騎士が黒い霧へ崩れ、ジンの身体と影へ吸い込まれていく。
漆黒の鎧が全身を覆った。
兜の口元だけが霧へ変わる。
ジンは小さな魔石を口元へ運び、躊躇なく噛み砕いた。
純粋な魔力が体内へ流れ込み、不純物と魔物の残留思念は悪魔の鎧へ吸収されていく。
わずかな力。
だが、確かな一歩だった。
誰にも知られないまま、学園の外を歩く二つの影。
その日から、ジンと黒騎士による秘密の分業が始まった。




